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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ハルトムートは人の心がわからない

三度目のマリー

従姉妹のことは可愛がってないと天災が前提 マリー視点


物憂げな顔で一人グラスを傾けているその姿は、あの時私が見た彼の姿とほとんど変わっていなくて、私は思い余ってこう告げていました。

「私と結婚してくださいませ!!」

彼は私を見て目を丸くして、困ったように微笑して返します。

「…俺のような枯れた老人よりも若者に目を向けなさい、お嬢さん。君の人生はまだまだ長い。共に歩んでくれる良き若者はすぐ見つかるはずだ」

「年の差など関係ありませんわ。私はあなたが良いのです。あなたが亡き妻をまだ愛しているのだとしても、待てますわ」

「…君はデビューもまだだろう。生憎俺は幼児趣味はない。確かに後妻を取るつもりはないがね」

エインクラインの先代公爵は病で妻を亡くして十年ほどになるという話でした。丁度、私の生まれる前年の話です。それ以来、後妻を取らずに一人娘を育ててきたのだと。今日はその娘の次期当主お披露目パーティです。まだ幼い私は本来招かれていませんでしたが、もしかすると彼に会えるかもしれないと思って両親や兄姉に連れていってほしいとねだったのです。

「私はミュスカデル公爵の娘のメアリアンです。マリーと呼んでくださいまし」

「メアリアン嬢、公爵に恋愛結婚はないよ。それに俺は隠居で政略的な旨味があるわけではないからご両親も頷きはしないだろう。自分より年上の老人に嫁ぎたいだなんてね」

「私は家を継ぐわけではありませんもの。結婚相手に融通はききますわ」

「結婚というのは、片方が一方的に好きなだけでは成り立たないのだよ、お嬢さん。何にせよ俺は君を娶るつもりはない。諦めてくれ」

「諦めませんわ」

諦めるわけがありません。だって私は、こうして生まれるよりずっと前から彼のことを…ハルト様のことを愛しているのですから。


ハルト様に初めて会った時のことは今でもはっきり覚えています。

同じくらいの年代の高位貴族子女の集められた城の中庭でのお茶会。私はマナーが不十分だったので参加できませんでしたが、城から様子を見ることはできました。そこで彼の美しさに一目惚れして、私の婚約者は彼が良いと両親にねだったのです。姉たちにはもう婚約者がいたので、相応しいのは私だと思いました。

そして城での顔合わせの日、ふっと私に微笑んだ彼の笑顔を見るなり、雷に打たれたような衝撃が走りました。その後のことは記憶にありません。その後、特に横槍が入ることもなく私とハルト様の婚約が決まりました。ハルト様はそっけなかったし、勉強は辛かったけれど、一緒に過ごせるだけで幸せでした。

でも、学校に通い始めてから段々歯車が狂い始めました。ハルト様が私を婚約者として尊重してくださらないからか、他の貴族たちも私に冷たかったのです。それどころか、私を蔑ろにしてハルト様に迫るものまでいました。ハルト様は私を愛していないのだから、大人しく婚約を解消して身を引けと言うものさえいました。明らかに私の方が美しく優秀なのに、中の下以下が自分の方がハルト様に相応しいだなんて世迷言を言っていました。

もっとも、ハルト様に直接、あの女を愛しているのかと聞きましたら、そんなことはあり得ないと返ってきましたけれど。

だから、学生時代の火遊びに過ぎないんだと思って私は我慢しました。この国に家柄も美しさも学校の成績も私よりハルト様に相応しい女はいないんですもの。ちゃんと夫婦になりさえすれば、彼は私を愛してくれるはずだと思いました。

でも、その期待は早々に砕かれました。あの女、アンネリーゼが愛人として迎えられて、当然のように私とハルト様の新婚の屋敷で暮らすようになりました。白い結婚ではありませんでしたが、義務のように月に一度抱かれるだけで、ハルト様は私のことを愛してはいないのだと思い知らされました。ハルト様との間に娘が生まれると、抱かれることもなくなりました。

娘は私とハルト様に似て美しい姿をしていました。それに、ハルト様は娘には優しくしているらしかったのです。私のことは愛してくださらないのに。私のことは愛さないのに、私との間に生まれた娘は愛するなんておかしいと思いました。でも確かに、私が腹を痛めて産んだ子で、ハルト様以外に抱かれていないのですから二人の血を引く子供なのです。なにより、二人の色を受け継いでいます。

