序説
西暦2168年。明治維新300周年、学生闘争200周年の年。日本は令和期と異なる学校教育・保育制度を敷いていた。小学校及び中学校はあまり変わっていないが、男女平等・男女共同参画の観点より私立を含む幼稚園に放課後保育が義務付けられると共に、公立保育所の増設が為されている。公立保育所は夜勤者や土休日に休めると限らない親を持つ子どもの為に夜間保育、それに土休日保育も実施している。科学技術の進歩もすごい。人型ロボットが開発されており、警察・消防や自衛隊警務隊に限って実用化が許可されている。この人型ロボットのおかげで、人口減少に伴い警察官や警務隊員が減っているにも関わらずあらゆる虐待(捕虜虐待、自衛隊や警察内の暴力から児童生徒間のいわゆる「いじめ」、教師・親権者による暴力まで)が速やかに検挙され、人権が現実の物となっている。ちなみに、自衛隊内の虐待を警察が取り締まることもその逆も許されている。
学校教育に関して最も変更されたのは高等学校(高校)及び大学である。令和期まで3年制だった高等学校は今や5年制だ。5年制に伸びた代わり、少なくとも公立学校の間では令和期より簡単に転校することができる。1回転校した高校生はもう珍しくない。そして大学の学部は――学部、博士前期課程(修士課程)、博士後期課程と分かれるのは令和期と同じだが――3年制となっている。このシステムのメリットは、大学入学試験の時期が昔より遅くなったことで庶民のチャンスが増していることだ。教育社会学によると、幼い頃の受験は特に富裕層に有利である。そもそも令和期までの3年制高等学校は詰め込みすぎだ。時間的に無理がある。その為、6年間の私立中高一貫校出身の富裕層が圧倒的に有利で、庶民は浪人でもしない限り一流とされる大学に進学できない状態にあった。令和期までの私立中高一貫校は中2までに公立中学校の範囲を詰め込み、遅くとも高2までに公立高等学校の範囲(大学入学試験の範囲)を教え込む傾向にあったが、これは高3の一年間をひたすら復習する受験勉強に使えると言うことだ。筆者を含む普通の公立高等学校出身の庶民から見ればせこすぎる。私立中高一貫校出身の彼ら・彼女らは大学に現役で進学しても実質1浪である。他方、公立高等学校は受験直前にようやく大学入学試験の範囲を終える。ひどい場合には受験が終わってからようやく終える。私立中高一貫校の6年間と公立高等学校の3年間では差がありすぎた。しかし、今やそれよりはマシだ。今も私立中高一貫校は存在しているが私立中高一貫校が8年間であるのに対し公立高等学校は5年間だ。単純な差は中学校の分の3年間であり変わっていないが、倍率で言えば2倍(6÷3)から1.6倍(8÷5)に格差が縮小している。それに、大学進学に際して必要な学生免許試験(日本版アビトゥーア。内容は平成期の「大学入試センター試験」とほぼ同じ)は高4の8月に実施される。受験勉強を頑張っていたのに冬の寒さでインフルエンザにかかったり雪で転んで骨折したりする心配がない。出題範囲が偏差値50の公立高等学校が高3までに終える範囲に限られている為、偏差値50の公立高等学校に通う学力中間層でも高4の4月から7月までの4か月間、みっちり受験の為に復習することができる。学生免許試験の成績は高4の1月に発表されるが、各大学への出願は高5の4月以降である為、自己採点は必要ない。という訳で、西暦2168年の学校教育制度は令和期よりずっと公平で合理的である。なお、各大学が実施する入学試験は令和期までのような学部不問型ではなく、学部別の専門科目試験である。例えば法学部を志望する生徒は高等学校の選択専門科目として法学を履修していなければならない。なお、高等学校において専門科目を担当する教員は教員免許を持っているとは限らないが大抵は博士号を持っているので質の心配はない。専門科目を担当する高等学校「教授」(ホームルームや基礎教科を担当する「教諭」とは別枠)は若い博士にとって格好のアカデミックポストとなっている。