強姦罪―艶葉椿―(1)
第二章『強姦罪―艶葉椿―』
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午前零時。闇夜に烏が飛べば黒に紛れ込み、姿を見つけられなくなるほどの暗闇が更生学校の宿舎に広がっている。その中を幼い見た目の少女が、直線続きの廊下を歩いていた。かたんかたんと足音を鳴らせば、遮るものが何もない空間に響いては消えていく。
宿舎の中にいる生徒にも楓の出す音は聞こえているが、誰一人として部屋から出てくることはない。
消灯時間が過ぎていることもあり、外に出る必要もなく、外に出たことが見つかってしまえば更生員からの減点を貰うためメリットがひとつもない。今は楓が足音を鳴らしているが、普段から見回りの更生員が廊下を歩いており、歩く音は日常茶飯事で誰も気にしないのだ。
「どこかなどこかな」
風呂に入り、日中の疲れを汚れとともに洗い流し、パジャマを着た楓はスマホの僅かな明かりをネームプレートに当てながら目的地を目指す。パジャマという名のジャージはすべての部屋に置かれている支給品のため男子も女子も同じデザインである。何度かパジャマを使って相手の首を絞めようとする事案が発生していたが、廃止するには生徒たちからの不満が出たため、監視カメラを強化することで使用は続行されている。
長く続く廊下の左右には生徒たちの部屋がある。鉄で固く閉ざされた扉の横には、その部屋を使っている生徒の名前がぶら下げられていた。
犯罪者が詰め込まれている施設のなかでは名前という個人情報は知られても不都合がない。寧ろ更生員たちが、どの場所を誰が使っているのかを把握するために便利である。
更生員が生徒たちを監視している警備室では、宿舎にあるすべての部屋をカメラで確認することができ、トイレや風呂など最低限のプライバシーゾーンを除けば生徒たちの行動は筒抜けになる。問題があった時にすぐ駆けつけられるよう、部屋番号と使用者の名前は視覚的に理解しやすいほうがいいのだ。
「自分の部屋以外に行くことなんてないから、部屋の数が多くてびっくり。上の階にも同じような作りで部屋があるって考えるとすごい施設。あ、ここって弦ちゃんの部屋だ。私の部屋から結構離れてる」
楓が生活している場所は更生学校の四階であり、五階にも同じ造り宿舎がある。五階に住んでいる生徒は更生学校で数年過ごした人たち常に反省と道徳を学んでいる。
「あ、ここかな?」
ネームプレートをスマホの光で照らすと、艶葉椿の文字が光って見える。確認しながら歩いていたため十分程かけてたどり着いた部屋は殺害対象のいる場所。
「(焔村先生には今日から艶葉くんを殺すために動くって言ったのに、十二時を周っちゃったから明日になっちゃった。それで怒られる事はないと思うけど、嘘をついたみたいで嫌だな)」
スマホの明かりを消し、艶葉の部屋の前に立ちながら、楓はどうでもいいことを考えていた。これから殺害する対象を前にして、自分の評判を気にしている。
楓にとって人を殺すことが罪と分かっているが、犯罪者を殺すことは部屋の掃除をすることと大してかわりない。小柄な楓にとっては高いところの掃除も大変なのだ。犯罪者を殺すことも、部屋の掃除も大変の一言で済ませてしまう。
「艶葉くん、起きてるといいんだけど」
予め艶葉に連絡を取っていた楓だったが『夜、部屋に行くね』と一言伝えただけで時間の指定はしていなかった。既に深夜となっており、楓が来ないと判断した艶葉が寝ていてもおかしくはなかった。
消したスマホを再び付け、部屋の前で艶葉と連絡を取る。
『部屋の前にいるんだけど開けてもらっていいかな?』
メッセージを送信してから十秒足らずで鉄の扉はゆっくりと開いた。中で慌ただしく動いたのか、艶葉は少しの息切れをしていた。鉄の扉で閉ざされた部屋は完全防音となっており、部屋の外に音が漏れることはないため真相は闇の中。
「紅葉さん。待ってたよ」
「ごめんね。遅くなっちゃって。色々と準備してたら――」
「いいって。女の子が来るのを待つのも男の甲斐性だからさ。準備も大変だろう?ほら、入って入って」
「うん。お邪魔します」
扉の隙間から顔を出した艶葉。風呂に入り、寝る前だと言うのに髪をしっかりと整えていた。服装は楓と同じパジャマだったが、その表情はこの先に起こることを楽しみにしている興奮が伺える。訪ねてきた楓の頭から爪先まで、下卑た視線で舐めるように見た後、部屋へと招き入れた。
