無口な先輩
豆腐、味噌、卵……手元のメモを復唱しながら狭い歩道を小走りで渡っていた。
ぴゅうと冷たい風に身震いし、信号の前で止まる。なるべくなら早く帰ってこたつで体を温めたい気持ちもあるが、明日の学校生活に向けて色々と準備をしなければ行けない。家で大掃除をしている母親を手伝ってあげたいし、やってみたいこともあかり、彼は1秒1秒が惜しく感じていた。
急がば回れとよく言われているが、確かにその通りで車が渋滞している様を見て彼はスマホを取り出した。現在の位置、目的地と今の現状から考え……なるべくスムーズにいける道は…。
「この先を渡って歯科クリニックを抜けた先の公園……」
ここだ!
信号が青に変わり、少年はスマホをしまうとさっさと渡って行く。朝方に出たはいいが恐らく店も混んでいるだろう。
「……あっ」
少年は足を止め、思わず振り返る。
よたよたと重たい足取りで歩く老人が居た。老婆だろうか……、あの荷物を見るに帰り道だろう。少年は信号を一度見てから老婆へと駆け寄った。
「お婆さん大丈夫ですか?」
「あらまあ、……ごめんなさいねえ」
「気にしないで下さい。家まで運びますよ」
荷物を持ち、信号が変わる前に老婆の手を引いて渡る。少年が優しく微笑むと、老婆はニッコリと笑った。
背丈は年相応で、黒い髪に優しい目をした青い瞳。白いジャケットにはピンバッジが付いていて、老婆はそれに気づくと少年を見上げた。
「あらぁ?あなたもしかして、憐介君?」
「は、はい。鳥柴憐介です」
「あらあらぁ、大きくなってぇ。覚えてる?前にタマちゃんを診てもらったお婆ちゃん」
「あ!いおりさん!タマちゃんは元気ですか?」
「ええ、ええお陰様で……、憐介君のおかげでタマちゃん人に懐くようになって」
鳥柴憐介は頰を赤く染め、照れるように笑った。
タマちゃんとは憐介が初めて診察した猫のことで、人に懐くことは無かった。当初は憐介も手やら顔やらひっかかれたりしたが今では人に懐くようになり、憐介自身それが心底嬉しくてたまらなかった。
家に着くまで憐介はいおりとの会話を楽しみ、タマちゃんにも軽く触れ合ったのだった。
「で、少しの間時間を忘れて慌てて買い出しに戻って……」
「……もみくちゃにされたと」
鼻の辺りに絆創膏を貼りながら憐介は苦笑しながら頷く。頰には買い出しでの大安売り戦争で負った傷が腫れていた。
ため息2つ。
憐介は肩を落とし、椅子に座ったまま背の高い女性を見上げる。憐介と同じ黒い髪が背中まで伸びており、メリハリのある体系とFカップはある巨大なたわわ。シャツを胸元まで開いており、長い白衣を上に羽織っている。
「憐介、あんまりヒヤヒヤさせないで欲しいわ。お父さんに似て関係ない所で怪我するんだから」
「ごめんなさい、母さん」
「均美さんの言うとおりです鳥柴君」
憐介は右からかかった声に振り向き、更に肩を落とす。
背丈は平均並み、胸は均美と同じくらいあるだろうか桃色の長い髪をリボンでポニーテールにまとめ、片目は髪で隠れているが大きめな黒い瞳を細めている。スタイルも良く、手足が長い。幼さがあり年下な印象を受けるがこれでも憐介と同い年である。
「まさか、夜桜先輩にまで言われるとは……」
「あなた達2人共良く怪我しすぎよ、香ちゃんは可愛いんだから顔に傷が残ったら大変よね」
「私なんてそんなに魅力ないです、鳥柴君の方こそ将来有望な医者の卵ですから……」
香は相変わらず抑揚の無い声で淡々と語りながら憐介の傷を優しく撫でている。彼女自身も腕に包帯を巻いているが、考えずとも自分よりも怪我の具合は酷いのだ。
憐介は無言で香の手を掴み、ゆっくりと彼女の方へ戻す。
均美はそれを横目に、怪我完治のため預かっている犬に餌を与えていた。憐介の実家は動物病院をやっていて、憐介は均美の手伝いをするべく動物の治療法も学んでいる。
夜桜香はとある事情により、憐介や均美の世話になり全てを話した上で度々怪我を治療して貰っている。均美は香の母とは同級生でもある為香を実の娘のように可愛がっている。
「憐介は打たれ強いからそのうち治るわ」
「僕の扱い酷くない!?」
「そうですね、鳥柴君ならいくら実験に使ってもピンピンしてるので均美さんの言う通りです」
「夜桜先輩まで!?全然大丈夫じゃないですよ!」
あんなことや、こんなこと……。
思い出しただけで背筋がゾッとする。
しかし自分の実験に付き合わせるあたり、香も憐介にそこまでは心を開いている。今までならすぐダンボールを被り、近づこうものならダンボールから飛び出すロケットパンチを喰らっていたのに。
憐介は叫きながら香に詰め寄り、均美があと声を漏らす。
「っ、〜〜〜!」
「よ、夜桜先『近づかないでください!』ぶへ!?」
ロケットパンチ。
香はダンボールを被り、すっぽりと収まった。
憐介は飛び出してきたロケットパンチをもろに受け、壁にめり込む。
「憐介、香ちゃんとの距離感ちゃんと把握しなさいよ」
「無茶、言わないで……、鳩尾効いた……」
『……ごめんなさい。無意識でした』
「本能的なものならなおタチが悪いですよ……」
ダンボールに投げかけるシュールな光景。
憐介が大きくため息をついていると、裏玄関の扉が開き2人の男女が入ってくる。
「均美さん!治療お願いします!」
「あらレイナちゃん。……それ、秀久君よね」
「狼です!」
どう見ても秀久だ。
口にガムテープを貼られ、手足を縛られている怪我人だ。
『あ、たらし!』
『フゴ、フゴフゴ?(その声は、夜桜か!?)』
『フゴフゴ煩いので黙ってて貰えませんか、鳥柴君含めて』
「僕も!?」
『いえ、意味はありません。レイナの方を見ていたのでなんなとく』
「意味ありますよね!?いや、僕は秀久先輩の状態が気になって」
『…………なおタチが悪いです、近づかないでください』
「どうして!?先輩は、僕のことそんなに嫌いですか?」
『…………それは、返答しかねます』
よく聞こえなく、憐介がダンボールに近づくと再びロケットパンチの餌食になるのだった。