11 がいしゅつ!
入学後初めての週末外出の日が迫っていた。天野塚音楽学校は基本全寮制であり、無断外出というものは許されていない。もっとも平日は朝から晩まで授業に掃除に個人レッスンと忙しく外出をしている暇などなかったが、ともかくとしてコンビニ一つであっても無断での外出は許されない厳しいものとなっていた。
とはいえこれでも昔に比べればかなり緩くなっており、週末一日だけとはいえ最初の一月目で外出が許されるなど昔では考えられないものであった。息詰まる一ヶ月なのでなるべく早いうちにガス抜きはしておいたほうがいい、ホームシックもあり最初の一ヶ月は挫折に大きく関わる期間だ、ということであったが、軍隊のような厳しさの時代を生き抜いたOGなどからは「甘やかし過ぎである」などという意見もあった。とはいえ昨今はどうしても「クレーマー気質」の保護者も増え、十数年前のいじめ事件の改善点から風通しの良さというものを必要であり、かつスマートフォンやネット、各種SNSのせいで簡単に「不満」が外に漏れ出る時代である。メリハリをつけ厳しさは残しつつも一日の外出くらいは、という流れに抗うことはできなかったわけである。
そういうわけで入学後初めての外出が近づけば自然と予科生たちの話題もそれが増え、その表情もどことなくイキイキしだすわけであった。そんな中で本宮は、
「――上村さんとどっか行きたい、です」
などと右城に打ち明けていた。
「あーそう。じゃあ誘えば?」
「んな簡単に。第一どう考えてももうすでにお誘いあるじゃん」
「んじゃそこに混ぜてもらえばいいじゃん」
「入れるような面子ならいいけどねー……そうなったら香月来る?」
「人数によるなー。私あんま多いと疲れるし」
「群れないっすもんねー香月さんは。けど絶対すでに予定あるよねー」
「聞いてみりゃいいじゃん。上村さん上村さん!」
と右城が手を挙げて上村を呼ぶ。
「なに?」
「悪いね呼び寄せちゃって。上村さんって週末の外出ってなんか予定ある?」
「うん。実は天野塚を見に行こうと思って」
「舞台? 劇場で?」
「うん」
「その手があったか」
と右城は思わず本宮の顔を見る。
「なんか近すぎて逆に考えもしなかったわ」
「目と鼻の先みたいなもんだもんね……けどやっぱすごいな上村さんは。休みの日でも勉強だもんね」
と本宮も言う。
「いやあ、確かに勉強っていうのもあるけど、でも私天野塚生で見たことなかったからさ」
「え、そうだったの?」
「うん。映像では色々何回も見てるけど、劇場でっていうのはまだね」
「岩手だと結構大変だもんなー。時間かかるから入試の時とかも見ていく時間なかったか」
と右城が言う。
「そうだね。それに入ればいくらでも見る時間あると思ったしさ。まあそれで来たからにはなるべく早く見ておきたいと思って」
「そりゃそうだよね。でも劇場未経験っていうのも結構珍しいかもね。私は静岡だったから一時間ちょっとで来れたからさ」
と本宮。
「私も千葉だから比較的近かったかな。まあ一回しか見てないけど。けどそれは最高の週末だね。何見るの?」
「蘭組の『パリ花』が丁度やってるからさ。それのチケット取ったよ」
と上村が答える。
「パリ花」。70年台の伝説的少女漫画「パリの花は燃えているか」を原作とした天野塚を代表する傑作ミュージカルである。何度も「パリ花ブーム」を沸き起こし、天野塚の人気と地位を不動にした、まさに天野塚を代表する歌劇であった。数年に一度その時々のアレンジを加え再演しているものだが、丁度この年の春にその久々の再演が行われていたわけである。
加えて「蘭組」というのは天野塚歌劇団の四組の一つである。中国四季名花になぞらえ、蘭組、蓮組、菊組、梅組となっている。四季に関わる組名だが、その季節にだけ公演を行うというわけではなかった。
ということで、
