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33/40

惹きつける光

ここまで毎日投稿とさせていただいておりましたが、ラストに向け調整を丁寧に行っていきたいため、

投稿を少しお休みいたします次話投稿予定は3/17(月)です。


陽光が差し込む広々とした王立貴族学院の稽古場には、鋭い金属音が響き渡っていた。

空気を切り裂くような音が、乾いた床に反響する。

模擬刀が交わり、火花こそ散らさないものの、その瞬間ごとに生まれる衝撃が、二人の間に熱を生んでいた。


風が吹き抜けるたびに、開かれた窓から揺れる木々のざわめきが微かに耳に届く。

しかし、その心地よい自然の音も、今の彼らには届かない。

ただ目の前の相手に全神経を集中させ、打ち合い、受け、捌く――。

繰り返される動作の中に、静かでありながらも強い意志が込められていた。


稽古場の中央で、エリオット・アシュフォードとヴィンセント・アルスターの二人が対峙している。


稽古着の袖が翻り、模擬刀を握る手にはじんわりと汗が滲む。

けれど、どちらも気にすることはない。

視線はただ、相手の動きを見極めることに注がれていた。


周囲には、彼らを見守る生徒たちの視線が集まっている。

ざわめきこそ控えめだが、見学している令嬢たちは、まるで舞踏会を見るかのような熱を持って二人の動きを追い、男子生徒たちは純粋な憧れと驚嘆の眼差しを向けていた。


しかし、そんなことすらも、エリオットとヴィンセントの意識には入っていない。


今、この場に存在しているのは、模擬刀を握る二人と、その間に生まれる剣戟の駆け引きだけだった。





エリオットは軽やかに体を捌きながら、余裕の微笑を浮かべていた。

剣の軌跡は流れる水のように滑らかで、まるで風をまとっているかのように舞う。

その動きには圧倒的な柔軟さがあり、ヴィンセントの鋭い一撃すらも、まるで戯れのように受け流してしまう。


対するヴィンセントは、迷いのない剣を振るう。

正攻法で攻めながらも、隙を見逃さない目をしていた。

それが、エリオットの変則的な動きを制しようとするたび、交差する刃が乾いた音を響かせた。



「ほら、もっと力を抜いたほうがいいよ、ヴィンセント」


軽やかに剣を受け流しながら、エリオットが笑いを含んだ声で囁く。

稽古の最中とは思えないほど、その声音は穏やかで、どこか甘やかだった。


「分かっている! けど……あなたの動きが速すぎるんだっ!」


鋭く息を吐きながら、ヴィンセントは剣を振るった。

だが、エリオットの動きはまるで風のように掴みどころがなく、刃を交わらせるたびに躱されてしまう。


「んー、そうだな。剣を振るとき、肩に力が入りすぎてるかな?」


間を詰められたことに気がつく前に、耳元でエリオットの声が響く、次の瞬間、彼の指がヴィンセントの手に触れた。


「剣は、ただの鉄の棒じゃない。手足の延長だと思って――ほら、こう」


軽く添えられた指先が、ヴィンセントの手を包み込むように動きを導く。

じんわりと伝わる体温に、無意識に息を止めた。


「っ……!」


わずかに肩が揺れる。その反応を感じ取ったのか、エリオットが緩く微笑んだ。

余裕に満ちた穏やかな表情が、妙に癪に障る。


「力を抜いて、もう一度。そう、そう……そのまま」


耳元で響く声音はひどく優しくて、まるで特別なもののように響く。

剣を持つ手の位置を導かれ、自然に動かされると、今までの力みが嘘のように抜けた。


「ね? 僕、大抵のことはなんでも得意なんだ」


涼しげな声音で言いながら、エリオットは当然のように微笑む。


「……あなたのそういうところが、気に食わないんです」


自分でも、どこまで本気なのか分からなくなりそうな言葉だった。

エリオットは、悪戯めいた微笑みを浮かべながら、ヴィンセントをじっと見つめた。


「ふふっ、そんなこと言って。君、前よりずいぶん話しやすくなった気がするよ?」


今までなら、即座に「そんなことはない」と否定していた。

けれど、ヴィンセントは唇を引き結び、じっとエリオットを見据えた。


今まではただ、ルシアのために共に行動していただけだった。

親しいわけでもなく、むしろ恋敵として、少し距離を置いていた相手。


