脅迫罪-杠葉弦-(5)
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「ぐぶぇ」
小動物の断末魔のような声を上げながら杠葉はコンクリートの床と勢いよく口を合わせる。後頭部を叩きつけられた杠葉は急激な状況の変化に理解が追いつかない。
頭部に走った衝撃から軽い脳震盪を起こし、視界も白く染まっていた。
「がば」
振り被って床に叩きつける。
「だに?やべ」
振り被って床に叩きつける。
言葉を発する隙もなく、何度も何度も。
「がえで、やべで」
立ち上がろうにも楓が足を踏みつけているため起き上がることができない。正座をしている状態で足を固定されてしまうとすぐに身動きが取れないのだ。
必死に楓の名前を呼ぶと、夢中になっていた楓の動きが止まる。踏みつけていた足を開放し、床と顔面が接している状態のまま、楓は杠葉の頭を踏みつけた。そのまま煙草の火を消すように何度も踏み躙る。
「艶葉くんに私の罪が関わってるって言ったよね」
「い、いだい。きゅうきゅうじゃよんで」
叩きつけられたままの杠葉は痛みから楓の声が聞こえていない。顔面に受けた痛みがじんわりと熱を持って広がっていくにつれ、治療を受けなければ死んでしまうという恐怖感に襲われる。
「艶葉くんは卒業って言われてるけど、私が殺したの」
「え、ごろじだ?」
淡々とした声色で話す楓。その日の出来事を話す子供のように、感情もなく当たり前のように艶葉を殺したことを喋る。
杠葉は痛みの中で楓の異常性を垣間見ていた。
「弦ちゃん、声聞き取りにくいよ。ゆっくりでもいいからちゃんと喋って。また頭をガンガンされたいの?」
「わ、分かっ――分かりました」
「いい子だねえ。優しいねえ」
顔面に走る痛みは徐々に大きくなっているが、叩きつけられた時に感じた一瞬の激痛よりはマシだった。再び訪れる恐怖を仄めかす言葉に、下手に出ることで避けようとする防衛本能が無意識に機能している。
「あ、因みにこの部屋は普段から更生学校に監視されてるけど更生員が来ることは無いからね」
「な、なんで?」
「弦ちゃんを痛めつけるのが更生学校の依頼だから」
「依頼?」
「更生学校っていうか、弦ちゃんが外の世界で傷つけてきた人達の依頼かな。やり過ぎたんだよ、弦ちゃん。人から死んでほしいと恨まれるほどに承認欲求を満たすなんて」
頭から足を離すと杠葉は身体を起き上がらせようとする。動きを止めるように、再び頭を踏みつけて杠葉の顔面をコンクリートに叩きつけた。
未だに楓が話している最中であり、頭を上げるのは早かったのだ。今の状況では楓が絶対的な強者であり、自由な行動は許されない。
「いだっ、喋ったら頭打ち付けないって言ったのに」
「あ、ごめん。ちょうどよく頭があったから」
何度も叩きつけられたことにより、鼻の血管が切れて血が出ていた。コンクリートの床には赤い川が流れ出ており、濃い灰色の色彩に鮮血が彩りを添えていた。
「ひどい、なんでこんな事するの。私たち友達――」
「じゃないよ?だって――脅迫罪と殺人鬼が友達になれるわけないじゃん。友達っていうのは対等な関係。人を殺してから出直してきなよ」
煙草の残り火を足で消すように杠葉の頭部を踏み擦る。慣らされていないコンクリートには僅かな凹凸が表面に浮き出ており、踏まれるごとに皮膚が削れていく。
「顔はやめて、可愛くなくなる……」
「おっけー。それじゃお腹にドーン」
「げぶっ」
楓の先端には鉄板が仕込まれている。普段履いている靴には無いが、杠葉を殺すため、三日間の間に焔村へ頼んでいたものだった。反撃された時に身を守るためと説明して作ってもらったが、焔村の顔は訝しんでいた。
少ない力で相手にダメージを与えるには硬いもので殴るという時代に削ぐわない考えで楓は行動をしている。その結果、鉄板の入った靴でサッカーボールを蹴るように杠葉の腹部を蹴り上げた。
蹴られた杠葉は腹部を抑えながら蹲っている。
「いだ、いだい」
「どうして、私は楓に何もしてないのに」
