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刻まれた温もり


市場を巡った後、二人は王都で評判のカフェへと足を運んだ。

カフェの窓際で、ルシアとヴィンセントは向かい合って座っている。


外の広場では人々が行き交い、明るい日差しが差し込んでいたが、カフェの中は静かで落ち着いていた。

紅茶の香りがほんのりと漂い、穏やかで温かな空間を作り出している。


「今日は、本当に楽しいですわ」

ルシアがふわりと微笑み、カップを持つ指先にそっと力を込めた。

その笑顔は柔らかく、けれどどこか親しみやすい、特別な輝きを帯びている。

普段の貴族然とした雰囲気とは違い、ほんの少しだけ気を緩めているようにも見えた。


「それは良かった。私も、とても充実したひとときを過ごせています」

ヴィンセントは、カップをそっと置きながらルシアの表情を見つめる。

穏やかな微笑みの奥に、わずかな物憂げな影が差している気がした。

まるで、何かを心の奥にそっと隠しているかのように——。

その答えを知りたくて、彼は言葉を選びながら口を開く。


「ルシア様は、こうして誰かと二人きりで出かけることは、あまりないのでしょうか?」

「ええ、そうですわね。学院でも、社交界でも、誰かと長い時間を二人きりで過ごす機会はほとんどありませんもの」

ルシアはカップの縁に目を落とし、静かに紅茶を口に含む。


「エリオット様とは?」

ヴィンセントが慎重に尋ねると、ルシアはほんの一瞬だけ視線を伏せ、すぐに優雅な笑みを浮かべた。

「両家の習わしで夕食やお茶をご一緒することはありますけれど……それも、ほんの短い時間ですわ。私たちはそれぞれの立場がございますもの」

「そうなのですか?」

「ええ。エリオット様はとても社交的なお方ですから、いつも誰かとご一緒ですわ」

ルシアは、窓の外に目を向けながら静かに微笑む。

その声は柔らかいのに、どこか遠くを見つめるような響きがあった。


「学院でも、男女問わず多くの方に慕われていらっしゃいますもの。特に女性は、エリオット様のおそばにいたがる方が多いのですわ」

「……なるほど」

ヴィンセントは、淡々と返しながらもルシアの境遇に心の奥で小さな痛みが広がった。


「私は、“社交界の白百合”などと呼んでいただき、皆様敬意を持って接してくださいますが……」

ルシアは、ゆっくりと視線を落とした。

「距離を置かれてしまうことも多いのです。親しいといえる方は、あまりいませんわ」


その言葉は、静かな店内に溶け込むように響き、ヴィンセントの心を締め付けた。


確かに、ルシアを尊敬のまなざしで見つめる者は数えきれないほどいる。だが、彼女と親しく話す者は少ない。

女子生徒たちは、「自分のマナーがなっていないから話しかけるのが恥ずかしい」と口にしているのを、ヴィンセントは何度も耳にしたことがあった。


男子生徒たちも同じだった。彼女には人気者の婚約者、エリオット・アシュフォードがいる。それが話しかけづらさを増し、「比べられそうで怖い」「高嶺の花すぎて恐れ多い」「俺なんかが話しかけるなんて…」と、臆する声が多かった。


話しかければ、ルシアはとても穏やかで優しく、慈愛に満ちた女性だということは、誰もが知っている。それでも——

彼女と向き合うことで、自分の擦れた考えや未熟さを思い知らされ、気後れしてしまうのも理解できた。


けれど、私は違う。


そんな優しい彼女が、放置され、孤独に過ごされているのは、どうしても我慢ならなかった。

だからこそ、告白し、彼女のそばに侍っている。

独り占めできる喜びと、こんなにも素晴らしい人に、これまで親しい者がいなかった切なさが、心の中で複雑に入り混じる。


「それこそ……ヴィンセント様だけ、ですわね」


ルシアは、控えめに、けれどどこか照れ隠しのように微笑んだ。

その瞬間、ヴィンセントの胸の奥で何かが甘く溶けていくのを感じた。

彼女の特別な存在でいられる——その事実が、言葉にならないほど嬉しかった。


同時に、胸が少しだけ締め付けられる。

この優しさを、もっと多くの人が知るべきなのに。


最近では、ヴィンセントが頻繁に話しかけるようになり、ルシアも少しずつ貴族の礼儀だけではない表情を見せるようになった。その影響か、クラスメイトたちも彼女に気軽に話しかけるようになってきた。


