Spicy Black(3)
あかねさんに与えられた部屋は、俺の部屋と造りは同じはずなのに、機能的な中にもあちらこちらに置かれた花瓶や絵などのせいか、何処か生活感がある。
…そう言えば、この部屋に入ったのは随分と久し振りだ。
「…さて、問題の十四日の事ですけど」
俺が椅子に腰を下ろすのを確認して、あかねさんは徐に核心に触れた。
「ハザマさん、甘いものが苦手でしょう?」
「…ええ」
「二月十四日は殿方にチョコレートを贈るのが普通だと教えて頂いたのですけど、チョコレートって甘いでしょう。だからそれを貴方にあげるのは可哀想かしらと思って。…今思うと、それが間違いだったようですね」
そこまで言うと、あかねさんは疲れたようにふう、とため息をついた。
「あの日、ハザマさんは勇人さんと外でお仕事だったでしょう? すごく冷え込んでいて、寒いだろうと思いましたから…あの日、わたくしは……」
「──…! もしかして……」
そこまで聞いて思い出す。
あの日── 二月の丁度中頃に当たる日は、よりにもよって朝から雪混じりの天気だった。
午後には雪も止んで晴れ間が見えたものの、基本的に寒さに弱い俺は、内心仕事に出るのが辛かった。
その出掛けに、ふと机の上を見ると置いてあったのだ。── 自分では買った覚えのない、使い捨てカイロが。
そしてその横にメモがあって、『寒いからこれを持って行くように』という言葉が書き添えられていた。
…実はこういう事は過去に何度もあって。
しかも時によって、持って来る人間があかねさんだったり、鳴海さんだったり…物によっては、面識のある鳴海さんの奥さんからだったりした。
だから全く思いもしなかったのだ。それがあかねさんからの物で── まさかバレンタインデーにちなんだ物だとは。
「── あれ、だったんですか……」
「そう。…やっぱり気付いてなかったんですね?」
「済みません」
今度は心から謝る。
するとあかねさんはその顔にようやくいつもの笑顔を浮かべてくれた。
「いいんですよ。あの時のメモに、自分の名前を書かなかった事もいけなかったんです。筆跡でわかるだろうと思っていたのですけど、よく考えたらハザマさんがそこまで考える訳がないですもの」
「……」
…気のせいだろうか。
さりげなく、言葉に毒が入っているような気がするのは。
「真面目で堅物で、不器用な上に口下手。…そんな風にあなたが育ってしまったのには、わたくしにも責任の一端がありますしね」
「……あかねさん」
やはり嫌味が入っていたか。
思わず呼びかけた声に険が混じる。するとあかねさんはちらりとこちらへ視線を投げつけ、不敵に微笑んだ。
…嫌な予感がしたが、今回は逃げ場がない。
そして悪魔は楽しげに囁いた。
「それでね、ハザマさん。もうお返しなんて求めませんから、わたくしのお願いを一つ、聞いてくださる?」
+ + +
重い足取りで自室に戻ると、まだそこに鳴海さんがいた。
「お疲れ。どうだった?」
気軽に聞いてくれる。
俺が精神的にどれ程消耗したか、見てわかるだろうに。
「…取り合えず、お怒りは解けた」
「おお、そりゃ良かったじゃないか。…でも、その割りに浮かない顔だけど? 何かあった?」
鳴海さんの質問に、俺は何と答えたものか悩んだ。
俺の経験から言って、あかねさんから提示された『お願い』はおそらく、この鳴海さんも焚きつけるに違いない。
下手に口にすれば、益々泥沼になる気がする。
だが…こういう時に相談出来る相手が、鳴海さんくらいしかいない事も確かだった。
「…『お願い』された」
「…うわ、それはまた……」
今までのあかねさんの『お願い』がどういうものか知っている鳴海さんは、同情するような顔になった。
「今回は何?」
「…それが、その……──」
「ん?」
この期に及んで俺は迷った。
やっぱり言わない方がいいんじゃないか?
何しろ、前回の『お願い』である
「一日、『お母様』って呼んで♪」
…の時は、この人まで調子に乗って『じゃあ、俺も「兄さん」で!』とか言ってきたくらいだからな。
そんな風に悩んでいると、鳴海さんは余程言いたくない事だと思ったのだろう(実際、言いたくなかった)、やれやれと肩を竦めると気遣うように言ってくれた。
「わかった。じゃあ、俺からあかねさんに、今回の『お願い』を撤回してもらうように頼んでやるよ」
「…!?」
「いくらお前が可愛いからって、あの人もいろいろ無茶言うからなあ……」
などと言いながら、早くも扉に向かいかけている長身を、俺は慌てて呼び止めた。
「な、鳴海さん! ちょっと待て!!」
「ん?」
冗談じゃない。
確かにあのあかねさんも、この職場では比較的常識人の鳴海さんの言う事は素直に聞いてくれる方だ。
だが、そんな事を頼んだらあかねさん自身から今回の『お願い』が何なのか、直接この人にばらされるじゃないか……!
そうなれば、火に油どころではない。被害を最小限に留める為にも自分で話した方がマシだ!
「わかった、話す。実は…──」
ああ、もう本当に…どうしてこう、面倒な事ばかり降りかかってくるんだ……!
「── 会わせろ、って」
「…? 誰に」
「…── うちの、居候」
…実際には、あかねさんが言ったお願いの内容はこうだ。
『ハザマさん、わたくし、そろそろハザマさんの未来のお嫁さん…ケイトさんとお会いしたいわ。…連れて来て下さる?』
よりにもよって、そう来るとは。
いろいろと突っ込みどころ満載の発言ではあるが、いつかこういう『お願い』が来るのではないかと心ひそかに思っていた。
以前から、あかねさんはケイトに会いたいと事ある毎に言っていたのだ。だが、まだケイトが長い時間人の姿を保てない理由から、無理を言う事はなかった。
──…が。
先日、ケイトを連れて街へ出た時、その姿をこの職場の関係者が目撃したらしく、その話を聞いたあかねさんは『じゃあ、ここに連れてきても大丈夫じゃないの』と思ったらしい。
「居候って…噂のケイトちゃん?」
「…ああ」
「…ふーん……」
…ああ、なんか嫌な予感がする。
しかして、その予感は外れず、鳴海さんは喜色満面の笑顔で言ってくれた。
「それはいいじゃないか! 俺も一度会ってみたかったし。連れて来るだけでいいんなら、『お願い』としては軽い方じゃないか? なっ? 連れておいでよ。そうだ、その時は俺も薫さん呼んでいい? やっぱり、ハザマの『彼女』には薫さんも会いたいだろうしさー」
「…っ」
やっぱりか……!
人を何だと思っているんだ、この人達は! 見世物じゃないぞ!?
…だが、あかねさんだけならともかく、鳴海さんまでもこう言い出したら、事態が変わる事はまずあり得ない。
逆らって『お願い』を反故にしようものなら…それを盾に取って、うちに押しかけてくるな、確実に……。
あのあかねさんとケイトという組み合わせだけでも、俺にとっては頭の痛い話なのに、これに鳴海さんと奥さんの薫さんまでも加わった日には…いや、ここに連れて来るとするとそれ以上に──。
ああ、想像するだけで眩暈がする。
…結局その日、許容範囲を超えた俺はそのまま逃げるように自宅へと帰った。