5 才木涼歌
その日上村夏稲は、多くのカメラにその姿を捉えられた。才木涼歌目当てで普段よりメディアが多かっただけに、より多くの媒体でその姿が晒された。上村夏稲のある種の世界デビュー。才木涼歌など、完全に食った存在感。それを流すのはメディアとしても悩みどころであった。彼女を映してしまえば、どうしてもあの才木涼歌ですら見劣りする。「才木の娘よりこっちの方が全然すごいじゃん」と多くの視聴者の目に映ってしまう。別に才木涼歌は何も悪くない。文句なしの逸材だ。しかしこの上村夏稲という主席入学者が、すごすぎる。これと並べれば、才木の親から何かしらクレームがつくかもしれない。今後の仕事が面倒になるかもしれない。忖度が働く。しかし代表挨拶である以上、ちらりとも映さないという方が不自然だ。他のメディアにだって映るだろう。そして何より、これは数字が取れるじゃないか。そういうわけで上村夏稲のデビューは、「なんかあの才木の娘よりすごい人」というおまけまでついてくる始末であったわけである。
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才木涼歌が天野塚を選んだのは、純粋に己の力で勝負をしたからであった。親の威光など一切関係なく。真に実力だけがものをいう、純粋な勝負の戦場。そしてここならば、と天野塚を選んだわけであった。
才木涼歌の両親は、本物のスターであった。単なる芸能人ではない。その先頭も先頭で活躍してきた者たち。母は結婚・出産後芸能活動をかなり縮小させてたとはいえ、父の方は本当にこの三十年第一線という活躍であった。そのようなスターの子供。まさにサラブレッド。
そんな才木涼歌は、子供の頃から都内の豪邸で何不自由なく育った。遺伝子の力は当たり前のように働き、美男美女の両親から生まれた美女。完璧な栄養の食事。幼い頃から様々な習い事に触れる。海外旅行の経験。幼稚園から一貫して私立。由緒正しき女子校へと進学していく。身長もまた親譲りであり、卓越したスタイル。そもそもは本業「歌手」である両親の影響か、歌唱力は特に子供の頃から秀でていた。
しかし彼女の人生には、常に両親の存在が付きまとっていた。才木涼歌という個人の名前以前に、あの才木高矢と細工英里香の子供。あの親の子供ならこの顔も当然。あの親の子供ならこの歌も当然。あの親の子供なら、etc……
それが幼少期からの常である。自分の望みであっても、親による英才教育。自分の努力であっても、親からもらった才能と経済面からくる恵まれた環境。それは事実。事実であり、「無力」な子供の彼女には何も言えなかったが、けれどもそれだけじゃないはずだとも思っていた。もっと自分自身で、自分だけの力を、試したいと思った。自分だけの力、自分だけの努力を純粋に評価されたい。自分だけの力で、純粋に勝負したい、そういう思いは年々強まるばかりであった。
才木涼歌は、スポーツならばそれが叶うかもしれないとも考えた。たとえば100メートル走であれば純粋に、速い遅いで決着がつく。それだけがすべて。余計な加点や忖度など存在しない。けれども、彼女はずっと芸能界に憧れを抱いていた。いや、正確には違う。彼女は歌うことが何よりも好きだった。踊ることも好きだったし、演技も好きだった。親がやってきたこと。そのすべてを、やりたかった。自分が純粋にやりたいのは、それだけだ。この自分の好きを、究極的に突きつめたい。そしてこの好きを、純粋に評価されたい。自分のこの好きが、世界にどれだけ通用するのか、純粋に、勝負してみたかった。
けれどもそれは「芸能界」では叶わない。名前や身分を隠して、などというのは無理に決まっている。デビュー前から「あのサイサイ夫婦の次女が芸能界デビュー!」などと大々的に宣伝されるに決まっている。やる前から、道が整っている。親の名前によって、世に出られてしまう。広められてしまう。そして当然それは、否応なしに結果にも付きまとってくる。
そうではない。自分はまっさらな舞台の上で、何者でもない自分として勝負したいのだ。才木涼歌ではなく、この歌を、踊りを、演技を試したいのだ。ぶつけたいのだ。だから芸能界、日本の芸能界というのは、無理であろう。
どうするか。どうすればいいのか。自分はやはり親の名前からは逃れられぬのか。日本で無理ならば、外国か。ブロードウェイ、世界の頂点。それもありだ。しかし親がその厳しい競争を許してくれるか。何よりそこにも「コネ」の力は忍び寄ってこないか。
