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第一話  恭ちゃんと私 

ふと立ち寄った花屋で、パキラの植木を買

った。5500円もした。思わぬ出費である。とはいえ、失業保険の支給日まであと一週間。あと一週間、一万円で過ごせばすむ話だ。頭の中で電卓を叩く。

大丈夫、イケル!

私はそう決断を下し、すらりとかっこ良く伸びたパキラを抱えて家に帰った。

殺風景な六畳一間のアパートに新星のごとく現れたニューカマー。パキラ。

鮮やかな緑。

いい。

すごく、いい。

原色の力は、すごい。一気に部屋が華やいでしまうんだから。

気分よく冷蔵庫を開けてトマトとベーコンを取り出す。きっちり半分ずつ切り分けてそれぞれをラップにくるんで再び冷蔵庫に戻す。

節約。倹約。私の大嫌いな言葉達。

でも、仕方ない。

何といっても今は失業中の身。贅沢している場合じゃないのだ。

先月、務めていた会社が突然、倒産した。

笑ってしまうほど、あっけなく。

すでに社長は行方が分からなくなっていて、人の良さだけが取り柄の課長が一人であたふたしていた。従業員といっても全員で5人しかいない会社だったからマスコミで取り上げられる事もなく、ひっそりと音もなく空中分解した。私と同じく事務員の女性と、事務所の玄関に貼られた倒産を知らせる張り紙を見つめながら「いろいろお世話になりました」

とお互いに頭を下げあった事は覚えている。

放心状態で貼り紙を見つめ続けた。それしかする事がなかった。社長の手書きの右上がりの汚い文字。殺意を覚え始めた頃には、私の回りには誰もいなくなっていた。

その足で、ハローワークに行って、失業保険受給の手続きを済ませた。事情が事情だけに手続きはややこしかったけど、待遇は良かった。私は翌月から失業保険を受け取れる事になり、期間も半年間ある。突然投げつけられた長期休暇。


さあ、何をしようか。


そう言いながら、はや一ヶ月が経とうとしている。就職先をみつけなければという焦りは不思議なほどになく、どちらかと言えば、その事に焦りを感じ始めている。

好きな時間に起きて、好きなテレビを見て、好きなモノを食べて好きな場所に好きなだけいることが許される。

何という自由。

何という 開放感。

一人暮らしの喜びを、噛みしめる日々。

最近のお気に入りは、徒歩十分の距離にある図書館。かなり頻繁に通っている。

平日の昼間からスッピンにジャージ姿で図書館に通ってくる私の事を図書館関係者がどういう目で見ているかは知る術はないが、おそらくまともな勤め人とは思っていないだろう。仕事のない自由業。おそらくそんな所だ。

トマトとベーコンをフライパンで炒めて、残りご飯を入れる。最後にケチャップと塩コショウで味付けをした。最後に乾燥パセリを散らしてみてもビンボーさは隠しきれない。

でも、私と恭ちゃんはこのケチャップライスがお気に入りでよく食べる。何となく食べたくなってしまうのだ。この何となく、っていうのはあなどれないモノで気づいたら週に4回は作るようになってしまった。

トントンと、玄関を叩く音がした。

恭ちゃんだ。

私はガスの火を止めて玄関を開けた。恭ちゃんが鼻をヒクヒクさせながら笑う。

「やった。ケチャップライス。食いてえー」

笑顔の恭ちゃんは、とってもあどけない。

バーバーリーのマフラーを外しながら中に入って来た。寒さで頬が赤くなっている。

「ハンガーそこにあるよ」

「うん」

慣れた手つきでブレザーの制服を脱いでハンガーにかける。

「外、かなり寒いよ。雪でも降りそうなくらい」

そう言いながら恭ちゃんはすごい勢いでこたつに滑り込んだ。

「やっぱ、日本人はこたつだよ。こたつにケチャップライスがあれば俺はもう何にもいらないや」

すらりとした体を縮めてこたつにしがみついてる恭ちゃんは、ちょっとだけかわいくて、ものすごく、笑えた。


恭ちゃんとは一ヶ月前、まさに無職生活がスタートしてすぐに図書館で知り合った。

一番高い棚に並べられている本を取ろうとして背を伸ばしてみても、後少しの所で取れなかった。どうしたものかと回りを見渡すと、使えと言わんばかりに隅に小さな脚立があるのが目に入った。脚立に乗って本に手を伸ばした途端、信じられない事が起こった。

