カチューシャ
いつもと変わらない扉。
204号室、そこの家族マンションに彼女は住んでいる。
彼女には母親のみずはさんと、父親の……先生がいる。先生は海外に出ている為、今は女性だけの2人が住んでいる。いつもなら彼女の方が先に起こしに来て、朝ごはんまで作るのだが、今日はやけに遅い為久しぶりに彼女のマンションまでやって来た。
扉やベルが新品同様に見えるのみずはさんの手入れ故だろうか。
チャイムを鳴らし、少ししてから高校生に見間違えてしまう容姿の女性が扉を開けた。
「あら、秀久君!」
「おはようございますみずはさん。みなもは起きてますか?」
「ふふ、未来のお婿さんとしては妻のことが気になるわよね〜」
「お、お婿さ……からかわないで下さいよ!」
「ふふ、私としては本音よ?」
朝から早々顔が熱い。
先生といい、みずはさんといい、何でこんなにオープン状態なのだろうか。
くすくす笑いながら、みずはさんは奥に居るであろう彼女に声をかける。
「みなも〜、秀久君来てるわよ〜」
『ひ、ひでひしゃくん!?きゃぁあ!?』
ベッドから転げ落ちたような音……。
「みずはさん、もしかして」
「ええ、今起きた所よ♩」
「やっぱり……」
早めに来ておいて正解だった。
バタバタと床を掛ける音を耳にしながら、俺はため息をついた。
「ひ、秀久くん!すぐ支度しますから!」
「うわぁ!着替えながら出てくる奴があるか!?」
みなもはすぐ奥に消え、みずはさんももう少し待ってねとゆっくり扉を閉めた。
……はあ。
心臓が止まるかと思った。
見慣れているとはいえ、いくら何でも不意打ちすぎるだろ。
……凄く、揺れてたな……って何考えてんだ!あの変態眼鏡じゃあるまいし!
「はあ……」
芹ねえからはちゃんはみなもに似合いそうな指輪を探してくれてるし、龍星さんからはデートのコツを教えて貰ってる。
結婚前提は、普通の付き合い方とは違うものなのだろうか。
……杉崎から貰った本……、参考程度に読んではみたが無いよりはマシだったかも知れない。
「お待たせしました!」
「……ああ、そんなに待……」
扉が開かれ、さらりと揺れる長い髪。
一本一本がさらさらしてそうなその髪は、傷一つなく丁寧に手入れされていて太陽の輝きで明るさを増す。初めてあった頃は肩くらいしかなかったが、今では膝裏に差し掛かりそうだ。
みなもは長髪が似合っているし、そんな彼女が好きだ。けれどそれは見慣れている姿で、今の彼女は今まで一緒に居て見たことがなかった。
「あの……やっぱり変ですか?」
自信なさげに言うな。
そんなことは無い、寧ろ……。
「可愛い……」
「へ!?」
カチューシャ。
そう、みなもは今カチューシャを着けている。
言葉が見つからない。
頭が真っ白だ。
恥ずかしげに顔を赤らめているみなものせいで心臓の鼓動が早い。
「秀久君大丈夫ですか?」
大丈夫……ではない。
正直理性を抑えるのに必死だったりもする。
「あらあら、良かったわねみなも。気をつけて行ってらっしゃい」
「はい、お母さん。秀久君、行きますよ?」
「……あ、ああ、ごめん」
みなもに引っ張られる形で学校へと向かう。途中すれ違った生徒や社会人がみなもに見惚れていたのを受け流し、ちらりとみなもの顔を見る。
……カチューシャだけでこんなに変わるもんなのか?
「秀久君?」
「はい!?何も見てません!」
「??」
駅のホームでそんなやり取りをしつつ、電車がやって来る。
朝方人身トラブルがあったみたいで、だいぶ遅れているらしくいつもより人が多い。ぎゅうぎゅうまでとは行かないが十分満員電車だ。
……。
次は10分遅れか…。
「……乗るか」
「はい、渋る必要ないと思いますけど」
「……前に痴漢にあっただろ」
顔を赤らめ俯くみなも。
直ぐに同乗していた秋獅子に助けられたから良かったけど、今回も可能性が無いとは断言出来ない。
電車が到着し、降者と代わるように電車へ入って行く。
……4.6.7か。明らかにみなもを見ていたな。
「みなも、ちょっとの間我慢しろ」
手すりを掴み、みなもの背を壁側にし目の前に立つ形で壁になる。
周りから舌打ちの声が聞こえてきた気がするが、生憎こっちは恋人同士だ。彼女を守るのは当然だし、下衆な連中にみなもを見せたくもない。
間も無くして電車が動き出し、みなもは俺の胸に顔を預ける形で抱きつく。
「俺の方がおかしくなりそうだ……」
「?」
「何でもない。ちゃんと掴まってろよ?」
「うん……」
砂のようにこぼれ落ちる理性を必死に搔き集め、何とか大事には至らなかった。