第一話(case1:老衰)
=== MIRAI/終末医療判定インターフェース ===
▶ 対象:鈴木 敏雄(85歳/男性)
▶ 判定ステータス:治療中止 推奨レベル【A】(即時)
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・寝たきり期間:3年
・認知機能:中等度〜重度認知症(MMSE:7)
・栄養状態:低栄養(アルブミン 1.8)
・介護負担指数:Level 4(重度)
・回復予測値:1.4%/6ヶ月以内
・QOL回復指数:0.6(※基準1.0未満=不可逆的低下)
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◎ 医療行為継続想定コスト:192万円/年(公費対象外)
◎ Dサポ適用上限額:135万円(非課税)
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▼ 推奨対応
→ 治療中止/在宅緩和ケア移行
→ 尊厳終末支援制度(Dサポ)給付申請案内
夫の名前と見慣れない言葉、数字が並んだ卓上の紙に目を落とす。
難しい単語ばかりでこれが何なのかよくわからない。
目の前にいるのはいつも自宅に来てくれる訪問医の斎藤先生だ。
いつもは穏やかな表情なのに今日は険しい顔をしている。
「これまで敏雄さんの食欲不振に対してしていた栄養補助療法ですが、Mirai、終末期医療における治療中止判定AIがこの医療行為に対し治療停止を勧告しました。
今後いかなる治療がされようと改善の見込みが極めて低いと国の基準により判定がされたからです。
この勧告により、今後の治療の継続は医療保険の対象外になります。」
「つまり今の治療を続けると今までよりもたくさんのお金がかかるということですか?」
私は何とか言葉を紡ぐ。
「これまで月5千円で済んでいた薬剤費が、10倍近くになる可能性があります。もちろん、ご家族の意思で治療は継続できます。ただ、その場合の費用は全額自己負担になります」
高すぎる。
今の我が家にはその金額を払えるような余裕はない。
長年勤めたパートを夫の介護のために辞めてしまった。
更に年金だけでは二人分の生活を補えきれず貯金まで切り崩してしまったのだ。
「もう一つ選択肢があります。それは治療を中止しこのまま緩和ケアに移行することです。」
「うちの主人にこのまま死ねということですか!?」
もうひとつの選択肢の無慈悲さに私は声を荒らげた。
私にとって夫は心の支えだ。
たとえ認知症が進行し2ヶ月前から眠ってばかりで意思疎通すらもう叶わなくなっても、そこにいてくれるだけでいい。
生活がそのために苦しくなっても構わない。
少しでも長く生きてほしい一心で3年間介護してきた。
男性の体は思いの外重く、介護で腰や膝を壊した。
様々なものを犠牲にしてまで介護していたのに、なぜ今さら国は私の夫に死ねというのか?
「Miraiの勧告は医師である私ですら覆すことは叶いません。私も敏雄さんと真子さんとの生活を支えたかったのですが、とても残念です。」
先生の顔の険しさから悔しさが滲みでる。
先生ですらどうしようもできないのか…
このMiraiの勧告は…
まるで抗えない死神の刃のようだ
最近は一日中眠っていることが多く意思疎通ですら困難な夫を一瞥する。
我が家にはもう支払うことができるお金なんてない。
もう取れる選択肢は一つだけなのだ。
「…この家にはもうこれ以上お支払いできるものはありません。」
そして私はMiraiの勧告にサインをした。
後日いつもの看護師さんが夫へのケアを終えた後、私に金額が記された書類を差し出す。
高齢者終末ケア給付:135万円(非課税)
遺族生活支援年金(RLS):月10万円 × 5年(申請可)
医療費支出圧縮評価:高(資源転換効率 A)
相続税免除対象:敏雄様名義の口座・資産
「眞子さん、Dサポ、尊厳終末支援金制度と言われる制度はご存知ですか?」
「何となくテレビで聞いたことがあります。でも内容まではよくわからないわ。」
お昼のワイドショーの特集で耳に挟んだ記憶がある。その時は私には関係ないと思ってまともに内容までは見ていなかった。
「DサポはMIRAIに勧告された患者さんのご家族が治療停止の同意をした時に支給される給付金となります。
治療停止によって削減できた公的支出の一部をご家族に還元する仕組みです。
この制度は残されたご遺族を支える制度なんです。
治療停止というとても辛い選択をされたご遺族への国からの賠償金だとでも思ってください。」
賠償金…
人に死を強いる国の制度の犠牲者なのだ…
夫も私も…
「またDサポの他にRLSと言われる遺族生活支援年金が5年間、月10万円が支給されます。」
「治療を止めるだけでお金がこんなにもらえるんですね…」
最近は生活するのも大変なくらいお金に困っていたのでついそんな言葉が口から漏れる。
まるで国が札束をちらつかせて、家族を見殺しにしろと言っているようだ。
金のために家族を売った気持ちになる。
それでも現実は他の選択肢など許しはしない。
お父さんごめんなさいと私は夫を一瞥し、各給付金の書類にサインをした。
それから一ヶ月後、木が枯れるように夫は旅立った。
治療が停止されてからもあの決断は正しかったのかと自問自答の毎日だった。
でも亡くなった夫の表情に苦悶の色は一切なく、穏やかに眠っているようだった。
その表情は私の選択で良かったんだよ とでも言ってくれるような表情だった。
旦那の死後私が得たものはゆとりある自分の人生だった。
あの時Miraiが迫る選択はとても辛いものだった。
しかしそのおかげで今の私は介護からも解放され、自分がしたいことをいつでもできる
自分だけの人生を送っている。
あの人の死のおかげで私はこの未来を掴むことができたのだろう。
きっと私もいつかMiraiに殺されるのだろう。
そんな予感が時々胸をよぎる。
私がMiraiの勧告に従っただけだが、最終的にあの人を見殺しにしたのは私なのだから。
でも今はまだその時ではない。
それまでこの人生を楽しもう。
いつでもその時が来てもいいように。