しかしこうして、気を許してから初めて二人で過ごし、気づく。


エリオットは、無自覚に身内には甘くなる――。


何気ない口調も、触れ方も、優しく囁く声音も、他人に向けるものとは明らかに違っていた。

きっと特別扱いをしているという意識すらなく、それを自然にやってのけている。


――そうか。


ルシアがエリオットに特別に愛されたいと願った理由が、ようやく少し分かった気がした。


誰にも微笑まず、自分だけが特別に扱われたいと、彼に愛を求められたいと、ルシアが切望した理由が。



「はい、終わり」


優雅に剣を構えたまま、エリオットはにこりと微笑む。

ヴィンセントの喉元に、ほんの少し模擬刀の切っ先がかすめていた。


「あと半歩踏み込めば、僕の勝ちだったね」


ヴィンセントは息を整えながら、静かに剣を下げる。


「……全然、あなたに届かないですね」


悔しげに言葉を落とすと、エリオットはどこか満足げに目を細めた。


「でも、悪くなかったよ。次はもう少し、重心を下げてみるといい」


エリオットの手が、自然にヴィンセントの背中に触れる。

指先から伝わる温もりに、思わず肩がこわばった。


「ん、こう。腰を落として、脚に重心を乗せる。そう、いい感じ」


わずかに力をかけて、体勢の調整を促される。

刃を交えていた時よりも近く感じる距離。

今意識するなというほうが無理だった。


「……」


ふと、エリオットが顔を覗き込んでくる。


「ヴィンセント?」


さらりと呼ばれた名が、思いのほか心に絡みつく。

視線を逸らし、短く答える。


「……分かった。やってみます」


静かに言葉を落としながら、ヴィンセントは再び剣を握る。


「じゃあ、もう一度やろうか?」


耳に甘く響く声に、ヴィンセントは小さく息を呑んだ。


「……ええ」


再び剣を構えながら、ヴィンセントはエリオットを見据える。


今まで気づかなかった。

彼の瞳が、こんなにも惹きつける光を宿していたことを。




――そのやり取りを、周囲の生徒たちは食い入るように見つめていた。


鍛錬の場でありながら、そこにはただの稽古とは違う、異質な空気が流れていた。

模擬刀を交わす二人の間には、真剣な刃の応酬とともに、どこか楽しげな余裕が漂っている。

互いの動きを探りながら、時折交わされる言葉には柔らかな笑みが混じり、激しくも和やかなやり取りが続いていた。


「ヴィンセント様、敬語が外れておりますわ……!」

「本当ね、あんなにフランクに話されているの、初めて見ましたわ……」


稽古場の片隅で、令嬢たちの声が弾む。


真面目で礼儀正しく、誰に対してもきちんと敬語を崩さないヴィンセントが、エリオットに対して自然にため口を交えて話している。

それだけで、彼女たちは驚きを隠せなかった。


「さすがエリオット様。本当にどなたとでも仲良くなられてしまうのね……」

「でも待って……エリオット様もなんだか、ほかの方に対するよりさらにフランクではなくて?」


普段から気さくで親しみやすいエリオットだが、今の彼はどこか違う。

ふと零れる微笑、無造作に髪をかきあげる仕草、ヴィンセントの肩に軽く触れながら言葉を紡ぐ柔らかな声音。

そして、剣を構えながらも相手の動きにそっと手を添え、導くような所作――

何気ない動作のすべてが、思わず目を引くほどに優雅で、どこか艶めかしかった。


「ヴィンセント様が剣を持たれているなんて、少し意外でしたけれど……お上手なのですね」

「剣を振られる姿を初めて拝見しましたけれど……あんなに真剣な表情をされるなんて」


令嬢たちの視線が、模擬刀を振るうヴィンセントへと集まる。


彼は普段、机に向かっていることの方が多い。

学問に秀で、優雅な振る舞いを忘れず、落ち着いた印象を持たれている。

けれど、今は違う。


俊敏に動き、鋭い視線でエリオットの剣を追い、時折額にかかる髪を振り払う仕草すら凛々しい。

長身にしなやかな筋肉が備わり、動きの中で鍛錬の跡が感じられる。


「華のあるエリオット様につい目が行ってしまいますが……ヴィンセント様も素敵ですわね」


小さく囁かれた声に、周囲の令嬢たちが静かに頷く。


「それに……何を話されているのかしら?」

「ヴィンセント様のあの反応……こちらまでドキドキしてきてしまいますわ!」


