◆045 くさい
そんなわけで披露会も二日目である。
今日からは初日をガッツリ勝ち抜いた強者たちが雌雄を決するとのことで、さすがに棄権する人はいない。ちなみにこの日からはスポンサーもつくらしく、そこかしこにいろんなメーカーの看板とか垂れ幕が掛かっているのが見える。
国産の高級自動車メーカーやら製薬会社、冷凍食品の大手と名だたる名前がずらっと並んでおり、壮観だ。
壮観ではあるんだけどさ。
「……祓魔師協会って非公式な組織じゃなかったっけ?」
秘密とはいったい何だったんだろう、という光景でもある。
そもそも祓魔師協会ってスポンサー必要なの?
お金めっちゃ持ってるイメージなんだけれど……。
ちなみに出店は昨日と大差ない。熱田神宮の人たちが小刀だけじゃなくて刀剣の類まで売り始めたくらいだろうか。
一本500万円くらいしてたんだけど誰が買うんだろ。
まぁ祓魔師ってお金持ち多いっぽいし、おれが買う訳じゃないから好きにすれば良いとは思うけれども。
昨日にも増して買い込んだクリス達が怒涛の勢いで妖魔料理をパクついている横で、俺はぼんやりと試合会場を眺めていた。ちなみにメンバーは昨日から二人増えている。
三条さんと土御門さんだ。
「待て三条、もう作業を始めて二時間になるぞ!? そろそろ葵の試合も始まるし休憩を――」
「必要ありません。人間、やろうと思えばどこまででもいけます。若の試合を見ながらでも手は動かせます。さ、次はこちらの関連を片づけましょう」
「さ、三条が手伝ってくれれば――」
「ほう、左様ですか。この私にこれ以上働け、と」
「……分かった、やる」
鬼気迫る表情の土御門さんと三条さんを避けて、おれたちの周りだけぽっかり席が空いている。快適といえば快適なんだけれど、すっごい視線が集まってるんだよなぁ。
原因は十中八九、土御門さんだ。
祓魔師協会の大御所でありながら、ここしばらく一切顔を見せることなく三条さんが全てを代行していたこともあって色々な憶測が飛び交っていたらしい。それを伺うような視線である。
周囲が空いているのを良いことに、おれはリアに膝枕をしてもらいながら寝そべっていた。正直、この披露会にそこまで思い入れはないのでさっさと明日の決勝を終わらせてナイトプールに行きたい。
別荘のときと同じ水着、と思っていたんだけれど、スパチャが予想以上の額になっていたこともあって環ちゃんが全員分新規に買いそろえて来ましたとも。
「来年に回しても良いですし、何ならプイッターとかにあげる写メだけでもとりましょうよ!」
皆のニュー水着デザインはおれにも内緒のままなのでわくわくドキドキである。
皆の水着姿に想いを馳せていると、脂っこいだみ声が聞こえた。
「おやぁ、土御門さんじゃァありませんか」
「……チッ! ああ、これは依光さん。ご無沙汰しております」
すごくにこやかなキモチワルイ表情の土御門さんになったけど、いまメチャクチャ大きな舌打ちしなかった?
聞こえたのおれだけってことはないよね?
だみ声の主はでっぷりと太った中年男性。スラックスに半袖ワイシャツだけど、脇と首の辺りが汗でぐっしょりと濡れているのが見えた。
髪の毛に感触があったのでこっそり振り返ると、ルルちゃんがおれの髪をくんくんしていた。そのままぎゅっと抱き着いて深呼吸まで始める。
……どうやら臭いがキツいらしい。ルルちゃん五感が鋭いもんね。
依光氏の脇には、能面のような表情を張り付けた女性。
スーツでビシっと決めた姿は美人秘書って感じなはずなんだけれど、虚無にすら感じられる表情がどこか恐ろしい雰囲気だ。
「いやぁ、三条どのに任されて姿が見えないから、体調でも悪いのかと心配していたのですよ。ほら、御父上も貴方が若い頃に亡くなっていますしねぇ」
「お陰様で元気に過ごさせてもらっていますよ。依光さんこそ調子はどうですか? 春頃にどこかの愚か者が人工妖魔を作った件でやることが重なり、顔を見せることも出来なかったのです」
依光氏と土御門さんはお互いに貼り付いたよううな笑みを浮かべたままうすら寒いやりとりをしていた。
副音声で殺意と悪意が聞こえてきそうなレベルのバチバチ感である。
「これからご子息が試合だとか。良い結果をお祈りしておりますよ」
「ありがとうございます。何分、出来の悪い息子でご期待に沿えるかわかりませんが精いっぱい頑張らせて貰います」
胃、胃が……胃がおかしくなる!
