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清らか女神と異世界勇者の受難 ー理不尽な召喚に苦しむ、お人好しの勇者の物語ー

作者: かやたぼ
掲載日:2026/01/16

「タスクーッ!千歌ちゃんもう来てるわよー!」

 オカンのけたたましい叫び声が、閑静な住宅街に響く。


「今行く!」

 スマホを閉じ、カバンを持って階段を駆け下りた。


「まったく……毎日待たせて、千歌ちゃんかわいそうでしょう!」


 読者諸氏に一つ、まず言っておきたいことがある。

 俺は正真正銘のどこにでもいる高校一年生、タスク。 

 だが、どこにでもはいない可愛い幼馴染が隣に住んでいる。


 しかし安心して欲しい。

 脈はない。

 このラブコメみたいなオープニングでも決してそういうことではないので、離脱しないでいただきたい。


「はい、お弁当!」

 オカンから弁当箱を受け取り、エナメルバッグに無造作に突っ込む。


 あ、斜めった。

 今、オカンの舌打ちが聞こえた気が……


 玄関に腰掛け、急ぎ靴紐を結ぶ。

 昨晩は数学の宿題に追われ寝不足だ。

 最後の大問の途中で気絶。決着は今日の休み時間に持ち越された。


 俺は腕を伸ばし、大きなあくびをする。


 ◇ ◇ ◇


 目を開けると、そこは見慣れた玄関ではなく、暗い室内だった。

「へっ!?」

 急に支えを失い尻もちをつく。


 何だここは?何が起こった?まさか異世界!?


 いや、さすがにこんな、シームレスに異世界生活始まらないでしょう?

 だってスキルとか、ステータス画面とか。


 ……って、ああ、なんだ。夢か。


「勇者様!」

 女性の声が響く。


 声がする方を向くと、水着みたいな鎧を召した金髪碧眼のお姉様が、剣を握りしめていらっしゃる。


「勇者様!召喚に応えていただけたのですね!」

 お姉さん!

 発音完璧です!

 海外の方が日本語を学んでくれるのって、なんでこんなに嬉しいのだろう?


 って勇者様?


「来ます!」

 今度は左側から女性の声。

 この方は魔法使い? 魔女っ娘? 今、何て?


 魔女っ娘さんの目線の先を追うと、黒いマントに身を包む、禍々しい仮面を付けた人が立っている。

 趣味の悪い装飾の椅子と黒い猛獣も後ろに控えている。


 多分、魔王的な?ここは魔王城?


 ……ふっ、よかろう。

 勇者タスク、ここに見参。


 俺はスッと立ち上がった。

 尻もち?冗談きついぜハハハ風に、それはもうスッと立ち上がった。


 立ち上がったタイミングで、魔王さんが炎を俺に向け噴射してくる。

 え、待って?会話とか楽しまないタイプ?

 決め台詞を考える間もなく、そのまま炎に包まれる俺。




 何も感じない……熱くない。

 まぁ夢だからね。




 魔王さんがたじろいでいる。

 仮面をつけているのでわからないが多分引いている。


 何でリアクションしないのって思われてる。

 俺は関西人じゃない。俺は悪くない。



「勇者様!救世(くぜ)の霊木です!」

 魔女っ娘さんが粗末な棒切れを押し付けてくる。


「これをお使いください!」


 ………何に?……どうやって?

 わからないのは俺の問題?

 なにこの勇者パーリーピーポー。


 魔女っ娘さんに質問する間もなく、魔王はこれが全力ですという身構えで、スペシャルな炎を撃ってきた。


「きゃあ!」

 魔女っ娘さんが吹っ飛ぶ。


 俺はまた、炎に包まれた……






 ……ぬくい。


 これはあれだ、駅前のゲーセンに置いてある、でかいヒーターのあの感じだ。中三の冬、勉強もせず、よく入り浸ってたっけ。

 ヒーターは俺がハマってたメダルゲーのすぐ横に置いてあった。入店直後はありがたいが、しばらく経つとじりじり背中を焼いてきてうっとうしかった。向きを変えようにも、いかついバイトのお兄さんの目が光っていて……


