学院に落ちた影
王立貴族学院の昼下がり、中庭には柔らかな陽射しが降り注ぎ、心地よい風が花々の香りを運んでいた。
石畳の道を歩くルシアとヴィンセントは、先ほどの抗議について穏やかに話していた。
そしてその少し後ろを、エリオットが静かに歩く。
真面目な話であれば邪魔はしない、それくらいの分別はついてるつもりだ。
だからこそ、今は邪魔をしないために、後ろから二人を見守っていた。
けれど——
エリオットは、二人の様子を眺めながら、ふと自分の胸の奥に渦巻く感情に気づいていた。
嫉妬、独占欲、抑えきれない焦燥。
彼女が誰といてもいい、などという気持ちはとうに崩れ去っていた。
ましてや、その相手がヴィンセントであればなおさら。
けれど、ルシアが微笑むその横顔があまりにも穏やかで、エリオットはただ口元に微笑を浮かべたまま、言葉を飲み込むしかなかった。
そんな時——
「——危ない!」
突如、上階のバルコニーから、大きな植木鉢がバランスを崩し、落下した。
「ルシア!」
エリオットの声が響く。
だが、彼が駆け寄るよりも先に——
隣にいたヴィンセントが、素早くルシアの細い肩を引き寄せた。
「っ……!」
とっさに彼は彼女を抱え込むように身をひねり、そのまま背後の柱に背中を打ちつける。
鋭い衝撃が全身を襲う。
痛い。ひどく痛い。
背中に走った衝撃がじわじわと広がり、肘に走った痛みも鈍く響く。
それでも——。
腕の中で震えるルシアのほうが、よほど心配だった。
ルシアの指が、ぎゅっと彼のブレザーを掴んでいる。
「ルシア様……お怪我はありませんか?」
震えたまま顔を伏せる彼女に、ヴィンセントはそっと声をかける。
しかし、返事はない。
ただ、彼の胸元を強く握りしめたまま、怯えたように小さな動作で身を寄せるだけ。
「ルシア様……」
再び名前を呼ぶ。
だが——ルシアは彼の言葉に反応しない。
代わりに、彼のブレザーを握る指がわずかに震え、そのまま固まるように動かなくなった。
「っ……ヴィンセント! ルシアは!?」
駆け寄ったエリオットが、急ぎ問いかける。
「……怪我はないと思います、ただ——」
ヴィンセントが言いかけたその瞬間、周囲の生徒たちがどよめきながら集まってくる。
「誰か、先生を呼んで!」
「植木鉢が落ちてきたって本当か!?」
「エリオット様! 大丈夫ですか!?」
「っ……!」
エリオットは拳を握りしめた。
今は説明をしている場合じゃない——ルシアのそばにいるべきなのに。
だが、周囲の視線が集まり始めるのを感じ、背筋が冷たくなる。
このままでは、怯えたルシアが人目にさらされてしまう。
「……っ、くそ……」
何が起きたのかを説明しないと、混乱はさらに広がるだろう。
ヴィンセントの言葉が気になる。
けれど、幸いルシアに外傷はなさそうだ。
エリオットは焦燥感を押し殺し、唇を噛んだ。
「ごめん、すぐ戻る。ヴィンセント——」
そう言って彼を見た瞬間、思わず息を呑んだ。
ヴィンセントの背中は柱に打ちつけられたはずだ。
痛みをこらえているのが、その僅かにこわばった表情から伝わる。
それでも、彼はただ黙ってルシアを支え続けている。
「っ!……君も大丈夫か?」
ヴィンセントは一瞬、驚いたように目を瞬かせた。
「……私も、大したことはありません」
やはり、そう言う。
エリオットは、彼のそんな姿にわずかに口元を引き結び、真剣な眼差しで告げた。
「本当にありがとう。……すぐ戻るけど、その間、ルシアを頼む」
そう言い残し、呼ばれている声のほうへ駆け出した。
胸がざわつく。
説明なんかしている場合じゃない。
早く、早く戻らなければ——。
ルシアが、あんなに怯えたまま、ただ震えている。
エリオットは、向かう足を速めた。
歯がゆい思いを抱えながらも、エリオットは騒めく生徒たちへと向き直る。
その間も、ルシアはずっと震えていた。
