改札口
ぐいぐい来すぎる年下彼氏に面食らう30歳のわたし。ネット恋愛から始まったこの恋の行方は?
結婚適齢期の女にとって、10も年下の男に恋するのは崖の上を歩くのと似ている。沼にはまって抜けられなくなった頃合いに、捨てられたらもう人生の終わりだ。だから、どれほど年下の男に性的魅力を感じても、わたしはそれに気が付かないふりをして生きてきた。それに、自分は、自分から恋を仕掛けられるような女ではない。わたしは好きだと言われるのを待つという、受け身のスタイルでいることによって、自分が傷つくことから自分をずっと守ってきた。けれど、自分が30歳の時に、10も年下の男から「好きだ、本気だよ」と言われたら、いったいどうすればいい? 自分はすでに年齢的にも崖に向かって歩いているのに、この男は、わたしをわざわざそこから突き落そうとするつもりなのか。 眠い目を擦りながら、パソコンのモニターの電源を付ける。メーラーを開いてみると、やはり彼からメールが来ている。その事実を間違いなく確認した。開いてみると、デートのお誘いだった。
勤めているクリニックの栄養士さんが話していたことを思い出した。年下の男の子と恋愛するなんて危ういんじゃないかって。そうだよね。客観的に見たら、ただ遊ばれているだけだよね。でも違うんだ。わたしに言い寄ってきてくれた男の子は、わたしに人生の深い悩みを相談してくれるし、頼ってくれる。わたしは心理カウンセラーじゃないけど、悩んでいる人をやっぱりほかっておけないじゃない? だから、そういう意味でも、決して遊ばれているのとは違うんだよ。だれからも否定されたくない。ただ、気になることがひとつだけあって、「君の事は好きだけど、責任は取りたくない」っていう言葉を吐いてくることなんだよね。責任って何? 結婚ってこと? それとも子どもが出来ても認知しないってこと? それならちょっと人としてどうかと思う。それに、責任を取りたくないなら恋愛市場に足を踏み入れるなって思うよ。
しかし、こう考えれば年下の男にとってもわたしたち女にとってもいいんじゃないかと思う。”実を結ぶ種を持たない関係!”。考え付いた自分は、もしかしたら天才かもしれないと思った。”実を結ぶ種を持たない関係”だ。そうすることによって適齢期は問題ではなくなる。だけどそんな危険な生き物に、自分からわざわざ近寄らないというのが賢者の考えだ。そしてわたしはいまの時点ですでにじゅうぶんすぎるくらいの愚か者だった。ただでさえ、危ない感じの男の子だ。今はパソコンだのスマホだの、なんでも揃っていて、実際に会う前からメールでやりとりができる。でも、それが安心材料になるとは限らない。実際に会う前から彼女だと思われることだってある。もし実際に会ってみた大学生が、ものすごく変な勘違い男だったら本当にサイアクだから! 出会いは、チャットルームでの悩み相談だった。さみしいからという理由で立ち上げていたオープンチャットに彼が入ってきて、悩み事相談を受けたのがきっかけだった。わたしも人間だ。困っている人の助けになりたい。けれども、年頃の女が若い男の悩み事相談を受けるときは本当に注意したほうがいい。きっと大学生の頭の中でいろんな脳内物質がどくどく出たりしておかしくなってしまったのだろう。そして、彼はわたしに恋をした。それもまだ会ったことのないわたしに。 彼から好きだ。会いたい。そういう心を求める言葉がでてきたのは本当に本当に初めのうちだけだった。次第に彼の言葉は欲望の言葉に切り替わっていった。セックスしたい。やりたい。やらせてほしい。いくらわたしが30歳の大人の女性であっても、いくら彼が未熟な大学生だったとしても、わたしだってやっぱり女だ。
わたしは30年間女をやっていて、意図せず自分の存在を欲望の対象と捉えられることがなんどかあった。男兄弟に大事にされて育ってきたから男友達との距離の取り方が近すぎたのだろうか、なぜかよくわからない。自分で言うのもおかしいが、特にわたしは美人なほうでもない。母親くらいの年齢の女性警察官にいちど相談したことがある。そうしたら「そういうときは男性との間に物理的な距離を取りなさい」と言われた。男性が欲情しておさえられなくなったときに、トイレに行くとか家に帰るなどして距離を置くのがいいそうだ。