 あ……そうだ。


 千歌が俺の知らない男女グループといきなりそのゲーセンに現れたことがあった。

 俺はとっさにパーカーのフードをかぶって顔を隠した。

 しかもその日、まじめに勉強しろ!って、親父に初めてげんこつ喰らったっけ。


 ……許さんぞ魔王。嫌なことばかり思い出させやがって。


 魔王はまだ一生懸命に炎を出し続けている。

 人の事情を汲み取ろうともしない。

 大きなお世話かもしれないが、これで部下はついてくるのだろうか。


 俺は勇者として、部下たちのためにもこの極悪非道の魔王を倒さなければならない。これが、勇者の目覚め……

 しかし、リアルな夢だ。


 ……今、俺の心に浮かび、どんどん存在感を増す、一つの可能性がある。

 俺の中の常識や価値観が、それだけはあり得ないと強く否定する、一つの可能性。

 てっきり、WEB小説の中だけの話かと思っていたが……


 そう、それは、





 実は、こんな魔王の方が正義だったんです、って可能性……


 くっ!!危なかった!!

 お姉さんと魔女っ娘さんが、真の黒幕だったなんて!


 ……俺は一体、どうすれば……


 よし、こうしよう。

 俺は棒きれを握って念じた。

(魔王が悪い人なら、その悪い心を取り除いてあげてください)


 すると、魔王が、突然発光し出す。

 室内が隅々まで照らされ、悪趣味なドクロのお飾りが晒されていく。


「ヴァアィイイグアアトオオオオッ!!!」

 大きな叫び声をあげる魔王。

 俺のせい?

 すいません。


 やがて光が収まると、そこには倒れ込んだ裸の女性の姿が。


「……女神様!」

 お姉さんが恐る恐る近づいていく。


 俺はと言えば、もちろん勇者として、一糸まとわぬその女性の裸体に釘付けだ。

 残念なことに、その長く美しい、絹糸のような髪で、見たいところを見事に隠しながら、うつぶせに倒れられていらっしゃる。

 あれっ!?黒かった猛獣まで白くなっちゃってる。


 それは本当にごめん。


 しかし、魔王の正体がまさか女神様だったなんて……とはならない。

 そもそも、呼び出すだけ呼び出しておいて、誰も俺に説明しようとしないのはなぜ?


 お姉さんと魔女っ娘さんは俺を完全に放置したまま、女神さんに話しかけている。

 きっと、「姉ちゃん、ドクロ、かっこええなぁ?」とか絡んでいる。

 いくら自業自得とは言え、部下から見放され、リアクションもされず、身ぐるみはがされ、ご自慢のペットも白く塗られ、さらにそんな風に詰められたら......


 俺なら泣く。


 いや、待て!

 世界を救った勇者の俺は、これからこの三人と……


 ◇ ◇ ◇


「……タスクっ!タスク!?」

 千歌の声が聞こえる。


 目を開けると、千歌の顔がすぐそこにあった。いい匂いがする。


「気が付いた!?ああ……よかった」

 夢から覚めたみたいだ。


「ちょっともう!?怖いって!冗談やめてよ!」

「いや……俺、どのぐらい寝てた?」

「おばさんの声が聞こえてからだから……1分くらい?」


 1分?そんなもんだった?


