表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/7


 その村は渓谷の底にひっそりとたたずんでいた。真ん中に線路が一本通っており、その線路の脇に沿うようにして道が長く伸びている。線路と道を挟んだ両側には背の高い建物が山肌にへばり付く様にして建っており、どれも一階が店舗や事務所、二階から上が住居になっていた。左右の住居の間には窓から窓へと自由気ままに綱が張られ、色とりどりの洗濯物がはためいている。

 機関士のジャン・ジョッシュは、その日もいつものように麓の町から燃料や食料品を積んだ貨物列車を引いて帰って来た。貨物列車が町まで行くのは週に一度。村の住人の命綱ともいうべき大任を、ジャンはいつも誇りに思っていた。機関車と貨物列車の間には客車が一両だけ挟まれており、夏場でもないのにたくさんの観光客でひしめいている。皆身なりのしっかりした金持ちばかりで、手に手に美しく装丁された聖書を携えていた。

「ラ・ラ~ララ、おぉ、シレ~ヌよぉ~」

 機関車の窓枠に肘を突き、身を乗り出して大声で歌う。渓谷を流れるシレーヌ川は山奥に住む人々にとっては無くてはならない命の源で、昔からここの住人たちは歌にして讃えてきた。ジャンが歌っているのもそのうちのひとつで、シレーヌ川のほとりで愛を囁き合う恋人の歌だ。よほどこの歌が気に入っているのか、ジャンは機関車を運転する時はいつもこの歌を歌っている。風が赤茶色のくせ毛を巻き上げ、ジャンは眩しそうに青緑色の瞳を細めた。

 列車が村に近付き、機関車がブレーキをかける。そのままどんどん減速をして、列車はゆっくりと住居地に入った。ジャンの大きな歌声を聴きつけて、家々の窓からたくさんの顔が覗き込んで笑顔でジャンの無事を喜ぶ。建物の裏手からは子供たちがてんでに走り出て来てジャンに向かって手を振った。

「ジャン!」

 機関車の運転手は子供たちにとっては憧れの的だ。みんな大きくなったら機関車に乗ることを夢見ているが、しかし誰でもなれるというものではない。機関士になるには『適正』が必要で、今のところそれを任されているのはジャンしかいなかった。

 いつものように子供たちに手を振りながら駅に向かって列車を走らせていたジャンは、いつもと違うものに気付いて目を見開く。線路脇の緩やかに曲がりくねった道を見慣れぬ人間が歩いていた。黒のローブに黒のスラックス。肩の上で無造作に切られた髪は見事な金髪で、太陽の光を受けて柔らかそうに輝いていた。

 その『誰か』がゆっくりとこちらを振り返る。ジャンに気付いて眩しそうに運転席を見上げると、通り過ぎる瞬間にふわりと優しく微笑んだ。その碧く澄んだ瞳に魅せられて、ジャンは呆けたように口をポカンと開ける。

「天使だ……」

 そして驚愕の面持ちで呟くと、後ろへと遠ざかって行く美しい姿を呆然と見送った。



「ノアと申します。よろしくお願い致します」

「ハザウェイです。この村に神父様がいらっしゃるのは二十年ぶりです。先にご連絡を頂ければ教会もきれいにしておいたのですが」

 既に壮年を過ぎ、老年に差し掛かった村長はそう言うと、困ったように禿げ上がった頭を掻く。ノアは恐縮して顔の前で手を振ると、教会の場所を尋ねた。教会は今の道を更に山の方へ登った村のどん詰まりに建っているとのことで、前の神父が山を降りてからは誰も足を踏み入れたことがないらしい。

「なにぶん山奥ゆえ食料も限られておりますので、十分お分けすることは出来ないかもしれませんがお許しください」

「いえいえ、どうぞお気遣い無く」

 村長の言葉にノアは慌てて恐縮する。しかし、実際のところ、当座の食料は持って来ていたが何日もというわけにはいかない。協会から必要最低限の食料は送られて来るが、荷物が届くのは一週間後である。どうやら今ある食料だけで食い繋いでいくしかなさそうだと考えてノアはちょっと不安になった。