ヴィンセントの声は届かず、ただ息苦しげに震え、必死に何かを求めるように、彷徨うような動作を繰り返している。
——いや、違う。
ヴィンセントは理解してしまった。
「……エリオット様」
名を呼ぶその声が、自分のものではないことを。
僅かに顔を上げたルシアの瞳は、ヴィンセントではなく、後ろにいるエリオットを探していた。
ヴィンセントが、ルシアを庇ったというのに。
ルシアの目には、自分の姿は映っていない。
彼がどれだけ強く抱きしめていても。
彼女の震えは止まらない。
彼女の耳に、彼の声は届かない。
ヴィンセントの腕の中にいるのに——彼女の意識は、エリオットのほうに向いている。
まるで、求めるものがそこにあるかのように。
「ルシア!」
その時、エリオットが戻ってきた。
「ルシア、大丈夫?」
ヴィンセントの腕の中で強張ったままの彼女を見て、エリオットの表情が曇る。
そのまま、ルシアの背中へそっと手を添えた。
「もう大丈夫だよ、僕がいる」
低く、落ち着いた声。
その瞬間、それまでこわばっていたルシアの身体が、ふっと力を抜いたように揺れる。
まだ震えは止まらない。
けれど、先ほどまでの張り詰めた緊張が、僅かに和らいだように見えた。
「……エリオット様……」
微かに、彼を求めるような声で。
それでも、彼女の指はまだヴィンセントのブレザーを強く握ったままだった。
エリオットは一瞬、その手に視線を落とす。
無意識に力が入っているのか、指先が白くなってしまっている。
安心させるように、ブレザーを握りしめているルシアの小さな手をそっと包み込んだ。
「……手、痛くなっちゃうよ」
落ち着けるように囁いたその声に、無意識に握りしめていた指が、少しずつ緩んでいく。
まるで、手の動かし方を思い出したかのように——ゆっくりと、ヴィンセントのブレザーを離した。
エリオットは、そっと微笑む。
「もう大丈夫。安心していいんだ」
その言葉とともに、ルシアの表情が少しずつ安堵に変わっていく。
「どこか痛むところはない? 怪我は……」
エリオットの問いかけに、ルシアは震えながらも微かに顔を上げる。
「……私は……」
かすれた声で言葉を紡ごうとするが、すぐに息が詰まるように喉が震えた。
それを見て、エリオットはそっと微笑む。
「無理に話さなくていいよ。ゆっくりで大丈夫だから」
安心させるように、静かに告げると、ルシアの瞳がかすかに揺れる。
エリオットは、彼女の怯えが落ち着くまで、背を撫でながら静かに寄り添う。
「怖かったよね……」
彼の声は、驚くほど優しく穏やかだった。
「ヴィンセント……ありがとう」
ルシアが少し落ち着いたのを確認すると、エリオットはヴィンセントを見上げ、真剣な表情で礼を言った。
「君がいてくれて助かった。本当に、ありがとう」
その声は、本心からのものだった。
「いえ……私は当然のことをしたまでです」
ヴィンセントは、静かに視線を落とす。
彼の腕の中にいたはずの彼女が、まるでそこから意識だけが抜け出すように、ゆっくりとエリオットへと向かっていくのが分かった。
——ああ、そうか。
ヴィンセントは、何も言わずに腕を解いた。
もう、彼の腕の中に彼女を閉じ込めておく理由はない。
彼の手から、ルシアの温もりがそっと消える。
その温もりを、エリオットが引き取るように受け止める。
「……ヴィンセント、君、背中は大丈夫?」
その瞬間、エリオットの表情が心配気に、僅かに険しくなった。
ヴィンセントの背中は強く打ちつけられ、痛みが残っているはずなのに、彼は何も言わない。
「ルシアを庇った時に強くぶつけていただろう?無事なわけないよな……」
「……大したことはありません」
だが、エリオットの視線は鋭い。
「一度医者に見せたほうがいい。立てるか?」
ルシアの肩を抱いているのとは反対の手を差し出す。
ヴィンセントは、少し躊躇しながらも、ありがたくその手を借りて立ち上がった。