言われて見てみれば、確かに、エリオットが何か言葉をかけた瞬間、ヴィンセントの頬が微かに染まるように見えた。


「あんな反応されたら、気になってしまいますわ……!」


普段のヴィンセントの印象とは違う、不意に見せる微かな照れ。

それを引き出しているのがエリオットだというのが、またたまらない。


「エリオット様って、陽気で優しい方だけれど……なんだかこう、特別な雰囲気を纏っていらっしゃるのよね」

「そうですわね……楽しそうなのに、どこか魅せられるような……」


言葉にしづらい感覚を、彼女たちはなんとか言葉にしようとする。


エリオットの仕草はどれも気負いがなく、無造作なのに優美な余韻を残す。

汗に濡れた髪をかきあげるたびに、滴る水が陽光に煌めき、喉を鳴らして水を飲むだけで、どこか官能的な空気が生まれる。

微笑むだけで、刃を交わすだけで、視線を向けるだけで、相手を惹きつける不思議な魅力がある。


そして今、その視線を向けられているのがヴィンセントだった。


彼だけが、エリオットの甘さに触れ、囁くような言葉を受け、まるで特別扱いされているかのような雰囲気を纏っている。

普段は気高く凛然とした印象のヴィンセントが、エリオットの手のひらの上で、微かに揺らいでいるように見えた。


ふと、誰かがぽつりと呟いた。


「……羨ましいわ……」


その感情は、令嬢たちの間に静かに広がっていく。




一方、男子生徒たちの間でも、熱気が高まりつつあった。


「うわー、やっぱエリオット様、上手すぎるだろ。将来騎士希望の俺らの立つ瀬なくね?」

「さっきの技なんだよ、熟練の騎士みたいな動きだったぞ……!」


騎士志望の生徒たちは、目を輝かせながらエリオットの動きを追っていた。

彼の剣筋は無駄がなく、それでいて柔らかさとしなやかさを兼ね備えている。

軽やかで鋭く、それでいてしなやか。強さだけでなく、洗練された美しさがあった。


ただ力強いだけではない。

すべての動きが流れるように滑らかで、どこか魅せるような余裕すら感じさせる。


「エリオット様に剣を教わる機会とか……俺らにもないかな」

「本当に弟子入りしたいレベル……」


ため息を漏らしながら、彼らはエリオットの技術に圧倒されていた。

そして、ヴィンセントを応援する男子たちもまた、彼の奮闘に熱い視線を送る。


「ヴィンセント、すごいぞ。エリオット様相手にあそこまで踏み込めるなんて!」

「いや、普通はあのレベル差で立ち向かえねぇって……」

「でも、見ろよ。あの真剣な目。まだ、諦めてねぇ」


彼らの目には、ただの剣の稽古ではなく、挑戦の姿勢が映っていた。

エリオットの余裕に満ちた強さに対し、ヴィンセントは決して怯まず、真っ直ぐに向かっていく。

その姿が、彼らの胸を熱くする。


「エリオット様はすごいけど……俺たちはやっぱりヴィンセントを応援したいよな!」


握りしめた拳の中に込められたのは、ただの敬意ではない。

それは、強大な存在に挑み続ける者への純粋な憧れだった。


それでも、視線を向ける先で繰り広げられる光景は、それだけではなく、別の意味で心を奪われている者もいた。


「エリオット様、なんで剣を振ってるだけで、あんなに様になるんだよ……」

「汗かいてても、なんであんなに爽やかなのか、意味わかんねぇ……」


息を詰めるように言葉を零した少年たちは、剣の動きを追いながらも、別の何かに意識を囚われていた。


エリオットの指先が、汗を拭うためにゆるく額をなぞる。

濡れた髪を乱雑にかきあげる仕草すら、妙に目を引く。光を受けてきらめく汗の粒が、首筋から流れ落ちるのを目にした瞬間、何とも言えない息苦しさを覚えた。


「……」


誰かが言葉を発しようとし、しかし飲み込む。


「……なんでこんなに目を引くんだ……」


低く漏れたその声に、隣の少年がぎくりと肩を揺らした。


エリオットの姿は、稽古の最中にありながらも、どこか隙があり、それがかえって目を惹きつける。

剣を振るう姿勢はしなやかでありながら強く、優雅なまでに鍛え上げられた動きに、つい視線を奪われる。


「……っ!」


喉が渇くような感覚に、無意識に唾を飲み込む音が響いた。


「エリオット様って……ずるいよな」


誰かがぽつりと呟く。


「……ああ」