「二十年の間に亡くなった者もかなりおります。折りしも明日は降臨大祭、さっそく皆の弔いをして頂けると助かるのですが」

 勝手に来た神父の面倒は見られないが仕事はちゃんとしてもらうぞ、という気持ちが言葉の端々から窺えてノアは内心苦笑する。それでも必要として貰えるのだから有難い。神父など必要ないとはっきり言われたことも何度もあるノアにとっては、それだけでも救いだった。

 その時、ドドドドッと階段を駆け上がる音がして、誰かが突然村長室に入って来る。驚いて戸口を振り返ると、自分と同年代と思われる青年がニコニコと満面の笑顔で立っていた。

「またお前か、ジャン!」

 村長が顔を顰めて突然の来訪者を叱りつける。

「お前は何度言ったらわかるんだ! ここへ来る時は下の受付で名を名乗り、許可を得てから……!」

「はいはいはいはい」

 村長の言葉をジャンと呼ばれた青年が中途で遮る。そしてツカツカと部屋の中に入って来ると、両手を伸ばしてノアに握手を求めた。

「ジャン・ジョッシュです。ようこそ、こんな辺鄙な村へ」

「ジャン!」

 村長がジャンの言葉と態度に更に激高して怒鳴る。ジャンはおどけたように笑って首をすくめると、手を伸ばしてノアのトランクを掴んだ。

「教会まで案内しますよ、神父さん。明るいうちに掃除もしなくちゃね」

 完全に自分を無視した態度に、村長の顔が怒りで真っ赤に染まる。二人の遣り取りをオロオロと見ていたノアは、ジャンがさっさと自分のトランクを運んで行くのに気付くと、慌ててその後を追い掛けた。


「オレ、さっきの機関車の運転手なんだけど、わかりますか?」

 村長室を出ると、すぐにジャンが話し掛けてくる。ノアは笑顔で頷いた。

「歌、お上手なんですね」

 ノアの言葉にジャンが照れて頭を掻く。そして、ふと疑問を口にした。

「神父さんは俺の列車に乗ってなかったけど、どうやってここへ?」

 この村に来るにはジャンの運転する列車に乗るしかない。当然の疑問に、ノアはちょっと迷ってから答える。

「飛行艇で来ました。どうしても今日中に着くようにとの命令で……」

 協会が手配した飛行艇に有無も言わさず詰め込まれたのは今朝方のことだ。まだ明けきらない早朝だったので、お陰で長距離列車に乗って三日はかかるところをわずか半日で来てしまった。今までも何度も任務地を変えてきたが、こんなことは初めてだったのでノアも戸惑う。そのせいでドルイドにも挨拶すら出来なかった。

「降臨大祭に合わせたのかな」

 ジャンが首を傾げて言い、その言葉にノアは視線を上げて尋ねる。

「先ほど村長さんもおっしゃっていましたが、降臨大祭とは何ですか?」

「オレはよく憶えてないんだけどさ」

 ジャンはそう言うと、二十年前にこの山に大天使が降臨したとかで、それからは毎年この時期になると村長が祭りを開くようになったのだと話した。

「今年はその降臨からちょうど二十年目になるとかで、もしかしたらまた大天使が降臨するんじゃないかって噂になって、それで全国各地から物好きが大天使をひと目見ようと集まって来てるってわけさ」

 二十年前といえばジャンも自分もまだ子供だったから憶えていなくても無理はないが、実際に大天使が降臨したとなれば協会で習わないわけはない。誰かが思い込んだか見間違えたか、それとも観光客を誘う為に流したデマか……。

「ほら、あそこだよ」

 先を歩くジャンが前方を指差して言う。市街地を抜けた途端に目の前が開けて、緑の丘とそそり立つ山が現れた。山には木一本生えておらず、黄ばんだ岩肌がゴツゴツとむき出しになっている。

「この先には教会と墓地しかない。登りだからちょっとキツイけど、頑張って」



 案内された教会は、本当に村のどん詰まりに建っていた。一番山に近いから標高も一番高く、見晴らしは驚くほどいい。教会の前に立つと、まるで一枚の絵画のように小さな村を一望することが出来た。

