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13 宿命

 


 自室で報告書を読み終えた大内は一階へと降り、居間へと戻る。そこでは高齢の女性、大内直の祖母が椅子に腰掛け本を読んでいた。


「おばあさま、ご無沙汰しております」

 と居直が祖母に声をかける。


「そうだね、お帰り。けど帰ってくるなり挨拶も後回しで報告書見るとはねえ。随分その上村って娘にご執心だこと」

 と彼女もまた天野塚の団員であった大内の祖母が言う。


「それはおばあさまも同じではないんですか? こうして懇意の記者に探らせてくださっているわけですし」


「あんたに頼まれたからね。孫が田舎者なんかに負けたわけだからね、そりゃ私だって多少は気にはなるだろうよ」


「それは申し訳ありません。ですがより重要なのは入団時の順位ですので。二年後には私が主席で入ってみせますから」


「そりゃそう言うだろね。勝てる見込みはあるのかい?」


「――勝ちますよ。そのためだけにやっているんですから」

 大内直はそう言い、スッと窓の外を見た。

「そのためにもこうして調べていただいているわけですしね」


「そうだね。で、どうなんだい? 実際見た感想は」


「実力は本物ですね。主席に偽りはないと思います。才能だけではなくたゆまぬ努力であることもよくわかりますし。華も含めて完成度は非常に高いと思いました。だからこそどこでどのようにして、という謎が深まるのですが。言葉にしても訛りなど一切感じさせない標準語をきれいに話していますから」


「訛りね。確かにそこまで整えてるってのはかなりのもんだね。生まれも育ちもずっと岩手で百姓って話だったろ? あいつもそう言ってたから間違いない話だろうけどね」


 と祖母が言う。彼女が言う「あいつ」とは、上村を探らせている記者のことであった。


「そのようですね。まあ私も岩手の方の標準的な言葉というのを聴き比べたわけではないのですけれども」


「酷い訛りに決まってるじゃないかい。それこそ聞き取れないくらいにね。外国語とたいして変わらないよ。今の若い子なら多少は違うのかもしれないけど、百姓の子なんていったらなおさらね」


 祖母はそう言い、どこか軽蔑したように顔を歪ませる。


「そうですか……」


「そうだね。まあそれだと親についてももっと調べさせたほうがいいのかもしれないね。言葉までっていうとバレエだののレッスンとはまた別だからね。それで、あんたが今読んできた報告書にはなんか目ぼしいことは書いてあったのかい?」


「いえ、特には。知っている情報の補完、事実の補強でしたね。真新しいという点では何も。ただあれらがすべて事実であれば、彼女の天野塚への意欲というものは相当のものだと感じました。そういえば彼女は今日初めて天野塚の生の舞台を見に行くみたいですね」


「今まで一度も見たことなかったってことかい?」


「ええ、そのようです。映像などでは見ていたようですが、舞台で見るのは初めてだと」


「つくづく田舎者だね」


「かもしれませんが、けど舞台を見たことがないのにそれだけ強い意欲を持てるというのも不思議に思いまして。多くのOGの方々などはやはり直接舞台で見たことが一番のきっかけになってる例が多いですから」


「時には飢えが一番強い力を生み出すものだからね。田舎に生まれてそれしか成り上がりの術がなければ必死にもなるんじゃないのかい?」


「……かもしれませんね」


 と答えつつ、あの上村夏稲に限ってそういうことはありえないだろうが、と大内直は思っていた。そういうものは、感じない。成り上がりなどという低俗なものや、必死という何か一般的な感情も。そういうものは一切見せていない。だからこそ、謎なのである。色んな事が結びつかない。見えてこない。想像ができない。とにかく得体のしれないものがある。とはいえ、そんなことをこの祖母に話そうなどとは思わなかった。


「おばあさま、申し訳ありませんが引き続きお願いいたします」


「わかってるよ。あいつも久しぶりに出てきた物語性のありそうな大物ルーキーだってはしゃいでたからね。喜んでやるだろ。次は地元に行ってみるとか言ってたよ。記者ってのはほんと下世話な人間で使いやすいね」


 祖母はそう言って鼻で笑う。直はそれを慣れた様子で無表情に見つめ、一礼して居間を後にした。



 居間を出た直は家の中を少しうろつき、窓から外を眺めて何かを確認し、そのまま庭へと出る。


「お母様、ただいま帰りました」


「おかえりなさい」

 と庭で花壇の手入れをしていた母が言う。


「はい。挨拶が遅れてすみません」


「いいのよ。おばあさまと話もあったでしょうし。日焼けしたら大変だから傘の下に行きましょうか」

 と言い、庭に置かれたパラソルの下の椅子へと移動する。


「せっかくの外出日に晴れて良かったわね」


「そうですね。家まで歩いて来る途中も気持ちよかったです」


「外を歩くのも久しぶりだものねえ。寮生活はどう? そんなにすぐには慣れないとは思うけど」


「いえ、ルームメイトの方にも良くしていただいて、不自由なく過ごしてます。少し狭さは感じますけど、部屋にいる時間など限られてますから」


「確かにこのうちからいきなりあそこじゃ狭いわよね。私も、自分がどうだったかなんてもう思い出せないけれど……」

 直の母はそう言い、水筒の中のよく冷えたお茶を口に運んだ。

「――あなたとおばあさまとのお話、少し立ち聞きしてしまいました」


「そうでしたか」


「ええ……まあ、程々にね。私が言えたことではないけど、余計なことをしているよりは、練習するのが上への一番の道でしょうから」


「はい。それは心得ております」


「……たとえ何かを知ったとしても、人の足を引っ張るようなこともなくね」


「……それは何を知ったか、その内容にもよると思いますから」


「そうね……その上村って子は、そんなに興味を惹かれる子なのかしら?」


「そうですね……それもありますけど、謎というものはそこにあるだけで知りたいという欲求を抱かせるものですから」


 直はそう言い、真っ直ぐに母の目を見つめた。


「それは確かにそうね……でも気をつけてね。おばあさまはおばあさまで勝手に行動するでしょうし、あなたが制御できるような人でもないですから。おばあさまの懇意の記者の方、というのも当然に。記者単体ではなく後ろにはメディアという大きな組織が控えているわけですからね」