不思議に思えるかもしれないが、わたしも彼に恋をしていたのかもしれない。メールだけのやり取りしかしていないのに、わたしに恋をしていると言ってくる彼がどんな人なのか、どうしても知りたいという欲求がおさえられなかったのは確かだ。愚かだったのかもしれない。しれないのではなく、ほんとうに愚かだった。チャットによる相談を受けている日々、ある日、彼からメールが届いたのだ。今日は朝から心臓がバクバクいって苦しい、と。わたしが彼にあの日会いに行ったのは、ただの余計なおせっかい。ほんとうにいまとなってはなぜわざわざ自分から彼に会いに行ってしまったのだろうかという後悔しかない。なのにわたしは遠距離に住んでいる彼に会うために、朝から電車に乗って待ち合わせの場所に向かったが、到着したのは夕食の時間の近くだった。遅れてやってきた彼は思ったより小さくて痩せていた。わたしと一緒に安い定食屋で質素な食事をとり、カラオケへ向かった。一生懸命に盛り上げようとしている姿を見せたが、わたしのテンションは下がっていった。実際に目の前に現れた大学生の彼は、こちらに対する配慮がない。大学生でももっと周りに配慮ができるタイプの大人の男性であればこちらもその気になったが、なんだか行動や会話のすべてが自分よりで、これからどこに行くか決めるときもこちらの意向は気にせずに勝手に決めた。あからさまにつまらなさそうな態度をとっているわたしに「ごめんねつまんなくして」と言って、急にキスをしてきた。おいまて、まだ出会ったばかりだぞ? なかなかなれなれしいなこいつと思い、体を思い切り離すと、「ごめん」と謝ってきた。「でも、彼女とせっかく会えたのにキスもできないなんていやじゃない?」と続けた。嫌なのはこっちだ。それに彼女ってだれだ? わたしのことか? もうこいつと一緒にいるの嫌すぎて今すぐ帰りたい! 交通費を返せ!
許せなかった。自分自身が。年下ハイスペイケメン彼氏を手に入れたいと思ったら、こんな人の領域をずけずけと無視して乗り上げてくる性欲男につかまってしまったのだ。年下の男の子は必死になって追いかけてきて、わたしを逃がすまじとした。「絶対にセックスするから」といった。なんなんだこいつ、まじで怖い。早く逃げなきゃ。こちらが嫌そうにしていると、そこら辺の電信柱に載っているデリヘルのポスターを指さして「君がそんなに嫌がるなら、俺はここの客になるから」と言ってこちらの反応を見た。こちらが「頼むからそうして!」というとなんだか納得がいかない様子でこちらをまじまじと見てきた。なんなのこいつ、ほんとうにキモチワルイ。セックスがしたいのならよそでやってきたらいいのに、なんでわたしとすることにこうもこだわるのだろうか。これが彼の恋なのだろうか。もう本当に迷惑!! わたしは女性警察官に教えてもらった言葉を思い出した。物理的にこいつと距離をとらないと、やばい! わたしは咄嗟に「トイレに行きたい! 漏れそうなの!!」と言った。年下の男の子は「駅にトイレがあるから行ってきなよ」と促した。わたしは一目散に駅へ駆け込んだ。そしてトイレにはいかずにスイカを取り出すと改札口にぴたりと当てた。改札口が開くと、走ってそのまま駅構内へ入った。わたしはそのまま来た時の路線をそのまま引き返し、次の日になる前までに自宅へ戻った。ざまあみろ! わたしは遠く離れた自宅までおしっこをしに帰ったぞ!
パソコンを開いてみるとこんなメールが届いていた。
-〇〇ちゃんへ、勝手に帰るなんてひどいじゃないか。でも、今度こそは絶対にセックスするから覚えておいて。こっちはセックスがやりたくてやりたくて爆発しそうなんだ-
勝手に爆発しろ。そのめげない根性を勉強に使えばいい、と思った。だからわたしはチャットで知り合った別の友達に、わたしが困っていることを相談し、彼にわたしがもう会いたくないと思っていることや、今後連絡してこないでほしいことを伝えてもらった。彼ははじめこそひどく怒っていたが、そのうち仕方なくあきらめたらしい。
誰かに男に求めらるだけありがたいと思えと言われた。いい年をしたおばさんのくせに、と。どちらにしろわたしはこのレベルでわかり合えない男の子と恋人になんてなれない。わたしはまだまだ30歳。若者の仲間だ。わたしは大きく安どのため息をついた。
恋は焦らずゆっくりがいいと思います。




