8 あぶれた二人(前編)
天野塚音楽学校は他に類を見ないほど特殊である。その特殊性を構成する一つが人数だ。一学年約四十名。これは一般的な高校の一クラスの人数とほぼ同じである。その四十名が一応半々にA組B組と分かれている。なおかつ女性だけであり、本科生・予科生という上下の二学年だけ。基本的には全生徒寮生活が義務づけられており、外出なども自由ではない。外界からは隔絶された空間であった。
「学年とクラスをなくすだけでいじめのほとんどはなくなるって言うよね」
と話すのは、本宮の同室である本科生の丹伊田である。
「なんかそういう大学の先生だかの話で。とにかく群れを作るからその内部でいじめが発生するわけだから、群れを作らなきゃいいって。ていってもアメリカなんかは日本みたいなクラスはないけど普通にいじめはあるしね。まあ学年はあるし、それいったら学校がなければいじめもないんじゃないかって話だけどさ。アメリカのいじめなんかもスクールバスみたいな密室で起きやすいらしいし、結局何人かを箱に押し込めればいじめは起きるってことなのかもしれないけど」
「なるほど……そういうのは、勉強されたんですか?」
「いや、うちの親がね。私が天野塚受けたいって言った時に天野塚のこと色々調べてさ。それでほら、十数年前に裁判沙汰にまでなったいじめ事件があったじゃない? それでまあ戦々恐々じゃないけどね。天野塚受験は認めてくれたけど親も不安とか心配が色々あったみたいでさ、いじめ問題とかについて調べて、それで気をつけるようにって色々知識押し付けられてね」
「なるほど……いい親御さん、と言って正しいのかはわかりませんけど、でもうちはそういうの全然なかったですねぇ」
「そりゃ本宮さんがいじめられることなんか想像できないからねえ。全部ワンパンだし」
「いえいえそんな、暴力は使いませんよ? 人助けとかなら別ですけど、空手なんかでも素人に手を出すなって散々教えられますし」
「でも武器があるってだけで別じゃない? それに本宮さんなんてその身長だからね。やっぱり物理は力でしょ」
「いやあ、でかいはでかいで色々言われますからねえ。今はそうでもないですけど、小さい頃は男子なんかは直接色々言ってきますし」
「それで空手習った感じ?」
「まあ、それもありますね。一回ぶん殴って泣かせたらそれ以来なくなりました」
「やっぱり元ヤンじゃない」
「いえいえいえ! 小学生の頃の話ですよ? ほんと子供同士の喧嘩ですから全然!」
「冗談だって。でもそうやってわざとらしく大袈裟に否定したほうがみんなも信じるかもね」
「いや、信じられては困るんですけど……それはそうと、こういうのを聞くのは大変失礼だとは思いますが、本科生の間でもそういうものはやはりあったりするんでしょうか……?」
「いじめとか? そうねえ、今のところはそんな大きいのはないけどね。まあそりゃ年頃の女子が四十人も八十人も集まってるんだから色々小競り合い程度はあるけどさ。あくまで私が知る限りだから知らないところで何かあるのかもしれないし。それに昔に比べればかなりマシになったなんてのも聞くしね。十数年前のことがあってからそれなりに改革もあったみたいで。いわゆる上下関係の不文律みたいなのも撤廃されたわけだし。完全にじゃなくて一部やんわりと残ってるっていうのはもあるけど。昔はほんとに軍隊レベルだったとか言うからね」
「そのへんは私も軽く目にしました……でもそれだけいい時代になったってことですよね」
「当事者からすればそうかもしれないけど、そのせいでふるいにかけられることがなくなって全体的なレベルが下がっただの均一化されたっていう意見もあるみたいだけどね。まあ昔はほんとに蠱毒をやってたってことよね」
「コドク、って独りのですか?」
「ああ、そうじゃなくて、蟲の毒。蟲は虫三つの蟲ね。ムカデとかを百匹くらい同じ壺の中に入れてね、共食いさせるわけ。そうやって生き残った一匹の毒を使って人を殺すっていう昔の呪い。生き残った一匹が一番強いわけだから。学校っていう箱の中に閉じ込めて競わせて最も強い人間を作る、ってところが似てない?」
「ま、まあバトルロワイヤルのようなところはありますからね……でも生き残れる、っていうのもあれですけど、残れるのは別に一人だけではないですし」
「それはそうね。今は昔ほど完全な密室、閉塞的な場所でもなくなったし。ネットやスマホのせいでなんでもかんでも流出しちゃう時代だからね。そりゃ少子化だけじゃなくても神秘性ってのが薄れていくのは仕方ないのかもね」
「なるほど……やっぱりこう先輩も色々考えてらっしゃるんですね……あ、いや、すごく失礼な言い方で申し訳ありません」
