強姦罪―艶葉椿―(2)
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金属を叩きつけるような音を聞き、艶葉は重い瞼を持ち上げる。辺りを見回してもブラケットライトの灯りが室内を照らすだけで音の正体を確かめることはできない。
身動きを取ろうとしても体は自由に動かず、椅子の肘置きに両腕が鎖で固定され、両足も椅子に固定されていた。辛うじて上半身を動かすことはできるが移動方法の一切を奪われてしまっているため、取れる行動は殆どなかった。
「どこだよ。ここ。誰もいないのか?」
大きな声を出す艶葉。声はほとんど反響しない。
艶葉が声を発したと同時に、鳴り続けていた金属音は止まり、小さな足音が艶葉のもとへと近づいて来た。
「あ、起きた?」
「も、紅葉さん……」
「死んでなくてよかったあ。あんなので死なれたら依頼達成とは言えないし」
目の前に現れたのは、トンカチを片手にニコニコと笑っている少女。
自分の体が衝撃に襲われる直前の光景が、艶場の脳内でフラッシュバックする。不敵で怪しげな笑みを浮かべた紅葉が自分の耳元に顔を近づけてくる恐怖。
今まで艶葉が感じたことのない恐怖の象徴が、目の前で凶器を持って立っていた。
「結構つよい電流流しちゃったから死なれたらどうしようって思ってたところだったの」
「電流?スタンガンみたいなもの?」
「そそ。特別製で人に電気ショックを与えて気絶させるやつね。死ぬギリギリのレベルみたいだから生きていてよかったよ」
艶葉は楓が持っていたスタンガンによって気絶させられていた。日本で使用できるスタンガンは電流が弱く設定されており、人を気絶させる程の威力はない。本来なら電流によって筋肉にショックを与え動きを止める程度のことしかできないのだが、楓が使っていたのは更生学校式の特別品。一次的なショック状態を与え、意識を失わせる。
一瞬とはいえ強い電流を流すことで、死んでしまう可能性のあったのだが、幸いにも艶葉は命を落とすことなく目を覚ましていた。
後に起こることを考えればここで死んでいたほうが楽だったかも知れない。
「なんでそんなものを……。更生学校は武器の持ち込み禁止だって……」
「私が殺人鬼だから、かな?被害者とかその家族から依頼を受けて犯罪者を殺す犯罪者。それが私。更生学校の中とはいえ殺人を犯してることに変わりはないからね。意識ははっきりしてるみたいだけど私の言っていること分かる?」
トンカチをマイクのようにして艶場の口元へと近付ける楓。その動作が自分をトンカチで殴ろうとしているように錯覚してしまった艶葉は声も出さずに勢いよく首を縦に振っていた。
一度植え付けられた恐怖は拭うことが出来ず、人間の持つ僅かな野生が、紅葉楓という存在を上位存在と格付けしてしまっていた。
「ど、どうして僕が。殺されるような事はしてないよ」
震えた声で艶葉は語りかける。艶場からしてみれば、夜に同級生が訪ねてきたと思ったら相手が殺人鬼で、今は自分が殺されそうになっているという創作のような状況。綴られた戯曲なら一笑に付す内容が現実に起こっている。
「さっきも言ったけど天陽真昼さんの件だね。艶葉くんが彼女の情報を晒した結果、天陽真昼は自殺しちゃったんだ。だから遺族の方から苦しめて殺すようにって依頼を受けて更生学校がそれを許可した。それで私がここに居るの」
淡々とした答えを聞いても艶葉には納得がいかなかった。天陽真昼に愛を伝え、その結果として勝手に自殺しただけと艶葉は思っており、前提条件が食い違っている。
この状況に陥っても自分が加害者と思っておらず、勝手に死んだ女の責任をなぜ自分が取らされなければならないのかと必死に考えていた。
「更生学校が許可した?生徒を殺すことを?」
「ううん。危険な人間を外へ出さないようにすることの許可だよ。手段は――もう言わなくても分かるよね?」
「待ってよ、紅葉さん。何かの勘違いなんだ。僕は殺してないんだって。確かに僕が天陽さんを犯したことで彼女を傷つけてしまったのかもしれない。それは些細なすれ違いで、天陽さんが自殺したのは僕のせいじゃないと思うんだ」
