脅迫罪-杠葉弦-(4)
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楓がスマホで杠葉へメッセージを送ると、待ち構えていたかのように扉が開いた。外開きの扉の陰になり、赤松の姿は杠葉の目には映らない。
「楓、いらっしゃい」
「やっほー。夜中だけど遊びに来たよ」
「これからはもっと早く来てよね。今回だけ特別」
「機会があれば気をつけるよ」
「それって機会ない時に言うことじゃん」
少しの会話の後、楓は杠葉の部屋に入る。廊下で話していても更生員が来るわけではないのだが、杠葉に余計な警戒心を持たせないためにもなるべく普通の行動を心がけていた。
杠葉の部屋は楓の部屋とは違い、打ちっぱなしのコンクリートに囲まれた部屋だった。ベッドや机はコンクリートと枠組みで作られており、人間の力では動かせない。
その部屋の中で異質なのは部屋の壁に所狭しと置かれた鏡。大小さまざまな鏡が、コンクリートの灰色を映し出していた。
「鏡の要求通ったって言ってたけどこの数はすごいね」
「十三枚あるんだって。私も大きな一枚だけで良かったんだけど」
「監視されてるみたいで緊張する」
「私は自分の可愛い姿がずっと見られるから気分がいいよ。自分の目では見られない後ろ姿にも気を遣えるし」
「確かに弦ちゃんって後ろ側までしっかりと意識高いもんね」
「楓もそうなるんだよお。私が楓を可愛くしてあげる」
床に設置された机の横には既にクッションが置かれていた。楓が来るということで杠葉が設置したもの。来訪の知らせを受けた瞬間から、気分を高揚させて楓が部屋に来るのを待っていた。
薦められるがままに楓はクッションを尻に敷いて座った。背中側にあるベッドに杠葉が腰掛けると、どこから取り出したのかブラシを使って楓の髪を梳かし始める。
「思ったよりサラサラだね」
「特別なお手入れとかしてないけど、髪質かな」
「私も癖っ毛じゃないけど羨ましいかも?」
「髪が短いっていうのもあると思うよ。弦ちゃんみたいに長かったら色々とアレンジができると思うけど、私の髪の長さじゃ無理かな」
「ショートボブにはショートボブなりのお洒落があるよ。道具があればいいんだけどね。流石にカールドライヤーとかは許可されなかったみたい」
「更生学校も厳しいねえ」
「可愛くするって言ったけど、楓はこの髪型が一番いいのかも。髪質もいいから前髪だけ横に流そうかな」
「あいー」
目を隠れる長さの前髪が杠葉の手によって掻き分けられていく。滝のように流れていた髪が開かれると、暗闇に溶け込む瞳が出てくる。目の前にある鏡に映る姿は、記憶の中の自分と何も変わっていない。
更生学校内に鏡が殆どないため、意識しなければ自分の姿を見ることもないのだ。髪に関しても、前髪が鬱陶しくなったら自分で切っている。他の生徒は月に一回来る理髪師に切ってもらうが、楓は無防備な自分に向けられる刃物を酷く嫌っていた。
四方八方で自分を映し出す鏡。十三枚の鏡でも楓の本質を映し出すことはできない。
「やっぱり楓って可愛いよね」
「弦ちゃんも可愛いよ」
「ふふ。ありがと。更生学校に来て言われることも少なくなっちゃったから嬉しいな」
「当たり前だけどみんな自分のことで精一杯だから」
「別のクラスに声を掛けても避けられるし、声を掛けだけで焔村に怒られるし散々だよ。焔村も誘惑できないし」
「あの先生は大変だよお。私もよく無茶振りされるから分かるかも」
鏡に映る楓は莞爾とした笑みを浮かべている。鏡の中で勝手に笑っているのか、はたまた実物の楓が笑っているのか。自分の顔を直接見ることのできない楓からは一生分かるものではない。
杠葉は時間をかけて楓の髪を三つ編みにしたり、小さく結んだりと様々なヘアーアレンジを繰り広げていく。杠葉の思うがままに髪を弄らせていた楓も、十数分経つ頃には飽きはじめてしまう。
「弦ちゃん、そろそろいい?」
「あっ、ごめん。夢中になってた」
「そんなに楽しいの?」
「そりゃ更生学校に入ってから他の人に触る機会なんてなかったし」
杠葉は楓の髪から手を離して笑顔を取り繕う。
同じクラスの生徒たちと仲が悪い訳では無いがある程度の壁は存在しており、誰かの接触を許すほどパーソナルスペースの広い生徒はいない。基本的に自らを犯罪者だと理解しているため、下手な行動には出ないのだ。