「え、もしかして……本当に?」

「ああ、いや、全然。えーと、学校行こう?」

「え?う……うん……」


 ◇ ◇ ◇


 地元の高校へは自転車で大体20分。

 いつも千歌と通学させていただいている。


 千歌の学力ならもっといい高校に行けたはずだ。

 千歌は勉強を教えるのも上手い。

 昨晩も電話で宿題の手解きをしてくれた。


 なぜ自分と同じ高校に千歌が通うのか、思い当たる節ならある。

 高等学校等就学支援金制度があったとて、自転車で通える公立高校は結局コスパ最強。

 千歌ん家の経済事情までは知らないが……それを聞くのはセンシティブでコンプライアンスというものだ。


「具合悪くなったらすぐ先生に言いなよ!?」

「ああ!」

 この、千歌と他愛のない話をしている朝のひと時が、俺の癒し。

 さっきの夢の話でも……と思ったが、女子高生に話せる要素は一つも無かったことにすぐ気付けたのは幸運だった。


「あの……電話の()()、聞こえてた……?」

「え!?うん!」

 たまに何を言っているのか聞き取れない時は勘で相槌を打つ。


 自転車は無情に進んでいく。本当は帰りだって一緒に帰りたい。けれど、行きと帰りではハードルの高さが全く違う。


 千歌は小さい頃からとにかくモテた。

 中学生の時、通学路からちょっと外れた道でバスケ部の先輩と下校する千歌をたまたま目撃したことがある。

 俺はその時、この世に神がいないことを悟った。


 あっさり学校に着いてしまった。

「じゃあね。気を付けなよ」

 千歌とはクラスが別。古い校舎に予鈴が響く。


 これでいつもの、本当にどこにでもいる男子高校生の日常に戻った。


 ……でも俺はまた、すぐに「変な夢」を見ることになったんだ。


 ◇ ◇ ◇


 午前の授業が終わった。


 数学の宿題は、()()側の圧勝。


「じゃあ、元気でな」

 果てなき荒野、沈む夕日、大問が馬上から大きく手を振る。攻略の糸口さえ見つからない強敵だった。


「お前もな!アミーゴ!」

 振り返ることは無い。これで心置きなく、文系に旅立てる……


 文理選択のプリントに運命(ディスティニー)を記そうとしたその時、

「タスク!」

 廊下から、聞き覚えのある声が。千歌だ。


 他のクラスなのに、グングン入ってくる。

 怖い。


「お昼、一緒に食べよ?」

「え?」

「おばさんにタスクをよろしくって言われたし」


 オカンオブザイヤー受賞。


 いやしっかし、周りの視線が痛い……千歌はもっと自分が注目されていることを認識するべきだ。俺は今、ぎらつく太陽にさらされたダンゴムシの死骸のような姿をさらしているに違いない。


「じゃあ行こう」

 そう言って教室を出て行く千歌。なぜかすり足で追いかけるという、不審者ムーブをかます俺。廊下にあるロッカーから急いで弁当とスマホを取り出す。スマホには「頭、大丈夫?」というオカンからの辛辣なメッセージが。

 ……まぁ確かに、急に息子が気絶したように眠りだしたら心配か。


 ―――拝啓 母上


 不審者です

 ご心配おかけしています


 それより、あなたの作った弁当が初めて、

 教室以外で花開こうとしていますよ


 受賞、おめでとうございます

 ご自愛下さい


                敬具


 ◇ ◇ ◇


「わぁ、空いてないんだね……」

 千歌が中庭を見渡して言う。

 そこには見渡す限りの陽キャ万博、陽の者たちが太陽のパワーを充電している。


「あっちの方行こっか」

 校舎のはずれの方、人気ひとけのない場所のベンチにやっと座れた。


「いただきます」

 さすが千歌の弁当だ。まぶしくて直視はできないが、多分かわいい。


 一方、俺の弁当は……

 初めての外出で緊張しているのか、中身がゴリゴリに右側に寄り切り、もはやゴリ弁の様相を呈している。

「そりゃおばさんも怒るよ。せっかく作ったのにかわいそうだよ……」

 寄り切りに物言いが入る。


「タスクはもう少しオシャレに気を使ったほうがいいよ」

 でた謎説教。

 どの口が言ってるんだ。

 ……こいつは、昨日の朝、動画を見ながら頑張って初めてセットした髪を、「似合ってない」と一瞬でくしゃくしゃにしやがったんだ。

(どうせすぐメット被るから、千歌に見てもらいたかっただけなのに……)


「いいだろ別に」

「まだお婆ちゃんとこで切ってるの?」


 家の近所に昔から通ってる床屋がある。

 もみあげは犠牲となるが、顔剃りのあったかい泡が気持ちいい。


「もう、お人好し!」

 千歌が嬉しそうに言う。

 いや、お前もご近所さんなんだからもみあげを捧げてこい。



 弁当を食べ終わってしまった。

 周りを見渡す。

 ここは薄暗いせいか、カップルばかりだ。

 ベンチで膝枕などしている人がいる。


 はぁっ? 正気か!? 学び舎ぞ!