艶葉は必死に弁解する。少しでも自分の助かる道があるのなら謂れのない罪も認めるつもりであった。自分を殺そうとしている楓が言うのなら、天陽真昼の自殺に関わっていると認めてもいいと考えていた。しかし、加害者意識がないため楓と艶葉の意思が交わることはない。
楓は天陽真昼と出会ったこともなければ会話をしたこともない。焔村から渡された資料によって顔と名前を知っているだけで、生前も死後も出会うことは一切ない。艶葉に弁解されたところで、言い分に一銭の価値もなかった。艶葉が差し出そうとしている金貨は、楓にとっては石ころと同義であり考慮に値しない。
手にしているトンカチで自分の手のひらを何度も軽く叩いてぺちぺちと可愛らしい音を鳴らしながら、楓は艶場の周囲を歩き始める。トンカチの向かう先が自分になるかもしれない恐怖で、楓の行動を憂虞していた。
「そうなんだ。でも私には関係ないかも?殺せって言われてるから殺すだけで、艶葉くんの弁解は私には意味ないかなあ」
楓は更生学校に頼まれて艶葉を殺そうとしている。天陽真昼を殺された復讐で艶葉を手に掛けているわけではなく、頼まれたからやっているだけに過ぎない。
艶葉の殺害を覆せるとすれば更生学校側からの指令しかないのだが、一通の連絡も来ないため断罪継続の意思があると判断していた。
「う、ぐ。……何処なんだよここは」
必死に頭を回転させ、この場から生きて逃げ出す方法を必死に考えている艶葉。彼は月を掴む程の無理難題をこの場で成そうとしていた。
確定している死の未来は隊列を組み、一歩ずつ足音を鳴らしながら艶葉のもとへ近づいている。
「ここは更生学校の地下だね」
「地下?一階から六階まであることは知ってるけど、地下があるなんて聞いたことないぞ」
「あはは。聞いたことないって。聞いたことがあったら艶葉くんをここには連れてこないよ。誰も知らないから助けも来ない。どう?分かった?」
時間を稼いでもここには誰も辿り着かない事を悟り、漸く艶葉は自身が置かれている状況を理解したのだった。殺人鬼と二人きりの逃げることが出来ない空間。
閉じ込められている場所が自分の部屋なら、教室に来ない艶葉の事を心配した生徒が声をかけてくれたかもしれない。
――自分の事を好きなクラスの女子生徒が助けてくれるかも。
そのような艶葉は考えていたが、現実は艶葉が思うほど甘くない。
「まあ、仮にここじゃなくても艶葉くんは助けてもらえなかったと思うよ?」
「え?」
必死になっていた艶葉の思考に冷水を浴びせる楓。想定外の発言に、艶葉の思考は止まった。
「そんなわけない。クラスの中には友達だっている」
「いないよ」
「女子にも僕のことを好きな子はいるんだよ。きっとここじゃ無くて自分の部屋なら誰かが助けてくれる」
「だからいないって。艶葉くんを助けてくれる子なんて誰もいないよ」
艶葉と楓が会話をし続けていたため、地下空間に音が絶えることはなかった。
一度二人が声を発さず、動きで音を立てなければ、一切の音がなくなる。必死の形相で過呼吸気味に焦っている艶葉の呼吸音だけが地下に鳴る唯一の音だった。
楓の発言が信じられず、遂には椅子に座ったまま睨み付ける艶葉。その程度の威圧で殺人鬼が怯むはずもなく、現実を受け入れられない艶葉へ言葉にして真実を伝えた。
「だって艶葉くん、気持ち悪いもん。どんな犯罪をしていても女性からしたら強姦魔って気持ち悪いんだ。艶葉くんは女子からも、男子からも、しっかりと嫌われていたからね」
「そんなこと……」
尚も弁解をしようとする艶葉。艶葉の記憶では更生学校で男女隔てなく仲良くしていたのだ。教室へ向かうときも、部屋に帰るときも一人だったが、クラスメイトは話しかければ答えてくれる。自分が嫌われているとは微塵も思っていなかった。
「教室で誰にも話しかけられてなかったでしょ?いつも必死に勉強していてさ」
楓の言葉によって艶葉の記憶を想起させる。
「え?どういうこと?」
「ほら思い出して。ちゃんとした記憶を思い起こしてね。艶葉くんが席に座ってる時、誰かに話しかけられた記憶はある?会話してる時っていつもの艶葉くんは立っていなかったかな?自分から話しかけに行かなかったかな?女子とは会話をちゃんとできてた?あ、会話っていうのはお互いの喋るターンが数往復することね」
言葉の介入を許さないほど、淡々と同じペースで艶葉に喋りかける楓。メトロノームのように、一定のテンポの音を聞き続けることで艶葉の思考は過去の記憶を手繰り寄せ始めた。