「そりゃ更生学校からの依頼だからね」
「私も殺されるの……?」
「ううん。弦ちゃんを殺すことは依頼に入ってないよ。痛めつけて外へ出た時にパパ活が出来ないようにしてほしいっていうのが依頼内容だね」
「なんでそれを楓が」
「だから言ったじゃん。私は更生学校から出られないって。犯罪者を殺す犯罪者。そんなのを外の世界に出すわけには行かないでしょ?」
人を殺し続ける犯罪者である楓が更生学校から出られることはない。杠葉は自分に当てはまっている常識に楓を当てはめようとしていたが意味のないことだと知る。
ただの同級生として数ヶ月一緒に過ごしていた人の正体が、更生学校の依頼で生徒を殺している殺人鬼と知った今、杠葉は殺人鬼に助けを求めることしかできない。
「やだ。助けて」
「無理だよ。被害者からの依頼だし、更生学校も受理してるから」
「もう絶対やらない。被害者にも謝る。ね、楓。仲良くしてたよね?楓も私のことを殺したくなんか無いよね?」
数ヶ月共に過ごしていても、楓から杠葉への情は薄く、絞り出した助けの手を取ることはしない。杠葉の啜り泣く声が部屋に響くが、床に向けられた表情は楓の視界に入らなかった。
杠葉は更生学校から望まない依頼を受けて楓が人を殺したと考えていた。普段の楓は少し抜けたところがあっても優しい女の子。杠葉が話しかけても邪険にせず、会話をしてくれる。そこには確かな友情が産まれたと思っていたのだ。楓本人に否定されても、依頼を熟すために非常に徹していると甘い思考を捨てることはできなかった。
「え?殺したいけど」
望みを抱かせるのも殺人鬼、その望みを砕くのも殺人鬼。
「はぇ?な、なんで?私、嫌われるような何かした?」
「してないしてない。弦ちゃんはいつも可愛いし、私に話しかけてくれるから嫌いじゃないよ」
「なら何で殺したいなんて」
「殺すのが好きだから。人が苦しんでいる姿が好きだから。弦ちゃんだってそうでしょ?自分が誰かに愛される事が好きだから他人を犠牲にした。やってることは同じだよ」
「私は人を殺してない」
「そこは違うか。まあどうでもいいんだけど」
足が疲れたのか楓は杠葉の後頭部から足を外す。一度起き上がろうとして叩き付けられた恐怖から杠葉を拘束する物がなくなっても体を起こすことをしない。
土下座の態勢を取りながら嗚咽を漏らす杠葉の体は小刻みに震えていた。
「た、助けて。殺されるっ。誰でもいいから、助けてよ」
「だから更生員は来ないんだって。多分映像は見てるし、録画もしてるけど見て見ぬふり。この部屋も外の音は辛うじて聞こえるけど中の音は外へ漏れ出ないような作りになってるから他の生徒も来ない。つまり弦ちゃんは逃げられないってこと」
床に向かっていくら叫んでも助けは来ない。部屋の中を監視している更生員も更生学校に雇われている職員であり、楓の行いを止めることなど言語道断。
楓は杠葉の眼前まで移動し、琥珀色の髪を掴んで顔を上げさせる。綺麗に整えられていた髪には鼻血がこびり付き、一部分が赤く染まっていた。
「ひっ……来ないで。来んな、サイコパス女っ」
「どんな私も否定しないで友達でいてくれるって言ってたのに……酷いなあ」
未だに脳震盪により視界に靄が掛かっている杠葉は耳に意識が集中している。靴のまま部屋を歩く楓の足音が眼前で止まり、髪を掴み上げられたことで見えない目の前存在を威嚇することしかできない。
閉ざされた目のまま、楓に対して罵声を浴びせても、当の本人にはどこ吹く風とあしらう。
「がっ……。いだい。顔はやめてって言ったのに」
「ごめんね弦ちゃん。ついカッとなって」
持ち上げた顔に苛つきを覚えた楓は、頬を振り上げた足で蹴った。その衝撃でコンクリートの壁に白いものが飛んでいく。楓が横目で確認をすると、根元から抜けた杠葉の歯が一本床に転がっていた。
物言わぬ杠葉の口からは一筋の血が流れていた。
「弦ちゃん?」
「……」
麻酔無しで歯を抜かれた痛みで杠葉は意識を手放していた。何度か頬を叩いてみるも、呼びかける声に返答はない。