「うわぁ……」

 ノアはその景色の素晴らしさに感嘆する。隣に立ったジャンも、感心したように渓谷の合間に林立する建物の群れを眺めた。

「こうやって見ると綺麗だなぁ。前の神父さんがいた頃は毎日のようにここで遊んでたんだけど、子供だから景色を眺めたりはしなかったからなぁ」

 そして、教会の建物を振り返る。小さいながらも聖堂を備えた教会はそれなりに立派で、外から見た感じではどこも壊れているようには見えなかった。隣接する住居用の建物も無事らしいのを確認してドアを開ける。長年閉め切っていたので空気は澱んでいたが、なんとか風雪には耐えていたようで、室内には雨漏りの跡ひとつ無かった。

「懐かしいなぁ」

 ジャンが部屋をひとつひとつ確認しながら言う。家具だけでなくベッドにもきちんとシーツが掛けられており、誰がいつ来てもすぐに使えるよう配慮されていた。

「前任者はなぜ山を下りられたのでしょうか」

 ジャンから受け取ったトランクをひとまずクローゼットにしまいながら、ノアは何気なく尋ねる。途端にジャンが複雑な顔をして言葉を濁らせた。

「それがよく憶えてないんだ。ガキの頃はそれこそ毎日のようにここに顔を出してた筈なんだけど、神父さんを見送った記憶が無いっていうか、あるんだけどよく憶えてないっていうか……」

 とにかくいつの間にかいなくなっていたのだとジャンは言った。

 もしかしたら、たまたまジャンが来られなかった時に教会を離れたのかもしれない。子供に泣かれるのが辛くて言い出せなかったとも考えられる。

「あの頃はオレのじいさんが機関車を運転してたんだ。村長の話だと、じいさんは神父さんを麓の町に降ろした帰りに崖崩れに遭ったらしい。機関車は無事だったけど、じいさんはとうとう発見されなかった」

 ノアは驚いてジャンを見る。ジャンは廊下に出ると、納戸から掃除用具を取り出した。

「水汲んで来るよ。駅前の広場にある水道は山から地下水を引いてるから飲み水としても使える。ちょっと遠いから、後で水瓶に汲んでおいてやるね」

「何から何まですみません」

 ノアは恐縮して頭を下げる。ジャンがそれを見て不思議そうに笑った。

「ブラザーは神父らしくない神父さんだね。もっと偉そうにしてればいいのに。町の神父はみんなそうだぜ?」


 家の中の掃除もひと通り済んだ後、ノアは持参した紅茶をジャンの為に淹れた。甘やかな香りが室内に立ち込めると、ジャンがうっとりとその香りを吸い込む。

「ノア神父、あんたと同じ香りがするね」

「え……」

 ノアはちょっと驚いて目を見開く。

「村長室で初めて向き合った時も、神父さんからはこれと同じ甘い匂いがした」

 確かにこの紅茶は気に入っているのでいつも愛飲しているが、まさか体臭にまで影響するとは思っていなかったので慌てる。

「匂いには好き嫌いがあります。不快でなければ良いのですが……」

「オレは好きだけど?」

 ジャンはにっこり笑って言うと、紅茶を旨そうに一口飲んだ。

「……神父さんを見た時、何かが始まるって思ったんだ。このつまらない日常がきっと変わる、何かが起こる。ワクワクして居ても立ってもいられなくなって村長室まで押し掛けた。まるでガキみたいに」

 そしてそう言うと、手の中のカップをじっと見詰める。その笑顔が少しだけ翳った。

「オレが機関車に乗るようになったのは、じいさんが死んでからだ。機関士には『適正』が必要なんだけど、父親にはそれが無かった。昼は客車に人を乗せるから父親が手伝ってくれたけど、夜は独りで任された。まだ七つやそこいらだったからね、正直怖かったよ……」

「夜? でも、列車が動くのは昼間だけでは……」

 ノアは疑問に思って尋ねる。ジャンが小さく笑った。

「表向きはね。でも、実際は毎晩町まで往復してる……誰も乗りたがらないけどね」

 最後の一言は視線を外して呟く。ノアは意味がわからずに、問い掛けるようにジャンを見詰めた。

「今夜わかるよ。夜の二時頃になったら窓の外を見るといい。ここからなら一部始終が見えると思うからさ」



 汽笛は鳴らなかった。蒸気の音も聞こえなかった。ただ車輪がレールの継ぎ目を乗り越えるゴトンゴトンという音だけが夜闇の奥から聞こえてきた。目を凝らしても灯りは見えない。しかし、確かに列車は木々の合間を動いていた。