入ったばかりの頃は男子に話しかけられることもあったが、思い返せば会話の始めは何時も自分から。女子と会話も一往復と続かない。男子のことは一切気にせず、女子も自分の事を好きだと思い込んでいた艶葉だったが、楓のいうことが事実だとしたら――。
「僕は、誰かに話しかけられたことがない?」
「お、偉い。ちゃんと自分で気付くことが出来たじゃん。道徳の教科書に『自分の悪い点を見つめ直し改善していきましょう』って書いてあることを実践できたね」
「いや、でも、更生学校にいる人たちはみんな犯罪者だから」
「艶葉くんもね。それに更生学校だけじゃないよお?ほら、過去の自分を思い出してみて。捕まえる前、学校生活で女子とか男子とかはどんな感じだった?」
ゆっくりと、足音を立てながら艶葉の背後に回った楓は、一言一句を艶葉の脳に刻み込むように耳元で囁く。普段の可愛らしい声をそのままに、脳を舐め回すような艶やかさ、受け入れてしまえば破滅へと向かわせる悪魔的な声色、その全てが艶葉の思考を深く沈めていく。
「艶葉くんが捕まった時、家族とか友達はなんて言ってくれたの?擁護してくれた?」
「僕が捕まった時、親も友人も口を噤んだ。誰も僕がやるはずないって言ってはくれなかった」
「塾でも学校でもいいけど女子達と会話をした記憶はある?」
「みんな恥ずかしがって……」
「違うよね」
トンカチを二度、艶葉の肩に振るう楓。振り下ろされたトンカチは艶葉の肩を撫でただけだが、殺人鬼が持っている凶器に、不安が波のように押し寄せる。
「ち、違う。紅葉さんの言う通りだ。女子たちにも嫌われてたんだと思う」
「つまり艶葉くんはみんなから忌み嫌われていたにも関わらず、女の子を犯した。これがどういうことか分かるかな?」
楓への恐怖で酸素を取り込むことが難しくなり、徐々に思考が纏まらなくなっていく。その中で唯一、はっきりと聞こえる楓の言葉に耳を傾けていく内、洗脳のような形で心に言葉が染み込んでいった。
「天陽真昼も僕のことを嫌っていたってこと?」
「寧ろ艶葉くんが好かれる理由なんてないでしょ?女子にも男子にも嫌われているような男をどうして無条件で好きになると思えるのかなあ」
初めは逃げ出そうとしていた艶葉だったが、段々と目は虚ろになり、身体からも力が抜け始めていた。
今まで思い込んでいた事が、世間から見たら真逆で、自分が厄介者でしかなかった事に気付いてしまったのだ。一度堰をきった記憶は、放水されたダムのように艶葉の思い込みを塗り替えていく。
女子と楽しくコミュニケーションをとっていた記憶も、相手の顔は引き吊っていた。男子と放課後遊びに行こうとしていた記憶も、遠回しに断られていた。艶葉が愛を伝えようと行為に及んだ記憶も、相手は本気で嫌がって泣いていた。
その事実に気がついた時、艶葉は自分が犯罪者であると認識したのだ。
しかし今更気がついたところで遅い。被害者であった天陽真昼は自殺し、その親からの依頼を更生学校が受理した。もっと早く気がついて反省していれば、更生学校も依頼を棄却したというのに。
「艶葉くんが強姦で捕まったのは自己責任。やってしまった行いに対して正しく下された罪状だよ」
「僕は強姦魔。愛なんて何も無かった」
「そう。艶葉くんは誰にも愛されずに、自分の欲望を出すために女性を犯していた」
艶葉の瞳は地下室の闇が溶け込んだように、光が差していなかった。楓の言葉を反芻し、心に染み込ませ、自分が行ってきた罪を受け入れる。
楓がやっていたことは恐怖によって心を支配し、空いた隙間に情報を刷り込んでいくテクニックだったのだが、艶葉には効果的だった。元々自尊心や思い込みの激しい性格の艶葉は、楓の言葉を鵜呑みにして思い込むことで自分がやってきた罪を理解したのだ。
既に艶葉は精神的に苦しんでいるのだが、楓は天陽真昼の両親から受けた依頼の内容を忘れてはいない。苦しみを与えながら殺してほしいと言われているため、死ぬ瞬間まで苦しい思いをし続けなければならないのだ。
「明日も授業あるからさ、私早く寝たいの。そろそろお話は終わりにしよっか」
楓は艶葉を正気に戻すべく、写りの悪いブラウン管を映すように、彼の頬を何度も叩く。




