◆挿話 クリードのおしごと
「クリードくん。君とは良い取引ができたよ」
辺境伯に笑顔で握手を求められ、こちらも笑顔で応じる。
一介の商人としてはこの上ないほどの大商いであった。
「いえ、これからもぜひクリード商会をご贔屓にしていただければと思います」
「はっはっはっ。もしも良い品が手に入ったり、うちの穀物が必要になったらすぐにでも声を掛けなさい」
「光栄でございます」
恭しく頭を垂れれば、辺境伯は満足して去っていった。あとに残った家令とやり取りを進め、俺がようやく一息をついた頃にはどっぷりと日が暮れようとしていた。
小麦と肉。
広大な土地を有するここの辺境伯と取引をする理由はその二つを得るためだ。
それこそ、馬車で数えるのが馬鹿らしくなるほどの量を買い込む羽目になった。原因は、『ガラスの君』。
少し前に取引をした貴族崩れっぽい二人組の紹介で出会った、正体不明の女だ。
家名を知れば首が飛ぶ、と言っていたのでどこかの王族の御落胤辺りが最有力だとは思うが、家名を名乗れないのは俺だって変わらないので何とも言えない。貴族とはどこにいっても面倒なものである。
もっとも、俺が家名を名乗れないのは子爵家の六男で、とっくの昔に貴族籍を剥奪されて平民になっているというだけの理由だが。
『ガラスの君』は少し前に俺にガラスの売買や聖教国とのパイプを求め、今は大量の食料を求めていた。
厄介なのは、この取引がどう考えても利があるものだってことだ。
家が軋み、悲鳴をあげるほどの金貨が俺の元へと流れ込み、彼女が求めるものを買うために吐き出されていき、再び元の量を超えるほどの金貨として戻ってくる。
本当に、どうなっているんだか。
嘆息しながらも宿屋の一階に併設されている酒場で夕食を頼む。
同席しているのは、あごひげを蓄えたしわくちゃの老人。高くもない役職とは裏腹に聖教国において多大な影響力と人脈を持つシンセロ高司祭である。
「とりあえずシェリー酒を。できるだけドライなものにしてくれ。シンセロ殿は?」
「儂はこれでも聖職者のつもりでの。贅沢はしないことにしておる」
シンセロ高司祭は穏やかに断ると、ふすま入りのパンと僅かなサラダを注文するに留めた。
これだ。
家柄も高く、人徳もある。
本来であれば大司教や枢機卿となっていてもおかしくないだけの人間である。ひょっとすれば、教皇になる目すらあったかも知れない。
にも関わらず、この御仁はそれらを全て蹴り、自ら出世の道を断った。
「儂の信仰は、役職にも権力にも存在せんでな」
そんな風に嘯き、地方の教会で隠棲していた彼を引きずり出したのも驚きだが、それよりもさらに驚くべきことがあった。
なんと、聖教国にて大規模な革命が起こったのだという。シンセロ高司祭は『神罰』と表現していたが、どう考えても革命であった。
その革命も、風の噂で囁かれた情報を集めると『ガラスの君』が裏で糸を引き、御使い様を降臨させたことが原因ではないかと推測できた。
もちろん俺は神など信じていないが、そうすると『ガラスの君』は国を相手取ってペテンに掛け、あまつさえシンセロ高司祭を始めとした清貧な、真の宗教者までもを騙し切ったことになる。
「聖教国の未来に」
「ほほほ。聖教国ではなく、あまね真教国に、じゃな」
「これは失敬。では、あまね真教国に」
どんな手法を使ったのかは知らないが、『ガラスの君』は今や国の重要ポストに収まっている。とはいえ、それらは一時的なものであるらしく、真教国が落ち着き次第その座を譲ると明言しているのだとか。
本当に、何を目的としているのかが一切分からない。
今は真教国を落ち着かせるために東奔西走しているらしい。俺がこの領地で大量の食糧を商ったのも、真教国樹立を祝う祭りのためである。
確かに飢えを忘れ、怒りを忘れ、悲しみを忘れられる催しを施せば求心力はあがるだろう。一時的かも知れないが、国としての安定も見込める。豊かであればそれだけ争いは減るのが常である。
だが、それがどの国でも実施されないのは、財源がないからである。
では、真教国の財源はどこだ、と探れば、やはり『ガラスの君』の名が挙がった。
今まで権力を持っていた者達――シンセロ高司祭に言わせれば背信者――から取り上げた私財と、足りない分は『ガラスの君』自身の私財でまかない、それこそ国中に行き渡るほどの食料をかき集めているのだ。
もちろん、俺一人で用意できる量ではないのでたくさんの商人が周辺国へと赴いている。俺自身は『ガラスの君』と知己であることや、何故かそれなりの信頼を得ていることから商人たちのまとめ役をやりながら今日のような大口取引を纏めることとなっていた。
「しかし、あまね、ですか。不思議な響きですな」
「あまね様、と。夜天に座し、我らを癒し救いを下さる女神様の御名です」
「失礼しました。あまね様の降臨に立ち会えなかったことは、悔やんでも悔やみきれませんな」
気を遣った言い方ではあるが、嘘ではない。
俺が信じているのは神ではなく金と人だ。人に関しては、限りない欲望を悪い意味で信じているだけだが。
だからこそ、神が降臨したとハッキリ言われてみれば、それを見てみたかったという気持ちもあるのだ。
「ご心配召されるな。聖都に行けば、『聖なる声』が聞こえましょう」
「『聖なる声』ですか?」
オウム返しに訊ねれば、シンセロ高司祭は鷹揚にうなずいた。
「神罰の日に我らを導き、女神を呼んでくださった声のことです」
シンセロ高司祭によると、街の至る所に置かれた黒い箱から、同時に声が聞こえるのだという。そんな馬鹿な話があるものか、とも思うが、『ガラスの君』であれば或いは、とも思ってしまう。
神代の品をなんでもないもののように取り扱った彼女であれば、もしかしたらそういった魔道具を持っていることもありえるのかも知れない、と。
「何時とは言えませんが、民草に平和と協調を説き、あまね様の素晴らしさを語り掛けてくれます」
「そうですか。それでは、聖都を訪れるのを楽しみにしておきましょう」
俺の言葉に高司祭は喉を鳴らして笑った。
「貴方の到着は、きっと祭りを始めるための合図となりましょう」
「まぁ、このままいけば地平から続く商隊を引っ張っていくことになるでしょうからな」
祭りの盛大さを予感させるには、良い見世物になるかも知れないな。本当に、何台の馬車が必要になることやら。
一応は《収納》の魔道具も『ガラスの君』が複数用意してくれているが、それがパンパンになるほど詰め込んでも足りない程の食料。
『ガラスの君』が企画する祭りは、それらを無償で配り、民の誰もが楽しめるように執り行われるという。もしも神がいるとすれば、それは『あまね』なる存在ではなく、『ガラスの君』そのものではないだろうか。
或いはどのような聖なる者をも堕墜させるという伝説の大悪魔か。
どちらにしろ、関わるべきではない相手だ。
まぁ、これだけがっぷり食い込んでしまった以上は今更トンズラすることもできないのだが。
「さて、それでは頂きましょうか」
「あ、ええ。そうですね、それでは」
いつの間にか運ばれていた酒を口に運び、言いようの無い不安と一緒に飲み込んだ。