「めっちゃいいじゃん。パリ花生で見れるのはデカいな。当日券ってあるのかね?」
「いやー難しいんじゃない? 日曜のパリ花でしょ? 絶対売り切れてるって」
「一応スマホで見てみるか……」
と右城がスマートフォンで検索しだす。
「てことは上村さんはだいぶ前からチケット取ってたんだね」
と本宮が尋ねる。
「うん。販売始まった時にね。まだ合格決まってなかったし外出日もわかってなかったけどさ」
「確かにそれくらいしないと取れないもんね。じゃあいい席取れた?」
「いや、初めからB席しか取るつもりなかったからさ」
「え? なんで? せっかくの初めての生なのに」
「そうなんだけどさ、やっぱりお金の問題もあるしね。自分のお小遣いからだし。それに天野塚の生徒がいい席で見るっていうのもなんかちょっとファンの人に悪い気もしてね」
「あー、確かにそういうのは多少あるかもね……ちょっと違うけど私なんか大きいから前の方だとちょっと遠慮しちゃうし」
「私もそういうのもあるかな。それにB席とか遠くのほうが学ぶことも多いと思って」
「そう? 近くてはっきり見えるほうがわかりやすくない?」
「それもあるだろうけど、でも遠くからでもはっきりわかる演技をしてるってことはさ、どの席から見てもわかるってことだと思うんだよね。どのお客さまから見ても見やすいってことで。ずっと映像でばっかり見てたからそういうのってすごく大事だと思うんだ」
「なるほど……確かにそれは、めちゃくちゃ正しいと思います」
「はは、ありがとう。演技にしても声にしても、歌にしても踊りにしてもさ、遠くから見ても目立つ、はっきりわかるっていうのは、やっぱりすごく大事なことだと思うからね。それに後ろからだと客席、お客さんの反応まで見れるじゃん? それも映像だけじゃ全然わからないからさ。舞台に立つ前に、そういうのもちゃんと見て知っておきたいなあって思って」
「おぉ……なんというかほんとにもう、感服いたしました」
と本宮は頭を下げる。
「そんなだいそれたことじゃないよ。今まで映像でしか見てこなかったからこその考えだとも思うしね」
「だとしてもそれを自分でちゃんと考えて理解してるっていうのがねえ。それ聞くと自分もすごい同じように見たくなってきちゃった。どうですかね香月さん」
「残念ながら当然完売です」
「ですよねー……SNS」
「禁止されてまーす。ただでさえあれなのにチケットの売買とかもろアウトでしょ」
「存じております……フリマアプリとかオークションだとめっちゃ高そうだしね。そもそも転売とかご法度だし。はぁ……直接現場でっていうのは」
「諦めろん」
「めろん?」
「うるさいつっこむな。天野塚の生徒がそんなことできるわけないでしょ。というか天野塚の生徒といえばさ、上村さんそのまま劇場見に行っても大丈夫なわけ?」
「あー確かに。思いっきりテレビ出てたし主席入学でファンには知られてるから絶対バレるというか声かけられるよね」
と本宮する。
「そうかな?」
「絶対そうでしょ。ガチのファンだって沢山いるわけだしさ、そういう人達は新入生の一覧だってチェックしてるわけだし。上村さんなんてただでさえ目立つ顔なのに主席で挨拶したのがテレビでまで流れてるから絶対バレるって。変装した方がいいんじゃない?」
「んー、でもまだ入学したての人間が変装っていうのも、その、色々と良くない気もするけどね」
「確かにね……なんかもう全方向から色々と目つけられそう」
「んじゃ外出許可取りがてら先生に聞けばいいんじゃね? そういう時どうすべきか先生なら教えてくれるでしょ。私らも外出許可取らないといけないしさ」
と右城が言う。
「そうだね。じゃあ一緒に行こうか」
そう言い、みなで歩き出す。その背中越しに右城が本宮に対してウインクしてみせた。本宮はそれに対し親指をグッと立てて称える。
――いやほんと、ナイスです香月さん!