それが何を指しているのか、誰も説明はしなかった。



一方で、エリオットの友人たちは、いつもと変わらぬ調子で彼を応援していた。


「エリオットー! ちゃんと手加減してやってるか?」

「いやいや、あの笑顔が出てる時点で楽しくなっちゃってるよ、絶対!」


「ヴィンセント様、頑張れー! うちのエリオットが調子に乗るから、たまにはギャフンと言わせてやってくれ!」


エリオットはそれを聞きながらも、剣を交わす手を止めることはなく、それどころか余裕のある笑みを浮かべる。

ほんの一瞬、視線だけをそちらへ向けると、ヴィンセントの隙を見てこちらへ軽く手を振る仕草を見せた。

それだけで、場の空気がふっと和らぎ仲間内から軽く笑いが起き、周囲の令嬢たちからは黄色い悲鳴が小さく響く。


「でも、やっぱりヴィンセント様もすごいですよね。あのエリオット相手に、真剣勝負をしてるんだから」

「確かに……すごく真剣な表情だし、あの集中力は本当に尊敬する」

「二人ともなんか楽しそうでいいよな。俺も今度混ぜてもらおうかな」


和やかな空気の中にも、確かに熱は宿っていた。

彼らの言葉には、ただの軽口だけでなく、確かな敬意が込められていた。


エリオットもヴィンセントも、どちらもそれぞれに違う魅力を持っていて、それがこうして交わることで、より強く際立つ。

ただの稽古場での鍛錬。


しかし、そこにいる誰もが、目を奪われずにはいられなかった。




拳を握る観客達に、ヴィンセントは気づくことなく、静かに剣を握り直した。

楽しげな空気の中にも、確かな火が灯る。


「もう一度、お願いします」


ヴィンセントの低く真剣な声に、エリオットが口元を綻ばせる。


「敵わなくても、僕と手合わせするのが楽しいってことかな?」


「……あなたの言い方は、時々、意地が悪い」


「はは、悪い悪い。君が満足するまでいくらでもつきあうよ」


視線が絡み合い、僅かに緊張が生まれる。

次の瞬間、二人は一斉に踏み込み、再び刃が交わる音が響き渡った――。




「ふぅ……楽しかったな」


満足げに息を吐きながら、エリオットが額の汗を手の甲で拭った。

沈みかけた夕陽が、彼の濡れた肌に柔らかく光を落とし、淡い輝きを生む。


「もう日も落ちるし、この辺で終わりにしようか。君もだいぶ疲れてるんじゃない?」


エリオットが軽く笑いながら言うと、ヴィンセントは息を整えながら、ゆっくりと剣を納めた。


「いえ、まだまだやれます」


言葉には力を込めたつもりだったが、やや掠れ気味の声が、体力の消耗を誤魔化せていないことを示していた。


「そう?」


エリオットがすっと歩み寄り、至近距離で覗き込んでくる。


「でも、さっきからずいぶん肩で息をしてるよね」


「……問題ない」


ヴィンセントが視線を逸らすと、エリオットはふっと微笑んだ。

そのまま脇に置いてあったタオルを手に取り、自分の額を拭った後、もう一枚を取ると、ヴィンセントの分も持ってきて広げた。


「ほら、じっとして」


そう言うと、エリオットはタオルをヴィンセントの額に押し当てる。


「なっ……! そんなこと、自分でできます!」


驚きながらも身を引くより先に、エリオットはもう優しく汗を拭っていた。


「いいから、動かないで」


まるで当たり前のことのように、タオルの柔らかさが肌を撫でる。

こめかみから額、そして頬へと、ゆっくりと拭われていく感触に、ヴィンセントは思わずまばたきを忘れた。


「あなたは……! 本当に、そういうところが無神経なんだ」


思わず口にすると、エリオットは首を傾げる。


「ん? なんのこと?」


エリオットは本気でわかっていない様子で首を傾げる。

表情も声も、どこまでも自然で、無邪気なまでに柔らかい。


ヴィンセントは、じっと彼を見つめた。


これまで、エリオットは計算で人付き合いをしているのだと思っていた。いや、基本的にはそうなのだろう。

侯爵家の嫡男としての立場、学園の人気者としての役割。

そのどれもが、彼の社交の才によって築かれたものに違いない。


だからこそ、ルシアへの態度も、すべて計算づくだと考えていた。

彼女を惹きつけ、依存させるための巧妙な策。彼の甘やかな振る舞いは、全て狙い通りのものなのだと。


――だが、今のエリオットはどうだ。