私を抱かなくなっても、ハルト様はアンネリーゼのことは抱いているようでした。アンネリーゼ本人が私に自慢しに来ました。みじめでした。選ばれたのは私の筈だったのに。何故、妻である私が愛されないのでしょう。

そしてハルト様が娘を連れて領地を回っている間に、私はアンネリーゼに毒殺されました。私が死ねばアンネリーゼも子供を持てるはずだと。

ハルト様に「あるべきところに行きなさい」という言葉をかけられたことを覚えています。


そうして、気が付けば私はハルト様と顔を合わせた次の日に戻っていました。今度こそハルト様に愛されたいと思って頑張りました。けれど、今度はハルト様はあまり私と顔を合わせてくれなくて、弟に任せることが多かったのです。ハルト様の弟のレオンハルト様は私に優しくしてくれましたけれど、あくまでも私が好きなのはハルト様でした。

学園には何故かハルト様は通っていませんでしたけれど、それ以外は一度目とあまり変わりませんでした。アンネリーゼはまた、ハルト様に愛されているのは自分だから私は身を引けと言ってきました。でも私はハルト様が自分は婚約者一筋だし、アンネリーゼのことは愛していないと言っているのを見ました。素直に告げてくれないだけで、ハルト様は私のことを愛してくれているんだと思ったら頑張れました。

でもそんな矢先に、ハルト様が私じゃない他の女と仲睦まじくデートを繰り返しているのだという話を聞きました。信じられませんでしたが、調べてみればすぐに証拠は集まりました。

アンネリーゼのことは愛してない、婚約者一筋だなんて言っていたのは、ただの演技、嘘だったのです。

二人の未来も関係も滅茶苦茶にしてやろうと思いました。私は卒業プロムの場でハルト様とアンネリーゼを断罪して、婚約破棄して、代わりに私を気遣ってくれていたレオンハルト様と結ばれようと思いました。

エスコートを持ちかけてもくれないハルト様の代わりに、レオンハルト様にエスコートしてもらうのにも慣れたものでした。

卒業生ではないけれど、アンネリーゼをエスコートしてプロムに参加しているハルト様を見つけるのは簡単でした。ハルト様は美しすぎて自然と周囲に人の輪ができるのです。だから、卒業生の祝辞を述べる代わりにハルト様たちを壇上に呼びつけました。

カップルらしい揃いの服装をした二人を憎々しく思いながら断罪の言葉を告げました。それで二人は終わりのはずでした。けれど。

ハルト様は最初から私の婚約者ではない、私の婚約者はレオンハルト様だと告げられました。そんなはずなかった、のに。更に言えば、ハルト様が連れていた女はアンネリーゼではない、眼中にもなかった伯爵家の娘でした。私の同級生ではありましたけれど。特に目立たない、美しくもさして優秀でもない娘の筈でした。それなのに、そんな平凡な娘がハルト様の婚約者としてハルト様に愛されている、だなんて。認められるはずもありませんでした。私の方がハルト様を愛しているのに。ハルト様が花のような笑みを向ける相手が私ではない、あんな格下の女だなんて。

けれど、ハルト様は。

「殿下個人が嫌というより、王族の嫁はもらいたくなかったという方が正しいかな」

「俺は嫌なことをじっと黙って耐えるような人間は嫌いです。我儘言って人に強要する奴も嫌いですがなお悪い。それって自分で解決しようとせず、誰かが嫌なことを代わりにやってくれるのを待っているってことでしょう?」

じっと黙って耐えていたことがそもそも間違いだったとハルト様は言います。でも、だったら、私は何の為に

「兄上、それ以上僕の婚約者を追い詰めないでもらっても?」

レオンハルト様にそう庇われて、ようやく目が覚めたような気がしました。レオン様は私のことを愛してくださっていたのに、蔑ろにしてしまっていたのだと。私はまずレオン様と向き合うべきだったのです。そんなことも気付かない私はなんて愚かだったのでしょう。今からでもレオン様にちゃんと向き合わなければ、そう思いました。