部屋の中に足を踏み入れれば、鎖で固定された椅子、コンクリートで足を固められたベッド、衣装箪笥も鉄で出来ており破壊することは出来ない、犯罪者が武器として使えるものを極限まで排除した作りとなっていた。ガラスは凶器になるため窓はなく、同じ理由で鏡も置かれていない。部屋を見回しても、武器になりそうなものが少なく、快適に過ごすことのできる楓の部屋と比較して殺風景でつまらない部屋だった。
「そこ座っていいよ」
促されるまま硬いベッドに座らされ、艶葉は椅子に座って楓の方へと向き直る。
「それで、紅葉さんが僕を尋ねてきたのはやっぱりそういう事だよね?」
「そういう事?」
「惚けなくても分かっているから大丈夫。紅葉さんが僕のことを好きで、気持ちが抑えきれなくなって夜の逢瀬をしに来たんだろう?」
気持ち悪いと口から出そうになるも必死に飲み込む楓。分かっていると言った艶葉は何も分かっておらず、薄笑いを浮かべて話す言葉ひとつひとつが排水溝にも劣らない汚さを放っていた。
――気持ち悪いしすぐに殺してもいいんだけど、天陽さんからの依頼だと苦しめて殺してほしいって書かれてたし、即死はだめなんだろうなあ
艶葉を殺すことは確定しており、その殺し方に頭を悩ませていた楓。ある程度どのように殺すかの計画を建てていたのだが、艶葉と二人きりで話した気持ち悪さから手が出そうになってしまった。
十年近く犯罪者を殺してきた楓だったが、自分に性欲を向けてくる相手を殺すことは片手で簡単に数えられる回数しかない。今までの経験では小児性愛犯罪者と関わることはあったが、妄想に取りつかれた相手は初めてであった。
「艶葉くんの事、もっと知りたいなって思って」
「僕のこと?やっぱり好きな人のことって気になるよね。僕もそうだから分かるよ」
「一緒にしないでよ」
椅子から立ち上がり、ベッドに座っている楓の隣に腰を落とす艶葉。ベッドに置かれていた楓の手に自らの手を被せて触れようとしていた。
艶葉の急な行動に驚き、俊敏な動きで一人分の間を取った楓。行動の突飛さと気持ち悪さから出る拒否反応だったのだが、それすらも艶葉は照れていると解釈をしたようだ。
「ちょっと急過ぎたかな。ごめんね」
「今までの女の子ともこんな距離の詰め方をしたの?」
「嫉妬かな?みんな僕と距離を詰めようとしてくれたから僕からは詰めるような事をしてないよ。今だって紅葉さんが僕の部屋に態々来てくれた。これは僕と距離を詰めようとしてるってことでしょ?」
「私は話がしたくて来ただけだよ」
「僕は冤罪とはいえ、強姦で捕まっているんだ。そんな男の部屋に一人で来るなんて――そういうことでしょ?」
艶葉は自分の犯した罪を冤罪だと思っている。天陽真昼が自殺するほどの苦痛を与えているにも関わらず、自分に非はなく、被害者が虚偽を騙っていると。
楓としては依頼を遂行すれば被害者の事も、加害者のこともどうでもいいのだが、自分が犯罪者に巻き込まれることだけは許せなかった。
言葉にしていないが、艶葉の目には性欲が宿っており、その対象として楓から目を離さない。監視されている場で情事に及ぼうとしている事からも、艶葉は一切反省しておらず、更生員が来ても抱かれに来た女の子の意思を汲んだだけと宣うだけ。
「天陽真昼さん」
「ん?」
「天陽真昼さんが自殺したって」
艶葉が犯して殺した女性の話を聞いてどのような反応をするか確認するために被害者の名前を出す。殺すことには変わりないが、死んでしまった彼女に対して思う気持ちがあれば手心を加え、苦しみを和らげて殺すことも視野に入れていた。
「だれそれ?」
帰って来た答えはたったの四文字。嘘を付いているようにも見えず、本当に天陽真昼のことを知らない様子だった。貰った資料には、艶葉と同じ塾に通っている学生と書かれていた。艶葉が天陽真昼のことを知らない訳がない。
夜道で襲い、放置して帰り、名前と住所を晒した相手の事を忘れて生きている。天陽真昼の親には決して伝えられない事実が艶場の口から語られたのだ。
「艶葉くんが捕まる原因になった女の子。同じ塾に通ってた子だよ」
「ああ。思い出した。僕のことが好きなのに警察に通報してまで構ってもらおうとした子だ。許してあげるのも男の甲斐性なんだけどやり過ぎだったからさ。そういう悪い子にはお灸を据えなきゃって住所とか晒したんだっけ」
「酷い人だね」
「そんなことよりさ」
楓の心は段々と冷めていき、目の前の男が人の形をした化け物のように見えて来た。奇しくもその姿はかつての母親と同じようで、人なのに何も理解ができない言葉を発し続けている奇妙な存在。
艶葉椿という、人間と呼ぶのも烏滸がましい精神の存在を殺せる事に、冷めた心と二律背反して喜びの感情が産まれていた。