ルシアに怪我がないか心配で、それどころではなかったが——。
体を起こした瞬間、背中に鈍い痛みがぶり返し、思わず顔をしかめる。
それを見たエリオットが、わずかに眉を寄せた。
「やっぱりな、痛むだろ。すぐに医務室に行ったほうがいい。歩けるか?」
肩を貸そうとするが、ヴィンセントはすぐに首を振った。
「ありがとうございます。痛みはありますが、一人で行けそうですので」
そう言って、ヴィンセントは姿勢を正す。
そして、ルシアへと視線を向け、静かに言った。
「それより、早くルシア様を落ち着けるところへお連れください」
その言葉に、エリオットは一瞬目を伏せ、ゆっくりと頷いた。
「……そうだね」
一度深く息を吐き、ルシアの肩をそっと抱き寄せる。
「ルシア……今日はもう学院にいる必要はない。屋敷に戻ろう」
静かにそう告げると、ルシアは小さく瞬きをした後、わずかに頷いた。
「ちゃんと休んだほうがいい」
エリオットが優しく続けると、ルシアはかすかな声で答えた。
「……ええ」
まだ完全には平静を取り戻せていない様子の彼女を気遣い、エリオットはそっと彼女の手を取る。
歩き出すその足取りは、彼女の歩幅に合わせるようにゆっくりとしたものだった。
喧騒の中、ヴィンセントはただ静かに二人の背を見送る。
ルシアを求める気持ちは、簡単に諦められるものではない。
けれど——
彼女が求めるのは、自分ではなかった。
その現実を、痛みとともに噛み締めながら。
学院の馬車止めまでの道のりは、普段よりも遥かに長く感じられた。
エリオットは、ルシアの肩をしっかりと抱き寄せながら歩いていた。
もう安全だと分かっていても、彼女の震えが完全に収まる気配はない。
隣で歩く彼女の足取りはどこか頼りなく、今にも崩れ落ちてしまいそうなほどに弱々しかった。
「ルシア、大丈夫?」
そう優しく声をかけながら、彼は彼女の手をそっと握る。
その指先はまだ冷たく、ほんの僅かに力がこもるだけだった。
——これでは、まだ安心できない。
彼は立ち止まり、ふとルシアの顔を覗き込んだ。
白い肌がさらに青白くなっていて、唇の色も悪い。
「……ダメだな、歩くのはもうやめよう」
「え……?」
次の瞬間、ルシアの身体がふわりと浮かんだ。
エリオットは、迷いなく彼女を抱き上げた。
「え、エリオット様……!?」
「今は無理しないで。顔を隠してていいよ」
ルシアの手が、彼の胸元をぎゅっと掴む。
抵抗する気配はなかった。
馬車止めへと続く学院の回廊に出ると、すぐに周囲の視線が集まる。
「大丈夫ですか?」
「何か手伝えることがあれば……」
心配そうに尋ねる学友たちの中で、一人が素早く的確な判断を下す。
「エリオット様、馬車の手配を急ぎましょう。すぐに出せるよう手配します」
「助かるよ。できるだけ目立たない場所に馬車を回してもらえるかな?」
「わかりました、すぐに手配します!」
エリオットは頷きながら、他の学友たちにも目を向ける。
「皆ごめんね、騒ぎにしたくないから、このことはあまり広がらないようにしてくれる?」
「もちろんです、余計な噂が立たないようにします」
彼の言葉に、学友たちは真剣な表情で頷いた。
「誰か、この後の講義は二人とも休むって、僕とルシアの教室に伝えてもらってもいいかい?」
「僕が伝えます」
「ありがとう。あと、今日の講義の板書をまとめておいてくれると助かるんだけど……」
「任せてください!」
エリオットはすぐに次の指示を出す。
「荷物のことなんだけど、教師に伝えて、僕の屋敷に送ってもらえるよう手配してくれる?」
「分かりました! すぐに先生に話しておきます」
言葉が終わるや否や、学友たちは即座に動き出す。
無駄な動揺はない。彼らはエリオットの指示を待っていたかのように、それぞれの役割を把握し、的確に対応し始める。
「あの……何か温かい飲み物を用意できないでしょうか? こういうときは、少しでも落ち着けるものがあったほうがいいと思います」