けれど。

私とレオン様の婚姻はレオン様の卒業後ということでそれから二年後になりました。婚約破棄されることなく成し遂げられ、私とレオン様は晴れて夫婦となったのです。ですが、レオン様は私よりも平民出の女を重用し、秘書だと言って連れ歩きました。家名も名乗れないような、美しいわけでもない、学校の成績はそれなりだったそうですけど、それだけの女。

あのアンネリーゼは何処かの資産家の好色な年上の男の元に嫁がされたらしいと風の噂で聞きましたが、溜飲が下がることすらありませでした。

レオン様の秘書とは名ばかりの、愛人の女、シャルドネ。私を差し置いて公爵家の女主人として振舞うことを許された女。

一度目と、人が入れ替わっただけで同じことになったと思いました。ならば、最後には私はシャルドネに毒殺されるに決まっています。その前に私がシャルドネを殺さなければなりません。そう思って毒を手に入れて、シャルドネの飲むはずの紅茶に入れました。

「マリリエッタが乱心した。だが、王女だった人間を無暗に殺すわけにもいかない。蟄居させることとしよう」

「レオン様、何故っ…」

レオン様は冷たい目をして、私にそっと囁きました。

「何故?そんなことは明白でしょう。僕は我儘王女の世話に一生を費やすつもりはありません。あなたは幼い頃から失態を繰り返し、我がエインクライン家に益をもたらしたこともない。あなた自身の評判も最悪だ。あなたと結婚したのは王家に貸しを作るためにすぎません。いずれ、言い訳のきかない失態をまた繰り返すだろうと思っていましたよ」

「…、レオン様は、私を愛していたのでは」

「十年以上僕を兄と比べて見下してくる相手を、何故愛せると思うのです。兄上は僕を優秀で継嗣に相応しい子だと認めてくれていましたよ」

そうして私は屋敷の一室に幽閉され、一度目と同じ、28歳で死にました。私を救ってくださる方は一人もいませんでした。


そうして三度目の私は、今度は次姉ヴェロニカの孫だか曾孫だかとして生まれたようなのです。それも、一度目の時の未来に当たる世界に。エインクラインはハルト様が引き継いで、今では公爵位は子に譲って隠居しているようでした。今生の私は公爵令嬢。身分としてハルト様と釣り合わないなんてことはありません。私は今度こそハルト様に愛されて幸せに生きたいのです。ハルト様が妻を亡くした後、後妻を迎えなかったというのは福音でした。あの後、愛人のアンネリーゼが後釜にならなかったということですから。ハルト様はきっと、素直におっしゃらなかっただけで、私のことも愛していたのです。だって、私にも似ていたはずの娘を大事に育て上げて公爵位も継がせたんですから。

今度こそ。今度こそは私はハルト様に愛されるために、私がするべきことは…。

「…じっと耐えるだけじゃなくて、私からいかなければいけなかったのね?ハルト様に、私を愛してほしいって」

思えば私はずっと、期待はすれども受け身でいるばかりでした。王宮では何を言わずとも私の望みは叶えられて当然でした。不満を覚える前に対処されていることも珍しくなかったのです。公爵家では私が何か言わねば何もしてもらえませんでした。私が不満そうにしていたって、使用人も誰もその訳を聞こうとすらしないのです。そういえば、ハルト様は使用人に対して、命じていないことをするなと叱っていたことがありました。公爵家はそのような方針だったのでしょう。

ですから私は、己の幸せのために積極的に動くことにしました。ハルト様と繋がりを持って後妻として迎えてもらうのです。私がハルト様の妻であったマリリエッタだということは、いずれ伝えることになるのでしょうが、もしかするとそうしたら一度目の時のように素直に私を愛しているとは言ってくださらなくなるかもしれないので、今の私を愛していると言ってもらえてからにするべきでしょう。

私は両親にハルト様に嫁ぎたいと伝えました。両親は困ったような顔をして言います。

「エインクライン公の親族にハルトムートなんて方はいらっしゃったかしら」

「えっ」

「リヒャルトさまの兄弟は妹だけでしょう。それも他家に嫁いでいらっしゃるはずだし」

「分家の方にもそんな名前の者はいなかったはずだが」

「いえ、エインクラインの、娘に爵位を譲って隠居されている方です。直系の」

「…あっ、もしかして旧爵のことか?流石にあの方には嫁がせられないぞ。そもそもあちらも、いつ死ぬかわからない老人に後妻を、だなんて醜聞を作ろうとしているか、後継問題を作ろうとしているとしか思われない」