「はい、肝に銘じておきます。ご忠告ありがとうございます」


「いいのよ。さて、じゃあ私はもう少しお庭の手入れを続けようかしら」

 直の母はそう言って立ち上がった。


「気をつけてくださいね。十分暑いですし日差しもありますから」


「大丈夫よ、ちゃんと水分はとってるし、帽子も被ってるし首も冷やしてるから。外の方が気持ちいいからね。終わらせたら中に戻るからお茶にでもしましょうか」


「そうですね。私が用意しておきます」


「いいのよ、こっちでやるから。直さんはせっかくの休日なんだからお給仕なんかせずに休んでらして」


 母はそう言って微笑み、汗を拭くのであった。直はただ頷き、家の中へと戻っていった。



          *



 大内直にとって、母もまた大いなる謎であった。祖母にも多少謎はあるが、しかし十分にわかりやすい。比べて母の謎というのは、あまりにも深遠であった。


 直の母は、天野塚で二番手スターまで上り詰めた祖母の一人娘として天野塚で生まれた。そんな母が天野塚へ進んだのはほとんど必然であった。とはいえ母はそこで特別目立った活躍をすることはできなかった。娘役の、せいぜい4、5番手。それでも十数年務め上げた十分な実力者であり功労者であったが、トップを望んだ祖母からすればあまりにも物足りないものであった。祖母からすれば自分があと一歩で届かなかったトップの座を、可能であればトップスターの座を娘に託す、という想いがあったわけであった。そして当然それは娘にも伝わっており、非常に重荷となっていたであろう。


 大内直の母には、退団前から交際していた相手がいた。しかしその者との結婚を、祖母は許さなかった。理由はいくつかあるが、経済的な部分、家柄、そして何よりも容姿であった。一族からトップスターを出すには、当然顔は必須。容姿や身長は絶対。だからそういう男、そういう相手を掛け合わせる。ついでにより天野塚に影響力を持つためには、強力な家柄や経済力。祖母はそういう相手を選びぬき、その男と結婚するよう命じた。そして母は、それに従った。言いつけに従い、愛していない男と結婚し、愛していない男との子を産んだ。それが天野塚一族三代目となる大内直であった。


 そういう話を、大内直は知っていた。母から直接聞いたわけではない。祖母もすべてを話したわけではない。しかしどこからか、そういう話を耳にしていた。いつ、誰から、何故そのような話を聞かされたのかは覚えていなかったが、しかしその内容ははっきり覚えていた。だからこそ、直にとって母は謎であった。祖母の行動は、まだわかる。何故そこまでして、とも思うが、その欲望、狂気にはまだわかりやすさがあった。しかし母のことはわからなかった。謎がある。何故愛していた人との結婚を諦めたのか。何故あの祖母に従ったのか。何故自分を、産んだのか。


 自分は愛なき故の産物なのか。あの祖母のトップスターへの欲望から生み出された、創りだされた存在でしかないのか。母は本当に天野塚に行きたかったのか。そこで幸せだったのか。夫を――父を、一度も愛したことはないのか。ひいては自分を、愛したことは。


 母は自分をどう思っているのか。私は、母の幸福を奪った存在なのか。奪われた幸福のその先、不幸の産物なのだろうか。


 母は一体、何を想って生きているのか。ここまで、生きてきたのか。



 それは聞けない。母もまた語らない。想像が及ばぬ、大いなる謎がある。それを知りたいと思うが、同時に知りたくないとも思う。なんにせよ、それを知ること、語ることは誰にとっても別に幸福には繋がらないだろう。癒やしにはならないのだろう。


 だからこそ、大内直はトップスターに糊着した。それは執着の領域であった。トップスターになることだけが解答である。それだけが、すべてを解決する道である。己の生の肯定。母の人生、選択の肯定。母に自分の存在を認めてもらうこと。それは母が自分の人生を、その選択を認めることにもなるだろう。肯定できるだろう。幸福も、実感できるだろう。救いに、癒やしに、なるだろう。


 だから自分は絶対にトップスターにならなければならなかった。それだけが、自分の生まれてきた意味であり、人生の意味であった。だから誰にも負けられない。ライバルはすべて蹴落とさなければならない。たとえどんな手を使ったとしても。



 ここは天才たちの墓場。妖怪たちが跋扈する、百鬼夜行の運動会。自分がどれだけ努力しようとも、上には上がいる世界である。そしてそのトップの椅子は限られている。だから。


 自分が骸にならぬためには、相手を殺し引きずり下ろしてでも、その屍を踏んづけていってでも登って行き、その頂点の椅子に辿り着く以外に手段はない。



 大内直には実家にいても、たとえその自室でベッドの上に横になっていても、休まる時など一瞬もないのであった。



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