自分が特別扱いされていることを自覚してもいないような態度で、当たり前のように手を伸ばし、甘やかしてくる。

この人は、素でこうなのか。


「本当に……質が悪い……」


思わずこぼれた呟きに、エリオットが不思議そうに目を瞬かせる。


「ヴィンセント、君、今日かなりおかしいけどどうしたのさ?」


「……別に、なんでもない」


そう言いながら、エリオットから差し出されたタオルを受け取る。

けれど、その前に彼が自分の額を優しく拭っていた感触がまだ残っているようで、握りしめた布越しに妙に意識してしまう。


「それにしても、久しぶりにこんなに長時間剣を握ったけど、やっぱり体を動かすのはいいね」


エリオットはタオルを肩に掛け、軽く腕を伸ばしながらしなやかに背を反らせた。

陽に濡れた肌が露わになり、流れるような動きにわずかに光が踊る。

鎖骨のラインが汗に濡れ、わずかに開いた襟元の奥で、喉の動きがゆっくりと上下する。


無意識の色気がある男だとは思っていたが、こうして目の前にすると、それがいかに自然なものかを思い知らされる。


「ヴィンセント、今日は誘ってくれてありがとう。また稽古しようよ」


エリオットが軽やかに言葉を投げる。

その声音は穏やかで、まるで今日の手合わせがよほど楽しかったとでも言うように、どこか弾んでいた。


ヴィンセントは彼の言葉を噛みしめるように、無意識に手のひらを握りしめる。


「……いいのか?」


先ほどの稽古だけでも、彼がどれほどの実力を持っているのかは嫌というほど分かった。

実力差は歴然としていて、エリオットが本気を出していないことも理解している。

それでもなお、こうしてまた手合わせをしたいと言われることに、ほんの僅かに胸が熱くなる。


「もちろん。君の剣、今日見てて思ったけど、まだまだ伸びるよ」


エリオットは涼しげな笑みを浮かべ、ヴィンセントの肩へとぽんっと軽く手を置いた。

その指先が無防備なほど優しく、ヴィンセントは僅かに肩を揺らす。


「……ありがとうございます」


タオルを握りしめながら、ゆっくりと口にする。

思わず視線を落とすと、エリオットがふっと微笑むのが見えた。


「ふふっ、素直な君は可愛いね」


「……からかうな」


言葉に出すものの、そこに怒気はない。


「からかってなんかいないよ。本当にそう思っただけ」


さらりとした物言いが、どうにも心に引っかかる。

無意識なのか、それとも意図的なのか――今となっては、どちらでもいいと思えてしまう自分がいた。


「大切な人を守れるように、ちゃんと常に鍛えとかないとね」


そう言いながら、エリオットは汗に濡れた襟元を軽く引っ張り、ゆるく風を入れる。

その仕草があまりに無造作で、それでいて妙に目を引く。

陽に照らされた肌に浮かぶ汗が、さりげなく光を帯び、動くたびに僅かに滲む色香を生み出している。


「エリオット……」



ヴィンセントは彼をじっと見つめる。


これまで、どこか信用しきれなかった男。

ルシア様を巡って、敵視していた相手。


だが、目の前にいるのは、今まで思っていたような計算づくの男ではなく、無意識に人を甘やかし、そして大切にしようとする者の姿だった。


ようやく、確信が持てた。


「そうだ、ヴィンセント」


ふと、エリオットが思いついたように声をかけてくる。


「……なんだ?」


「今日せっかくだし、夕食を街で食べない?」


「……街、ですか?」


唐突な提案に、ヴィンセントは少し戸惑いながら問い返す。


「そう。君、詳しいんだろ? 稽古のお礼に、いい店教えてよ」


エリオットは軽やかに微笑みながら、タオルを肩に掛け直し、汗をぬぐう仕草をしながら、当然のようにヴィンセントを誘う。


その言葉を聞いて、ヴィンセントは思わずエリオットを見つめた。


「……構いませんよ」


短く返すと、エリオットは嬉しそうに微笑み、軽くヴィンセントの背を叩いた。


「よし、決まり。じゃあ、さっさと片付けて行こうか」


軽快な声とともに、エリオットは先に歩き出す。

ヴィンセントも、ゆっくりと彼の隣に並ぶ。


――今日の夜は、少しだけ長くなりそうだ。


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