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◆038 おもいびと/おもわれびとのゆううつ



「よし、ここまでにするか」

「お、押忍……!」


 弾む呼吸を抑えながら何とか返事をすると、俺はたまらず地面にどうっと倒れ込んだ。板張りの床ですら温く感じる夏は苦手な季節である。家訓で15まで伸ばしっぱなしにしないといけない髪もベタベタ貼り付いて気持ち悪いし、クリスさんの訓練はかなり過激な実戦系なので正直相当しんどい。

 昔、髪の毛のことで反発したことがあった。何を言っても切るな、の一点張りだった父に俺が怒りをぶつけたのだ。


「じゃあ親父の時はどうだったんだよ!?」


 俺のことばに親父は古いアルバムをひっぱりだしてきて、無言で差し出した。そこに写っていたのは、だれがどうみても似合わない長髪の青年。

 若かりし頃の父であった。

 さらにページをめくれば、祖父、曽祖父と全員がしっかり長髪で写っていた。全員もれなくどことなく浮ついたような、にやけた笑みを浮かべていた。長髪と相まって非常に気持ち悪い。


「……ナニコレ?」

「断髪前夜に撮った写真だ」


 鬱陶しい長髪とおさらばできるのでにやけているらしい。そりゃ俺だって切れるってわかればそうなるよ……。

 アルバムをめくっていくと写真はモノクロになり、銀塩写真まで存在していた。ぐうの音もでないほど代々キッチリと守られてきた家訓であった。

 そんなわけで鬱陶しい髪を床に散らしたまま、俺は呼吸を整えていた。

 訓練は辛いけれど、強くなる実感があるのも事実だし、断るつもりはない。特に異世界での特訓はすごかった。あれから、術式や刃を人に向けることに一切の躊躇いがなくなった。

 一皮むけたというか、覚醒したというか。

 訓練をしているときなど、無意識にトドメまで刺そうとして慌てて止める始末だった。


「はい、お茶」

「ありがと、姉さん」

「大悟さんもどうぞ」

「ありがとうっす」


 お茶を飲んで一息ついたところで、目の前でイチャついている姉の彼氏、大悟さんに探りを入れる。


「えっと、大悟さん。今日はおひとりですか? 環さんやあまねさんは?」

「あー、何か家でやることがあるって言ってたっす。多分先輩の引退動画編集したりしてると思うっすよ」

「そうですか」


 あまねさんの名前も出したけれど、目的はもちろん環さんである。姉の友人で、あの気難しい父までもが手放しで褒める才媛。だというのに気取ったところは一切なく、むしろこんな俺を相手に気さくに話しかけてくれる優しさをもった女性である。

 俺の周りにいる女性は、見た目はともかくとして性根が醜い者が多い。

 金に目がくらみ、見え透いたおべっかを使う者と、俺を女だと嘲る者。或いは、悪意はなくとも俺を女に見間違える者。

 どれも大嫌いだった。

 でも、環さんは違う。おかしいことはおかしいとハッキリ言ってくれるし、良いと思ったことはほめてくれる。さらに言えば、初めて会った時にきちんと俺が男だと分かってくれていたし、今も男だと思ってくれている。

 家族以外できちんと俺をみてほめてくれたのは、環さんが初めてだったと思う。


『うん、シンプルだし、かっこいいよ』


 あの夏。栃木の元別荘で掛けられたことば。

 それが俺の脳内で木霊して離れないのだ。

 変に媚びた感じも一切なく、やりたいことをやりたいようにやる奔放な性格だからこそ、あの言葉が嘘ではないと信じられる。

 さらには国として崩壊した聖教国を立て直した責任感の強さと機転。

 そして、見た目ではなく中身で俺を見てくれる人間性。

 まさに最高の女性であった。

 ただし、恋愛対象が女性であることを除けば、である。あまねさんやクリスさんたちと恋人みたいな関係にあるというのは大悟さんから聞いていたし、大悟さんと姉さんの交際を泣いて止めたとも聞いている。

 あまねさん、クリスさん、柚希さん、ルル、姉さん。

 誰が本命なのかは分からないけれど、環さんの恋人は女性である。

 姉さんと大悟さんが付き合うのを止めたってことは、姉さんの可能性も充分にある。

 むしろ、その可能性が一番高いかもしれない。


「いやでも、俺も顔の系統は姉さんに似てるし、ちょっぴり(・・・・・)中性的だから……?」


 可能性は、あるんじゃないだろうか。

 仲睦まじく話をしている姉さんと大悟さんを見ながら、俺も環さんとあんなふうになりたいと強く願った。

 見た目だけで言えば正樹さんみたくなりたいけれど、あのカップルは見ていると口から砂糖が出てきそうになるのでちょっと、とは思う。

 幸せそうなのは良いことだけど、本気で何かの呪いかと勘違いするほどに甘い。知り合ってからは兄貴に筋トレとか男らしい精神の在り方について相談するためにちょくちょく電話させてもらっているけれど、毎回とんでもない勢いの惚気が返ってくるのだ。

 俺はもっとさらっと、それでいて穏やかな感じがいい。

 環さん……また会いたいな。姉さんに会いに、でも良いから遊びにこないかな。


***

 

「はぁ……」


 トイレに入る。鍵をかけたことを確認し、下着を降ろして人心地。

 アルマは献身的に尽くしてくれるしおっぱい大きいしで言うことはないんだけれど、さすがに四六時中私を見ていられると疲れる。そういう意味では、ひとりになれるトイレという場所は貴重なスペースである。

 理由は単純。慣れていないからだ。

 どこぞの小説にでもでてきそうな超絶お嬢様ならともかく、私はそれなりに裕福とはいっても所詮は中流家庭の出身。お手伝いさんなんていなかったし、何なら忙しくて家を空けがちな両親のせいで独りでいることの方が多かった。いや兄貴はいたけど完全に無視してたし。