そんな時に彼女が出会ったのが、天野塚歌劇団であった。
天野塚。「天才たちの墓場」という異名すら持つ、その場所。そこには自分が好きな歌と踊りと演技のすべてがあった。そしてそこは、ある種外部から隔絶された閉鎖的な勝負の世界であった。実力がものをいう。順位がものをいう。天野塚音楽学校からでなければ入れず、その学校の倍率ですら二十倍以上という狭き門。そうした先にあるのが、トップスターという地位。歌劇団の四組の、それぞれのトップの男役。つまりたった四人。その就任期間は平均的に二年半で、つまり入れ替えは年に一、二度程度。年に二人なれればいい方な、一つの頂点。そしてそれを決めるのは、純粋に人気や華も含めた実力である。
それはまさに才木涼歌が求めている環境であった。求めている戦場、勝負の世界であった。たとえブロードウェイを目指すにしても、そこからでも遅くはない。
そして何よりも、そのスターの輝きに憧れた。魅了された。嘘っぽすぎて、逆に嘘がない。人はこれほどまでに別の何者かになれるのか、と驚き、惹きつけられた。歌も踊りも演技も、純粋なまでに練習によって研ぎ澄まされている。正直、実力でいえば両親など遥かに及ばない。しかもそれが、何人もいるのだ。何人もの圧倒的な才能たちが、しのぎを削り切磋琢磨して高め合っているのだ。日々勝負をしているのだ。
なるほど、確かにこれは天才たちの墓場。文句なしの天才すら、他のより強力な努力と才能により打ち倒される。
ここだ。これだ。ここならば、自分は純粋に勝負できるはずだ。自分の力を純粋に試せるはずだ。ここには求めているものがある。私もこの戦場に、この墓場に、行ってみたい。
いや、行く。それ以外に、「自分の道」を勝ち取るすべはない。
才木涼歌、この時中学一年。親に頼み込み、説得し、なんとか了承を得て天野塚への道を歩み始めた。とはいえやることはさほど変わらない。幼少期から歌もバレエもダンスも演技もやってきた。それをより研ぎすませて。それをより、天野塚へ向けて。天野塚OGが経営する都内の天野塚受験専用のスクールに通い、中学卒業を控えた十五の冬、いよいよ彼女は初めての天野塚受験へと挑んだ。
それは当然ニュースになった。あのサイサイ夫婦の次女が、天野塚受験である。二人の娘であればなんの支障もなく芸能界デビューできるというのに、わざわざ天野塚という茨の道へ。天才たちの墓場へ。すぐさまその勇気と健闘を称えるシナリオが描かれ、メディアが追う。その受験の軌跡を追ったドキュメンタリーまで作ろうと言い出す。無論才木涼歌は拒否したが、とはいえ追ってくるメディアを消し去ることはできない。しかしそれも、入ってしまえば関係ない。入ってしまえば、もうあの中にまでこのカメラは追ってこられない。
彼女は自身の力に慢心することなどなく日々努力を続けた。そうして一回目の受験で、見事に合格してみせた。試験の結果は、三位。その「敗北」は今まで経験したことのないような強烈な悔しさを彼女の中に生じさせたが、同時に大いなる喜びもあった。死ぬほど努力した。練習した。試験だって、十分にやりきった。それでも自分より上が、二人もいる。そしてそのうちの一人――主席で合格した上村夏稲という人間を、彼女は試験会場でその目で見ていた。その、今まで会ってきた様々な芸能人すら遠く及ばぬような圧巻の存在感を。そして何より、その実力を。歌だけは、勝てたとも思う。少なくとも勝負にはなった。けれどもそれ以外は、及ばなかった。
その敗北には、清々しさすらあった。これだ、これこそが自分が求めていたものだ。敗北ではなく、勝負。真剣勝負。勝負なのだから、当然負けがある。この結果は、純粋に自分の力だけを評価されたからこそだ。才木涼歌という名前ではなく、当然親の名前でもなく、自分の、この体を。歌を。踊りを。
入学式。数多のカメラが追う、才木涼歌の表情。その顔に、憂いなど一ミリもなかった。主席として代表あいさつをする上村に注がれている視線にあるのは、ただの高揚だけ。
始まったばかりだ。ようやく自分の人生が、自分が求めていたものが始まったに過ぎない。
彼女を追う視線など、才木涼歌の目には入っていなかった。
彼女の目に映るのは、ただこれから目指す道のみであった。