エリオットはわずかに目を見開き、すぐに微笑んだ。
「いい提案だね。お願いしてもいい?」
「はい、すぐに!」
その令嬢は侍女とともに足早に動き出す。
その間にも、他の生徒たちがそれぞれ動き出していた。
即座に動き出す学友たち。
まるで軍隊のように統率の取れた動き。
皆エリオットを手助けしようと声をかけ、誰も彼の判断を疑わず、無駄な混乱を生むこともない。
「エリオット様、馬車の手配が完了しました! 五分以内に準備できます」
「ありがとう、助かる。乗る場所は裏門でいい?」
「はい、できるだけ人目につかないよう手配しました」
エリオットは短く頷き、さらに周囲を見渡す。
エリオットの目配せ一つで、学友たちは適切な行動を取る。
命令ではなく、指示。
強制ではなく、信頼。
侯爵家嫡男としての権威ではなく、エリオットという人間の人望が、彼らを動かしていた。
——これが、侯爵家嫡男としての「資質」。
いいや、それだけではない。
彼の持つ本物の「器」が、そこにあった。
エリオットが今まで築き上げてきた人望が、今この瞬間、彼を支えていた。
ルシアの額が、そっと彼の肩に触れる。
「エリオット様……」
震える声が、彼の鼓膜を震わせた。
「大丈夫、すぐに屋敷へ向かうよ」
彼の言葉に、ルシアは小さく頷く。
彼の腕の中に、身を委ねるように——。
裏門には学友の手配通り馬車と、中に飲み物が準備されており、着くと同時に、エリオットはルシアを抱えたまま乗り込んだ。
静かに扉が閉まると、ようやく二人だけの空間が生まれる。
エリオットは、そっとルシアの手を握ったまま、長く息を吐いた。
「……もう、絶対に君を怖い目になんて遭わせない」
その言葉は、自分自身への誓いのようだった。
馬車の中は、まるで静寂そのものだった。
ルシアはエリオットの隣に身を寄せて座っていた。
彼の腕にそっと身体を預けながら、まだどこか不安げな表情を浮かべている。
彼女の指先はかすかに震えていた。
エリオットは、何も言わずにその手を握る。
いつもなら、さらりと触れるだけで済ませていたかもしれない。
けれど今は——
彼女の温もりを、確かめずにはいられなかった。
「……ルシア」
そっと名前を呼ぶと、ルシアはわずかに瞬きをし、彼を見上げる。
その美しい瞳が今は揺れていた。
「怖かったよね……」
「……ええ」
小さく頷いた彼女の声は、驚くほど頼りなかった。
エリオットは、静かに息を吐きながら、彼女の肩を抱く。
ルシアも拒むことなく、そのまま身を預けた。
しがみつくように、ぎゅっと彼の服の袖を握る。
——それなのに、どうして。
彼は、胸の奥に沸き上がる苛立ちを抑えられなかった。
ルシアがこうして自分の腕の中にいるのに、
先ほどの姿を思い出すたびに、喉が焼けるほどの怒りと悔しさがこみ上げる。
ヴィンセントの腕の中にいたルシア。
彼にしがみついていた彼女の細い指。
彼に守られるように身を寄せていた姿——。
"彼のものじゃない、僕のルシアなのに"
ヴィンセントはルシアを身を挺して護ってくれた。
それは理解できているし感謝している。
——けれど……。
エリオットは、たまらずルシアの肩を引き寄せた。
「……エリオット様?」
戸惑うように小さな声が上がる。
彼女の顔がすぐそばにある。
いつもは気にしない彼女の甘い香りが、余計に苛立たせる。
「ルシア、今日は……このまま僕の屋敷へ来てほしい」
「……え?」
彼女が驚いたように見上げる。
けれど、エリオットはその瞳を見つめたまま、決して引かなかった。
「君が少しでも落ち着くまで、一人にはしたくない」
「……両親には?」
「問題ない」
すでに"手を打った"という意味だ。
ルシアは一瞬だけ迷うように視線を落としたが、やがてふわりと微笑み、頷いた。
「……分かりました」