「メアリアン、確かに閣下は若い頃は絶世の美青年だったということがわかる美しい方だけれど、流石に年上すぎるわ。美しく年を取った方が良いならもっと他の方もいると思うのだけれど」

「ハルト様でなければ嫌です。他の方に嫁ぐくらいなら修道院に入る方がマシですわ」

私の返答に両親は顔を見合わせました。私は本気でした。一回目も二回目も28歳で死んだのはきっと、ハルト様にちゃんと愛されることができなかったからなのです。ハルト様にちゃんと愛されることができたら未来は変わるはずなのです。だって愛する人に愛されることよりも幸福な人生があるはずがないんですもの。


ハルト様は公爵家の主催するパーティにも毎度は参加しないようでした。他家の集まりには尚更です。ですので、会おうと思えば彼の今住んでいる領地に尋ねていく以上に有効な手はありませんでした。エインクライン公爵領の内一つ、エルダリア。そこが彼の現在の隠棲の地になっているそうでした。私が生きていた頃はただの田舎町だったはずですが、その後随分と手を入れて開発しているのか、それなりの静養地となっていました。公式には、ハルト様はエルダリア伯ということにもなっているそうです。

別荘を買ってそこに住みました。そして毎日ハルト様に会いに行きました。

「ハルト様、好きです、結婚してくださいませ」

「他をあたりなさい、お嬢さん。俺は後妻を迎えるつもりはない」

「嫌です。だってハルト様が私の運命の人ですもの」

私が結ばれたい相手がハルト様以外にいるわけがありませんのに、ハルト様は他を探せと仰います。30年くらいの年の差なんて、私は気にしませんのに。それにハルト様は言うほど年を取っているようには見えません。今は私が幼すぎるから仕方ないにしても、きっと私が成長してもあまり姿が変わらず、そこまで極端に年の差があるようには見えなくなるでしょう。

「運命?そんなものはない。そんなものがあるなら、俺はこんな人生は送らなかっただろうよ」

「いいえ、運命はありますわ。だって、私はハルト様にこうして巡り会ったんですもの」

「全く論理的じゃない。そもそも俺はもう王族に連なる人間に深く関わる気はない。公爵家にも、俺個人にも利がないからな」

全く取り付く島もない様子でしたが、私は諦めませんでした。可能な限り毎日ハルト様に会いに行って、三年が経ちました。



「君もそろそろ貴族学校に通う年だろう。こんな老人に構っていないで同年代の若者と交流するべきではないかな。人の生はそう長いものではないのだから」

「ハルト様以上の方などいませんわ」

「…そろそろはっきり言うべきか。俺は、娘どころか曾孫か玄孫のような年の子供を伴侶として見ることはできない。俺が君を妻として愛することは未来永劫ない。メアリアン…否、マリリエッタ、と呼んだ方が良いか?」

「、ハルト様、気付いて…」

「アンネリーゼかとも思ったがな。人生にやり直しなんてものはない。妄執は捨てて新しい生を生きなさい。今ならまだ取り返しがつく」

「嫌です。だって私、今でもハルト様を愛しているのです。他の方なんて考えられません」

「これ以上繰り返せば、お前は何度転生したところで魂に28歳で服毒して死ぬという定めを負うことになるぞ」

「そんなはずは」

「三度続けばそれは偶然とは言えないからな」

ハルト様から見透かすような視線を向けられました。

「そもそも、魂が輪廻したとして、過去世の記憶を残しているというのがおかしいのだ。同じ魂を持っていたとしても転生してしまえばそれはもう別の人間になるのが自然なんだからな」