これほど気持ちの悪い自己中心的な犯罪者ならば殺しても誰かに文句を言われることはない。嬲って苦しみを味合わせて殺しても、微塵も後悔はない。目の前で下卑た表情を浮かべる男が苦悶の表情を浮かべる姿を想像すれば、自然と体温が上昇し興奮してくるのだ。
「なに?」
「紅葉さんの頬も高揚して興奮しているみたいだし、そろそろいいかな?」
「そろそろって?」
「ほら、夜に部屋で男女が二人きり。やることはひとつでしょ?もしかして紅葉さんって処女?それなら優しくするからさ」
「そんなものはとっくの昔に奪われちゃってるよ」
艶葉は一人分空いた空間を埋めるように楓へと近づいてくる。ベッドの上を滑るように逃げていた楓だったが、壁が邪魔をして逃げられなくなると艶葉との距離は零に近くなる。
肉食獣のような目は、普段の艶葉とは違って理性のかけらも感じない。性欲に支配された獣は、か弱い草食動物を狙って捕食しようとしている。
「監視カメラもあるんだよ?更生員がすぐに来ると思うけど」
「紅葉さんが部屋に来てから数分経ってるけど更生員は来てない。僕らの愛を黙認してくれているんだよ」
実際は楓が艶葉を殺すことが周知されており、楓の行動を黙認しているだけなのだが、艶葉はこの状況を都合よく解釈していた。
「愛、愛ねえ」
「そうだよ。僕は自分に向けられる愛には応えたいんだ」
「艶葉くんにとっての愛ってなんなの?」
「僕にとっての愛?」
性欲の獣は一瞬だけ理性を取り戻して思案する。
「愛っていうのは互いに求め合うものだね。紅葉さんが僕を求めるように、僕も紅葉さんを求めている。二人が同じ感情を向け合えたならそれは愛だよ。僕に今まで恋してくれた女性たちにも僕は応え続けてきた。裏切られてここに居るけど、天陽真昼にも愛を与えていたんだよ。言葉では何とでも言える。その愛を示すため、情事に及ぶんだ」
何処までも自己本位な考えに楓は呆れて言葉も出ない。
自己本位な感情で吐き出された言葉に揺れ動かされる情は一切無く、示そうとしている愛も独善的である。愛とは見返りを求めない奉仕の心と道徳の授業で習っていたが、艶場の考えには一切影響を与えていなかった。
「ふーん」
「据え膳食わぬは男の恥って言うでしょ?あんまり恥をかかせないでほしいな」
「恥ずかしいのは私なんだけど」
「ほら、紅葉さんも服を脱いで。もしかして脱がされるのが好き?」
艶葉は着ている部屋着の上半身を脱ぎ、ベッドの脇へと投げ捨てた。スボンを脱ごうとしたところで楓にも脱衣を促す声をかける。既に艶葉は性行為を行う臨戦態勢に入っており、抵抗をしなければ被害者と同じように犯されてしまうだろう。
相手が普通の女性の場合ならば。
「艶葉くんは昼間に言ってたよね」
「話を逸らさないでよ。僕はもう我慢ができないんだ。紅葉さんも我慢しなくていいんだよ」
「私が何の犯罪で更生学校にいるか分からないって」
艶場の言葉を無視して楓は語り続ける。
「そんな事はどうでもいいよ。終わってからゆっくり話そう?」
ジリジリと楓の元へと近づいてくる半裸の男。華奢な肩をつかもうと、両手を伸ばしながらゆっくりと近づいてくる様はゾンビのようで人間には思えない。
更生員が監視しているであろうカメラに目を向けて合図を送る。
「いやいや、聞いておいたほうがいいと思うよ。もう学校に通うこともないんだからね」
「どういう事?」
「艶葉くん。君は死ぬんだよ」
楓の言葉に驚きから動きを止める艶葉。
更生学校に通っている以上、刑罰を受けているのと同じ状態であり死刑を受けることはない。そう言われて日々を過ごしていた。愛し合った女に裏切られただけで自分が死ぬことなど一切考えていなかった艶葉に告げられた言葉は衝撃で、いくら反芻しても意味を理解することができなかった。
「僕が、死ぬ?それは一体どういうこと?」
「簡単に言うとね」
楓は動きを止めている艶葉の元へ近づいていく。ほんの数瞬前までは、犯すために距離を詰めていた艶葉だったが、意味不明な言動をする楓に底しれない恐怖を感じていた。獣のようだった瞳は、怯えて震えている。
距離を詰めれば後ずさる艶葉は、ベッドの上で逃げるも、遂には壁まで追い詰められてしまい先程の立場と逆の状況になる。ズボンを脱ぎかけたまま腰を抜かしてへたり込む艶葉を見下しながら、楓は一糸纏わない上半身に抱きつくように、耳元へと口を近づけた。
「私、殺人鬼なの。だから貴方を殺すね」
その一言と同時に、艶葉の体を電流が走り、ショックから艶葉は意識を手放した。




