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12 謎

 


 日曜の外出日。私服に着替えた本宮と右城の二人は、寮の前で太陽の光を浴び目一杯背伸びをしていた。


「いい天気ですねー。良かった良かった」


「ほんと。私服着るのも久しぶりだし、なんか体が軽い気がするね」


 と本宮も言う。そこへ寮から出てきたのは、私服を着た大内直であった。


「あら、大内さんも外出?」

 と右城が尋ねる。


「はい。一度家に寄ろうかと思いまして。何かと入用なものもありますから」


「だから一人か。実家が近いのはいいよねー。どれくらいの距離なの?」


「歩いて十分もあれば着くと思います」


「近っ。普通に実家からも通えるね。でも他のみんな寮なのに自分だけ実家ってのもちょっとあれか」


「そうですね。そういうのは確かにありますけど、でもそれよりやはり同期の仲間たちと共に過ごして成長していきたいという思いがありましたから」

 大内はそう言い、薄っすらと微笑んで答える。


「そういうのは大事だよね。同じ釜の飯を食うってやつでさ。んじゃもうこの辺も勝手知ったる街ってことだ」


「かもしれませんけど、実際は半分くらいですね。やはり子供が行ける場所というのは限られていますから。けどやはりこの歌劇場周辺は幼い頃から頻繁に訪れていたので庭のような感覚はありますね」


「いい庭だなー。川も海も見えるしね」


「そうですね。お二人は今日はどちらに行かれる予定ですか?」


「私らは温泉」


「――え、っと、温泉ですか?」


「そう。日帰りの」


「……その、寮のお風呂も広いですし、温泉水を引いてますけど、わざわざ別のところへ行かれて入るということですか?」


「うん。やっぱ疲れ溜まってるからね。ひとっ風呂浴びてついでに整体も行こうかって。あそこの高いホテルが最上階に展望露天風呂あるっていうからさ。そこから天野塚を眺めるのもいいよなーって思ってね」


「それは確かに、大変良い景色が見れそうですね……」


「ほんとね。それと大内さんもさ、気が向いたらタメ口でいいよ。そんな敬語じゃなくて全然。もちろん強制することじゃないけどさ」


「それは――努力しますけど、けれども同級生とはいえ二つ三つ年上の方々ですから。やはり礼儀というのは必要ですので」


「だよね。まあ仲良くなれば自然となるもんだしね。なんか引き止めちゃって悪かったね。んじゃ大内さんも帰省と休日楽しんで」


「はい。お二人もお気をつけて」

 大内はそう言って一礼し、日傘を差して歩いて行くのであった。



「――おい、借りてきた猫」


「コミュ力不足! 話すこともないです!」

 と本宮がぶんぶんと首を振る。

「いや、そりゃもちろんお話したいですけど? でもなんかもう私なんかとじゃ共有してるものが何もないんじゃないかって感じがしてさ」


「同じ天野塚で何言ってんのよ」


「確かに……いや、でもやっぱ同じ天野塚でも同じじゃない感じ?」


「まああんた元ヤンだしな」


「違うし! いつまでやんのそのネタ!?」


「永遠に言われるだろうね。でも確かにお嬢様だよな。服装も日傘も話し方もさ。それであの勝ち気で闘争心が隠せてない顔がいいよね。私好きだな」


「へー、そんなん思ってたんだ。意外」


「年下なんてみんなかわいいもんじゃない。能力がある人なんかみんな大好きだしさ。環境のおかげだろうと努力する人間はやっぱいいよね。確かにうちらみたいなのとは文化が違う部分はあるのかもしれないけどさ、演技だってやるわけだしそういうのも役に立つでしょお互いにとって」


「ふーん……やっぱあんた年齢サバ読んでない? それで私より下とか絶対嘘でしょ」


「だから逆にそっちが高校三年間何してたのよって話じゃない」


「あーあー聞こえなーい」


「あんたがガキ過ぎるだけでしょそれ……」


 右城はそう言い、苦笑を浮かべるのであった。



          *



 大内直にとって、上村夏稲は大いなる謎であった。


 その実力は間違いなく本物だ。日々授業などでその目で見ることによって、それは疑いようのないものになっていた。悔しいが、受験で自分の方が下の点数であったのも理解はできる。決して負けていないとは思うが、だからといって明確に勝っているというほどの差もない。何より華、オーラというものはどうしようもない部分があった。生まれ持っての顔、容姿。それいがいの佇まい、雰囲気。それが及ばないことがあることぐらいは百も承知であった。しかし華、オーラとなると、すべてが生まれで決まるものではない。育ち、環境というものも大きく左右する。それもまた謎の一つ。何故岩手の山奥などというド田舎で、そのようなオーラを、佇まいを獲得することができたのか。そんなことは、絶対に有り得ないのに。



 天野塚の舞台に立つ人間やいわゆる芸能人というものには「オーラ」がある。それは雰囲気、姿勢、佇まい、メイクに表情、視線の配り方などによって後天的、ある種人工的に創りだされる部分が大きい。そしてそういうものを生み出すのは「他者の視線」である。多くの人間に「見られている」という事実が、誰に見られてもいいようにと、誰に見られても評価されるようにと佇まいを作り上げていく。それ故、人の少ない田舎より大都会の人間の方が自然とそうした他者の視線に基づくオーラというものを獲得しやすい。山や川、田畑ばかりで人の目より蛙の目の方が多いような田舎で、自然とオーラが身につくことなどあり得ない。それが大内の考えであった。



 大内は上村を徹底的に調べあげていた。中学だって、全校生徒が100人もいないような地域だ。100人。そんなもの、渋谷のスクランブル交差点であれば常時その何倍もいるような人数だろう。天野塚の駅から劇場まで歩く最中でも毎回100人はすれ違うのではないだろうか。ともかく、そんな人のいない場所で、あのようなオーラが身につくことなどあり得ない。天性だけなど、信じない。