なんなのこのやり取りは!?
本当に嫌味を言いに来ただけなら早くいなくなってくれ!
心の中で祈っていると、それに気付いたのかクリスがすっと立ち上がる。おれの髪をくしゃりと撫でると、
「おいデブ」
「なっ、はぁ!? 貴様、私を誰だと――」
「用があるならすぐ話せ。ないなら消えろ」
「な、舐め腐りおって、――」
「《換装:剣》」
目にもとまらぬ早さで切っ先をおっさんの首元へと近づけていた。いつの間にかリアの手にも大剣が握られており、完全に臨戦態勢であった。
「酷い臭いだ。消えろ」
いくら何でも喧嘩っぱや過ぎでしょ!?
慌てて止めようとするけれど、ルルちゃんが後ろからがっちり抱き着いてきて動けない。
「……フン! おい、行くぞノロマ!」
依光氏は秘書らしき女性を罵倒しながら去っていった。
マジ、何なの……?
「ってクリス! ムカついただけで剣はさすがにヤバいって!」
「? 何を言っている?」
「あまねおねえさま、気付いていませんでしたの?」
「えっ……何が!?」
「くしゃかった、れす!」
「呪いの臭いがしたぞ。それも飛び切り醜悪な臭いだ」
「お付きの女性からも感じましたが、あの男性が発生源でしたわね」
クリスとリアの表情は何とも苦々しいものだった。ルルちゃんなんか鼻をつまんでいる。
「ふむ……臭い、ですか」
「三条、調査する余裕はあるか? 事務処理は全部俺に振れ」
真面目モードになった土御門さんが全部受け持つからそっちの調査をするように言えば、三条さんはこくりと頷いた。
「ここ最近調略した者の中に、そういった術式を専門に扱う者がおりますので、渡りをつけましょう」
「依光は遠隔地からの呪術を得意としていた筈だから、何かを企んでいる可能性は充分にあるな」
そうこうしている内に葵くんが入場してきた。
ボクシングとかK1とかを彷彿とさせるテンションで喋る実況者がコールすると、ワッと会場が沸く。実況者もそうなんだけど、会場のテンションもメチャクチャ高いんだよな。
なんかこう、呪術とか魔術とかって聞くと真っ暗闇で高笑いしたり、ドクロに五芒星を書いたりしてるイメージがあるんだけど、イベント会場で緊急告知を受けたファン達みたいなノリでちょっと楽しくなってくる。
「あまね?」
「おねえさま……まさかとは思いますが、これの影響受けてらっしゃいますの?」
「ふぇ? これって?」
「この声の主が使っている、《思考誘導》の術式ですわ」
「まって」
何それ怖すぎるんですけど!?
「安心しろ。気分を高揚させるだけのものだ」
「いやいやいや!? 安心できないよ!? 普通に怖いんだけど!?」
「毎年恒例ですが、会場を盛り上げるための措置ですな……実況を担当する設楽家は《思考誘導》や《感情操作》などに長けておりますので」
「不安なら《結界》でも張っておくか? 特に危険性はないが」
「……クリスと土御門さんが危険なしって言うなら別に良いですけど」
いやでもちょっと不安なような?
