◆035 初回起動時は設定が大変
問題が起きたのは、ラナさんの性質が逆転してから4日後のことだ。こっそり会いたい、と言われてラナさんだけがおれたちのところへとやってきたのである。
若干焦ったものの、
「お兄、元気やよ? ラナさんばじょうもんやー、言うて今もプイッターに惚気あげよる」
とのことなので、無事なら別に良いかと気を楽にして会うことにした。ちなみにリビングにいるのはおれと環ちゃんの二人だけである。
クリスは柚希ちゃんを連れて「最後の仕上げ」とか意味がわかりたくないことを言って葵くんを拉致していた。
あんだけ理性をなくしていた葵くんを、これ以上どう仕上げると言うのか。
いや、怖いから聞かないけど。
一応、最後の良心としてルルちゃんにもついてってもらったので何とかなると信じたい。
……なると良いなぁ。
心を無にしながらコーヒーを淹れてラナさんに渡す。席についたところでさっそく本題が切り出された。
「実は……」
頬を染めながら話すラナさん。
「私の、その、性質って、知ってますよね?」
「ああうん。『詩歌の才能を授ける代わりに精気を吸い取る』だっけ。吸精だよね?」
「はい……その、あの、吸精が逆転してしまったようで、あの、正樹さんが、その」
言い辛そうに口ごもるラナさんから何とか聞き出した話をまとめると、つまり。
まぁ愛し合う二人を隔てる障害がなくなれば、行きつく先は決まっているわけで、夜な夜なベッドの中で運動会が繰り広げられることになるわけだ。
そんでもって、本来ならばマイナスになるはずの吸精が逆転したことによって、すればするほど健康的かつ元気になっていくと。
昨日なんて体力がもたずに意識を失ったけれど正樹さんは朝まで頭を撫でてくれて、でも満足させられてないかもと思うと不安で――以下略。
うん。
知るかああああああああああああああああああ!?
どうしろってんだよ!?
というか生々しいんだよ!!!
こちとらちんちん生やすのに毎晩限界まで運動会をしようとしてクリスに叱られたばっかりだぞ!?
そのせいで逆転の聖杯には薄っすらと飲み残し程度の液体が見えるか見えないかと言った感じにしか溜まってない。蒸発しちゃうんじゃないかとヒヤヒヤしながら毎日見ているくらいである。一応ラップを貼って冷蔵庫に入れてるけど!
聖杯の扱いそんなんで良いのか、とも思って色々悩ましいんだよ!
「えと、それで、おれたちはどうすれば……?」
訪問してきた意図が読めずに質問すると、何故か隣に座る環ちゃんがドヤ顔をした。
あ、碌でもない。
碌でもないことセンサーがびんびん反応してる!
「簡単ですよ。私たちが正樹さんが満足できるよう色んなテクニックを伝授してあげれば――」
「しないよ!? ナチュラルにラナさんを巻き込もうとするのやめて!?」
「いやほら、すればするほど元気になるなら、あまねさんの魔力も無限に――」
「……し、しないっ! 絶対にしない!!」
魅力的だとか思ってない!
柚希ちゃんのお兄さんなんて、最早身内みたいなもんじゃん!
身内からNTRなんて絶対に嫌だ。大悟だったら催眠調教モノとか好きだし割と雑食系だからOK出す気がするけど、おれが好きなのは純愛ハーレム路線だ。誰かが不幸になったり悲しんだりするのは好きじゃないのだ!
その後も環ちゃんがちょっとゴネたけれど、
「NTR好きって大悟みたいだね」
と告げたところ一撃で静かになりました。若干涙目でぷるぷるしてたんだけど、そんなに嫌ですか?
あ、うん、嫌だよね。トラウマの元凶だし、環ちゃんが男嫌いというか、百合娘になったきっかけでもあるし。
悩んでるんです、と言いながら糖分をぶちまけ続けるラナさんなんだけれども、最終的には環ちゃんが言いくるめて納得させていた。
「ほら、大切なのは気持ちですよ。帰ったらいーっぱい甘えて、いーっぱい好きって伝えてあげてください」
「そ、それで満足してくれるかしら……もし飽きられたりしたら……」
「あり得ませんね。試しに今『好き』ってメッセージ送ってみてください。きっと秒で返信かえってきますよ?」
「えっと、」
「仕事や私事よりもラナさんが大切っていう証拠です。ほら、早く」
「はいっ」
勢い込んでぽちぽちとスマホを操作する。
「お、送りますねっ!?」
言って、スマホをタップした瞬間にブブブと振動した。
「あ、返ってきました」
「はっや……! むしろ怖いんだけど」
スマホを覗き込むラナさんの顔がでろでろに蕩けていくのでちょっと見せてもらったけれど、
『ラナは本当に俺の女神だ。ラナにあってから世界は虹色に見えるし身体は羽根のように軽い。今日なんて普段の三倍くらいの仕事を熟せたと思う。これならきっと、夜は普段の五倍はラナのことを愛して――』
目からサトウキビが生えてきそうになったので見るのをやめる。というかメッセージ打つスピード早いな。びっみょーにポエムっぽいけどセンスがないように感じるのはきっとラナさんの性質が逆転したからだろうな。うん、そういうことにしておこう。
おれたちのメッセージとはえらい違いである。
『スーパー来たけど何か欲しいものある?』
『チーズ』
『[チーズ画像]』
『おけ。左から二番目と三番目の奴。右端の見切れてる奴も欲しい』
『はいよー』
『ルルはチョコだって』
『はいよー』
以上。熟年夫婦っぽさがにじみ出る簡素さである。ちなみにクリスは『おけ』という俗語をよく使う。最初は打ち間違いだったみたいだけど、予測変換に出てくるようになったからそのまま使い続けているらしい。
「あ、ありがとうございました! 正樹さんのために、精の出る料理をつくらないと!」
ラナさんはスマホを胸で抱えてはにかみながら帰っていった。夕飯のレシピはカキフライとうなぎと短冊切りの山芋だそうだ。いや、ラナさん元気すぎるって悩んでたんじゃ……?