「…いいえ、いいえ、私はあなたの最愛の妻だったマリーですわ。だって、ちゃんと覚えていますもの」

私の返答に、ハルト様は虚を突かれた顔をしました。

「続きでも、やりなおしでも構いません。あなたが私を愛してくださるのなら」

「…俺はマリーを愛していたことはない。寧ろ、ずっと嫌いだった。俺に最愛の妻と呼べる相手がいたとすれば、それはアリスだ」

「…え?」

「マリーが死んだ後、俺は後妻を迎えて彼女との間に子供も二人生まれたし、最期まで共に過ごした。それこそ、メアリアンが生まれる前年まで、50年ほどな」

「ごじゅうねん」

「俺ももう93歳。普通の人間であれば寿命で死んでもおかしくない年だ。まあ死にそうだという実感はないが」

「そんなの嘘!!」

「事実だ。俺と睦まじい夫婦と話されたのはマリーではなくアリスだ」

「誰よアリスって、そんな人知らないわ!!」

「ああ、社交も碌にこなせなかったお前は知らないかもしれないな。アリス…アリシアは俺と同い年の侯爵令嬢だった女性だ。淑女の手本のような女だった」

わけがわかりませんでした。ハルト様が再婚していて、それが…アンネリーゼでも、二度目の時のあの女ですらない、見知らぬ女とのものだったなんて。しかも形だけじゃなくて、子供まで生まれているというのです。信じられません。酷い裏切りでした。

「なんで…何故ですのハルト様、私はこんなにもあなたを愛しているのに…!」

「お前はいつも自分の感情ばかりで、俺の気持ちなど気にしていないようだな。愛しているというのも、俺の顔だけだろう」

「そ…そんなことは…」

「お前と結婚させられるまで、俺は毎年婚約を解消したい、マリリエッタは公爵夫人に相応しくない、と伝えていたはずだ。一度も聞き入れられなかったがな。ましてや結婚した後もお前は公爵夫人として成したのは後継になる子を産んだという一点くらいしかなかった。お前が死ぬ前頃も離縁するべきじゃないかと思っていたくらいだったよ」

「嘘、嘘です、そんなはずありません。だって私はハルト様に相応しいレディになるために頑張りました。あんなに、頑張ったのに」

私の言葉をハルト様は鼻で笑いました。

「学校のテストで良い成績を残せたところで、実生活に活かせないのでは意味がない。お前は他家の令嬢や夫人と碌に交友関係を作ることもできていなかった。それどころか、王女の身でありながら家が出来てたかだか100年経っていない格下の伯爵令嬢に悪評を立てられ、自分でそれを払拭するどころか、処罰することさえできず、己の身の高貴なることを示すことさえできなかった。そんな女を迎えたところで何の益もないどころか、公爵家にとって害にしかならない。王宮にごり押しされたがな」

確かに私は、学校でも社交界でも友人に恵まれませんでした。味方になってくれる人なんて全然いませんでした。だけどそれは私の所為ではありません。アンネリーゼが悪い噂を流したからです。私が悪いわけじゃありません。

「自分は悪くない、と?他家の人間を自力で味方につけられぬ者が上に立てるわけがないだろう。エインクライン公爵夫人は筆頭公爵夫人だぞ。同年代の令嬢の統率も出来ず蔑まれる者に務まるはずがない…いや、務まらなかっただろう。おかげでアリスにもエヴァにも苦労を掛けた」

「あっ、あの人たちがおかしかったのです!私は第三王女だったのに…!」

「だがお前はそのおかしい人間を王女の権力で罰することもせず好きにさせた。蔑まれることを受け入れた。ぴしゃりと打ってやればアンネリーゼがあそこまで増長することもなかっただろうに」

ハルト様が冷たい目で私を見ます。

「お前は昔から、自分のやりたいことしかしなかったな。高貴な身として当然するべきことすら、誰かに言われねばしなかった。自分のことしか考えていない、我儘で怠惰で、人の上に立つ器のない娘だった」

「そんなことはありません」

「お前が我が公爵家に嫁いできて成したものは損害ばかりだった。エヴァはお前に似ずしっかりした子に育ったが、まあそれは俺とアリスの教育が良かったからだろう。いや、お前はエヴァに母親らしいことなど何もしていなかったな。育てるのも乳母任せで教育に関わることもしない。ただ、産み落としただけの女だ」

「損害など出していません」

「妻がきちんと社交をしていれば得られたはずの情報や利益を得られないのは十分に損害と言えるんだよ、マリリエッタ。おかげでお前が夫人に納まっている間、我が公爵家の筆頭公爵の地位は揺らぎかけていた」