 やがて、列車が減速して住居地に入る。しかし、昼間とは打って変わって誰もジャンに声を掛ける者は無かった。皆ピッタリと窓を閉ざし、息を潜めて列車が通り過ぎるのを待つ。

「あっ……」

 ジャンに言われた通りに窓から外を眺めていたノアは、それを見て思わず小さく声を上げる。列車が駅に着いた途端に、客車の窓からドアからたくさんの人々がプラットホームに降りて来るのが見えたからだ。乗客たちは駅を出ると、ぞろぞろとこちらに向かって歩いて来る。その先頭が住居地を抜けたあたりで初めてノアは、その人々の群れが薄白く光っていることに気付いた。

 『絶対に外には出ないでくださいね』

 ジャンの忠告が蘇ったが、言われなくても到底そんな気にはなれない。ノアがカーテンの隙間からこっそり外を窺っていると、やがて薄白く光る人の群れは教会の前までやって来て胸前で手を合わせ、次々と頭から教会の扉に吸い込まれ始めた。

「……!」

 数え切れないほどの人の群れがどんどんどんどん吸い込まれていく。やがて最後の一人が吸い込まれた瞬間、ノアはハッと我に返ると、慌てて反対の窓に駆け寄ってカーテンを開けた。

「あぁ……」

 目にしたのは、真っ黒な山を駆け上って行く光の帯だった。白く光る光の帯がドルシェの山を駆け登って天へと吸い込まれていく。ノアは放心して、その光の帯の尾が天に吸い込まれるのを見詰める。やがて空が再び暗くなり、いつもの星空に戻っても、ノアはそこから目を離すことが出来なかった。

「凄い……」

 今しがた目にしたばかりの幻想的な光景がいつまでも目に焼きついて離れない。ノアはそのまま、まんじりともせずに夜を明かした。



「あれは何だったのですか」

 翌朝、さっそく水と食料を差し入れてくれたジャンにノアは尋ねる。ジャンはノアが昨夜の光景を見たのだとわかると、ちょっと首を傾げて微笑んだ。

「ドルシェの山が『天国に続く山』なのは本当なんだ。この国で亡くなった人は麓の駅で列車に乗ってこの山を目指す。俺たち機関士はその魂の持つ『念』を機関車の動力として昇華させる。その特殊能力が、つまりは機関士の『適正』ってやつなんだよ」

 しかし、彼の父親にはその能力が無かった。そこで祖父の死後は幼い彼がたった独りで真夜中に列車を走らせることになったのだ。

「死者の霊は列車で揺られてる間に妄執や穢れを燃やし尽くして浄化される。そして、この教会を通って山に登り、光になって天国に行くんだ」

 ノアは昨夜見た光景を思い出す。教会を目指してひたひたと押し寄せる死者の霊の群れは不気味だったが、光の帯となって山を駆け登り、天へと吸い込まれて行く様は幽玄で荘厳で美しかった。昨夜の光景を思い出してぼんやりと宙を見ていたノアは、ハッと我に返って視線を上げる。途端にジャンの優しい瞳とぶつかった。

「そういえば、今日は神父さんに二十年分弔ってもらうんだって言って村長が張り切ってたよ」

「はい。昨日あなたが帰った後に連絡がありまして、今日の二時から式典を行うとのことです」

 墓地は教会のすぐ裏だ。とは言っても、霊はとっくにジャンによって浄化されているので、弔いと言っても形式的なことにすぎない。ちょうどモーニングティを淹れていたのを思い出したノアは、一緒にどうかとジャンを誘う。ジャンは笑うと、そっとノアの近くに顔を寄せた。

「では、香りだけ」

 不意に首筋の匂いを嗅がれたノアは、慌てふためいて赤くなる。ジャンは笑みを深めると、手を振って帰って行った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