転げ落ちてしまったのである。

まるでコントのように。

潔い転げっぷりだったと思う。

しんとした図書館に、ズドンという鈍い音が響き渡った。

恥ずかしいやら痛いやらですぐには起き上がれなかった。まるで死体のように固まっている私の頭上に男の声が降り注いだ。

「危ないと思ったんだ。その脚立、ネジ緩んでたから」

制服姿の男子高校生が、逆さまに映った。そいつはあたしに手を差し伸べる代わりに一冊の本を差し出した。

「得する!失業保険マニュアル」

「これが取りたかったんでしょ?」

淡々とした話し方。つるりとした肌に長い足

今時の高校生を間近で見る機会なんてそうそうない。私はしばし呆然とその男の子を見つめてしまった。ゆっくりと体を起こして立ち上がった。真っ直ぐに男の子を見る。

率直に、いい顔をしてると思った。切れ長の目が、特に、良い。

「あ、りがとう。どうも。すみませんね」

私は、照れと恥じが混ざり頭を軽く振りながらお礼を言った。まるでおばさんのようだと言った後で思った。

「そっか。今、失業中なんだ」

私を何歳だと思ってるのか知らないが、もしくは単に舐められてるのかしらないが最初からタメ口をきかれた。

「大変そうだね」

同情までされた。

私は男の子から本を受け取りながらにっこりと微笑んだ。

「大人はみんな大変なの。少しでも得したくてみんな必死なのよ。君も大人になれば分かるわ」

私は澄ました顔で壊れた脚立を拾い上げて受付に向った。職員に文句の一つも言わなきゃ気が済まない。

「ねえ、お姉さん」

背後から声がした。

「言いにくいんだけど…そのジャージ、おしりのとこ破れてる。パンツ丸見え」

凍り付いた。

嘘だろー!いや、まさか、そんなはずはずない…。

なんて思いながらも、考えるより先に体が反応する。慌てて両手でおしりをまさぐってしまった。

情けないほど、慌ててたと思う。その直後。

「冗談だって」

苦しそうに笑い転げる男。それが、恭ちゃんとの出会いだった。


話をするようになって分かった事は、恭ちゃんの通学途中に私の家があるという事。

両親が放任主義であるという事。

恭ちゃんは、自然と家に遊びに来るようになった。

恭ちゃんは、本当に家に遊びに来るのだ。

一緒にこたつに入りご飯を食べる。食べない日もある。携帯で誰かと話をしたりする時もあれば、二人でゲームやトランプをしたり、テレビを見たり。ラーメンを食べに行ったり、カラオケにも行く。

ハッキリ言って同性の友達といる時としている事は変わらない。違う事といえば、町内を出ないという事だろう。

私と恭ちゃんが住んでいる「永福町」でしか会わない。何となく、そういう事になっている。「どういうご関係ですか?」と恭ちゃんとの関係をきかれたなら、ご近所友達と答える。この表現が一番ふさわしいと思う。

十七歳の男と二十六歳の女。

かたや高校生と無職。共通点なんか一つもない私たち。

キスもしない。セックスもしない。

ドロドロしたものは、一つもない。

楽しいから一緒に遊ぶ。

何てシンプルで分かりやすい感情。

「いただきます」

二人で手を合わせてケチャップライスを食べる。食べる前に手を合わせるなんて事私はした事がなかったけど、恭ちゃんはごく自然に手を合わせる。それを見てるうちに私も自然に食べる前には手を合わせるようになった。

