愛を刻む
アシュフォード侯爵邸の門が静かに開かれる。
揺れる馬車が止まると、エリオットはためらうことなく足を踏み出し、真っ直ぐに屋敷へと向かった。
ルシアの手を取り、強く握ったまま歩みを進める。
普段なら、彼女を応接間へと通すのが常だった。だが、今日は違う。
彼の歩調は一定で、外見上は冷静そのものだったが、手を握る指先には微かな震えがあった。
屋敷の使用人たちは何も言わない。
まるで"これが当然のこと"であるかのように、誰ひとり彼を止めようとはしなかった。
ルシアもまた、沈黙を守ったまま、静かに彼の後をついていく。
やがて、自室の前に立つと、エリオットは迷いなく扉を押し開く。
足を踏み入れると、外の世界と切り離されたような静けさが広がる。
扉が閉まると、部屋に静寂が落ちた。
エリオットは躊躇なく鍵をかける。
ルシアがかすかに目を見開いた。
鍵がかかる音が響いた刹那、彼女のまつげがわずかに揺れる。
けれど、何も言わない。
婚約者とはいえ、自室へ招き入れたことはなかった。
ましてや鍵をかけ、完全に二人きりになるなど、婚姻前には許されるはずもない。
それでも——今だけは、どうしても。
ルシアをこの空間に閉じ込めてしまいたかった。
振り返ると同時に、エリオットは彼女を強く抱きしめた。
「……ルシア」
掠れるような声が、震えていた。
「……エリオット様?」
ルシアの細い腕が、戸惑いながらも彼の背にそっと触れる。
エリオットは、彼女のぬくもりを胸に感じながら、さらに強く抱きしめた。
「……無事で、本当に良かった……」
あの瞬間を思い出すだけで、心臓が痛む。
植木鉢が落ちてくるのを見た時、彼の身体は本能的に動こうとした。
——なのに。
彼が駆けつけるよりも先に、ヴィンセントがルシアを抱きしめ、彼女を守った。
ルシアは、彼の腕の中で震えていた。
恐怖に肩を震わせ、ヴィンセントのブレザーを握りしめるようにして。
その姿を見た瞬間、胸の奥に広がったのは嫉妬だけではなかった。
恐怖だった。
もし、ヴィンセントがいなかったら?
もし、ルシアが本当に怪我をしていたら?
もし、もし——あの時、ヴィンセントの声が届いていたら?
そう考えただけで、息が詰まる。
「でも、この先、また僕以外の誰かが、君を護り抱きしめたら……」
エリオットは、ルシアの肩に顔を埋めるようにして、囁いた。
「……そんなことを考えたら、もう駄目なんだ」
彼の声は、ひどく切なく、苦しげだった。
「僕は……どうすればいい?」
どうすれば、君を護れる?
どうすれば、君の隣が僕だけのものになる?
彼の囁きが耳元に落ちるたび、ルシアの肌がかすかに震える。
熱を孕んだ吐息が、頬を掠める。
「……エリオット様」
ルシアの指が、そっと彼の背を撫でる。
まるで、不安に揺れる彼を宥めるように——優しく、穏やかに。
「……私は、ここにおりますわ」
囁くように零れたその言葉が、彼の胸を満たす。
それだけでは足りない。
もっと、もっと欲しい。
彼の手がゆっくりと動く。
細い腰を包み込むように引き寄せ、指先がそっと背をなぞる。
ルシアの吐息が微かに乱れるのを感じると、エリオットの奥底に潜む激情がさらに膨れ上がる。
「……僕は……君がいないと、もう駄目なんだ」
声が震える。
ひどく情けないことを言っているのは分かっていた。
いつもは誰にでも朗らかで、社交的で、貴族として理想的な侯爵家の嫡男として振る舞っていた。
ルシアの前で決して余裕のない姿を見せないようにずっと気を配っていた。
それなのに、一度崩れかけたら、こんなにも脆い。
けれど、もうそれでも構わなかった。
彼女が、僕を受け止めてくれるのなら。
「……エリオット様」
ルシアがそっと彼の頬に触れる。
指先がゆっくりと動き、彼の肌にかすかな熱を残す。
「そんなに思ってくださっていたのですね」
想いを受け入れる柔らかな囁きが、彼の中にあった最後の理性を完全に砕いた。
