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Spicy Black(2)

「おーい、ハザマ。ちょっといいかい?」

 あかねさんが嵐のように去った後、しばらくして扉を軽くノックする音がしたかと思うと、廊下からそんなのんびりとした声がした。

 声を聞くまでもなく、その人の来訪があるだろうと予想していた俺は、うんざりとした気持ちで返事をした。

「…どうぞ」

 答えると、廊下から長身の男が勝手知ったる様子で入ってくる。

 見た所、二十代中頃。均整の取れた身体をスーツで包んだその姿は、何処からどうみても完璧な社会人といった雰囲気だ。

 ちなみに、一応、俺にとっては上司に当たる人だ。

 俺もそれなりに身長があるが、この人は更にそれよりも高い位置に頭がある。その高い場所から見つめてくる目は穏やかで優しい。

 実際、海千山千の人々が集うこの職場で、名実共に『癒し系』の名を欲しいままにしている人物である。

 気さく、という言葉をそのまま体現したようなその人は、部屋に入ってくるなり笑顔で言い放ってくれた。

「やーい、泣かせんぼ~♪ 駄目だろ、子供と年寄りには優しくしないと」

 揶揄やゆするような言葉ながらも、そこにあるのはあくまでも親愛の響き。

「…そんな事を言われても……」

 多分、俺は苦虫を噛み潰したような顔をしていたに違いない。悔しい事だが、二重の意味で事実なので否定出来なかった。

 そんな俺の顔を面白そうに見つめて、その人── 名前を鳴海勇人なるみゆうとという── はおもむろにその大きな手を俺の方へと伸ばしたと思うと、避ける暇も与えず、いきなり俺の頭をがしがしと乱暴に撫で始めた。

「ちょ、ちょっと…いきなり何するんだ、あんたはっ!?」

「いやあ…お前も大きくなったなーって思って?」

「何を寝ぼけた事を…っ!」

 見た目と中身の年齢が一致しないのは、この職場ではありふれた事だ(一般的ではない認識はある)。

 だが、だからと言って一見した所そう年齢の変わらない男に頭を撫でられるなぞ、他には絶対に見られたくない姿だ。

 乱暴に振りほどこうとするが、その手はそう簡単には解けない。

 …── この怪力持ちが……っ!!

「離せ…ッ!」

「はいはい、わかったよ」

 押し殺した声に殺気を込めると、ようやく解放される。

 …なんでそんなに残念そうな顔をされなくちゃならないんだ……。

 ため息をつきながら乱された髪を適当に整えていると、鳴海さん(一応、上司だから『さん』付けだ)はその辺の空いた椅子に腰掛け、こちらもため息混じりで呟いた。

「…ちぇ。お前、猫ッ毛だから触り心地いいのに……」

 ──……(怒)。

「それよりさ、さっきあかねさんが涙ながらに俺の所に来たんだけど、一体何があったんだ?」

 ようやくこの部屋に来た理由について触れたかと思えば、鳴海さん自身はその経緯を知らないような事を口にする。

「…聞かなかったのか?」

「いや、聞いたんだけど…『こんな悲しい事、口にするのも辛い』とか言って教えてくれなかったんだよなあ」

「…あの人は……」

 頭痛がする。何があったのか、聞きたいのはこっちの方だ。

 だが、この問題が解決しなければ、鳴海さんも退散してくれないだろうし……。

 仕方なく、俺は鳴海さんに事と次第を話した。

「…ふうん。そういう事か」

 話を聞き終えた鳴海さんは、納得したように頷いた。

「本当に俺はあの人に何か貰った覚えはないんだ。だからお返しとか言われても…」

 『お返し』するのは別に構わない。だが、あかねさんも理由を思い出せずに渡されても多分受け取ってはくれないだろう。

 しかし── 本当に覚えてないのだ。あかねさんはバレンタインデーの時に一体俺に何をくれたというんだろう。

 心底弱り果てていると、俺の話をしばらく考えていた鳴海さんが口を開いた。

「あのさ、ハザマ。あの人に一般常識を求めるのは、無理だと思うよ?」

「……?」

「ほら、あの人って見かけは小学生だけど、中身は『明治生まれ』だろ。しかも超箱入りだし、当然バレンタインデーなんてイベントは元より、その後にこじつけみたいに出来たホワイトデーの意味とか知る訳がないじゃないか」

