10 新事実
その歌声を初めて聴いた時、本宮は天野塚入学後何度目かわからぬ「打ちのめされる」思いがした。しかしそれは、これまでのものより更に強烈な衝撃であった。
声楽の授業。そこで聴いた才木涼歌の歌声は、まさに空気を震わせ、建物から大地まで震わせるような力強いものであった。その体のどこから出ているのかわからぬほどの圧巻の声量。高低を自在に行き交う安定した音程。聴くものの胸を震わせる美声。どこまでも、永遠に伸び続けていくような歌声。それは本宮がこれまで聴いてきたどのような歌よりも圧倒的に優れ、そして感動を湧き起こさせるものであった。これは歌手であった親の遺伝子が成せる技なのか。それとも、想像を絶する努力の果てに辿り着いた領域なのか。なんにせよ、本宮はこれまたただひたすらに感激し、どこまでも素直に憧れるのであった。
その授業後。
「――いやぁ、ちょっと言葉もないよな、すごすぎて」
といつもは軽口を叩くような右城ですら半ば呆然と苦笑を浮かべるといった反応であった。
「……いや、これはもう、よろしくないでしょ」
「は? 何が?」
「いや、だってさ、才木さんはあの体であれだけの声が出せるんだよ? だったらさ、私はこれだけデカい体なんだからもっと大きな声が出せるはずじゃない」
と本宮は目を見開いて言う。
「……まあ、そう単純なもんでもないと思うけど」
「単純かもしれないでしょ物理的なもんなんだから! いやーこれはちょっと考えを改めないと……あ、才木さん――よしっ」
と半ば興奮冷めやらぬ本宮は意を決し、そのままの勢いで前方にいた才木の元へと足早に近づいていく。
「才木さん!」
「あ、本宮さん」
「今の授業、歌、ほんとにすごかったです!」
「ありがとうございます。歌はまあ、一応一番好きだし自信もあるんで」
「そりゃあれなら全然自信持っちゃってくださいよ!」
「落ち着けアホ」
と右城がつっこむ。
「ごめんね、この人ちょっと興奮してて。才木さんの歌がすごすぎたからさ」
「いえ、そんな……でもありがとうございます。そこまでこう、感情移入してもらって。嬉しいです」
と答えて才木は笑う。
「はい! それでこう、もし良かったらでいいんですけど、お時間あるときにトレーニング法とか教えていただいてもよろしいでしょうか?」
「歌の、ってことですよね」
「はい。なんだろう、体の使い方って言うんでしょうか。ご覧のとおり私はこれだけ大きい体してますけど、でも声量は才木さんの方が全然上じゃないですか。才木さんって170くらいでしたっけ?」
「167ですね。身体検査の時には」
「そしたら10センチ以上差があるわけじゃないですか。こう、普通に考えたら体が大きい方が大きい声出せますよね? 楽器とかもそうですし」
「そうですね……どうですかね。一概には言えないと思いますけど……」
「でもこう、自分の感覚でもまだまだ全然使えてないっていう気がするんですよ。全身というか、体の内側までこう。才木さんの歌を聴いてそれに気付かされたといいますか。体の内側も含めて歌うための器官みたいなのをまだちゃんと鍛えられていない、大きくできていないっていうんでしょうか」
「確かにそういう、体の内側の発声のための器官を鍛えるとか、もっと使えるようにするためのトレーニングみたいなのはありますね」
「ですよね? そういうのをこう、普段していることとかも含めて教えていただけるとすごくありがたいのですが」
「そうですね……ただまあ、もちろん私なんかまだまだ教わる側ですし、適切な指導法を教わった指導者でもないので、そういう点では本宮さんのために、本宮さんに合わせた、という形で教えるということはまったくできませんし、むしろ逆効果になる場合もあるでしょうから。そこはきちんと先生方に指導を請うのが一番かと思います。声質や音域も違うわけですし」
「それは、まったくもってその通りですね……」
「はい。ただそれとは別に、私が普段しているような筋力トレーニングのようなことであればお教えできると思います」
「ほんとですか!?」
「はい。とはいえそれも先生方に確認した上でされたほうがいいと思いますけど。私も自分が教えを受けていた先生から直接自分用のメニューにと教えていただいたものをしてますので」
「いえ、それでも教えてもらえるだけですごくありがたいです! ちゃんと先生にも聞きますんで!」
「そうですか。でしたら今日の放課後にも――その前に昼食時にスケジュールの確認をしませんか? お互い予定が入っているかもしれませんし」
「いいんですか? ではお言葉に甘えてぜひぜひ!」
「はい。それと、敬語は使わないでいただいても、全然大丈夫です。私の方が三つも下なわけですし」
「あ、っと、うん。まあ、慣れればね。才木さんも、敬語なんて使わなくてもいいよ。三つ上なんて言っても同級生なんだからさ」
「それは――うん。私の方が慣れるのに時間かかると思うけど、努力してみるね」
才木はそう言い、少し照れた様子で笑みを浮かべた。
「ついでみたいで悪いけど、それ私も混ぜてもらってもいい?」
と右城が手を挙げる。
「あんた、人の手柄を横取りか」
「手柄ってあんた。ごめんね、この人油断するとすぐ元ヤンの素が出るから」
「元ヤンじゃないし! いやあの、才木さん? ほんとに私元ヤンとかじゃないですからね? 噂とか全然、ほんと事実じゃないんで」
「ふふっ、それはもう、さすがに冗談だっていうのはわかってるから」
才木はそう言って楽しげに笑った後、少し顔を近づけて小声で尋ねた。
「――でもその、瓦を割れるっていうのは」
「……そっちは本当です」
「蹴りで木製バット折れるっていう新たな事実も判明しました」
と右城が付け加える。
「こいつまたっ、それまだあんたしか知らないのになに広めてんだよ!」
「だよってあんた。さすがに注意されるぞそれ」
「あ、いや、すみません……でもほんと、全然元ヤンとかじゃないんで……」
とすがるように才木を見る本宮。
「あ、いえ、それはもう……ちなみに木製バットを折れるっていうのは」
「……本当です」
本宮は多少涙ぐんだ様子で頷き、恨めしそうに右城を睨むのであった。