このまま、ルシアが皆の輪に自然と溶け込めるようになったら——きっと、それはとても嬉しいことだ。

……嫉妬してしまいそうな気もするが、それでも。


「……光栄ですね」


そう答える声が、少しだけ震えてしまったことに気づき、ヴィンセントは慌ててカップに視線を落とした。

けれど、視線の先で揺れる紅茶の色さえ、今は霞んで見えるほど、心が熱く満たされていた。


ヴィンセントは微笑みながらも、ルシアの瞳をじっと見つめた。

その静かな視線は、穏やかでありながらも揺るぎない強さを宿している。


ルシアはほんの一瞬、戸惑うようにまばたきをし、やがてわずかに目を伏せた。

カップを持つ指先が微かに揺れ、その小さな変化をヴィンセントは見逃さなかった。





沈黙が二人の間に降りる。紅茶の香りだけが、淡く漂う。


けれどヴィンセントの胸の内には、ずっと抑えてきた言葉が渦巻いていた。

穏やかな仮面の奥で、膨らみ続けていた疑問と焦がれる想い。

それを、この瞬間、どうしても口にせずにはいられなかった。


「……エリオット様は、本当に、ルシア様を大切に思われているのでしょうか?」


声は低く抑えられていたが、その奥に滲む感情は隠しきれなかった。

静かな怒りと、胸の奥を締めつける焦燥感。

長い間、心の奥に押し込めてきた問いが、ようやく形となって彼の唇から零れ落ちた。


ルシアは、一瞬だけヴィンセントを見つめ返した。

その瞳の奥に何かが揺れる。驚きか、戸惑いか、それとも——。


けれど彼女はすぐに視線を落とし、カップを持つ手を膝の上にそっと置き直す。

そして、わずかに肩を落とすようにして、静かに吐息を漏らした。


「……もちろん、大切にしてくださっておりますわ」


その答えは穏やかで、どこか当たり障りのない響きを持っていた。

けれどヴィンセントは、その言葉の裏にある微かな揺らぎを、確かに感じ取っていた。

唇の端に浮かぶ微笑みが、どこか頼りなく見える。


ヴィンセントの胸が、不意に強く締め付けられる。

彼女の言葉は真実なのだろうか?

それとも、信じたいからそう口にしているだけなのか?


「では、なぜあなたは寂しそうなのですか?」

思わず、踏み込んでしまう。


ルシアは、驚いたように目を瞬かせ、視線をテーブルの上に落とした。

ほんのわずかに、唇が震えている。


「ヴィンセント様は……鋭い方ですのね」

微笑みながら言うその声が、かすかに揺れていた。


「それほどでもありません。ただ……」

ヴィンセントは、言葉を選びながらも抑えきれない想いを吐き出す。

「もし私が婚約者だったなら、ルシア様を寂しくさせることなど絶対にしない」


その声は低く、普段の穏やかさの奥に確かな熱を宿していた。


ルシアの指が、そっとカップの縁をなぞる。

その動きは静かで優雅だったが、どこか心の内を隠すような影が見え隠れしているようにも思えた。


「……ふふ、そうかもしれませんわね」

微かに笑う声は、穏やかでありながら、どこか遠くを眺めるような響きだった。


「ルシア様は、誰かに寄り添われることを、お望みではないのですか?」

ヴィンセントは問いかける。まるで、彼女の心の奥にそっと手を伸ばすかのように。


ルシアは視線を伏せ、しばらく沈黙した。

カップの中の紅茶が微かに揺れ、香りだけが静かに漂う空間で、彼女は小さな声で囁いた。


「……望んではいけないものだと思っておりましたわ」


その一言が、ヴィンセントの胸をきゅっと締めつける。

完璧な微笑みの奥に、こんな脆さが隠されていたことに、なぜ今まで気づけなかったのか。


「私は、周りの方々に優しくしていただいておりますの。社交界でも、学院でも、皆さまが敬意をもって接してくださいますわ。でも……それが本当に“私自身”を見てくださっているのかどうか、時々わからなくなることがあるのです」


