2 「うちの子瓦割れるって」
一通り寮内の案内も終わり、いよいよ本宮が二年間を過ごす部屋の前へとやってくる。
「こちらがあなたの部屋です。ご存知かもしれませんが本科生との二人部屋で、本宮さんの同室は丹伊田さんです」
と真々川が言う。
「あ、そうだったんですか。いえ、真々川さんが案内してくださったんでてっきり真々川さんと同じ部屋かと思いまして」
「ああ、これは寮長の仕事ですからね。ではちょっと失礼」
真々川はそう言い、ドアをノックする。ドアを開けて現れたのは、二人と比べれば小柄な女子であった。身長や髪の長さ、雰囲気などを見た瞬間「この人は娘役かな?」と本宮は思った。
「失礼します丹伊田さん。こちら本日から入寮で丹伊田さんの同室になる本宮さんです」
「本宮アンナと申します! よろしくお願いします!」
と再び180度近いお辞儀をする本宮。
「よろしくお願いします。本科A組の丹伊田と申します。立ち話も何ですから中へどうぞ」
と丹伊田が中へ案内する。
「では私はこれで。丹伊田さん、以後よろしくお願いします。本宮さんも、慣れないとは思いますがゆっくりしてください」
「はい! お気遣いありがとうございます! ご案内していただいてありがとうございました!」
と再び180度のお辞儀をする本宮。その「女性にしては大きな体」が勢いよく折りたたまれるのを見るたび口角が上がってしまう真々川であったが、一瞬で真面目な表情に戻して颯爽とその場を後にするのであった。
本宮が自室へ入ると、両側にロフト風のベッドが二つあった。その下のスペースが収納となっており、隣に机がある。パンフレットなどで写真を見てはいたが、実際その場に入ると狭さを感じた。
「うわあ……あの、私が大きいせいで今後今より狭くなってしまうでしょうから、申し訳ありません」
「そんなことないですよ。それより頭ぶつけないか心配ですね。一応、同室ですのでほんとに触り程度のプロフィールは教えてもらってましたけど、ほんとに背が高いですね。それにすごくハキハキとされていて」
「あ、いえ、以前空手を習っていたものですから、その名残かと」
「空手ですか……空手なんかは日本舞踊にも活かされますかね。知らずに言って申し訳ないですけど」
「いえ。私も日本舞踊は全然なのでまだよくわからないですけど、動きの抑揚みたいなのは空手にはありましたね」
「そうですか。荷物が来るまではまだ時間がありますよね?」
「そうですね、まだ時間があります。近くまで来たら連絡も来るそうなので」
と本宮はスマートフォンを見る。
「そうですか。――実はですけど、私も本宮さんと同い年なんですよ」
「え、そうなんですか?」
「はい。去年、高二で受かったので。今は十八ですね。なのでまあ、そんなに腰を低くされなくても大丈夫ですけど、でも昔ほどではないとはいえ今も上下関係は厳しいですからねここは。部屋で二人きりであれば構わないのかもしれませんけど、でも間違って外で他の人に聞かれたりすると本宮さんが大変な目に遭われるでしょうから、態度や敬語は最低限目上に対してのもので、というのが良いと思います」
「それはもう、もちろんです。こちらこそわざわざ言っていただきありがとうございます。もう、本科生は本科生、先輩は先輩が絶対ですから」
「そうですね。といってもこんな堅苦しいのは最初だけで、まあ敬語と言ってもお互い慣れればもう少し砕けたものになると思いますけど。それに本宮さんなら年齢も身長も、それに空手の事も広まれば本科生であってもそんなに強くはでられないでしょうしね。昔に比べれば随分と穏やかになったようですし、不文律と呼ばれていたものも表上は撤廃されましたから」
「みたいですね。ニュースなどでは、一応聞きかじっております」
「ですよね。今はなんでも検索すれば出てくる時代ですし。――ところで空手というのはどれくらい強いんですか?」
「……一応、瓦は割れます」
「……それとなく噂流しておきますね」
丹伊田はそう言って笑うのであった。
*
引っ越しの荷物も運び入れ、本宮もようやく一息つく。あとはこの荷を解くだけなのでまだ楽であった。
