◆030 ある国家の終焉
それからおれたちは件の拷問部屋から有刺鉄線的なトゲ付きのロープを見つけてきてイスカールを縛り直すと、宝物庫へと向かった。いや、柚希ちゃんが、
「ウチん管狐ば、可哀そうやけん」
って言うんだもん。
ちなみにミミズグミは環ちゃんがイスカールの口と鼻に詰め込んでた。大した量じゃないし窒息することはないだろうけども、これ目覚めた瞬間にもう一度失神するんじゃなかろうか……。
ぐっだぐだな上にとんでもないことになってる気もするんだけど、宝物庫から欲しいものを失敬した後に全部を丸く収める方法があると断言されたので、急いで回収に向かった。
めちゃくちゃ重そうな金属の扉をクリスが魔法で吹き飛ばして、中に足を踏み入れるとそこは思ったよりもショボい空間であった。
何かの魔道具なのか、裸電球くらいの明かりがある広い空間に、石造りの台座がいくつか乱立した感じである。
それぞれにケースとか解説があったら博物館の一室みたいに見えなくもないだろうけど、何となくかび臭いし大したことはなさそうに感じられる。
せいぜい、装飾過多な棺桶が起立した状態でデンッと置かれていたのがちょっと迫力あるくらいだ。
鋳物っぽい緑色の金属で出来たグラスが目的の『逆転の聖杯』。
一応、最重要ということでさっさと《収納》に入れたんだけど、その間にクリスが禍々しい彫刻の短剣やら木製っぽい盾、呪紋が刻まれた包帯みたいなものでぐるぐる巻きになった双剣なんかを物色していた。
「これも」
「エッ」
「いれて」
「アッ、ハイ」
呪われそうで嫌だったんだけど、ゴリ押しに負けて入れました。あとチョーカーとか指輪とか、装飾品の類もざざっとまとめて持ってきたので入れました。これ、ひとつ残らず持っていく気ですか……?
で、問題が起きたのはその直後である。
おれがぜっっったいに見ないようにしていた棺桶。それを、あろうことか環ちゃんが開けたのだ。
「せーのっ。えいっ……あれ?」
中からミイラとか死蝋が――と思わずクリスに抱き着いてしまったのだけれど、そこに収まっていたのは予想外のものであった。
死蝋なんかじゃなく、ましてやミイラでもない。
「……寝てる?」
普通に、血色の良い女性がそこには収まっていたのである。
ふんわりとカールしたハニーブロンドに、恐ろしいほどに整った顔。モデルのようにスタイルの整った長身を包んでいるのは、丈の長いクラシカルなメイド服である。
とはいえ宝物庫に長年収められていたはずなので、人ということはあり得ないだろう。血色が良いことが気になるけど、そう見えるように塗ったと考えれば、
「えーと、人形?」
「あまねさん! 持って帰りましょう! 裸に剥いて部屋に飾ります!」
「その発言でおれが同意すると思う!?」
「えっ」
「えっ」
なにそれ怖い。
環ちゃん、頭良いはずなのに時々ものすごく頭悪いよね?
とりあえずここで時間を使って外の戦乱で死傷者が出たりすると後味が悪いので、環ちゃんを説得するのは諦めるか。
再び日の目をみるかどうかは別として、棺桶ごと人形を《収納》して、さっさと宝物庫を後にする。
既にあちこちで火の手があがり、夜を切り裂くような炎があがっている中で、おれたちはベランダみたいなところに立っていた。
本当ならば教皇が挨拶をしたり、勇者のお披露目のときとか、演説のときとかに使う場所らしい。
ちなみにクリスも一度ここに立ったとか。まぁ勇者ってスーパーエリートだけども、プロパガンダの側面も強いもんね。
「環ちゃん。どうやって収拾つけるの?」
環ちゃんはにっこり笑うと、おれにこそっと耳打ちをした。
「ええ……」
その内容にドン引きするけれど、「もう一個の方が良いですか?」と聞かれてしまえば答えは否だ。
きょとんとした顔の葵くんに、環ちゃんは目隠しをする。
その横で聞こえてしまったらしいルルちゃんがあうあう言ってるのが可愛かった。
「変身」
おれは《夜天の女王》へと身を転じる。
権能はほとんど使っていないし魔力に不足を感じたりはしないけれど、環ちゃんの提案通りに動くとなると不安である。
まぁやれるだけやるしかあるまい、と翼をはためかせ、飛ぶ。
同時、環ちゃんが空いた手でマイクを握りしめてスポーツの実況者よろしく大きな声で叫んだ。
『全員注目ゥ――――!!!』
キン、とハウリングが耳に刺さるほどの音量だけれど、街の至る所にあるスピーカーからは環ちゃんの声が聞こえる。距離に応じて多少のラグはあるけれど、きちんと作動し続けているらしい。
『腐敗した上層部への怒りは至極当然! むしろ、腐敗を許さない正義の心にこそ神は感銘を受けた! そして、聖教国を救うために一人の女神を遣わした! 見よ、夜天に浮かぶ美しき女神を!!!』
「……《魅了の紫瞳》」
おれがその権能を解き放つといろいろなところで反応があがった。
《魅了の紫瞳》はいわば《魅了》の上位互換である。おれを見た人が、おれへの好意を錯覚するというものだけれど、名を得たモンスターであるおれの権能は性能がとにかくバグっている。
《魅了の紫瞳》は、視界に入っただけでおれに好意を抱いてしまう。そして、見つめれば見つめるほど好意は大きくなっていくのだ。上限はない。
一度話しただけの権能のことまでよく覚えてるよな、とは思うけれど、環ちゃんが提示したもう一つの案は同じくおれの権能の一つで、理性を薄くして性衝動を抑えられなくなる《奔放な獣》を使って都市全員をえっちな状態しちゃえば良いんじゃないですかね、という最高にイカれた提案だったので却下した。