彼女は静かに顔を上げた。

窓の外から差し込む淡い光が、彼女の瞳に映り込み、まるで霞のように揺れていた。


「私は……どういうものが“愛”なのか、まだ知らないのかもしれませんわ」


その言葉は、ヴィンセントの胸の奥底に静かに刻まれた。

彼女がこんなにも繊細な孤独を抱えていることに、どうして今まで気づかなかったのか。


ヴィンセントは息を呑むようにして、視線を逸らすこともせず、ただ真っ直ぐに言葉を紡いだ。


「……それなら、私が教えて差し上げたい」


その言葉が自然とこぼれ落ちる。

思わず口をついて出たその声音は、いつになく静かで、けれど彼の胸の内に宿る確かな情熱が滲んでいた。


ルシアはわずかに目を見開き、ヴィンセントの瞳を見つめ返した。

彼の中に揺れる感情に気づいたかのように、ほんの少しだけ唇が震え、すぐに穏やかな微笑みへと戻っていく。


けれど、その微笑みの奥に隠された、ほんの僅かな揺らぎをヴィンセントは見逃さなかった。

そしてその小さな揺らぎすら、彼の心を強く掴んで離さなかった。


ヴィンセントは、ただ静かに彼女のその表情を見つめ続けた。

その微笑みの奥に隠された、本当のルシアに触れるために。





その静寂を破ったのは、店員の控えめな声だった。

「お飲み物のお代わりはいかがなさいますか?」

柔らかな声に、二人はわずかに現実へと引き戻される。


ヴィンセントはルシアの方へ視線を向け、そっと尋ねた。

「ルシア様、カモミールティーなどいかがですか。…お好きでしたよね?」


その提案に、ルシアは驚いたように目を瞬かせる。

「……好きですわ。でも……なぜ、ご存じなのです?」


彼女の問いに、ヴィンセントは穏やかな微笑みを浮かべた。

「幼いころに、ルシア様が教えてくださったのですよ。ふわりとした香りが心を落ち着かせてくれる、と」


ルシアは、ふっと小さく息を呑む。

「あら……まあ……」

その瞳がわずかに潤み、どこか懐かしさを帯びた光を宿していた。


「――あの頃の私は、まだ恋というものを理解していませんでした」

ヴィンセントは静かに続ける。

「ですが、幼いながらに、ルシア様は誰よりも美しいと……そう思ったのです」


ルシアはしばらく沈黙し、そっと視線を落とした。

長いまつげが影を落とし、静かに揺れる睫毛の先が微かに震えている。

「そんな幼いころのことを、覚えてくださっていたのですね……」

その声は、まるで紅茶の湯気のように柔らかく、儚い響きを帯びていた。





ほどなくして、新しい紅茶がテーブルに運ばれてくる。

店員が丁寧にカップを置き、砂糖壺をそっと添えた。


ヴィンセントが砂糖を取ろうと手を伸ばした、その瞬間だった。

彼の指先が、同時に伸ばしていたルシアの指とふいに重なる。


「……っ」


二人の手が触れ合った瞬間、時間が止まったかのような感覚に包まれる。

驚きに固まったまま、数秒が過ぎた。


その短い沈黙の中で、ヴィンセントの心臓は鼓膜を破るほどの速さで鳴り響いていた。

その音がルシアにも聞こえてしまうのではないかと思うほどに。


「……失礼」

ヴィンセントがそっと手を引こうとした――その時、ルシアの指先がわずかに彼の動きを止めた。


ほんの一瞬、けれど確かに彼女は指を絡めるように力を込めた。

それは決して拒絶ではなかった。むしろ、逃がしたくないと訴えるかのような小さな抵抗だった。


彼の心臓が跳ね上がる。

この小さな接触が、まるで世界のすべてであるかのように思えた。


ルシアもまた、微かに震える指先でその温もりを離さなかった。

まるで、ずっと触れていたいと願ってくれているように。


「ルシア様……」


ヴィンセントは、その囁きにも似た声に、自分の熱を隠すことができなかった。

彼女の名前を呼ぶだけで、胸が苦しくなる。


「……はい?」


その声はわずかに震えていて、ルシア自身もこの距離に戸惑っていることがわかる。