 お巡りさーん!お母さーん!


 ……千歌も食べ終わったようだ。

 丁寧に弁当箱を巾着にしまっている。


 千歌がその巾着を見つめたまま、口を開く。

「……膝枕……興味あるの?」

「はっ?あるわけ……」

 あるに決まっているだろう。なめてんのかこいつは。


 ……待て。俺が周りをきょろきょろ見てたから聞いてきたのか?

 俺は、終わったのか?

 善意の幼馴染の横、カップルの行動覗き見?


 お巡りさーん、ここです。僕です。

 手錠をかけてください。


 ……動揺して箸入れを地面に落としてしまった。

 箸入れを拾おうとした時、千歌が何かをささやいた。


「……する?」


 ◇ ◇ ◇


 次の瞬間、俺は中世ヨーロッパ風の村の中にいた。

「へっ?」


「勇者様! 助けて下さい!」

 中腰のまま振り向くと、素行の悪そうな方々に連れ去られそうになっている女性がいた。


「お願いします! 村を救ってください!」

 茶色の髪、緑の瞳。

 可愛い……


 違う! そんなこと言っている場合じゃ無い!しっかりするんだ!タスク!


 俺は……


 そう、俺は……



 千歌とランチタイム中だろ!

 今どうなっているんだ俺は!?


 周りを見渡す。

 小さな村。

 建物が燃え、村人たちが逃げ惑う。

 山賊らしき男たちが暴れている。

 広場には綺麗な髪の長い女性?の像。


「なんだお前?死ね!」

 いきなり俺の頭に斧が振り下ろされる。


 頭に直撃した斧は、弾けて下に落ちた。

 俺と山賊さんが目を丸くする。


 しかし、異世界ってどうやって確かめればいいんだろう?


「スキル解放!!!」

 何も起こらない。俺の突然の大声に山賊さんたちが後ずさりする。

「な、何だそのスキルカイホーってのは!」

「……ふっ、お前たちを誘いざなう、死神の名前さ!」

 あぶない。何とかごまかせた。


 村娘さんが叫ぶ。

「勇者様!助けて下さい!何でもします!」


(な、何でも……!?)


「その言葉が聞きたかった!」

 俺は落ちていた手頃な棒切れを拾って念じた。

(いきなり頭カチ割ろうとする山賊さんたちを、いい子にして下さい)


 例の光が山賊さんたちを包む。

「うがぁぁぁぁっ!」


 しばらくすると、目がキラキラの山賊さんたちが出来上がる。

 水で膨らむビーズみたいにお肌もプルップルになった。


「消火だぁ!野郎ども!」

「へい!」

 村人と山賊さんによる初めての共同作業。感動的だ。


「おうお前ら、これからは真っ当に生きやがれ!」

「へい!」

 俺の魂の激励に、山賊さんたちが涙ぐむ。

 つまづいたって大丈夫。いつだって大切なのは、これから。



「……勇者様っ!」

 先ほどの村娘さんが駆け寄ってくる!

 俺は両手を広げて迎え入れ……


 ◇ ◇ ◇


 あら?

 目が覚めた?


 横向きになった木々、垂直な地面。

 左ほほに柔らかい感覚。

 驚いて体をはね起こす。


 村娘さんは?

 左右を見回しても、ベンチの下にもいない。

 マジか?いいとこだったのに。


「……びっくりしちゃった。強引なんだもん」

 千歌は何故か顔を赤らめ、いつの間にか地面に落ちていた巾着を拾っている。

 周りのカップルがこっちを見て笑っていた。


 ◇ ◇ ◇


 午後の授業。

 俺は、悶々としながら状況を整理する。


 一つ目、多分、俺は、本当に異世界に行ってる。

 だが、このことは他言無用だ。


 なぜか?