エリオットは、抱きしめる腕にさらに力を込める。
「ねえ、ルシア」
声が低く、掠れている。
「僕は……ずっと耐えてきたんだ」
エリオットは抱きしめた腕の力をわずかに緩め、けれど決して手放さずに、ルシアの肩へそっと額を預けた。
彼女の温もりを確かめるように、深く息を吐く。
押し殺して、抑え込んで、"普通"の婚約者でいようと努力してきた。
ルシアの自由を尊重し、彼女の意志を第一に考え、何よりも彼女が心地よく過ごせるように——。
でも、それが間違いだった。
「エリオット様……」
ルシアのまつげがわずかに震える。
囁くような声が漏れたのは、驚きか、それとも——
「僕が君をどれだけ愛してるか、どれだけ君を求めてるか……もしかして君は、ずっと僕を試していたんじゃないの?」
ルシアは、何も言わない。
その沈黙が、彼をさらに追い詰める。
「君は……僕に、嫉妬させたかった? 僕を怒らせたかった?」
エリオットは抱きしめたまま、肩に預けていた額をそっと離し、代わりに手を伸ばしてルシアの頬に触れた。
温もりを確かめるように、指先で優しく包み込む。
「君が僕以外の誰かと笑ってるのを見るたびに、胸が痛んだ。
君が僕以外の誰かを頼るたびに、息が詰まった」
「……エリオット様」
「でもね、ルシア……」
頬を包んでいた手が滑るように下り、彼はルシアの片手をそっと握る。
指先に、力が込められた。
「僕は、もう耐えられない」
僕は、君に微笑みかけるだけの存在じゃない。
僕は、君が"いてくれるだけで満足する"ような男じゃない。
「僕だけを見て」
ルシアは静かに瞬きをし、彼の瞳を見つめる。
「……最近は、あなたばかりを見てしまいますわ」
「僕だけを愛して」
ルシアの唇が、かすかに弧を描く。
「……私は、あなたの婚約者ですもの」
彼女の答えを聞いた瞬間、エリオットの喉が詰まる。
そして、迷いなくもう片方の手を取り、両手をしっかりと握りしめた。
その手を逃がさぬように、強く、けれど決して傷つけないように。
「……これからは僕のそばを、絶対に離れないで」
ルシアは、静かに微笑んだ。
その笑顔が、彼の最後の理性を崩壊させる。
「……どこにも行きませんわ」
その言葉が、ゆっくりと部屋に溶けていく。
エリオットの呼吸が、わずかに乱れた。
張り詰めていた何かが、一気に切れる音がした。
「……ルシア、僕は……もう君なしでは生きていけなくなってしまったんだ」
囁く声は震え、ひどく純粋な執着が滲んでいる。
彼は、彼女を絶対に手放さない。
もう誰にも、決して渡さない——
それなのに、彼女はまだこんなにも穏やかで、儚げな微笑みを浮かべている。
まるで、彼の苦しみも葛藤も、すべて包み込むように。
エリオットの喉が詰まり、視界がわずかに滲む。
彼女の自由を尊重しようと、ずっと努力してきた。
愛しているからこそ、彼女の意志を何よりも大切にしようとした。
けれど、それは間違いだった。
「……もう、君を自由にはさせてあげられない」
震える声でそう囁き、エリオットは彼女の手をそっと握りしめた。
まるで、すがるように。
「ごめんね、ルシア」
言葉を紡ぐたびに、胸の奥が痛んだ。
申し訳なさと、愛おしさと、執着と——
そのすべてに囚われた声が、熱を孕んで溶けていく。
ルシアの瞳が、そっと揺れる。
それでも彼を拒むことなく、ただ静かに微笑んだ。
その笑顔が、彼の最後の理性を砕く引き金になった。
「……ルシア、ルシア……」
エリオットは、再びルシアを抱きしめる。
腕の中に閉じ込めるように、強く、強く。
何度も何度も、彼女の名を呼ぶ。
まるで、それを確かめるように。
まるで、それを支配するように。
けれど、その支配は、決して無理強いではなかった。
なぜなら——
ルシアもまた、それを受け入れるから。
静かに、優しく、微笑みながら——
エリオットの腕の中で、ルシアは静かに息を整えていた。