「……あれ以上精がついたら、ラナさん死んじゃいません?」
「あーうん。まぁ魔力は漲ってるみたいだったし大丈夫じゃないかな」
聞いた限り、正樹さんはラナさんを気遣ってるらしいし。
何か急激に疲れたおれたちはベッドで少しゴロ寝でもするか、と移動。本当だったらそのまま運動会なんて感じになるんだけれど、
「あ、スマホ取って来ます」
環ちゃんがぱたぱたとスリッパを鳴らしながらどこかに置き忘れたらしいスマホの回収に向かってしまった。
もー。
ラナさんの話聞いてちょっとお腹減ってるし、クリスもいないから堂々とつまみ食いしようと思ってたのに。
まだかなー、とベッドでぼふんぼふんしたり尻尾をゆらゆら動かしたりして待つ。
「……遅くない?」
スマホが見付からないのかな、と思い立ち、手伝ってあげようと部屋をまわる。
リビング、いない。大悟の部屋、いない。と見て回っていたところでドタンと大きな音がした。
「環ちゃん、大丈――えっ!?」
配信部屋に、女性がいた。
髪はハニーブロンド。ふんわりとカールした髪は肩甲骨くらいまで伸びていて、上品な感じである。モデルのようにスタイルの整った長身をクラシカルなメイド服に包み、同じくハチミツ色の瞳でおれの姿を見つけると、深々とカーテシーをした。
まるで作り物のように整った顔には、慈愛を感じさせるような笑みが浮かべられていた。
ん……?
作り物のように?
「ってこれ、環ちゃんが持ってきた人形!?」
「はじめまして。この度は■■■■社の■■■■をお選びいただき、ありがとうございます。初期設定を行ってください」
よくよく見れば、人形が入っていた棺桶的なものが空いているし、ドアの横では環ちゃんが腰を抜かした状態でへたり込んでいた。
「環ちゃん!?」
「あ、あまねさん……」
「大丈夫!? 何もされてない!?」
「いや、あの、腰が抜けちゃって……」
さすがに、ただの人形だと思っていたものが動き出したらそうなるよね。おれだったら怖すぎて柚希ちゃんみたくなってたかも知れない。水分的な意味で。
「はじめまして。この度は■■■■社の■■■■をお選びいただき、ありがとうございます。初期設定を行ってください」
人形的なサムシングはおれを見つめながらも、まったく同じトーンでまったく同じ言葉を繰り返した。とりあえずは突然襲われたりする心配はなさそうでホッとする。
ほら、ホラー映画だと人形が襲ってくるのって結構あるし。『チルドレンプレイ』って映画のガッキーくん人形とか、鋏とか持ってきて大暴れするし!
とはいっても油断はできない。
質問に答えたらアウト、みたいなパターンもあるかも知れないのだ。
『あなたは、そこにいますか……?』とかね。
「はじめまして。この度は■■■■社の■■■■をお選びいただき、ありがとうございます。初期設定を行ってください」
三度、同じ文言が繰り返される。
どうしたものかと思案すれば、環ちゃんがちょいちょいとおれを呼んだ。
「あまねさんあまねさん」
人形からは視線を外さないように環ちゃんの元に行くと、環ちゃんは結構ケロッとした感じである。
「あの、今からあの質問に答えてみようと思うんですけど」
「エッ」
「何かあった時に私一人じゃ逃げられないので」
「アッ、ウン」
「危ないと思ったら私を連れて《転移》してもらって良いですか?」
「アッ、ハイ」
そうだよね。
おれが考えつく程度のリスクなんて、普通に環ちゃんが気付かないはずないもんね。我ながら情けないとは思うけれど、環ちゃんがリスクヘッジ出来ていそうならばやってみるのも良いだろう。
本当はクリスとか三条さんとか、元気だったら土御門さんも呼びたいくらいなんだけど、時間経過で何かが起こる可能性もあるし、魔法を使うことがトリガーになる可能性だってある。
そうすると、あまり悠長にはしていられないのである。
ペタンと座り込んだ環ちゃんの背後、ぎゅっと抱きしめるように《転移》の準備をすると、環ちゃんの肩を叩いて合図。いつでも逃げられるしなんとかなるはず。
「はじめまして。この度は■■■■社の■■■■をお選びいただき、ありがとうございます。初期設定を行ってください」
四度目のセリフ。社名と名前、だろうか。聞き取れないところは言葉がたくさん重なったようなノイズになっていて、どう考えてもヒトに出せる音ではなかった。
ごくりと喉を鳴らした環ちゃんは、意を決して口を開いた。