「朝早くとか昼間とかならメイクもしてあげるんだけど」
「これから寝るだけだからね」
「それならなんでこんな時間に来たの?絶対休みの日とか午前中のほうがいいと思うのに」
「弦ちゃんとお話したいなって」
鏡越しに杠葉の顔を確認すると面食らった表情で立ち尽くしていた。
「楓からそんなこと言うなんてびっくりした」
「そうかな?」
「ほら、楓って話しかけると気さくに答えてくれるけどどこを見てるのか分からないっていうか。人自体に興味ないんだろうなって思うことがあってね。何の罪でここにいるのか知らないけど、それが関係してるのかなって。私からすると楓はめっちゃ優しく見えるし」
「柚子ちゃんにも優しいって言われたよ」
優しいと告げられてもどのような反応をすればいいか分からない楓は表情を一切変えずに話を続けていく。
杠葉もベッドに座りながら、背中越しに楓へと話しかけていた。
「柚子も楓の優しさに気が付いてるんだ」
「弦ちゃんは自分のこと優しいと思う?」
「私?うーん。私自身では思わないかも?脅迫罪で捕まってる人間が優しいわけないでしょ」
人に圧力をかけて言うことを聞かせる行為をする人間が優しいなどありえない。更生学校にいる杠葉は脅迫をする側面を見せていないが、承認欲求が高まれば自分を見てほしい願望が溢れ出す。
更生学校では杠葉弦を称賛する声は一切ないため、逆に落ち着いていられるのだ。
「優しくなるつもりってないの?」
「どゆこと?」
「外へ出た時にさ、同じようなことをやらない――みたいな?」
「私はこの生き方が好きだからね。きっと同じ事するよ。最後に失敗しちゃったけど、次はちゃんと口封じをする。私の事を可愛いってみんなに思ってもらうための努力だから、手伝ってもらうのも仕方ないよね」
「仕方ない――。そうだよね。自分の欲を満たすために相手がどうなっても仕方がない。分かるよその気持ち」
「そこまでは言ってないけど。大体そんな感じ」
楓はクッションから立ち上がり杠葉の方を向く。ベッドに腰掛けている杠葉と立ち上がった楓では若干楓の方が目線が高く、見下ろす形になる。立ち上がった反動で、折角杠葉が整えてくれた前髪は普段通り前に垂れ、目を覆った。
「ねえ、弦ちゃん」
「どしたの、急に立ち上がって」
「私も弦ちゃんの髪を触りたいな」
「私の髪?それは別にいいけど。さっきお風呂も入って諸々のケアをしたあとだから優しくしてね」
「どうしよっかな?」
「もう。触らせてあげるからお願いね」
苦笑いを浮かべた杠葉は先程まで楓が座っていたクッションに腰掛けた。少しだけ体温の高い楓の温もりを纏ったクッションはコンクリートの冷たさを緩和している。
杠葉にならって楓は一度だけベッドに腰掛けるも、身長の低さから杠葉の髪に手が届かない。渋々立ち上がり、杠葉の背後に立って髪をすくい上げる。
綺麗に手入れされた琥珀色の髪。肩甲骨のあたりまで伸ばされた髪はサラサラとした手触りで、指を動かすごとにフローラルな香りが鼻腔をくすぐる。普段から髪の手入れに余念のない杠葉だからこそふとした時に香る物があるのだ。
楓が視線を打ちっぱなしのコンクリート机に向けると、美容液や化粧品などスキンケア用品も置かれていた。更生学校側が支給しているもの以外にも見られるため、杠葉の要望は自分の可愛さを高めるものに使われていることがわかる。
「弦ちゃんは肌も綺麗だしちゃんと手入れしてるんだね」
「楓もちゃんとしないとだめだよ?後になってからじゃ遅いんだから。更生学校を出た後も人生は続くんだし可愛く、綺麗にならないと」
「それは考えるだけ無駄かな。だって私、更生学校から出られないもん」
杠葉は首を回して振り返る。そこには感情のない能面のような顔をした楓が立っていた。
「どういうこと?」
「そのまんまの意味。私は更生学校から出られないんだよ」
「だからその理由を聞いてるの。十八歳を迎えたら否が応でも出されるでしょ?更生しきれなかったら刑務所で刑期が伸びるし、更生が認められれば艶葉みたいに卒業ができる。そうやって聞いてるけど」
定められた更生学校のルールでは十八歳の年を持って更生学校から移動を命じられる。
しかし杠葉の目の前にいるのは更生学校のルール自体が適用されない存在。当たり前に存在しているルールの外側にいる楓に杠葉の持っている常識は通用しない。
「なんでだと思う?」
「見た目が小さすぎて十八歳に見られないから?」