「お疲れ様です。どうぞ」
と丹伊田がお茶を差し出す。
「ありがとうございます! すみませんお騒がせしてしまって」
「いえいえ、いいんですよ。賑やかですし。今まで静かでしたからね。本科生、ひとつ上の先輩が卒業、ではなく歌劇団への入団ですけど、とにかく学校を去られてこの部屋を出てからはしばらく一人でしたから」
「そうですね……今私たち、予科生ってどれくらい入寮してるんでしょうか」
「どうでしょう。もう三十人は来られてるんじゃないですかね」
「そうですか……あの、一つ窺ってもよろしいでしょうか?」
「もちろんどうぞ」
「ありがとうございます。その、ご存じないかもしれないんですけど、私より少し背が低くて、でも背は高い方で、短い髪でいかにも男役といったものすごく凛々しい美形の、確かカミムラさんっていったかと思うんですけど、そういう方ってすでに入寮されてるかご存じですか?」
「カミムラさんって言うと上村夏稲さんですか?」
「あ、はい! 確かその人です! てことはもう」
「いえ、確かまだ寮には来られてないですね」
「あ、そうなんですか」
「はい。けどまあ、彼女は本科生の間でも結構噂になってましたからね。試験には私たちもいるじゃないですか。それで一人ものすごい子がいる、みたいな話で。名簿でも確認しましたし」
「そうなんですか……いや、私は合格発表の時初めて見かけたんですけど、ちょっとまあ気になりまして」
「そうですね……ちょっと意外、じゃないですけど、本宮さんたちの世代、111期生はあの二人がツートップみたいな話がありましたからね。才木さんと大内さんはご存知ですか?」
「才木さんはそりゃもう、存じてます。大内さんはちょっと聞きかじった程度ですけど、才木さんはあの才木高矢と細工英里香の娘ですからね。普通にニュースになってましたし」
「そうですね。それに大内さんは、おばあ様にお母様と三代続いての天野塚ですから。実力は本物ですし。まあそういう噂みたいなのは私たちのところにも入ってきてはいたので、今年はビッグだなーとかこの二人が中心になるんだろうなとか話してたらまさかのダークホースで上村さんでしたからね。こういう話もあまりすべきではないんですけど」
「いえ、こちらから窺った話ですから。けどやっぱりそれだけ話題になる人だったんですね」
本宮はそう言いながら、彼女のことを思い出す。合格発表の時に見かけた、あの圧倒的な存在感の人間。掲示板で自分の番号を見つけても、涙など一つも流さず、感情など少しも表さず、ただ一つ頷いただけの、あの恐ろしいまでの美形の女性を。
そう、女性。少女とか女子とか、そういう言葉では言い表せない。まさしく天野塚の男役を――そしてトップスターをやるために生まれたような顔。あんな顔の人間が、この世に存在するのかと目を疑った。本宮は中学生の途中からの天野塚「ファン」であったが、これまで見てきた天野塚のトップスター、各「組」のトップ男役を務めてきた人たちと比べても、なんら遜色がない。おまけにそれがノーメイクに近いのだからなおさらのことだ。そして顔だけではなく、圧倒的なオーラ。佇まい。まとう雰囲気。息を呑むほどの美しさであり、かっこよさであった。高身長であり、自分も男役に憧れ男役を望む以上、強烈に惹きつけられる何かがあった。
試験の時には見かけなかった――否、すれ違っていたのかもしれないが、自分のことでいっぱいいっぱいで他人を見ている余裕などなかった。合格発表の時に周囲の人の会話を盗み聞きし、どうやら「カミムラ」という名前であることだけはなんとかわかったが、話しかけることもできずそのままであった。その後ネットの天野塚ファンなどの間でも話題になっており(今は本当に何でもかんでもネットに上がってしまうものだ)顔と名前を改めて確認できた、という次第であった。
上村夏稲。それがあの、天性の何かを輝かせていた女性の名であった。
早く見たい。早く会いたい。できるものなら、お近づきになりたい。本宮がそう思うのも無理のないことであった。