けれど、彼女は視線を逸らさなかった。


大きな瞳が真っ直ぐにヴィンセントを捕らえている。

その瞳いっぱいに映るのは彼だけだった。

今、この瞬間、彼女の世界にいるのは自分だけ——そう思った瞬間、引き寄せられるようにヴィンセントはそっと手を伸ばし、彼女の頬に優しく触れた。



指先に伝わる、かすかな体温と柔らかさ。

それだけで、世界のすべてがこの瞬間に収束した気がした。


「……ヴィンセント様……?」


ルシアの目がわずかに揺れる。

しかし、彼女はその手を拒むことはしなかった。

ただ、まつげを伏せ、されるがままに彼の指先の温もりを受け入れる。


その沈黙が、どれほど甘美で、切なく、尊いものだったか。


ヴィンセントは、滑るように指先で彼女の頬をなぞり、頬にかかる柔らかな髪をゆっくりと払う。

その微かな動きにルシアの肩がわずかに震え、吐息がほんの少しだけ揺れる。

その反応ひとつひとつが、ヴィンセントの理性を静かに、けれど確実に揺さぶった。


「……こんなにも、愛おしいなんて」


思わず漏れたその言葉に、ルシアは再び目を上げた。

その瞳の奥に、ほんのりと光るものが揺れている。


「ヴィンセント様……」


その声が、今度は彼の心を強く引き寄せた。


もう少しだけ、この距離を縮めたい。

もう少しだけ、この瞬間に溺れたい。


「今日は……本当に特別な日ですね」

ヴィンセントの声は、まるで自分でも気づかぬうちに零れ落ちた想いのようだった。

ルシアはその言葉にふっと微笑み、まつ毛を伏せる。


「……そう、ですわね」


その穏やかな笑みの奥に、何かを隠していることにヴィンセントは気づいていた。

まるで薄氷の上を歩くような、儚くも危うい感情の揺れがそこにある。


「……私は、ルシア様を手に入れたい」


抑えきれない思いが、ついに言葉となって溢れ出した。

ヴィンセントの指先が、彼女の頬から顎へと滑るようにそっと移動する。

「でも、ルシア様が望まれないのなら……」

名残惜しさを滲ませながら手を離した、その瞬間。


ルシアの細い指がふわりと彼の手に重なった。

まるで「やめないで」と無意識に縋るかのように、静かに、ためらいがちな仕草で。

そして、そのまま彼の掌へ自らそっと頬を押し当てる。


押し寄せる感覚は、先ほどとまるで違った。

彼女の肌の柔らかさ、滑らかさ、そして微かな温もりが、今この瞬間、ありありと手のひらに刻み込まれる。

それは、ただ触れていただけの時には感じ得なかった、生々しく確かな存在感だった。


——どうしようもない。


胸の奥で何かがきしむ音がした。

その感触は甘く、しかし鋭く心臓を貫き、呼吸すら浅くなる。

手のひらに伝わるのは、柔らかさだけではない。そこに彼女の心が触れているような錯覚さえあった。


いとおしい、ただそれだけで心が満たされていく。

しかし同時に、満たされるほどに湧き上がるのは、抗いがたい渇望だった。

この温もりを、彼女の存在を、ただこのまま手のひらに留めておきたい。

いや、それだけでは足りない。もっと近くに、もっと深く、この腕の中に閉じ込めてしまいたい。


それでもヴィンセントは、必死で指先の力を抑えた。

彼女の頬に触れる手が、震えていることを悟られぬように。

けれど、揺れる心は、もう止めようがなかった。


「……貴族の令嬢として、越えてはならない一線がありますわ」


ルシアの声はかすかに震えていた。

それは恐れや拒絶ではなく、むしろ心の奥に隠された迷いと戸惑いの証だった。


「……ええ、わかっています」

ヴィンセントは、抑えきれない衝動を誤魔化すように、そっと視線を落とす。

テーブルの木目をただ見つめながら、頬に触れる指先がわずかに震えるのを必死に隠した。

触れたい、抱きしめたい——そんな衝動を喉の奥で押し込め、息を浅く整える。


「でも、今日は……プライベートですものね」


ルシアは微笑んだまま、頬に当てた彼の手をやさしく握った。