髪から手を離すと重力に従って杠葉の頭はコンクリートの床へ落下し鈍い音を立てる。その衝撃でも杠葉は目覚めなかったため、楓は投げ出された手を床に擦り付けるように踏みつける。コンクリートで擦られ、手入れされた手が無残な状態になった頃、痛みから杠葉は意識を取り戻す。
「うえ、いだいっ。手をグリグリ踏まないでっ」
「おはよう弦ちゃん。手もだめなんだ。それならどこならいいの。選んでいいよ」
意識を手放したままで終えられればどれだけ楽だっただろうか。痛みを与えて意識を戻された杠葉は痛みに鋭敏となっている。楓は自分に苦痛を与える存在になっており、一言一句がロシアンルーレットのように心を蝕んでいく。
「どこ?どこなら痛くないの?いたいのやだ」
「ほら答えて」
「分かんないっ。分かんないよ、助けて楓」
「はい遅ーい。おしおきですよーっと」
再び杠葉の頭を蹴りつける。脳が揺らされ杠葉は嘔吐する。夕飯に食べたものが消化の途中にも関わらず、口から溢れ出す。吐瀉物に自身のパジャマが塗れても、今の杠葉には気にする余裕などない。
回答をしても苦痛、答えなくても苦痛。何をしても襲いかかってくる痛みに杠葉の心は擦り切れていた。既に楓から逃げることなど脳裏に一筋もなく、楓にどのように媚びれば痛みから逃れる事ができるかだけを考えている。
「顔はダメ……」
「お仕置きってその人が一番嫌な事をするって私が一番嫌いな人が教えてくれたんだ。その人が一番嫌いな死をプレゼントしてあげたけど」
母親は楓のことを恨んでいた。その理由を知ることはなかったが、楓にとって嫌なことをしている時の顔が一番輝いていた。事あるごとに理由をつけてお仕置きと称した虐待を受けたのだ。
楓にとってのお仕置きとは、受ける側が嫌なことをやること。母親を殺すときに「死にたくない、殺さないで」と何度も叫んでいたことで、母親が一番嫌なことは死ぬ事と知り、お仕置きとして死をあげた。
「ねえ。弦ちゃん」
「ひぃ……。な、なに?」
「今どんな気分?自分がやってきた犯罪によって被害を受けてるんだよ?更生学校に入ってきちんと反省して更生してればこうはならなかった。弦ちゃんは事あるごとに『外へ出たらチクったやつに教育をする』とか『パパ活は止めない』って言ってたよね。その結果がこれ。どう?」
「今は反省してる。もうそんなこと言わないし、絶対にやらない。チャンスが欲しいよ。いきなりこんな事になるなんて思わなかった」
反省の言葉を口にする杠葉だが、被害者に対する謝罪の言葉は一切口にしていない。どこまで言っても自分が許されるための自己本位な謝罪。
「早贄百舌」
楓は杠葉が捕まる原因となった被害者の名前を口にした。
「え?」
「早贄百舌さんも言ってたよ。いきなりこんな事になるなんて思わなかったって」
「何で楓が早贄のことを」
「弦ちゃんの事は全部知ってるよお?その子に何をしたかも、他の子に何をしたのかも。それに弦ちゃんが知らないことも私は知ってる」
「私の知らないこと?」
杠葉本人が起こした事件は杠葉の人生を彩ったもの。起こした犯罪に関して杠葉が知らない事実など存在しないと本人は思っていた。
しかし楓は杠葉の情報を全て持っている証明をした。
楓の言葉を否定すれば暴力が飛んでくる。興味がなくとも、事実を知りたくなくとも、楓の言葉を肯定して聞くしか選択肢はなかった。
「聞きたい?」
「聞いたら痛いのやめてくれる?」
「分かった。やめてあげる」
「それなら聞く」
「最後に一発やらせてね」
「んぐぅっ」
蹴られた杠葉は痛みを覚えながらも、最後と言われた暴力に笑みを浮かべる。傷口が熱を持って痛みは広がっているが、新たな痛みを与えられないことに温度と喜びを覚えていた。
「えへ、えへへ。これで最後、これで」
「大丈夫?弦ちゃん?正気?」
「早く話せよ」
「怖っ。そんなに睨まなくても教えてあげるって。弦ちゃんが捕まってさ、犯罪が露呈した。そうなった時に弦ちゃんのお母さんはどうしてると思う?」