うーん、何とも言えないな……。
もやっとした気分で試合会場を見れば、狩衣に小太刀二刀流の葵くんと上半身裸でゴムっぽい短パンの青年が相対しているところだった。
エキセントリックな出で立ちの対戦者にちょっと引いたところで、三条さんが解説を入れてくれた。
「あれは久松の小倅ですか。犬神使いの系譜ですな」
「いぬがみ」
「左様です。久松の術式は独立した式神である狗と違って憑依させるため、服が邪魔なのです」
三条さんが言うには、柚希ちゃんの管狐みたいに独立して使役するタイプを「狗」とか「狗神」と呼ぶらしく、自分や他者に憑依させるタイプを「犬神」と呼ぶんだとか。
説明を聞いている傍から試合開始のゴングが鳴り、対戦相手の久松さんとやらが膨れ上がった。
「人狼か」
みちみちと肉が裂け、弾けるようにして現れたのは血にまみれててらてらと光る黒の体毛。頭は完全に狼や犬のような形になり、上半身と下半身が大きな、やや括れたシルエットへと変貌する。
鋭い鉤爪と牙が武器なのだろう、人狼はそのまま正面から跳びかかった。振りかぶった腕を叩きつけると石畳が砕け、粉塵が舞い上がる。
が、そこには葵くんはいない。
人狼は早いが、葵くんはもっと早い。
葵くんは息が詰まるほどの猛攻を搔い潜りながらもきちんと反撃していた。小太刀を使って撫でるように切る。ほとんど傷は見えないけれど、時々赤いものが飛沫くので浅い傷がついているのだろう。
「慎重すぎるな」
クリスがつまらなそうに判断するけれど、三条さんがすかさずフォローする。
「ああ、あれは私めがお願いしたのです」
「お願い?」
「ええ。久松は敵対派閥の一つですので、余裕があるのであれば切り札の一つも暴いてみては、と」
ということは、だ。
「わざと手加減して相手がブチ切れるの待ってるってことですか?」
「環様の仰る通りです。余裕がなければすぐ決めてしまって構わないとは言ってあるのですが」
「葵なら余裕だ。人狼の動きが大雑把すぎる」
「知能が低下しているのではありませんこと?」
元勇者たちが酷評するけれど、確かに葵くんには随分と余裕があるように見える。避けるときも、クリス相手だと全身のバネを使ってギリギリで避けてるけど、今はふらっと少しだけ動いたら相手の攻撃範囲から外れているように見える。
『おおっと! ここで久松選手が奥の手を使うようだァ!! 見るからにか弱い自称ご令息相手に随分と殺意が高いぞぉぉぉぉぉ!?』
実況の設楽さんが無駄に葵くんを煽りながら解説するけれど、人狼側の変化はかなり強烈なものであった。
ぼごり、と両肩が弾け飛んだのだ。
そこから、新しい狼頭が生えてくる。
『犬神が変形したぞぉぉぉぉ! 異形の三頭、ここから巻き返せるかァ!?』
左右の狼頭がガチンッと牙を鳴らし、炎を吐いた。
もう人狼とかじゃなくて完全にクリーチャーじゃん!
土御門さんも三条さんも「ほう」とか感心してて良いの!?
おれの焦りもむなしく、火炎放射器みたいな勢いの炎が葵くんへと殺到する。
が。
「炎熱遮断、急急如律令!」
呪符とともに葵くんの魔力が弾け、炎を吹き散らす。炎に炙られる形で結界の輪郭が浮かび上がるけれど、葵くんには一切届いていなかった。
炎を押し返すように葵くんは疾走する。
小太刀を両の膝に突き立てると、そこを足場にして相手の真正面へと跳び上がった。無手になってはいるけれど、跳躍した勢いのまま中央の頭に膝蹴りをブチ込む。
ガッ、とやけに硬質な音がして狼頭が跳ねあがった。
そのまま両手に構えた呪符を投げ――ようとして、やめた。脳震盪でも起こしたのか、人狼はどうっと倒れて、普通の人間へと姿を戻していく。
体毛が消えたからか、全身に浅い切り傷がついているのがよく見えてしまった。
すっごい痛そうだ。
葵くんは静かに着地すると、仰向けに倒れた対戦相手から、小太刀を引き抜いて血糊を拭う。
『一瞬! 一瞬で決着ぅぅぅぅ! やはり自称ご令息は土御門の系譜! 久松選手が奥の手を使うまでは完全な舐めプで遊んでいたようですっ!!!』
うーん、昨日もそうだったけど、土御門家って悪評すごくないですかね?
……あ、この実況者も敵対派閥ですか、そうですか。
でも密約を結んでいるからこれから少しずつ、周囲に不審に思われない程度に関係が良くなっていく?
全然そうは見えないんですけど……祓魔師の人間関係ってどろどろで苦手。
何はともあれ、葵くんは無事に勝利したのであった。