その微かな力が、まるで「ここにいてほしい」と伝えているようで、ヴィンセントの胸が締め付けられる。


「けれど、これ以上は、いけませんわね」


その言葉は確かに制止の意図を含んでいた。

けれど、その目は、手は、確かに彼を求めているようだった。


ヴィンセントは喉の奥で小さく息を呑む。

彼女の温もりが、指先から心臓まで駆け抜けるような感覚に襲われる。


「……ルシア様」


彼女の名を呼ぶだけで、胸が苦しくなる。

声に乗せた感情が溢れてしまいそうで、けれどどうしても伝えたくて。


「あなたが望むなら、私はこのまま、何も求めません」

けれど、もしも――もしもこの手を離さないでいてくれるのなら。


その言葉は喉元までこみ上げていたが、ヴィンセントは飲み込んだ。

彼女の指先の温もりが、十分すぎる答えだったから。


ルシアは、ただ静かに微笑んだ。

その笑顔が、ヴィンセントの胸の奥に深く刻み込まれていく。


――この瞬間を、永遠に閉じ込めておきたい。


彼の想いは、彼女の手の温もりと共に、確かに深まっていた。





カフェを出た後、ヴィンセントとルシアは再び王都の街を並んで歩いていた。

先ほどの会話の余韻は、互いの胸の奥にまだ静かに残っていて、言葉にしなくても伝わる温かな空気が二人の間を満たしていた。


石畳を踏むたびに、微かに揺れるルシアのワンピースの裾。その姿は、まるで春の陽だまりの中でそよぐ白百合のように、繊細で美しかった。


「次は、どこへ参りましょう?」

ルシアがふと顔を上げ、優雅に微笑む。その瞳はどこか柔らかく、先ほどのカフェで見せた揺らぎを隠しきれないまま輝いていた。


「せっかくですから、市場の先にある工房街をご案内しましょう。手工芸品を扱うお店が並んでいて、珍しいものがたくさんあります」

ヴィンセントは、できるだけ穏やかに声を紡いだが、彼女を見つめる視線はどうしても熱を帯びてしまう。


「まあ、それは素敵ですわね」

ルシアは嬉しそうに微笑み、ふわりと胸元で指を組んだ。

そのささやかな仕草が、ヴィンセントの胸をくすぐるように甘く響く。


「工房街には、小さな宝石細工やガラスのアクセサリーもあります。ルシア様にお似合いのものが、きっと見つかるでしょう」

「私に……お似合いのもの、ですの?」


ルシアは少しだけ首を傾げ、ヴィンセントを見上げる。その瞳の中には、無邪気な好奇心が揺れていた。


「ええ。たとえば、淡い色のガラス細工……光が差すと、あなたの瞳のように繊細に輝くものとか」


ヴィンセントは、思わず口をついて出た言葉に我ながら驚いた。

こんな気の利いた台詞が、自然と自分の口からこぼれるなんて思ってもみなかった。

途端に気恥ずかしさが込み上げ、思わず視線を逸らしかけたその瞬間——ルシアは目を瞬かせた後、ふわりと微笑んだ。


「まぁ……そんなふうに言われるなんて、少し照れてしまいますわ」


その優雅な微笑みに、ヴィンセントの胸はさらに熱を帯びる。

ルシアはそっと微笑んだまま、柔らかな声で続けた。


「ふふ、では私に似たものを探さなくてはなりませんわね。それから……あなたの瞳に似たものも、ぜひ見てみたいですわ」


その無邪気な何気ない言葉に、ヴィンセントの胸は再び強く脈打ち、心が甘く満たされた。彼女の微笑みが、自分にだけ向けられているような錯覚を覚える。


二人の影は並んで伸び、やがて重なる。まるで、心の距離も少しずつ近づいているように感じながら、ヴィンセントはその温もりを静かに胸に刻んでいた。


ワンピースの裾をそっと持ち上げながら歩くルシアは、いつもよりさらに可憐で愛らしく見えた。

カフェでのやり取りを経て、彼女が以前よりも、明らかに自分に心を開いている——

そう感じるたびに、ヴィンセントの胸は甘く満たされた。


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