彼の手はしっかりと彼女を抱きしめ、その腕には決して逃がさないという意志が宿っている。
彼の心臓の鼓動が伝わるほどの距離。
彼の体温が、震えるように熱を帯びていた。
「ルシア……」
小さく彼女の名を呼ぶ。
その声は掠れていて、まるで確かめるように、まるで祈るように——
「ねえ、君も……同じ気持ちでいてくれるんだよね?」
彼女が静かに頷く。
その返答を聞いた瞬間、エリオットの指がかすかに強張る。
「本当に? 本当に、僕だけを見てくれる?」
「……あなたが、そう望んでくださるのなら」
柔らかに響く声が、彼の奥深くに突き刺さる。
「僕は、受け入れてもらうだけじゃ足りないんだ……君のすべてが欲しい。君の心も、身体も、全部……僕だけのものにしたい」
指先が熱を帯び、無意識のうちに彼女の肌へと触れていく。
目が合う。
その瞬間、喉が震え、呼吸が浅くなった。
ルシアの手がそっと彼の髪に触れる。
安堵のような、優しく受け入れる仕草。
「……あなたに、私のすべてを差し上げますわ」
囁かれた瞬間、エリオットの胸の奥が焼けるように熱くなった。
「……本当に? 絶対に僕を捨てない?」
「捨てません」
「僕だけを求めてくれる?」
「……エリオット様だけを」
彼の唇がわずかに開く。
喉の奥で、熱い衝動が煮えたぎる。
——もう限界だ。
彼は、彼女の頬を両手で包み込むように触れ、じっと瞳を覗き込んだ。
「今日、君がヴィンセントの腕の中にいた時、僕は……息ができなくなるかと思ったんだ」
エリオットの指が、無意識のうちにルシアの輪郭をなぞるように動く。
「君が彼の胸に顔を押し付けて、彼のブレザーを握りしめていたのが、頭から離れない」
喉を震わせながら、搾り出すように続ける。
「……あの時、僕のそばにいない君を見て、体が熱くなった。苦しくて、痛くて、堪らなくなった」
「……エリオット様」
「本当は、僕が君を抱きしめて、僕が君を守りたかった」
低く囁くような声に、滲む焦燥。
「でも、僕は君のそばにいなかった」
「エリオット様は、すぐに来てくださいましたわ」
彼は微かに苦笑する。
「違うんだ、ルシア」
じっと見つめながら、悔しさを滲ませるように口を開いた。
「僕が君のそばに"いなかった"ことが問題なんだ」
苦しげに瞳を伏せる。
「僕が、話の邪魔をしない、なんて余裕ぶったせいで……君の隣を譲ってしまった…。そのせいで君が、僕ではなくヴィンセントに抱きしめられていたことが許せないんだ……」
彼の声は次第に小さくなり、最後の言葉はかすれて消えた。
「ヴィンセントがいなかったら……君は怪我をしていたかもしれない。彼がいたおかげで君は助かった。……でも、僕じゃなかった」
喉の奥が焼けるように熱い。
指先が、かすかに震える。
「もし、君が彼の方が安心すると言ったら……もし、君が僕を選ばなかったら……」
彼は、彼女の手を取る。
温かくて、しなやかで、それでいて——指先の動きすら美しい。
「……そんなこと、考えたくもないのに」
彼は彼女の指に唇を落とす。
「君が僕を必要としてくれなきゃ、もう耐えられない」
彼の囁きは、切実だった。
「僕は、君のすべてになりたいんだ、ルシア」
彼女が息を吸うのを感じる。
ほんのわずかに、まつげが震えた気がした。
彼の腕が、そっと彼女の腰へと回る。
距離が近づく。
肌と肌の温もりが、じかに伝わる。
もう、止まらない。
「エリオット様……」
「君の人生も、君の心も、全部、僕が埋め尽くしたい。君を、僕以外の誰にも触れさせたくない。君のすべてを、僕だけのものにしたい」
囁くたび、腕の中のルシアが愛しくて、たまらなくなる。
彼女の体温も、微かな香りも、そのすべてがエリオットを狂わせていく。
エリオットは、喉が焼けるような熱を覚えながら、彼女を求める言葉を紡いだ。
「僕なしでは、生きられないと言って」
囁いた瞬間、ルシアが小さく息を吸うのがわかった。
何かを決意したような、微かな緊張が伝わる。
