ifぬくもり
ifと書いていい夫婦と読む(11/22)(読みません
「さてと……」
青年は小さく伸びをした。
長期に渡っていた作業がひと段落したのだ。
太陽の日差しに目を細め、口の端をゆっくりと上げる。
周りに広がる大地はこれからきっと、緑に生い茂り作物が実る。初めて来訪した時に見た荒れ果てた大地は綺麗に耕され新たな恵みを生み出して行く。
嬉しそうにはしゃぎ回る子供達を温かな目で見つめながら、彼は世界地図へと視線を落とした。
「遺跡に近いルートだと……、次はここだな」
青年はペンで印を付け、よしっと気合いを入れながら荷物が入った鞄を担ぐ。
『ヒデヒサ!もう行くの?』
肌が黒い少女が秀久へと駆け寄る。民族衣装に身を包み、言語も全く違う。秀久は彼女の村の言語で『ああ』と優しく返す。少女の表情は暗くなり、寂しそうに俯くではないか。
秀久は困ったように笑み見せながら、ゆっくりと屈んだ。
「セナ、俺は行かなきゃ行けないんだ。君達のような子がきっと待っているからさ」
『……また会える?』
「ああ。約束する」
セナの表情が明るいものへと変わる。約束……、それはきっと、彼女達が成長しもっと豊かになった時なのだろう。
秀久はこの村の未来を見つめながら、村を後にする。彼を見送る村人達は誰もが笑顔に溢れていた。
彼の役目は終わったのだ。
「セナ、幸せになれよ……」
この村に来て最初に出会ったのが彼女だ。
彼女は先日、一人の母親になった。生まれてきたその夜は彼女の夫と泣いて喜んだ。まるで妹のような存在だった少女。親を失い、一人育って来た少女。
だが彼女はもう一人ではない。これから家族3人で新しい未来を紡ぐだろう。
村の式は華やかだった。彼女の花嫁姿は、秀久にとってかけがえのない思い出になるだろう。
「家族……か」
一枚の写真を取り出し、夕陽に翳した。
一戸建ての家。
二階、地下があるがローンは払い終えているあたり、自分も中々やるものだなとつい自惚れてしまう。
柵を越え、扉付近まで近づく。だが、扉に手をかけることはなく、胸へと当てる。
深呼吸を何度か繰り返し、少し震える体を落ち着かせる。
急いで帰国したとは言え、連絡無しは流石に不味いだろうなあ。秀久は唸りながら頭を抱え、がしがしと頭をかく。
悩んでいた所で帰ってきた以上仕方ない。唇を結び、意を決してドアノブへと……
ピンポーーン
「しまっ……」
ここで秀久の不憫が発動する。
足がフラつき、彼の手はインターホンを押してしまう。彼の顔が一気に青ざめ、少しだけ後ずさりしてましまった。
ゆっくり開かれる扉。息を飲む秀久。
「はい、どちら様…………」
「よ、よっ、久しぶ「殺すわ」ちょ、待っ!傘を構えるな!?」
扉の先から現れたのはよりにもよってみなもの大親友であるほのかだった。
黒い髪に垂れ目ではあるがキリッとした雰囲気を醸し出している。普段はクールが似合う彼女だが、秀久を見た途端鬼のような形相をしている。
「連絡無しに何の用かしら?」
「それは、まず、その物騒な傘を下ろしてからにしないか?」
「そうね、その前に一発殴らせて貰えるかしら?」
「傘で殴る気満々じゃねーか?!」
傘を振り上げているほのかに焦る秀久。
間違いなく、彼女は怒っている。ベリーアングリーだ。
「連絡無しに帰って来たのは悪いと思って「秀久?」」
ほのかの後ろから懐かしい声がする。
その声で秀久の血液が駆け巡り、冷えていた体が熱を帯びる。瞳孔の開きも大きくなり、視線の先には彼女の姿が映る。
赤みがある長い茶色い髪を一本の三つ編みにまとめ、着飾っていない顔は相変わらず綺麗だ。優しい垂れ目に、桜色の唇。ほんのりと赤い頬に、同じように見開いている桜色の瞳。
涼宮みなも……、今では上狼みなもはゆっくりと近づき秀久に抱きついた。肩に頭を預けみなもは目を閉じる。お互いあの頃より10センチ伸び、身体も大人になったのだ。
