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6 噂の元ヤン(前編)

 


 上村夏稲は謎であった。それは同級生のみなにとっても――なんなら本科生にとっても――そうだったし、当然本宮にとってもそうであった。何をどうしたらこんな人間が生まれてくるのだろう。こんな人間に成長するのだろう。同じ天野塚の予科生とはいえ、順位や点数以上にその差は大きく感じる。というより、学校が同じというだけで他のなにも共通しているとは思えなかった。


 彼女の噂は当然のように入ってくる。岩手の出身。身長は176センチで本宮の次に背が高い(これは別に噂でもなんでもなく事実であった)。特定の天野塚受験専門のスクールに通ったことはなく、なんならちゃんとしたスクールにも通っていなかったらしい。家は雪がどっさり積もる山奥で、農家をしている。なんでも名前の通り田んぼでお米を作っているらしい。そんな人間が、何故天野塚へ、という謎。そんな人間が、何故主席合格、という謎。


 そんな人間が、どうしてこのような踊りを披露できているのか、という謎。



 本宮の目の前で披露されている、上村夏稲の踊り。授業時間でのそれに、みなの視線が集中している。息を呑んでいる。手足の長さ、美しさ。それを活かしたダイナミズムと、抑揚に感性。すべての動きに芯が通っている。たとえ遠くから見たとしても、指先まではっきりと見えるような動き。そしてその間の表情も、息を呑むほど凛々しく力強い。本宮は、ただ惚れぼれとそれに見入っていた。


「ほんとすごいな」


 と隣でぼそっと呟いたのは、右城香月(うしろかつき)。本宮が天野塚で最初に「友達」となった女子であった。隣室かつたまたま最初の清掃が同じだったということもあるが、気のいい右城から話しかけてきたのがきっかけであった。右城は非常にサバサバしており、物おじしない性格であった。高二の17歳の一度目の受験であったが、見事に合格している。千葉の出身であり、一つ年上の本宮にもそうした年齢差など気にせずフレンドリーに接する人間であった。



「自分よりこんなにでかい、じゃないや。背が高い人初めて見たもんね」

 と最初の時に、右城は本宮に話した。


「私も171でずっと一番高いって感じだったけどさ。やっぱ天野塚には自分より上がごろごろいたよね。いいんだか悪いんだか」


「いやー、でも男役やるにしても右城さんくらいがちょうどいいと思うよ。周りの人との身長差もあるし、やっぱ私はちょっと高すぎるからさ……」

 と本宮は遠慮がちに返した。


「いやいや。高いってことはそれだけ遠くからでも見えるってことだよ? めっちゃいいじゃん」


「そうかな……」


「そうでしょ。やっぱ天野塚は劇場で観てなんぼだしさ、本宮さんなら最後列からでもばっちり見えるんじゃない? それはファンにとってはありがたいでしょ。それにそれだけみんなに見つけてもらえるってことだろうしさ」


「そっか……そういう視点もあるんだね」


「そうそう。物理的な部分も含めてね。それよかさ、香月でいいよ。下の名前で」


「……わかった。じゃあ私もアンナでいいよ、香月さん」


「オッケー、アンナ」


「うん。――でも下の名前とか呼び捨てっていいのかな」


「……先輩に聞くか」


 などというのが最初に交わされた会話であった。ちなみにその少し後、


「そういやアンナって元ヤンなんだって?」


「は? え、いや、誰から聞いたのそんなこと?」


西峰(にしみね)先輩。同室の本科生。西峰先輩は丹伊田先輩から聞いたって。あんたの同室でしょ?」


「そ、そうだけど……え、待って。どういうこと?」


「いや、なんか本宮さんは実は元ヤンで空手やっててめっちゃ強くて瓦とかも普通に割れるらしいって。こりゃさっさと仲良くなって味方にしないとなーって思ったよね」


「……いやいや、それ嘘、っていうか冗談かなんかでしょ。元ヤンとかそんなの全然、まったくこれっぽっちも」


「そうなの? でもなんでそんな冗談言うのよ」


「それは聞いてみなきゃわかんないけど……ただそれ、元ヤンってのは完全に嘘だけど、空手とか瓦割れるとかは事実だし丹伊田さんにも話したんだよね……」


「へー。でもこの噂すでに結構広まってるみたいだよ。本科生にも予科生にも」


「はあ? え、いや、ちょ――」


 なんでですか!? などと本科生相手に直接憤れるわけもなく、


「あの、お忙しいところすみません丹伊田さん、実は折り入ってお聞きしたいことがありまして……」


 と同室で噂の震源地らしい丹伊田と二人の時にごにょごにょと切り出すほかなかった。


「何? 改まって」


「いや、実はですね、その、今日ちょっと耳に挟んだのですけど、何やら実は私が元ヤンだなどという根も葉もない噂が広まっているようでして、何やら丹伊田さんからうかがった話だということらしいのですが……」


「ああ、私が話したよ、それ」


「――な、何故そのような嘘、ではなく冗談と申しますか、とにかく事実でないことを……」


「元ヤンだけじゃなくて空手やってて瓦割れるって話もあったでしょ?」


「はい、それも確かに聞きましたけど」


「信じさせるには適度に嘘を混ぜるのが一番だからね」


「……はい?」


「あなたが空手やってて瓦割れるっていうのは事実なわけでしょ? それを知ったらあなたをいじめるような人はさすがに本科生だろうと出てこないじゃない」


「……それはまあ、そうかもしれませんが」


「でもそれだけ言っても作り話じゃないの? って疑う人もいるだろうからね。まさかほんとに瓦割るの見せるわけにもいかないし。そこで元ヤンっていうあからさまに嘘っぽい嘘を混ぜるわけよ。『元ヤンっていうのは完全にデタラメだけど空手の方は本当です』って話せば人はすんなり信じるものだからね。まあ詐欺師の常套手段よね」


「……つまりですが、私がいじめなどの標的にならないよう空手の件を広めようとして、でもそれだけじゃ信じてもらえないかもしれないからわざと元ヤンって嘘を混ぜた、ということでしょうか……?」


「そういうこと。元ヤンっていう噂の出どころは他人である私で、でも本人がそれを否定するけど空手の方は肯定する、ってすればみんなちゃんと『じゃあ瓦割れるのはマジなんだ……』ってなるものだからね。私も同室になったのも何かの縁だからあなたには何事もなく過ごしてほしいしね」


「……それはその、なんと言いますか、そこまでお気遣いいただいて本当にありがとうございます!」


 と根が純朴な本宮はいささか本気で感激して頭を下げるわけであった。が、


「ていうのは嘘でその場のノリで『なんか実は昔ちょっと不良だったらしいよ』って思わず言っちゃっただけだけど」

 などと丹伊田は返してくるわけである。


「――どちらが本当なのでしょうか」


「信じたい方を信じればいいと思うけど、でもここではあんまり何でもかんでも信じない方がいいと思うかな。本宮さんちょっと純粋すぎる気がするから」


「……了解しました。ご指導ありがとうございます」


 なるほど、これが天野塚というところか、などと変に感心して素直に感謝を述べたりする本宮なのであった。



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