*
「というわけですけど、上村さんはやっぱ変装したほうがいいですかね、相子先生」
と職員室で右城が尋ねる。相子というのは眼鏡をかけた四十代の元天野塚歌劇団員の教師である。相子というのは下の名前のようだが苗字であった。
「――まあ確かに、上村さんが熱心なファンの方にすでに知られているというのは事実でしょうね」
と答え、相子は少し考えこむ。
「とはいえあからさまな変装というものはかえって目立ちますし、『まだ予科生なのに』という声も内外から出てくるおそれがあるのも事実でしょうね……まあまずはマスク程度は問題ありませんよ。花粉症の季節でもありますし、人混みなので風邪などを避けるため、喉を乾燥から守るためといった明確な理由が持てますから」
「眼鏡とか帽子はどうですかね」
「眼鏡は、もちろん視力が悪ければなんの問題もないですけど、そうでなければあからさまに伊達だとわかりますし。花粉症という点もまったくの嘘であれば知られた時に問題にまりますからね」
「そうですね。今のところ花粉症は一度も経験したことがありませんし、視力も両目とも2.0なので」
と上村は爽やかに微笑んで答える。
「ですとやはり避けたほうがいいですね。帽子は、まあ一般的なものであれば普通のファッションの範囲内ですからね。もちろん開演中は脱ぐことになりますが、しかしどの道ある程度目立つことは覚悟したほうがよろしいでしょうね……」
「そうですか……そういった場所で声をかけられた場合はどうすればよいでしょうか」
「そうですね。一応規定にも書かれているのでそちらを今一度確認してもらうのがよいですけど、とにかく嘘はつかないことですね。それととにかく愛想良く。たとえあなたが予科生であっても相手はお客さま、ファンの方という意識で応対することですね。それとこれはいきなりでは難しいかもしれませんけど、さすがにまだ予科生ですので写真の撮影やSNSなどへの投稿はきちんとお断りしてください。学校のほうで禁じられていると明確にこちらに責任を負わせてよいので。それが事実ですしね。きちんとしたファンの方であれば予科生相手にそうした対応を求めてくることはないとは思いますけど、もちろん様々な方がいらっしゃいますから」
「わかりました。わざわざお答えいただきありがとうございました」
「いえ、こちらもきちんと確認しに来てもらってありがたい限りです。とにかく少しでも悩む点などがあれば本科生や我々に遠慮なく聞いてください。それと初めての劇場での天野塚、楽しんでくださいね」
「はい。全身全霊で挑ませていただきます。ありがとうございました」
上村はそう言い、実に整ったお辞儀をするのであった。
職員室を出た後。
「やっぱりちゃんと聞いといて正解だったね」
と右城が言う。
「そうだね。二人とも提案してくれてありがとう」
と上村が礼を言う。
「いえいえ、こっちも外出許可のついでだったし今後の参考になったしね」
と本宮が手をぶんぶんと振る。
「外出するの自体はみんな同じだしね。じゃあ私あっちだから、ここで失礼するね」
そう言って軽く手を上げ立ち去ろうとする上村であったが、
「あ、今回は用事あったけど、次の外出は是非誘ってください」
「もちろん。じゃあ上村さんもどこか行きたいとこ考えといてよ」
と右城が言い、手を降って見送る。
「――だってさ。良かったじゃん」
「しゃしゃ社交辞令かなんかじゃない?」
「どんだけだよ。けどそれとは別に今のうちにチケット取るだけ取っとかないとね。キャンセルはできるんだろうし」
「あー確かに。行くかどうか決める以前に確保しとかないとか。チェックしとかないとね」
「だね。けど上村さん天野塚を舞台で見たことなかったとか、意外というよりむしろ納得な感じだから不思議だよな」
「確かに。他の人ならおいおいってなるけど、上村さんだと不思議に『あ~』ってなるよね」
「それであれだからよっぽど入りたくて練習したんだろうな。すごいよなーほんと。けどほんと謎だよなあの人も」
「謎が増えたよね。ますます何をどうして天野塚っていうかさ。それ言ったら香月のもまだ聞いてないんだけど」
「それよかやっぱ上手い人間ってのは休日の使い方にしても違うんだなって話だよな。全部練習とか勉強とかさ、とにかく天野塚中心で」
「ほんとねーなんだけど、何気話逸らされてるんですけど」
「まあまあ。何もどうしてもどうでもいいじゃないですか。舞台に立てばそれがすべてでしょ」
右城は飄々とそう言って歩いていくのであった。