 そうなると、当然ながら人に(かしず)かれる生活なんて送った経験もないわけで。

 ましてやアルマは奉仕中毒と言っても過言ではない。何しろ、最初は「咀嚼(そしゃく)はなさいますか? 私が代わりに咀嚼することもできますが」なんて頭のおかしい提案をしてきたくらいだ。

 私が持ってる薄い本コレクションにも、そんなマニアックなプレイのものは一冊しかない。

 いやまぁ何でも希望に応えてくれる年上のお姉さん――少なくとも見た目や所作は年上だ――というのは非常に宜しいものではあるけれど。

 トイレを終えるが、外に出る前に少し考え事をする。センサー式の自動水栓なので、立ち上がってしまうと水が流れる。そうすると外で控えているアルマが出てこないことを不審に思うだろう、と拭くだけ拭いてそのまま座り続けている。

 考える内容は決まっている。

 私のたどり着いてしまった、ある推測に関してである。


 ――異世界では、何故か日本語が使えた。


 あまねさんは「不思議パワー! さすが異世界! 異世界さすが!」とはしゃいでいたけれど、間違いなく日本語が使われていた。

 これは色んな人の口元なんかを観察して分かったことだけれど、ラノベやゲームにあるような不思議な力で勝手に翻訳されているわけではなく、完全に日本語を喋っていたのだ。

 そうなると、今まで存在すら知らなかった世界の言語を使っていたことになる。

 ここで考察は打ち止めだったのだけれど、アルマという存在が大きなヒントになった。アルマは私に合わせて、自動的に日本語を喋るようになった。あまねさんのいう不思議パワーじゃないけれど、未収得の言語体系であっても主人のためならば瞬時に喋れるようになるらしい。神代の技術だ。

 彼女は、私が触るまで起動することなく放置されていた。

 当たり前の話だが、聖教国の人間や或いは他の国の人間だって彼女を精査しなかったはずがない。

 にも関わらず、私が触るまで一切起動することなく長い時間を過ごした。

 彼女は言った。


「神代の者たちは、自らのためにさまざまな奉仕種族を作った」と。


 その完成形がアルマなのだと。

 アルマたち自律型生体人形の起動は触れるだけ。いかにも怠惰を極めようとする者たちには素晴らしい起動方法ではあるけれど、他の奉仕種族で起動してしまったとしたら、問題なんじゃないだろうか。もしも私が製作者ならば、奉仕種族が触れても起動しないように

 だとすれば、獣人やクリスさんたちのような現地の人々は――


 思考の沼に入り掛けたところで、トイレのドアがノックされる。


「環様?」


 アルマだ。


「もしや、お便秘ですか? このアルマ、環様の便秘を改善すべく――」

「ち、違う!」


 誰が便秘ですかっ!?

 もしあまねさんやクリスさんに聞かれたらどうしてくれるんですかっ!!!


「もうちょっと掛かるから待ってて」

「……かしこまりました」


 本当に、過保護というか何というか……。苦笑しながらももう一度思考の中に意識を潜らせる。

 異世界だけでなく妖魔だって不思議だ。

 しばらく前に葵くんから聞き出したところによると、人の『畏れ』を得て強くなる怪物らしい。公には存在は否定されているはずなのに、そこかしこに伝承やら伝説が残っている妖魔。

 あまねさんたちが春に相対したという、クトゥルフ神話をベースとした妖魔。

 人の想いや感情が妖魔の糧となるらしく、人工的に作られた妖魔は『畏れ』を集めていたんだとか。あまねさんはえっちなことを糧にしているし、妖魔ごとに違うものだと仮定する。

 もしも、だ。

 もしも、人の信仰を糧にする者がいれば、それは――……。

 考えてはいるけれど、思考はまとまることなく零れ落ちてしまう。そもそもどうやって己を定義して、どういう生理機構でエネルギーへと変えているのかも分からない。

 今度また葵くんを捕まえて聞いてみようと思い立ったところで、再びの声。


「環様? やはりここはアルマめの拡張機能である無痛浣腸(むつうかんちょう)で頑固な便秘を――」

「だから違うって!? あまねさんたちに聞かれたらどうするの!?」

「大丈夫です。このアルマが、便秘が解消されたことをきちんと確認し、誤解のないようお伝えします!」

「そもそも便秘じゃないからね!?」


 二度目のご機嫌伺いに、慌てて立ち上がる。

 が、時は既に遅し。

 アルマが10円玉もなしに鍵を開け、ドアをがばっと開けてしまったのだ。


「た、環様! 私のために仕事を残してくださったんですね! 今、お下着を着せて差し上げますっ!」

「じっ、自分でやる! 自分でやるから!」

「遠慮なさらずに! さぁ! 手をお放しになって!」

「くぉおおおお力強いいいい! 自分で! やりますっ!」

「なぜ私に敬語を!? まさか、奉仕が足りないとか……やはりここはしっかりとお世話をしないと!」

「こ、このぽんこつぅ!」

「ぽんこつ!? 有能さを示すためにもお世話を! お世話をさせてくださいっ!」


 私がぱんつを押さえ、アルマがあげようとするという意味不明な攻防中に、あまねさんとリアに通りかかられた……めちゃくちゃ恥ずかしかったのでアルマには一時間お世話禁止を言い渡すことにした。

 あまねさんもリアも生温い視線を私に向けるのやめて。

 後で覚えていてくださいね……?


「アルマは一時間お世話禁止! 大人しくしていなさい!」

「そ、そんな……私はもう不要なのですか? 自壊を命じてくだされば今すぐに塵となって消えましょう……!」


 いや重たいって。


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