「多分、俺は、本当に異世界に行ってる」

 こんなセリフを他人に聞かれたら終了だ。


 二つ目、異世界での俺は最強だ。

 万能感があり、もれなく性格が歪みそうだ。


 三つ目、時間。

 異世界で過ごしている時の体感と、現実の時間の進み方の違い。

 もしかすると、1分くらいで固定なのかもしれない。


 しかし、無視できない大きな問題が一つ。

 願いをかなえたら、現実に戻るということ。

 魔女っ娘、村娘。

 願いをかなえた瞬間に、現実に戻った。


 つまり、願いをかなえた後の、イチャイチャは無理……

 くっ!神よ!バカなのか!?異世界の醍醐味は!?


 じゃあ、異世界に行ったら前借りでイチャイチャを……

 くっ!ダメだタスク!

 それでは単なる変態だ!


 とはいえ、健全な男子高生としてこのチャンスを活かさない訳には……

(次は絶対に言う!)

 俺は固く決心した。


 しかし、結局その後は何事もないまま、部活も終わり、自転車置き場へ向かった。


「タスク!」

 千歌が駆け寄ってくる。


「今日は、一緒に帰ろ?」

「え?」

 俺の頭の中に、スターの音楽が大音量で流れだした。


「嫌?」

「べっ、べつに、イッ、イヤじゃないけど……」


 二人で、自転車を走らせる。


 ああ……これは楽でいい。 

 千歌が横にいると、いつもみたいに、今、誰と、どうしているのかなって、考えなくて済む。


 でもなんか、千歌はいつもより、しゃべりかけてこない。

 さりげなく、文系理系どっちにするのか、さぐりたかったのに。


 あっという間に家に着いてしまう。

「……じゃあね」

 千歌が自転車を降りる。何故か元気がない。


「……あ、タスク!ちょっと良い?」

 呼び止められた俺は自転車を停め、踵を返す。

 千歌は前髪をさわりながら、俺を見てくる。


「あのさ……タスクのお弁当、私……作っていい?」


 ◇ ◇ ◇


 また異世界だ。今度は中世ヨーロッパの町中の雰囲気。


「勇者様!」

 よしきたイチャイ……

 そこにいたのは小さな女の子だった。


「アンドレを探して!」

 いきなり何この子。

 今、大事なところだったんだけど。わかってんの?


「アンドレって何?」

「何じゃないよ!家族!」

 だるっ。何この子?親御さんは?


 早くもどりたい。


 少女の目に、涙がにじむ。

 くそ……こういうのには弱いんだ。


 さっさと解決しよう。


 アンドレ……心の中で念じる。

 どこだアンドレ……?あ、これか?

 人じゃない?何だろう、ペット?


 念じれば、一瞬でここに呼び出せそうな感覚あるけど。

 グチャッ とかなっても嫌だし……


「こっちだ、行こう」

 少女と共に、街を歩いていく。


 町は賑やかで、人出も多い。

 勇者様って言われてはいるけど、民衆に囲まれるとか胴上げされるとかもない。

 この世界の勇者って何なんだ?