「流石にそれはないって。私も怒るよ」
冬眠準備をするリスのように頬を膨らませて不機嫌を顕にする楓。「冗談だよ、ごめんね」と一言謝ってから神妙な面持ちで考え始める杠葉。
「殺人事件を起こしたとしても十八歳を超えれば刑務所に行くって焔村が言ってた気がする。居続けなきゃいけない犯罪って何なんだろう」
「ヒントはね」
「ヒントくれるの?今まで少しも教えてくれなかったのに?」
誇らしげに腕を組み、人差し指を立てる。
楓は自身の犯罪を吹聴することはない。当然杠葉にも教えたことは無かった。更生学校内で楓の正体を知っているのは更生員と死体処理作業員、そして赤松のみ。知っているものは全員死んでおり、これから杠葉に正体を告げるということは――。
「艶葉くんがヒントかな」
「艶葉?艶葉に関係することって言えば強姦だけど、楓がそんな事をするとは思えないし」
「自分から性行為に及ぶなんてしないよ。私はそういうの嫌いだから」
「嫌いそう。何となくだけどね。んー。いくら考えても分かんないかも?答え教えてよ。楓が何の罪で更生学校にいるのか知りたいな」
「後悔しない?どんな事を聞いても友達だって思ってくれる?」
「大丈夫だよ。お互い犯罪者なんだから」
安心させようと微笑みかける杠葉。『友達だと思ってくれる?』という発言に楓の主観的な感情は含まれておらず、楓自身は杠葉を友達だとは思っていないが、相手からは友達だと思われたいという独善的な願望。
お互いを犯罪者というある種の仲間意識が芽生えており、杠葉は何があっても楓を見捨てないと覚悟を決めていた。酷く辛い出来事があって更生学校にいると、勝手なストーリーを脳内で組み立てて、親友になれるかも知れないと希望すらも見出していた。
「それなら教えてあげる」
「やった」
「顔見ながらだと話せないから前向いて、目を瞑ってもらってもいい?」
「分かった」
杠葉は正面の鏡に映る自分を見てからゆっくりと目を瞑る。
楓にどんな事を言われても肯定してあげようとつよい意志を持って。
「私ね、お母さんを殺してるの」
「うん」
「元々仲は良くなかったんだけど、小学校六年か中学一年の時、家に帰ったら知らない男の人とお母さんがいてね。お母さんがその男の人に私を差し出す代わりにお金を貰うって話だったみたいなの」
滔々と語られる楓の話を黙って聞き続ける杠葉。
語られる内容は自分の欲求を満たすために生きて来た杠葉とは真逆の、他者によって生殺与奪を握られた弱い少女の話。
「女の子の弱い力で抵抗なんてできない。やめて、なんでって叫んでも誰も助けてくれなかったの。だから復讐としてお母さんを殺した。だから私は殺人犯。それでここにいるの」
「そっか。それは――辛かったね」
鏡に映る杠葉の顔は悲痛な表情をしていた。語られた仄暗い底のような思い出を聞き感情的になっている。
「自分の意志じゃなくて、誰かの意志でレイプされたから主犯の母親を殺した。――やったことは間違いかもしれないけど私は否定できない。話を聞くだけでも、楓にそんな事をしたお母さんも男の人も許せないよ。殺しても仕方がなかったと思う」
否定しないと心に決めていたため、傷口をそっと撫でるように傷つけない言葉を選びながら話していく。辛い経験をした楓に寄り添うことで少しでも心の傷を癒やせるならと、肯定と同意を楓に告げた。
「ありがとう。弦ちゃん」
「うん。もう目を開けてもいいかな?」
言われた通りに目を瞑りながら話を聞いていた杠葉は話の終了と共に楓に質問をする。
「もうちょっとだけ目を閉じていて貰ってもいい?今、ドキドキしてるから」
「勇気いる告白だったもんね。大丈夫。落ち着くまで見ないであげる」
目を瞑り、世界から隔絶された姿を鏡越しに見て楓の心拍数はどんどんと上がっていく。自分に慈悲の心を向けている目の前の少女が、殺人鬼の前で無防備に姿を晒している。
なんと滑稽なことだろうか。
楓の語った言葉に同意した杠葉は自らの行いを否定しているのに、その事には一切気がついていない。そして、行為をした者に対して『殺しても仕方がない』と言質まで取れたのだ。
そうなれば楓がやることはひとつ。
「弦ちゃん頭触るね」
「ん、どうぞ」
楓は無防備に力を抜いている杠葉の後頭部に手を添える。クッションのうえで正座をしている楓の足を踏みつけてから、杠葉の頭部をコンクリートの床に叩きつけた。