「そんなこと誰もっ…」

「言わないとわからない愚かな女だから相応しくないとずっと言っていたんだ。そもそも、俺が愛想笑いを向けたくらいで失神するような者が婚約者として押し切られた時点で、王室が我がエインクライン家の力を削ごうとしているのだと見做していたがな」

「…え?」

今でも覚えているあの美しい、私に向けられたハルト様の微笑み。あれが、心の伴わないものだったと仰るのか。いや。嫌。ああ、そういえば、一度目の時にハルト様が私に笑みを向けてくださったことは、あのたった一度以外には、

「嘘、嘘嘘嘘、そんなはずない、だって、私はハルト様に相応しいレディになるために精一杯頑張っていたものっ、いっぱい我慢して、いっぱい頑張ったんだもの、それなのに、それなのにぃっ…!」

「最初から言っているだろう。俺はお前を愛したことはないし、妻に迎えたいと思ったこともない。俺の有責で婚約破棄しても構わないくらいだったのに、強行したのはお前達だ」

「…わかったわ、あなた偽物ね?ハルト様がそんなことをおっしゃるわけがないわ。私を惑わせるために間違ったことを言っているのでしょう!!」

「…はあ。このような手は使いたくなかったんだが仕方ない」

突然の激しい眠気が襲い掛かり、立っていられなくなりました。

「前世の妄執など忘れてしまいなさい、メアリアン・ミュスカデル。君はまだ若いのだから、それだけでいくらでも幸せになれる」

目を開けていられなくなり、私は耐えきれず意識を手放しました。




「おや、お目覚めかね、メアリアン嬢」

「ハルトムート様、私、眠っていましたの?」

「ああ、ぐっすりと。まだ淑女らしいとは言えないようだ」

「…お恥ずかしいですわ」

お父さまより、お祖父様より年上なのにそれでも美しい老紳士のハルトムート様。私が滞在しているエルダリアの領主さまです。若い頃は筆頭公爵として活躍していらしたそうで、今は隠居していらっしゃいますが、それでも各方面に伝手のきく方です。私は、良き縁を得るため彼の元に預けられていました。両親は末っ子の私を甘やかしすぎてしまうから、と。

「貴族学校からは王都の方で通うことになっているのではなかったかな」

「ええ…両親からは、そろそろ戻って来いと言われております。不安ですけれども…」

なにしろあまり他家の子供と交流を持っていませんでした。エルダリアに来てからは近場の家からの茶会、なんてこともなかったから猶更です。

「…ハルトムート様がお兄さまくらいの年の方だったらよかったのに」

「…俺は後妻を迎えることはないよ。まだ妻を愛しているからね」

「わかっていますわ」

そもそもハルトムート様と私では年が離れすぎています。親子どころではありません。祖父と孫…いや、玄孫くらいまでいくかもしれません。お互い恋愛関係に見られるはずもありません。

「その年でもハルトムート様に婚姻を申し込む方がいますの?」

「俺が死んだ後はこの土地は公爵家に戻る予定だからエルダリア伯の後継はいないからね。妻になれば財産分与を、というものがいないわけではない。俺から求めたことはないのだがなあ」

「…ハルトムート様は元気ですものね」

風邪をひいて寝込んでいる、というところすら見たことがありません。本当にお祖父さまたちより年上なのかと不思議になる位です。

「メアリアン嬢も王都に戻れば求婚者が殺到するだろうさ。家付き娘でなくとも有力公爵家との繋がりというのは政略上有力なカードだからな」

「政略上…」

「公爵家に生まれて政略と無縁でいられるのは籍を抜けて平民になるものだけだよ」

「そう…なのですが」

「まあ、政略でもお互いを尊重する気持ちがあればそこに愛が生まれることもある」

「ハルトムート様と亡くなられた奥様のように?」

「…ああ。アリスとはビジネスで始めたが、内実共に良き夫婦であれたと思っている。少なくとも俺はな」

「…私も、そのような方を見つけられるといいのですけど」

「こればかりは相性とタイミングもあるからな」


戻った私に対して両親は何処か腫れ物に触るような、どう扱うべきか迷うような素振りをしました。3年も親元を離れて親戚の元に預けられていたようなものなので、当然なのかもしれません。私が暫く、淑女らしい振舞いを完璧にしてみせたら、伺うような素振りはなくなって、普通に接してくれるようになりましたが。姉さまには我儘が直ったようで良いことだと言われました。