 路地裏で怯えているアンドレを見つける。

 少女が駈け寄る。

 小さな小さな、手のひらサイズの白い犬。


「ありがとう優しいお兄ちゃん!」

 少女の眩しすぎる笑顔。

 清らかな光に照らされ、俺の中の醜悪な志が手を擦り合わせて許しを請う。


「責任もって育てるんだぞ」

 偉そうに。どの口が言っているんだろう。


「お兄ちゃん!好きな人いるの?」

「へっ!?」

「大きくなったら、お嫁さんになってあ……」


 ◇ ◇ ◇


 あ、戻った。

 夜空。俺は仰向けに寝かされていたみたいだ。


「タスク!?タスクッ!良かった……」

 何で泣いてるんだ。千歌。


 あ、おばさん。こんばんは。

 ……おばさんまで深刻な顔で俺を見ている。


 オカンが血相を変えて駆け寄って来る。


 ……そう、俺だけがまだ、事の重大さに気付けていなかったんだ……


 ◇ ◇ ◇


 ……今、俺は、病室のベッドの上にいる。


 あの後、オカンに連れられ、救急病院に行くことになった。

 体は何ともなかったけど、オカンの泣きそうな顔を見たら、行かないとは言い出せなかった。


 簡単な問診を受け、今日は病院に泊まり、明日、精密検査することになった。左手に付けられた装置、ベッドの横にあるモニター。心電図?大袈裟な。


 いや……そんな事もないか。

 今日は、3回も意識を失った……自転車を漕いでいるときに意識を失っていれば、命だって……


 千歌が面会に来てくれた。

 手を握って、何回も「大丈夫だよ」って言ってくれた。泣かないで、千歌。笑った顔が好きなのに。


 俺はどうなってしまうんだろう。


 ◇ ◇ ◇


 その時、俺はベッドの上で、何度も異世界に行った。

 女神の祠に巣食うドラゴンの討伐、賢者の孫の女神に関する本探し、女神ごっこの鬼役……


 みんなは俺を『勇者様』って呼んでくれる。

 ……でも、残念だけど偽物だ。

 本当の俺はちっぽけで、皮肉ばかりのおちゃらけ者。


 そのくせビビりで怖がりで、想いを伝える勇気もない。

 人を救うどころか、大切な人を悲しませている。


 人助けは嫌いじゃない。でも……こんな時にまで……もう召喚しないでくれって、この異世界を呪いそうになっている……


 ◇ ◇ ◇


「時間だからもう行くね。また来るね……」




 目を開ける。


 千歌の声が聞こえた気がした。




 20時。


 面会時間ぎりぎりまで、いてくれたんだ……




 ◇ ◇ ◇




 翌日。

 朝からいろんな機械で頭部や胸部を検査された。


 午後、お医者さんから説明を受けた。

 オカンが手を握ってくれる。

 親父まで会社を休んで同席した。


 結果は……「異常所見なし」。


 ……よかった。本当に。

 オカンが泣いた。ずっと辛抱してたんだ。

 親父まで泣いた。泣くとこなんて初めて見た。

 俺も泣いた。だって泣きたい気分だったから。


 三人でお医者さんに何度も頭を下げて 

 自宅に戻ってきた。


 親父が焼肉行こうといったけど、

 オカンが家で作ると却下した。

 俺も正直、食欲がない。


 学校を休んだのは初めてだ。

 体調が悪くても、学校には意地でも行った。


 そうすれば千歌に会えるから。


 これから学校は車で送るとオカンに言われた。

 そんなの申し訳ないし、千歌と登校したい。


 いや……そうじゃない。


 もう誰も悲しませたくない。


 考えろ。俺はどうすれば。



 なんとなく気付いてはいた。

 俺が異世界に行くときは、いつも近くに千歌がいた。

 現に今日は、異世界に呼ばれない。


 千歌が異世界へのトリガー?


 そういえば、異世界の賢者とか抜かすジジイが、一升瓶片手に言っていた。

「勇者は清らかな女神の想いで現れ、願いをかなえて去っていく」


 願いをかなえて去っていく、は分かる。

 俺は願いをかなえると現実に戻れるから。


 清らかな女神ってのは、千歌のことか?

 千歌は何か知っているのだろうか……


 ◇ ◇ ◇


 その日の夜、俺は家の前で千歌の帰りを待っていた。

 千歌が帰ってくる。

「頭、大丈夫?」

 ……悪意は、無いと思う。

「うん、メッセージで送った通り、問題なかった」


 千歌の顔が少しだけ晴れる。

「よかった……」

 千歌がまだ不安そうなのは、気付いているからだろう。結局、俺が意識を消失する原因が明らかになったわけではないってことを。


「千歌、お願いがある」

 俺は持って来たレジャーシートを千歌の家の玄関先に敷いて、寝っ転がった。

「……何してるの?」

 千歌が困っている。本当に異常はなかったのかって疑われてる。


 また急に意識を失うかもしれないから、最初から寝っ転がっておく作戦だ。でも、そんな事を口にすれば、また千歌を泣かせてしまいそうで……


「ごめん、こんな格好で。けど、真剣なんだ」

 千歌は首を傾げている。


「……俺に隠していることないか?教えて欲しいんだ。このままじゃ、普通の生活にも支障をきたす。気がかりで気がかりで、眠れないし飯も喉を通らない。千歌、頼む。聞かせてくれ!」