 もちろんそれ意外のあらゆる能力にしても同じことであった。授業で見て確信したが、当然あれらの能力は並々ならぬ練習と指導がなければできぬもの。一朝一夕はあり得ない。歌もバレエも各種ダンスも、日本舞踊から作法まで。ついでにいえば訛りのない完璧な「標準語」まで。とにかく、きちんとした指導者に教わった上で何度も練習しなければ身につかぬもの。それくらいは、見ただけでもわかった。だからこそわからないし、ありえない。何故、どこでそのように。周囲にそのような環境のないド田舎で、どのようにすれば。



 本人は、今はインターネットで指導してもらえるし、などということを言っていた。それも確かに事実ではあった。探してみると一応そういうサービスもある。とはいえ当然現場で直接指導を受けるのとではその効率や修練度はまったく異なる。多数相手の一方的な動画指導ならともかく、リアルタイムのマンツーマンとなると生徒が一人だけであるから必然レッスン料は恐ろしく高くなるはずだ。どうやら天野塚OGの中にも「受験前のレッスンにおける地域格差を少しでも減少させたい」ということでそうしたネットを介したレッスンを行っている者もいるようだが、やはりマンツーマンとなるとそれなりの価格であった。とてもじゃないがただの農家が簡単に払える金額ではない。それともそれは自分の偏見でしかなく、実際は農家といってもかなりの収入があるのかもしれない、などとも大内は考えたが、上村家の収入を見るとどうやらそういうわけでもなさそうであった。祖母の天野塚へのコネクションを通し生徒のデータもある程度知ることができたわけだが、それでわざわざ確認までしたわけである。



 寮から徒歩十数分の実家に帰宅した大内は、早速この短い期間に判明した上村の新たな情報を手に取った。これも家――もとい祖母の力を借り調べてもらったものであった。その気になれば興信所なども使えたが、それはさすがに体裁が悪い。バレた時の言い訳も大変である。


 そこで祖母が利用したのが昔から付き合いのある記者であった。ただの記者ではなく、いわば天野塚専門の記者である。学校に主席で入学したスーパールーキーの取材、ということであればある程度言い訳がつくし、情報も聞き出しやすい。「地方出身者のための励みとして。地方出身者が合格するための経験談、参考になるような記事にしたい」などと耳障りのいい言葉を言えば、より協力を引き出しやすい。そうして手に入れた情報を横流ししてもらう、というわけであった。



 とはいえこの短い期間では、たいして情報は増えていなかった。上村本人が話した通り、夏休みの長期休暇などの際に仙台のスクールに合宿といった形で集中レッスンを受けに行っていた、というのは事実であった。そこは仙台で――東北で唯一の天野塚受験のためのレッスンを行っており、天野塚OGが経営しているスクールであった。

 

 とはいえ、上村がこのスクールでそうした合宿を行うのは年にせいぜい三回。夏休みと冬休み、春休み程度であり、夏休み以外は期間も短い。それ以外にも月に一度程度レッスンを受けるということもあったようであるが、そんなものはたかが知れていた。このコーチがインターネットを介したレッスンをしていたことも事実であったが、それだって週に一度の一時間程度。前回与えた課題の確認、などといったものであるという。上村は小学生三、四年時からそのスクールに通っていたということであったが、それでも全部合わせた時間は週の半分を練習に当てた一年間よりは少ないのではないだろうか。



 ともかく大内は、そこに秘密はないように感じた。上村夏稲の謎は、そこではない。こんな簡単な答えではないはずだ。大内は漠然とそう感じた。あれは、もっと深い謎。深い秘密。こんな答えでは、納得出来ない。これも確かに事実なのだろうが、あれを形成する極一部でしかないはずだ。


 もっと、何かある。もっと、何かが。



 大内は書類に目を通す。書いてあるのは、ほとんどがその仙台の「恩師」による上村評やレッスンの内容について。何かしらないかと隅々まで目を通すが、目新しい情報は特にない。しかしともかく、才能があることや上達速度、何より集中力と練習時間は他の子と比べ物にならないという評価であった。練習の他には何もしていないんじゃないか、という時間の使い方。とにかく天野塚への意志はこれまで見てきた生徒の中でもダントツで一番だという。


 まあそうだろう、とも思うが、同時に何があの上村夏稲をそこまで突き動かしたのか、という疑問も湧いてくる。たった一ヶ月、ろくに話したわけでもなかったが、上村の印象はどちらかといえば大人しく、クール。天野塚への熱い思いのようなものも、これまで表しているところは見たことはない。もちろん授業への取り組み、その集中は時折鬼気迫るものすらあったが――とにかく、何故岩手の山奥でそこまで、という疑問と、ある種の偏見。田舎だからこそ、遠いからこそ沸き起こるものなのだろうか。この休日外出に際し、「上村夏稲はまだ一度も天野塚の舞台を生で見たことがない」という噂も耳にしたが、それが逆に天野塚へ行きたいというより強い想いを生んだのだろうか。



 なんにせよ、それも知りたいと大内は強く思った。あの大いなる謎が、何故天野塚を目指したのか。そこまでさせた、原動力はなんなのか。完全なる直感だが、一種の違和感。とにかく、何かがあるはずだ。大内はそう感じていた。これまで数多の天野塚の劇団員やレッスン生を見てきた経験が、それを囁いていた。


 知りたい。勝つために、叩き落とすためには、知る必要がある。そうでなくとも、謎というのはそこにあるだけで人の欲望を強く点火させるものなのだ。



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