「いいのよ。別に失礼じゃないし、考えてるってわけでもないからね。まあ受験前の親のヒステリーな心配がうつったってだけだし、実際入ればそうでもなかったから。それにまあ、私たちの代はいい意味で――悪い意味かもしれないけど、多少団結はあるしね。入った頃から不作の年とか谷間世代とか言われてるからさ」
丹伊田はそう言って笑う。
「どんな年でも『この子は将来必ずトップスターになる。その候補になる』みたいな人がいるらしいけど、私たちの代にはそれがいないってね。飛び抜けた存在がいない。それがまあなんていうか、いい方にも悪い方にもね。団子だからこそ努力次第で上に行けるって競争もあれば、所詮谷間世代ですよって諦めもあるし。同級生に目指すべき圧倒的な星がいないってのも不利な点なんだろうけど。
その点あなた達の代は大変だよね。大変っていうのもあれだけど、才木さんみたいな超有名人がいて、大内さんみたいなバリバリの天野塚一族出身者がいて、ついでに上村さんみたいな超ダークホースのすごい人がいてさ。しかもみんな超実力者で。否が応でも派閥みたいにグループはっきり分かれそうじゃない?」
と丹伊田が言う。それは確かに、入学からそれほど経っていない現在でもすでに顔をのぞかせていることであった。
グループ、派閥。無論性別を問わない話ではあるが、女子だけの少数集団かつ閉鎖的空間である以上、そういったものはどうしてもある程度出てくる。そして時と場合により、それはより強まるものであった。今回の代、本宮たち予科生「111期生」は、そうしたきらいに当てはまる要素があったわけである。
まず大内直。祖母・母に続いて天野塚に入学した三代目。それは強力な後ろ盾があるということであり、同時に天野塚にもコネクションがあるということでもあった。
しかしそれだけではない。大内は天野塚という土地で生まれ育っている。そして天野塚にある「天野塚入学のための予備校」のような場所に幼少期から通っていた。そうした場ではスクール内での縦や横の繋がりというものがある。スクール出身で天野塚に入った先輩は沢山いたし、合格した同級生の中にも何人かいた。そうした昔からの仲間たちで必然的に「徒党を組む」ことになる。入学時点ですでに昔からの盟友が何人もいるということだ。これは集団内では非常にアドバンテージが大きい要素である。
加えて彼女たちはいわゆる「上流階級」であった。幼少期から天野塚直営の予備校に入れる者は限られる。それは金銭的な意味合いで、である。授業料は決して安くなく、それが何年間と続いていくわけだ。必然的に残れるのはある程度の高所得者の家だけ。ついでに言えば、そうした仲間たちのほとんどが「有名私立女子校」に通っている。要するに家柄。階級。所得。生まれ。そういうものの「上流者」たちの集まりという事実が、彼女たちを他とは別の一つのグループにまとめあげていた。
そのためその「外部」から入学してきたものが彼女たちのグループに所属したいと思うのは自明の理であった。仲良くしておけば、天野塚へのコネクションが確保できるかもしれない。後ろ盾が確保できるかもしれない。それにあやかりたい。そうでなくとも、長いものには巻かれていたほうがはるかに安全だ。それ以外でも、彼女たちは歌劇団直轄の予備校を経てきたエリート集団のようなもの。当然実力者揃い。学ぶ点は多々ある。そういうわけで、早くも次席入学の大内を中心としたある種の「派閥」が形成されている次第であった。
次点は、やはり才木涼歌であった。なにせあの才木高矢と細工英里香の娘だ。超有名人夫婦の娘。「あの有名人の才木涼歌と友達」という栄光は、何ものにも替えがたい魅力がある。それは自分自身のステータスすら高めてくれるもののように思えるものだ。ついでに言えば、仲良くなればあの才木高矢と細工英里香にだって会えるかもしれない。ミーハー的とはいえ、それを想像しない者は少なかった。
それ以外にも、多少の「滑り止め」といった意味合いもあった。天野塚という世界がすべてではない以上、そこを出たあとの「芸能界への道」というものも確保しておきたかった。辞めた後、逃げた後。その後でも、芸能界という場所へ転がり込むため。そのツテ、パイプ、コネクション。そういうものを、才木涼歌を通して確保しておきたい。そういう打算を持つ者が少なからずいることも確かであった。
そして上村夏稲。コネや後ろ盾などは何もないが、その圧倒的な存在と能力、そして魅力。主席入学という、半ば約束された将来。そして一切隙のない人柄。あまりに完璧過ぎて近寄りがたいものすらあったが、それでもその強力な魅力に抗うのは簡単ではなかった。グループというほど固定的で大きくもないが、「お近づきになりたい」とその周辺をうろつくような人間は何人もいたわけである。