貴族学校では同じような立場の令嬢である友人ができました。そして高等学校に上がる頃に婚約者もできました。我が公爵家の寄り子の伯爵家の次期当主です。彼の後ろ盾になるための政略婚として私が嫁ぐことになりました。誠実な方で政略婚とはいえ、婚約者の私を大切にしてくれます。

学園では婚約者のいる生徒もいない生徒もいますが、婚約者がいるのに他の生徒と不貞をしている者の話をちらほら聞きます。それを聞くと、彼が浮気をしないか、そんな素振りがなくても不安に思います。だって、所詮は政略ですもの。望まれて嫁ぐとは、素直に言えません。彼に必要なのは私ではなく、公爵家からの後ろ盾です。

「メアリー、何か言いたそうな顔をしているけれど、何だい?」

「カベルネさま…その。近頃、学園内で不貞をされている方が多いと聞いて、不安になってしまって。カベルネさまが私を大切にしてくださっているのはわかっていますけれど」

「それは…婚姻前だけど、口付けとかしてもいい、ってこと?」

「え?!…ええと、その…はしたなく思われるかもしれませんが、確かに…してみたいとは、思っています」

「じゃあ、今、口付けてみてもいい?」

「…はい」

ただ唇が触れあうだけという、それだけのことが、何故こんなにも胸を高鳴らせるのでしょう。流石に婚姻前に純潔を喪うことはできませんでしたが、それから私たちはこっそり口付けたり抱き合ったりするようになりました。その相手に婚約者ではない相手を選ぶ部分は意味が分からないまでも、校内ではしたないことをする気持ちはわかりました。

自分で言うのもなんですが、私は美しい顔立ちをしていますし、高位貴族らしい礼儀作法を身につけていますから所作も美しいです。家柄も成績も良くて目立った欠点はありません。嫁入りする立場ですから婚約者が次期伯爵というのは悪いことではありませんし。交友関係もそれなりに広くあります。貴族の中心に立ってあれこれするような人間ではありませんけど、蔑まれるところなど何もないのです。なのですけど。

「平民の特待生とは聞きましたが、本当に身分というものを理解されていないのですね」

どうやら高位貴族を中心にちょっかいをかけて不貞をしていたのが、私の婚約者にまで目を付けたけれど、相手にされなかったので八つ当たりしてきたようです。彼は当然の対応をしただけですのに。

「多少平民としては優秀だったところで、あれでは使い物になりませんわね」

私自身で何をする必要もありません。家の手の者に命じるだけで十分です。それだけで彼女は翌日から学園に姿を見せることはなくなりました。それからしばらくして、不貞をする者の噂もすっかり聞かなくなりました。あの方が風紀を乱していたのかもしれません。

学園を卒業してほどなくして、私はカベルネさまに嫁いでメアリアン・リースリング伯爵夫人となりました。結婚式の時にはエルダリア伯からも祝辞が届きました。手紙一通で私とカベルネさまに力添えをしてくださるのは、流石です。…今年で何歳になるのか、わかりませんけれど。

「エルダリア伯は確か、ミュスカデル公ではなくエインクライン公の縁戚だろう?どんな縁があったんだい?」

「幼い頃に少々目をかけていただいただけですわ」

私とカベルネさまの間に物語のような波乱万丈が起こることはなく、子にも恵まれ仲睦まじい夫婦であると評されました。何も不思議なことはありません。私たちはお互い助け合い、尊重することのできる関係なのですから。



自分から積極的に行けば!ってのはハルトの攻略法としては一周回って正しいのだが、周回遅れなので結局だめ マリーはまだしもメアリアンの望みを叶える義理も利もハルトにはないため

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二週目のアリシア?の話が知りたいかも
マリーと同学年の頭のネジが外れた平民… まさかな…
ようやく意味が通った〜!!という感じでした。 第三王女何がしたかったんだ?とずっと思っていたのだけど、本人的にはあれで愛されていたと思ってたのか…。割と信じられないというか、ハルトからしたら呪いの人形…
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