次の瞬間——
彼女の指が、そっとエリオットの首に触れた。
驚きに息を呑む間もなく、しなやかな腕が彼の首へと回される。
無理にではなく、けれど、確かに導くように——ゆっくりと引き寄せられる感覚。
「……っ」
思わず喉が震える。
至近距離で見つめた彼女の頬が、ふわりと朱に染まっていた。
伏せがちなまつげの奥で、揺れる瞳。
そして、背伸びするようにそっと顔を寄せ——
熱を帯びた唇が、彼の唇に触れた。
——優しい。
——柔らかい。
一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
視界が真っ白になるほどの衝撃。
抱きしめていたはずの手が、わずかに力を失いかける。
心臓が、胸の奥で激しく跳ねる。
ただ触れ合うだけの唇。
それなのに、すべてを奪われるような感覚。
ルシアの腕が、彼の首にそっと添えられたまま、微かに震える。
けれど——
離れる気配はない。
むしろ、求めるように、確かに寄り添っていた。
そして、触れるだけだった唇が、ほんのわずかに動いた。
意識するより先に、呼吸が浅くなる。
熱が一気に沸騰するような感覚に、くらりと目眩がした。
次の瞬間、ルシアが静かに唇を離した。
「……私の気持ち、伝わりましたか?」
掠れた声で囁かれる。
その声が、胸の奥を激しく打った。
エリオットは、ただ彼女を見つめることしかできなかった。
何かを言おうとするのに、言葉が出てこない。
頬が熱い。
指先が、かすかに震える。
——どうしようもなく、愛しい。
彼女は、ただ応えてくれたわけじゃない。
彼の願いを聞き入れたからではない。
——彼女は、彼女自身の意志で。
彼女自身の気持ちで、このキスをくれた。
「エリオット様、これまで不安にさせてしまって……ごめんなさい」
そっと頬に触れられる。
指先がゆっくりと撫でるように動くたびに、エリオットの喉が詰まりそうになる。
「あの日の答えを、言わせてください」
静かな声が、深く染み込んでいく。
「エリオット様は、私の一番特別な方、ですわ」
その瞬間——息が詰まった。
胸の奥が焼けるように熱くて、疼いて、たまらない。
目が熱くなり、視界が滲む。
「ふふ、ですから……エリオット様も、もう私を一人にしないでくださいませね?」
——その瞬間、何かが切れた。
「……っ」
熱が、一気に身体中を駆け巡る。
——ルシアも、僕を愛してくれている。
今、確かに、伝わった。
彼女の穏やかな瞳の奥に、確かに惚けたような愛おしさがあった。
この瞬間まで、ずっとどこかにあった不安が、すべて消え去るほどの確信。
彼女は、僕を愛している。
望まれたからではなく、応えたからでもなく——
彼女が、心から、僕を求めてくれた。
「……ルシア……っ……!」
昂る気持ちを抑えられず、再び彼女を抱きしめる。
「……ありがとう……」
掠れた声で囁きながら、額に唇を落とす。
「……君は、本当に僕を愛してくれていたんだね……」
愛おしくて、嬉しくて、幸せで、泣き出してしまいそうになる。
「……僕は、君を生涯、絶対に離さない」
エリオットは震える声でそう囁き、ルシアの頬にそっと口づけた。
——彼女は、もう僕のすべてだ。
僕の世界。僕の生きる理由。
彼女の唇も、指先も、心も——
すべてが、僕のもの。
もう、何も迷わない。
彼女が、僕を愛していると、確かに知ったのだから。
そう思った瞬間、張り詰めていた感情が、一気に溶け出した。
「……ルシア……」
彼女を抱きしめたまま、熱がこみ上げ、どうしようもなく涙が滲む。
——嬉しい。
——愛おしい。
——この幸せが、夢でないことが、たまらなく愛しい。
彼女を失うことを恐れていた。
彼女の心が、遠いものだったらと、ずっと不安だった。
でも——違った。
彼女は僕を愛している。
こんなにも、僕を求めてくれている。
「……っ……」
堪えきれず、涙が零れる。
「……ふふっ」
ルシアが、くすくすと微笑んだ。