「おかえりなさい……」
「ただいま」
あの後ほのかからしっかりと謝りなさいと説教を受けた。勿論、何度も頭を下げ、何度も土下座だってしたが、みなもは怒ることなくその行為を止めた。
それでも彼女に寂しい思いをさせたのは変わりないし、謝った所で時間が埋まる訳がない。
けど彼女は優し過ぎる。怒ってもいいのに笑顔を見せる。俺が帰ることは知らなかったから慌てて夕食を作り出し、代わろうとするとキッチンから追い出されてしまった。
どうしていいかわからず、俺は娘の咲良を抱っこしていた。
……久しぶりに娘を抱いたが、知らない間にハイハイ出来るようになっていたとは。
「あうー」
「いてて、咲良頬を引っ張ったら痛いだろ?」
「ぱ、ぱ……」
「……ごめんな」
セナの夫であるジュアンはこれから子供を作り、精一杯の愛を注いで行くだろう。
それは俺とは違って、いつも側に居て……。無邪気に笑う咲良を見て、胸が少しだけ痛む。
彼女はこれから先、俺を愛してくれるのだろうか。
「秀久、ご飯の量は普通でいいかな?」
「ああ、悪い」
今では彼女との距離は無くなっていた。
新婚ホヤホヤだった頃はよくさん付けをされたものだ。悪くはなかったが、やはり何処か壁がある……。子作りの最中にそれを言った時の彼女の反応は今でも忘れない。
出来ればあなたとか言って欲しいが、今でも真っ赤になって言葉を噛みながら必死に拒否している。
「やっぱみなもの作る飯が一番美味いな」
「ふふ、ありがとう」
……。
そこで途切れる会話。
みなもは俺が食べる姿を嬉しそうに見ている。
「……なんか困ったことあったか?」
「大丈夫ですよ。ほのかちゃんや杉崎さん、榊さん達が助けてくれてますから」
「そうか…」
………。
「お金、足りてるか?画材費とかも送ったけど」
「はい。いつもありがとう秀久」
……。
「あのさ……」
「はい」
「……暫く日本でやることあるから……さ」
「え?」
「だから……暫くは一緒に居られると思う」
ガタンッと椅子が倒れ、次の瞬間には身体中を締め付ける勢いで圧力が加わる。
みなもが腕ごと抱きつき、あらん限りの力を加えてくる。胸元に顔を押し付け、そこから冷たい感触がした。彼女の身体は震え、俺はみなものホールドから腕を抜き出し優しく頭を撫でた。
「……ごめんな、……一人にさせて……ごめん」
きっと色々な重圧に押し潰されそうになっていたのだろう。
咲良のこと、家のこと、周りのこと……、俺のこと。
「秀久が、決めた……道だからっ……、秀久にみんなが感謝して、みんなが助けられて……っ、だから……引き留めたら、私の勝手で引き留めることなんて」
「……ごめんな」
「謝らないで、一番傷ついてるのは……秀久だから……」
溢れてきた涙を抑え、みなもを強く抱きしめる。
強く、強く……壊れそうなくらい。
みなもの手が光の無い左目にそっと触れる。それを右目で追い、ゆっくり左目を閉じた。
「絶対帰る。それまで……」
「はい、それまで……」
重ねた唇はお互いを求め、絡み合う。
あの頃より、1年前より……初めて重ねた頃より……、深く深く。
愛しさが込み上げ、同時に溜め込んでいた欲求が湧き出してくる。
「びやーーー!」
「咲良もお腹減ったんだなごめんなー」
優しくあやしながらみなもへ咲良を渡す。
授乳の時間なのは前に聞いていたため、直ぐに対応出来たのだ。
「明日から家事は俺がやるから、みなもは咲良と一緒に居てやれ」
「……そうですね…たまにはお言葉に甘えちゃいますね」
「ああ。最近描いてないだろうし、そっちもな?」
くすっと微笑むみなも。
旅の途中だけど少しだけ、ゆっくりしよう。
授乳が終わりすやすやと眠る咲良を撫で、秀久とみなもは声を出さずに笑った。