『夜天に浮かぶ女神、あまね様は仰いました! 罪を憎み、人を憎むなと!』
喧騒は完全には止まない。
しかし熱病のような、勢いに乗って理性を失った反乱は確実に弱まる。おれの権能の力もあるし、先ほど上層部の悪事を暴露した天の声が語り掛けているのも原因であろう。
『今、怒りに駆られて衝動のままに行動するのはただの獣と変わりません。すでに罪は白日に晒されました。これから先、きちんと調べ、罪に応じた罰を下すのです。人として、誇り高く理性ある行動をあまね様はお求めになっております。その証拠に、この争いで傷ついた者を、一度すべて癒しましょう』
ベッドの中だと一番ケダモノになる環ちゃんのセリフとは思えない……頭が良いだけじゃなくて、普通に扇動家の才能もあるよね。
そんなことを考えながら、空気中の魔力をぐんぐん吸い取り、できるだけはやい速度で飛び回りながらそこら中にぶちまける。とはいえ普通にやっていたら都市全体に回復魔法を行き渡らせることは不可能なので、使うのは《月光癒》の下位互換である《癒風》である。
「《癒風》、《癒風》、《癒風》、《月光癒》、《癒風》、《癒風》、《癒風》、《癒風》、《癒風》、《癒風》、《癒風》、《月光癒》――」
時々エグい大怪我をした人には《月光癒》を使うけれど、ほとんどが《癒風》である程度は落ち着く。
回復した実感さえあれば、全快でなくとも良いと言われたのだ。
突然飛んできた回復魔法に驚き、争っていた人々はおれを見る。
おれを見れば、当然の如く《魅了の紫瞳》によっておれに好意を抱いてしまう。
そこへきて、環ちゃんがおれのことを女神だと、争いを望まないと演説し続けている。
そうすると、真偽を見極めるためにもおれを注視することになって《魅了の紫瞳》はさらに決まる。
実にタチの悪い洗脳である。
……環ちゃん、どこまで考えて作戦立ててたんだろうか……。
ちなみにおれが魔力切れで墜落しないよう、クリスは屋根から屋根へとぴょんぴょん跳んでついてきてくれている。ベランダで待っている皆の護衛は葵くんと柚希ちゃん。
広い都市なので一度に全部は回り切れない。
なんとなく東側を回ってベランダに戻れば、イスカールと同じ装備を身にまとった騎士たちがベランダを包囲しているところだった。何とか騎士団とかいう連中だろう。どんな連中かはしらないけど、イスカールと同じ装備である時点でおれたちの好感度は最低レベルである。
すとんとベランダに降り立って皆の援護をしようとしたけれど、おれが何かをする前にクリスが吶喊していくのが見えた。おれもフォローだ。
「《淫蕩の宴》」
即座に環ちゃんとルルちゃんへと抱き着きながら権能による強化・弱体化を放てば、クリスと柚希ちゃんが冗談みたいに騎士を吹き飛ばしていた。
仲間内では唯一強烈なデバフが掛かるはずの葵くんはクリスがフォローしてくれ――
「ほら、そっちに一人行ったぞ。捌いてみせろ」
「っぅ……押忍!」
けしかけてる……しかも葵くんも疑問に思わず戦ってる……!
結局、三分としないうちに騎士団は壊滅することとなった。
簡単な水分補給と魔力補給をした後で、今度はなんとなく西側。
環ちゃんから魔力補給しちゃうと演説できる人がいなくなるし、クリスは万が一に備えておれについてくる気満々なので相手は決まっている。
「柚希ちゃん」
「大人んなっとるあまねちゃんな愛らしか……っひゃん!」
結果、クリスにちょっと叱られるまでの一〇分間でおれのお肌は艶々になりました。葵くんは目をぎゅっと閉じて、自主的に耳をふさいでいたのでセーフである。
うん、倫理観がしっかりしててすばらしい。
同じように北と南も回れば、すでに聖都からは争いが消えていた。
上がっていた火の手もクリスが吹き飛ばしたり、正気に戻った――いやおれと環ちゃんに洗脳されてるから正気ではないんだけど――人たちに環ちゃんが指示を出したことで消火されていて、なんとなく焦げ臭い匂いが空気に混ざるくらいで済んでいる。
聖都南端、最後の回復魔法を打ち終えたおれはそのままゆるゆると下降する。流石に魔法の扱いも慣れてきたのか、昔のように突然気絶したりはしないけれど、めまいが酷い。
魔力はすっからかんで、気を抜けば意識を飛ばしてしまいそうだった。
「大丈夫か?」
「キツい……」
「運ぶから、寝てて」
言うが早いか、クリスに抱っこされる。汗をたくさん掻いてるはずのクリスだけど、桃みたいな甘い香りが鼻腔をくすぐった。
首にしがみつきながらぺろりと鎖骨の辺りを舐めると、痺れるような甘味が脳に染みわたる。
――今すぐに貪りたい。
「あまね、駄目」
「待って、あとちょっと」
「もうすぐ皆のところに着くから」
クリスに励まされ、必死で本能と戦い続ける。
――これだけ誘っているのに、なんでその気にならない……じゃない! あぶねぇ!
さっそく本能に呑まれるところだった!
せっかくクリスが我慢してくれてるんだ、おれも我慢しないと。クリスだって本音ではシたいはずなのに我慢してるんだろうし、それだったらいっそのこと今すぐ――って駄目だ! また呑まれてるっ!
そんなことを繰り返し、ベランダにたどり着いた瞬間におれの理性は限界を迎えた。
その気にならないなら、無理やりその気にしちゃおう、と。
「――《奔放な獣》」