 我ながら異常な光景だ。

 千歌からすれば、学校帰りに玄関先に寝っ転がられて教えて君をかまされている状況だ。

 自衛隊の一つや二つ、呼びたくなるだろう。


 でも千歌は、ほほ笑んで、俺の体をぐいぐい押しこんで、横に寝っ転がった。えっ、好き。


「やれやれ……やっぱり、聴こえてなかったか」

「え?」

 俺は千歌の方を向く。


「ダメ。上、向いてて」

 俺は夜空の方を向く。


「……私ね、ずっとタスクの事がね」


 ◇ ◇ ◇


 異世界特有の、真っ青な空が視界に飛び込んでくる。


(今、千歌、俺の事……?)

 もしかして、女神の想いって……


 急に、ざらついた舌で顔面を嘗め回される。

「うげっ!臭っ!」

 慌てて飛び起きる。

 神秘的な森の中。

 俺よりでかそうな、白い獣。


「こら!アンドレ!ダメでしょう!」

 長く美しい、絹糸のような髪。

 今まで見てきた異世界の女性の中でも指折りのべっぴんさんが現われた。


「……久しぶり」

「え?」

「覚えてないか……」

「ごめん。でも願いはちゃんとかなえるから!」


「……少し歩こうよ」

 その人は、湖畔の方へ歩き出した。


 きっと人違いだろう。

 俺はこの人と会っていない。

 早く願いを言ってくれ。

 早く願いを。頼む。


 千歌が泣いているかもしれないんだ。


 美しい女性が、美しい湖畔で、美しい草花の中、美しい毛並みの白い獣とじゃれあう。

 人生で二度と拝めない光景だろう。


 でも、俺の心は、千歌の事ばかり考えている。


 女性が俺の前に立つ。

「あなたの事が好き。私と結婚してください」


 これがこの女性の願いか……?

『はい』と言えば戻れるのだろうか。


 はい、って言ってすぐ帰ろう、タスク……






「……ごめん……俺、好きな人がいるんだ。何度もあきらめようと思った。でも、あきらめられなかった」

 俺が初めて口に出来た、千歌への想い。


「だからごめん。君とは結婚できない」


 女性は涙を目にためながら、笑ってくれた。

「わかってたよ!ありがとう……ちゃんと振ってくれて……」


 ◇ ◇ ◇


 夜空だ。

 現実に戻ってきた。


 千歌が上体を起こしこっちを向いていた。

 目に涙をいっぱいにためて……

 俺は本当にダメだ……また泣かせてしまった。


 千歌は目を閉じ、俺の頬にやさしくキスをしてくれた。


(えっ!?嬉しい!いや!また飛ぶ!って……あれ?)

 飛ばない。なんでだ。


 千歌を見る。

 顔をあっちに向けていて、表情が分からない。


 あ、もしかして……

 千歌が俺の頬にキスしたから 清らかな乙女判定が消えた?

 え、シビアすぎん?それもう、清ハラじゃない?


 ……そんなことはどうでもいい。

 伝えないと、もう胸が張り裂けそうだ……


「千歌。弁当、お願いしていいかな」


 自分の心臓の鼓動が聞こえる。

 もし俺の勘違いで……振られたら……そう思うと怖い……けど、


「あなたが好きです。初めて会った時から、ずっと好きだった。千歌だけを」





 沈黙が続く。




 ……え?


 ノーリアクション?


「千歌……千歌さん?」


 返事が無い。あれ?


 千歌の方を向く。寝ているのか?


 肩を軽くゆする、反応が無い。


「千歌!?おい千歌!?」

 全身の血の気が引く。

「おい!千歌!」


 千歌が突然目を見開く。

「千歌?なんだ、よかった……!」


「……あのねタスク、落ち着いて聞いて」

「え?うん」

「私、今ね」

「うん……」


「多分、私、本当に異世界に行ってた」

「はい?」


「いや夢じゃないの……なんか、女神様に色々聞かれて」




 俺は大きく息を吸い込んだ。


「なんでやねえええええーーーーーんっ!!!」


 俺のけたたましい叫び声が、閑静な住宅街に響いた......

読んでいただき、ありがとうございます!

応援のほどよろしくお願いします!

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