「エリオット様でも、泣いてしまう事があるのですね」
柔らかな指が、そっと彼の頬に触れる。
彼の涙を、優しく拭いながら。
エリオットは、涙を拭ってくれている彼女の手を、包み込むように握る。
「ルシアのことになると、感情が抑えきれないんだ。……僕が泣いてしまうのなんて、ルシアのことだけだよ」
その言葉に、ルシアがそっと微笑む。
「まぁ……それは光栄ですわ」
目を細める彼女の微笑みが、あまりにも愛しくて、堪らなくなった。
「ルシア……」
彼女の額に、そっと口づけを落とす。
それだけでは足りなくて、頬に、こめかみに、瞼に——
何度も、何度も、愛しさを刻むように。
「愛してる……」
繰り返すたび、熱が募る。
彼女の存在が、彼のすべてを満たしていく。
「エリオット様……」
ふと、ルシアが、彼をそっと見上げた。
「こちらには……してくれませんの?」
囁くような声音。
恥じらいながらも、どこか誘うような瞳。
その意味を理解した瞬間——
「……っ……」
喉が、焼けるように熱を持つ。
身体中に、一気に血が巡るような感覚。
——こんなにも、かわいくて、
——こんなにも、愛おしいのに、
「ルシア……そんなことを言ったら……」
かすれた声で囁く。
「……これでも、必死に耐えてるんだよ?」
彼女の唇を見つめながら、喉を鳴らす。
頬に触れていた手が、そっとルシアの顎へと滑る。
「エリオット様……」
彼を見上げるルシアの瞳が、静かに揺れる。
「私……あなたのお気持ち、全部いただきたいのですわ」
その瞬間——
何かが、弾けた。
「……っ」
熱が、耐えられないほどに膨れ上がる。
「……耐えないで……求めてください」
そっと触れる彼女の指先が、誘うように、甘く震える。
そのたった一言が、エリオットの理性を完全に溶かした。
「……ルシア……っ……!」
もう、止まれない。
この愛を、彼女のすべてに刻み込むまで——
堪えきれず、ルシアの肩を引き寄せ、今度はエリオットから唇を深く塞いだ。
「……んっ……」
柔い唇が、かすかな吐息を零す。
けれど、拒まれはしない。
恥じらいに頬を染めた彼女が、そっと身を委ねる。
——かわいい、愛おしい、どうしようもない……
もう駄目だ。
理性の欠片すら、跡形もなく溶けていく。
「ルシア……っ……もう、どうにかなりそうだ」
唇を離した瞬間、彼女が潤んだ瞳で見上げてくる。
「……エリオット、さま……」
掠れた声で名前を呼ばれるだけで、ぞくりと背筋に熱が走る。
こんな声を、僕だけに聞かせてくれるなんて。
「……僕は……君が、欲しくてたまらない……」
言葉にするたび、余計に抑えが効かなくなる。
「……君のすべてに、僕を刻みつけたい……君の全部を、僕だけのものにしたい……」
震える指先が彼女の頬をなぞる。
肌の熱を確かめるように、そっと撫でるたび、ルシアの唇がかすかに震えた。
「……エリオット様……」
恥ずかしさと嬉しさが滲んだ声音。
その響きが、余計に僕を駄目にする。
もう、止まれない。
「……ごめん、ルシア……もう、耐えられない」
衝動のままに彼女を抱き抱え、ベッドへ連れて行く。
そしてベッドの上へと押し倒し、逃がさぬようにその細い体を腕の中に閉じ込めた。
「……っ……!」
ルシアが、小さく息を呑む。
けれど、僕を拒まない。
震えながらも、そっと伸ばされた手が、僕の胸に触れる。
「……いいの?拒むなら今だよ。今を逃したら、もう、止めてあげられないよ?」
喉が詰まりそうになる。
恥じらいに震えながらも、僕を拒まない彼女が愛おしくて、どうにかなりそうだ。
「……エリオット様に……私のすべてを、捧げますわ……」
「っ……!」
「いただいてくれますか……?」
理性が、完全に消え去った。
彼女の細い指が、そっと僕の頬に触れる。
その仕草が、決定的な引き金になる。
——君は、もう僕のものだ。
「……ありがとう……ルシア、君の全部を僕にちょうだい……」