 何を恐れてか、幾分声を抑えたその言葉は、俺をひどく納得させた。

 そう言えばそういう人だった、と。

 あかねさんは以前クリスマスの時、誰かが言ったキリストの誕生日だという説明のみを鵜呑みにして、クリスマスだというのにバースデーケーキを買って来させた人だ。

 そんな前科がある人が、バレンタインデーやらホワイトデーを曲解していないとどうして言えようか。

 …その辺りの変な素直さは、どっかの誰かを彷彿ほうふつとさせて、余計に俺をうつにした。

「── ちなみに鳴海さんにはあの人……」

「ん? 俺は何も貰ってないよ」

 念の為に確認すると、あっさりと鳴海さんは答える。

 これで鳴海さんにもお返しを取りに行っていたのなら、まだ理解出来るのに。

「…何でだ……? あの日、俺と鳴海さんは一緒に帰って来たのに……」

 やっぱりあの人は俺にとって、世界で一番不可解な人かもしれない……。

 そんな事を考えていると、鳴海さんは簡単に言い放ってくれた。

「そりゃ決まってるだろ。俺には薫さんという、最愛の奥さんがいるからさ」

「……は?」

「だから。明治生まれのあの人には、妻帯者に恋愛的な意味で物を贈るなんて『はしたない』事じゃないのか?」

「…そういう理由なのか……?」

 …確かに、あかねさんと親しい人間の中で、独身の男は俺くらいなのかもしれないが……。

 それが何であれ、恋愛的な意味は確実にないと思う。何しろあのあかねさんだ。

「取り合えず…まず謝って、理由を聞いたら?」

 考え込んだ俺に、鳴海さんが苦笑を浮かべつつそんなアドバイスをくれる。

「身に覚えがないのにか…?」

「…そんなに心底嫌そうな顔しなくても……。でもあかねさんの場合、自分は悪くないと思っている時は、絶対に自分からは折れないじゃないか。この際、自分のプライドは棚に上げて…な?」


+ + +


 ── 結局、このまま居心地の悪い思いをするのも嫌で、俺は鳴海さんの言葉に従い、あかねさんの部屋に向かった。

 …すごく、理不尽な気がしてならないんだが、これって被害妄想だろうか……。

 軽くドアをノックすると、扉の向こうから返事は返って来なかった。

 でも部屋の中から気配がする。これは怒ってお篭りに入ってしまったか。

 …ああ、もう、本当に面倒だ。

 俺は出来る事なら、波風立てず、静かに生きて行きたいんだ。なのにどうして、俺の身の回りにいるのは俺を振り回す奴ばっかりなんだ……?

 あかねさんといい、鳴海さんといい── …ケイトといい。

 思い出して、思わずため息をつく。そうだ…問題はあかねさんだけではなかったのだ。

 ここは早い所、こちらの片を付けてしまおう。

 俺は心を決めると、もう一度ノックを繰り返し、扉越しに中にいるあかねさんに声をかけた。

「…あかねさん。そこにいるんでしょう?」

「……」

「さっきは済みません。…でも本当にわからないんです。こんな事を聞くと、益々失礼になるのかもしれませんが…一体、バレンタインデーの日に、俺に何をくれたんですか?」

 返事はやはり返って来なかった。

 それでも辛抱強くドアの外で待つ事、数分。

 中で人が動く気配がしたかと思うと、カチャリと小さな音と共に扉が開いた。

「…あかねさん」

「本当に、不器用なんですから。尋ねるにしても、もう少し言い様ってものがあるでしょう?」

 怒った口調でそんな事を言いながら、ようやく顔を見せたあかねさんは、こちらがもう一度謝罪する前に、そのまま説教モードに突入してしまった。

 両手を腰に当てて、自分より遥か上にある俺の目を睨むように見つめて。

「良いですか、ハザマさん。殿方がそう簡単に謝るものではありません! 黙して語らず、どんと構えてらっしゃい」

「…しかし……」

「しかし、じゃありません! …今回はわたくしにも非がありました。こちらこそごめんなさい。ハザマさんがちょっとした心遣いに気付くような人でない事を知っていたにも関わらず、自分の気持ちだけを押し付けてしまいました」

 …謝ってくれるのは助かるが、素直に喜べないのは何故だろう……?

「取り合えず、中にどうぞ。こんな所で立ち話もなんですから」

 すっきりしない気持ちのまま、勧めに従って俺はあかねさんの部屋に足を踏み入れた。

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