恭ちゃんは、食べ方もきれい。

放任主義の両親にしつけられたのか分からないが、時々、ハッとする所が事がある。

「みーちゃん、今日のケチャップライスコショウきき過ぎだよ」

恭ちゃんが、形のいい眉をひそめる。

私も一口、食べる。確かにコショウがキツい。二人で咳き込んでしまった。

「げっ。ホント。食べなくていいよ。ラーメンでも食べに行こうよ。大勝軒!」

私の提案に恭ちゃんは首を横に振った。

「大勝軒はまた今度にしようよ。俺、いいよこれで」

そういいながら、恭ちゃんは、失敗したケチャップライスを再び口に運んだ。そして顔をしかめながら叫んだ。

「結構、クセになりそう」

わずか5口で完食。水をがぶ飲みする恭ちゃん。こいつはどこか、屈折していると思う。

ワケありの食事を済ませて、恭ちゃんが一息つく。

「あの植物、何て言う名前?今日買ったの?」

パキラを指差しながら恭ちゃんが言った。

「あれはね、パキラっていうの。セブンの向いにある花屋で今日買ったんだ」

「ああ。三栄花屋か」

こういう時、話が早いのがいい。

「あそこ、質が悪い割に値段が高いってばあちゃんが言ってた。みーちゃんはすぐだまされやすそうだからな。ぼったくられたんじゃねえの?いくらで買ったの?」

言えなかったので、話の向きを変える事にした。

「そんな事より、このパキラに名前付けてあげない?」

「おっ、いいじゃん。俺、そういうの好き」

恭ちゃんが乗って来た。

「んじゃあ、パキラだから」

真顔で、しばしの沈黙。

「あっ。ひらめいちゃった」

沈黙を先に破ったのは私だった。

「パッキー」

「モンキー」

「クッキー」

「ヤンキー」

「最低!」

「くだらなすぎー」

二人で言いあって笑い転げた。笑い疲れて大の字になって天井を見上げていると、恭ちゃんが言った。

「んで?あのパキラはいくらで買ったの?」

恭ちゃんは、時々とっても抜け目がない。


十時前になって、恭ちゃんが帰って行った。

一分と経たないうちに、メールが届いた。

「言った通り。雪が降ってきた」

慌ててベランダに出た。ちらちらと白い雪が、空を舞っていた。初雪だった。九州生まれの私は雪を見ると無条件に興奮してしまう両手を広げて空を仰ぐ。

くるくると踊り狂いたい気分。

「ヒヤッホー」

と声を上げて飛び跳ねていると、ポケットで携帯が鳴った。メールが来た。恭ちゃんからだ。

「今頃、ベランダに出て大興奮かなあ?誰が見てるか分かんないんだからほどほどにね」

私はきょろきょろと周りを見回し、いそいそと部屋の中に入った。

私という人間はどうやら相当単純に出来ているらしい。

部屋の中に入ると、冷えきった体がぶるっと震えた。


翌日、午後3時23分。

悠真からメールアリ。

テレビを見ながらソファーでぐったりとしていた私は、はじかれたように飛び起きた。

「今日、仕事が早く終わりそうなんだ。五時に渋谷でどう?」

私がフリーである事を前提に書かれたメールにむっとするも、まあ、仕方ない。

仕事で多忙な彼にしてみればやっと作り出したアフターファイブなのだろうから。

思えば一ヶ月ぶりのデート:久々の再会。

「何着ていこうっ!」

私はクローゼットを開けて洋服を取り出だす

。鏡の前で「ああでもない、こうでもない」と着替えているうちに気持ちが高揚して来るのが分かる。

久しぶり。

久しぶりだわ。この感じ!

迷いに迷ったあげく花柄のクロエのワンピースにレギンスをあわせてマークジェイコブスのコート。決めてはミュウミュウのゴールドのパンプス。

へアバンドで髪を上げてお化粧を始める。

ファンデーションを頬に付けると、体がうずく。私も女だったのねえとしみじみしてしまった。

そういえば、ほぼ一ヶ月。

この永福町から出ていない。

当然、化粧もしていなければもはやユニフォームと化しているダサイジャージしか着ていない。私の中の「女」が永久の眠りにつくところだった。危なかった。

気合いを入れてオシャレをする。

女としての喜びを実感する時。

オフからオンへ。スイッチが切り替わる。

鏡の中の自分に満足して微笑む。どこから見ても恋人とのデートに胸を膨らましている恋女の姿だ。



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