口を重ねるたび、小さく震える吐息が唇の合間から漏れる。
その微かな声が、さらに欲を煽る。
彼女を壊してしまいそうなほど愛したくて、たまらない。
「……ルシア……っ……」
荒くなった呼吸の間から、彼女の名を掠れた声で呼ぶ。
「君が好きで、好きで……どうしようもないんだ……」
彼女の背にそっと回した手が、微かに震える。
彼女を失うことは、もう耐えられない。
この腕の中で、この熱を分かち合う存在であり続けてほしい。
「……もう、僕から逃げられないよ……」
囁きながら、さらに彼女を抱き寄せる。
「……ええ、ずっと囚えていてください」
彼女の答えが、甘く、静寂に溶ける。
窓の外では、陽の光が静かに揺れていた。
午後の日差しが、カーテン越しに柔らかく差し込み、部屋の中に淡い光と影を作る。
その静けさの中に、二人の熱だけが満ちていた。
外では、学院の鐘が遠くに響く。
けれど、ここではそれすらも遠い世界のことのようだった。
扉には、鍵がかかっている。
誰も、ここへは踏み込めない。
この部屋の中では、彼女は完全に僕のものだ。
彼女の肌の温もりを感じながら、エリオットはそっと囁く。
「……ずっと、そばにいて」
その声は、甘く掠れていた。
ルシアは静かに頷く。
彼の腕の中で、微かに身体を寄せながら——
「……最初から、ずっとそのつもりでしたわ」
彼女は静かに頷いた。
そして、ゆっくりと唇を寄せる。
そっと触れるだけの口づけが、じんわりと熱を深く染み込ませる。
それだけで、世界が震えるほどの幸福に包まれる。
——ああ、もう、何もいらない。
窓の外の陽光が、柔らかく揺れる。
この部屋の中には、二人だけの時間が流れていた。
彼の腕の中には、たった一人、彼が生涯をかけて求める存在がいる。
この腕の中に、彼女さえいてくれれば——
二人の時間は、静かに、けれど甘く、深く溶けていった。
エリオットは、名残惜しさを感じながらも静かにベッドを抜け出した。
シーツの上に広がる、美しく柔らかな髪。
ルシアの穏やかな寝息が、微かに揺れるカーテンの音と溶け合い、心地よく部屋に響いている。
彼女の肩にかかった髪を指で梳くと、わずかに頬を寄せるように動いた。
——なんて無防備で、愛らしいんだろう。
「……少しだけ、待っていて」
囁くように呟き、額にそっと唇を落とす。
彼女が起きないよう慎重にベッドを抜け出し、静かに扉を開けると、廊下に家令が控えていた。
エリオットは彼に目を向け、落ち着いた声で言う。
「しばらく、この部屋の周囲には誰も近づけないようにしてくれる?」
「かしこまりました」
家令は即座に頷く。
「それと……ルシアの実家へも正式に報せを。事前に話は通してあるけど、改めて礼を伝えておいて」
「公爵家へは、お手紙とともにお礼のお品物をお送りいたしましょうか?」
「そうだね、後日直接伺うけど、まずは取り急ぎ」
家令は静かに了承し、続ける。
「本日はお泊まりで?」
「うん。学院にも明日は休むと伝えておいて」
「承りました。夕食はお部屋にお持ちいたしますか?」
エリオットは頷いた。
「頼むよ。ルシアが目覚めたらすぐに食べられるよう、消化のいいものを。浴室の準備もお願い」
「かしこまりました」
ひと通りの指示を終えたところで、家令はふと目を細める。
「エリオット様……」
「ん?」
「おめでとうございます」
エリオットは一瞬、驚いたように瞬きをした。
——まるで、自分のことのように。
そう思わせるほど、家令の声音には温かみがあった。
彼は、次期主君としてのエリオットを幼いころから見守ってきた。
そして、彼の内に秘めた独占欲に気づいていた数少ない人物の一人でもある。
ルシアへの執着も、どれほど彼が彼女を手に入れることを願っていたかも——すべて知り、そして理解を示していた。
だからこそ、今この瞬間、主君の悲願が叶ったことを心から祝福しているのだろう。
「……ふふ、ありがとう」