「ママ?ママは悲しんでると思う。私ママの事も傷つけてた。ちゃんとママにも謝るからゆる――」
更生学校に入ってから母親のことを思い出すことはなかった。自分が更生学校から卒業することだけを考えていた杠葉は自分が迷惑をかけて人間に罪悪感を抱くこともなく過ごしていたのだ。
楓に言われるまで母親の事も忘れており、杠葉が知らない事実とは母親に関してのことだと察することができた。
――やっぱりママも怒ってたんだ。出たらすぐに謝らないと、殺される。
被害者たちとは違い、母親は杠葉に愛情を注いで育ててくれた人。父親と離婚しても変わらずに接してくれた。杠葉がパパ活を始めてからは夜遊びで接することも少なくなったが、学校へ行く時には毎日お弁当を用意してくれるなど、些細なことで愛を感じていた。
改めて記憶に蘇る母親の顔。この時、犯罪を起こしてから始めて罪の意識が芽生えていた。父親と離婚をする時に見た悲しげな顔が浮かんでくる。
「無理だよお。もう死んでるもん」
「え?」
「弦ちゃんが犯罪を起こしました。娘が犯罪者ということで針の筵になった弦ちゃんを大事に愛情を持って育ててくれたママは精神的に病んでしまいました。そして、首を吊って死にましたとさ。ある意味弦ちゃんも立派な殺人犯かな?それなら友達になれそう」
「ママが?自殺?うそ」
「本当だよ。弦ちゃんの承認欲求のせいで母親が死んだ。因みに父親の方は弦ちゃんの父ということは誰にも言わずに隠してるみたい。警察が話を聞きに行ったら『そんな人は知らない。知っていたとしても恥だから関わりたくない』って門前払いだったみたいよ」
「パパ?私のこと愛してるって」
罪を自覚し、やり直そうとするには遅すぎたのだ。
既に杠葉の両親はおらず、更生学校に入った時点で関わりは途切れていた。卒業しても戻る場所がなく寄る瀬はない。
母親は自殺し、父親からは縁を切られる――。それは杠葉が自分自身で招いたことであった。
「全部自分で壊してるんだよ」
「私のせい?ママが死んだのも、今の状況も」
「そう。全部身から出た錆」
「で、でも私が死ぬ事には結びつかない」
「お?」
戻るべき場所を失った杠葉は辛い心を隠すように投げやりな態度をとる。顔を上げ、見えていない目で楓と顔を合わせる。
「私はただ人に可愛いって言われたかっただけ。男の人を手玉に取るのが快感だっただけ。罪として裁きは受けるのが当然でも死ぬほどの苦痛を味合わされるのはおかしいよ」
「それは私に言われても――」
困る、と杠葉に伝えようとした瞬間、部屋の扉が音を立てながら開いた。
「ねえ楓。見回りの更生員が来たけど私はどうすればいい?」
扉を開けて入ってきたのは見張りをしているはずの赤松だった。更生員が見回りに来たことで対応に困った赤松が楓に意見を求めに来たのだ。
「あ、柚子っ。助けて。楓は殺人犯で私は今殺されそうになってるのっ。何でもする。言うことを何でも聞くから。先生を呼んでくるでも、楓を取り押さえるでもいいから助けてえ」
赤松の存在は杠葉にとって希望の光となっていた。楓と二人きりの空間で逃げられなかった状況から一変し、第三者が加わったことで楓の異常性を訴えることができる。
更生員に伝えてもらえれば助かる可能性に未だに縋っていた。楓から更生員からは手を差し伸べてもらえないと聞かされていても、赤松の存在によって垂らされた蜘蛛の糸を掴まずには居られない。
「え、あ、杠葉?だよね?」
杠葉は声のする方へと顔を向ける。楓から暴力を受けて時間の経った杠葉の目は少しずつ世界を捉えていく。左瞼は蹴りによって腫れ上がり開かないが、その瞳には困惑する赤松の顔がしっかりと映し出されていた。
「そうだよ、柚子。見てないで助けてっ」
「いや、鏡」
「なに――」
困惑をした表情の赤松が部屋に置かれている一番大きな鏡を指さした。
指の向く方向へとゆっくりと顔を向け、徐々に鏡へと自分の姿が映し出されていく。
「あはは。柚子ちゃんってば残酷なんだから。弦ちゃんが一番見たくないものを見せるように仕向けるなんてさ」