エリオットの胸が、ズキリと痛んだ。
彼女が自分を受け入れてくれることが、
こんなにも嬉しくて、そして、どうしようもなく焦がれる。
ルシアを失うかもしれなかった。
そんなの耐えられるわけがない。
"ルシアの全てを手に入れて、僕の物にしてしまいたい"
その欲望が、理性を軋ませた。
「ルシア」
低く囁く。
「……はい?」
「さっきのことだけど」
言葉を選びながら、彼はそっと視線を逸らした。
「本当は、僕が、君を守るべきだった」
ルシアの指先が、かすかにピクリと動く。
「僕が君の一番そばにいて、僕が守らなければならなかったのに」
「……」
「それなのに、護ったのは僕じゃなくて……ヴィンセントだった」
ルシアが、そっと彼の服を握る。
「……エリオット様」
「僕は……ただ見ていることしかできなかった」
「君が怯えているのに、何もできなかった。ヴィンセントが君を抱きしめているのをただ見ているしかなかった。それが……悔しくて仕方ないんだ」
彼の声が、わずかに震えた。
「僕は……ひどい人間なんだ」
「ルシアが怖い思いをしたばかりなのに、僕は……こんなことばかり考えてしまう」
そう言って、エリオットはぎゅっと目を閉じる。
視界が滲む。
ルシアの前では、嫉妬も独占欲も、ましてやかっこ悪いところなんて決して見せたくなかった。
それでも、抑えきれない想いがこぼれ落ちる。
「僕は本当は……こんなやつなんだ」
「君を守れなかったことよりも、ヴィンセントの腕の中にいた事実が許せない」
「……僕のルシアなのに」
その言葉に、ルシアが僅かに息を呑む。
けれど——彼女は逃げなかった。
震えながらも、そっとエリオットに身を寄せる。
「……ルシア?」
「……」
彼女は何も言わず、ただそっと自ら彼の腕の中へと収まった。
まるで——縋るように。
「……ルシアお願いだから、逃げないでね」
エリオットは、彼女の頬に指を添えた。
「こんな僕で……驚かせてごめん」
「……驚いていません」
小さく囁かれた言葉に、エリオットの喉が詰まる。
彼女の瞳には、確かな信頼が宿っていた。
僕は……ルシアに、受け入れてほしかった。
ルシアの中に、僕だけを刻みたかった。
彼女の指が、そっとエリオットの袖を引く。
僅かに顔を伏せたまま、震える手がゆっくりとエリオットへ伸ばされる。
そっと頬に触れた手は、ひどく冷たかった。
それでも、包み込むように添えられた両手には、確かめるような優しさがあった。
ためらいがちに指が動き、ゆっくりと肌の感触を確かめるように触れてくる。
思わず、戸惑いながらも口を開いた。
「……どうしたの?」
けれど、ルシアは答えない。
ただ静かに、両手でエリオットの頬を包み込んだまま、指先に僅かな力を込めた。
まるで、確かめるように。
わずかに肩が揺れ、震える息がかすかに触れる。
そっと、その手に自分の手を重ねた。
指先がかすかに沈み、不安と安堵が入り混じる感触が伝わった。
静かな時間が流れる。
そして——
彼女の手にわずかに力がこもり、ルシアの方へ引き寄せられる。
「……エリオット様」
囁くような、かすれた声。
求めるように、すがるように。
されるがまま、抵抗する理由などなかった。
静かに身をゆだねると、彼女はほんの少しだけ息を詰め、そっと額を重ねてくる。
その一瞬、彼女の息が震えているのが伝わった。
「……ルシア」
もう、誰にも渡さない。
もう、二度と。
「……僕のそばを離れないで」
願うように、囁く。
ルシアは、そっと目を閉じた。
彼女が小さく頷いたのを確認した瞬間、エリオットも目を伏せる。
——"彼女が僕を求めてくれた"
その事実だけで、何もかもを許される気がした。
僕のもとを離れることは、もう、許せない。
彼の胸の奥に、決定的な想いが生まれていた。
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