エリオットは微笑み、短く礼を言った。
家令は静かに一礼し、その場を離れていく。
エリオットは小さく息を吐き、再び寝室へと戻った。
静かな部屋の中に、ルシアの穏やかな寝息がまだ響いていた。
エリオットは、そっと歩み寄り、ベッドの端に腰を下ろす。
寝顔を見つめた瞬間——胸が、じんわりと熱くなった。
——やっと、手に入れた。
もう、何も迷うことはない。
今、このベッドの上で眠る彼女は、すべて僕のものだ。
彼女の身も、心も、完全に僕が支配した。
貴族としても、これで既成事実ができた。
誰も、もう彼女を僕から引き離すことはできない。
彼女の肩にかかった髪を指で梳くと、わずかに頬を寄せるように動いた。
——なんて無防備で、愛らしいんだろう。
「……かわいい……」
思わず口をついて出た言葉に、自分でも笑ってしまう。
こんなにも可愛くて、儚くて、愛おしい存在が——今、僕だけのものになった。
「……ん……」
ルシアが微かに寝返りを打つ。
シーツの中で、彼女の手が何かを探すかのように動いた。
そして——彼の服の裾を見つけると、迷うことなく、招き入れるように引き寄せる。
エリオットは一瞬、驚いたように瞬きをした。
「……ルシア……?」
無意識なのか、それとも夢の中でも求めてくれているのか——
彼女の小さな手が、彼を誘うように握る。
「……ふふ……寝てても、僕を求めてくれるんだね……」
胸が温かくなり、思わず顔が緩む。
彼女の望むままに、そっとベッドへ入り込む。
すると、ルシアは自然と彼の方へと身を寄せてくる。
抱きしめると、柔らかく温かな感触が腕の中に広がった。
「……本当に、かわいい……」
髪をそっと撫でながら、彼女の寝息を感じる。
——無理をさせてしまったから、今は深く眠っている。
僕の想像をはるかに超えるくらい、美しく、可愛かった。
最後まで僕を受け入れてくれて、恥じらいながら、震えながら、それでも僕だけを求めてくれた。
そしてそのまま、力尽きるように眠ってしまった。
そのせいか——彼女の香りが、いつもより濃く感じられる。
彼女の肌に残る温もりも、指先に感じる柔らかさも、すべてが僕のものになった。
「……本当に、僕のものなんだ……」
ルシアを抱きしめながら、目を閉じ、しみじみと実感する。
たまらなく愛おしくなり、眠る彼女の唇に、そっとキスを落とした。
彼女はもう、僕の腕の中から逃げられない。
僕以外の誰にも、触れさせない。
彼女のすべては——僕だけのものだ。
「……ずっと、愛してるよ、ルシア……」
囁くように呟いて、髪を梳く指を滑らせる。
どれだけ触れても足りない。
彼女の存在そのものが、僕を狂わせる。
もう、完全に手に入れたのに。
それでも、もっと欲しくなる。
「……一生、僕だけを見ていてね……」
静寂の中、彼の甘い囁きが溶けていく。
この幸福が、永遠に続けばいい。
この腕の中に、彼女がいる限り——僕は、満たされる。
ルシアの寝息が、心地よさそうに穏やかに響く。
その音すらも、僕だけのものにしたい。
外はまだ、昼の光が降り注いでいる。
けれど、この部屋の中は、僕たちだけの世界。
もう、彼女は僕のものだ。
それを何度でも確かめたくなる。
何度でも、刻みつけたくなる。
「……今夜、もう一度求めたら、さすがにルシアも怒るかな……」
ふと、そんなことを考える。
拗ねるか、呆れるか、それとも——
いつもの優しい微笑みで、受け入れてくれるだろうか。
どんな反応が返ってきても、可愛いに決まっている。
もう、彼女に嫌われるかもしれないなんて思わない。
ルシアは、疑いようのない愛を僕にくれた。
僕を選び、僕だけを求めてくれた。
それが、何よりの証。
だからもう、何も迷うことはない。
——この先、何があろうとも。
彼女がそばにいる限り、僕はもう、何も怖くなかった。
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