◆023 クリス式ブートキャンプ
魚釣りを終えたおれたちは、その後もキャンプ系の動画をいくつか撮影した。編集次第ではあるけれど、大悟曰く「これならひと月くらいは持つんじゃないっすか?」とのことなので憂いはなくなった。いくら何でも、ひと月も異世界で過ごすつもりはないからね。
せいぜいが1週間、トラブルに遭っても2週間と言ったところだろう。
明日か明後日辺りにはいざ異世界、と皆と相談したところでまさかの三条さんが面会を申し込んできた。
見るからにげっそりとやつれた顔の三条さんは、ちょっとつつけばそれだけで倒れてしまいそうに見える。
にも関わらず仕事が溜まっているのか、おれたちがそろうまでの僅かな時間にもスマホで何処かに電話をしたり、パソコンをいじったり、書類にサインを入れたりと忙しそうに作業をしていた。
そうして集まったおれたちを確認すると、何とも申し訳なさそうに口を開いた。
「試合?」
「はい。毎年一回、各流派から数名を出してトーナメント方式で戦わせるのですが、今年はまともに戦えそうなのがおらず……クリス様か有栖川様にどうしてもお願いしたいのです」
正式名称は『祓魔師協会成果披露会』。
何でも、それぞれの修行の成果を見るという名目で派閥同士が代表者を送り込んで戦うらしい。実戦で披露とかどんだけ脳筋なんだよ……。
また祓魔師協会の権力争いか。
ちなみに去年までは土御門さんが出場し、それなりの成績をもぎとっていたらしいのだが、未だに梓ちゃんに彼氏ができたショックから立ち直れていないとのこと。
三条さんもかなり参っているのが見て取れるし、きっとコンディション的に厳しいだろう。たぶん今ならおれとか大悟でも倒せる。
「葵くんは? 次期当主だし、強いと思うんだけど」
「いえ、若はまだ実力的に――」
「いけるぞ。今の葵ならそこそこ戦えるはずだ」
言い切ったのは、クリスだ。
まぁ二か月もの間イジメ――もとい、修行の監督をしていたこともあり、異世界でモンスター相手に実戦できるくらいの実力はあるんだとか。
「ふむ……クリス様がそこまで仰るなら、それでも良いやも知れませんね。利権を失っても、当主になった後でご自身が取り戻せば良い訳ですし」
あ、これ本気でストレス溜まってる感じだ。
目が完全に据わってるもん。
クリスを信じて同意してるというよりも、駄目でも知らん、的な同意である。まぁ素人代表のおれが見てて成長を感じられるんだし、何よりクリスがはっきり推すんだから、悪い結果にはならないだろうな。
試合の日程や場所を確認したけれど、驚くことに東京ドームが開催場所だった。いくら平日とはいえ、夏休み中の東京ドームでそんな大っぴらに活動して良いんだろうか。
「もしかして、地下深くに徳川家ゆかりの闘技場があったり?」
「……申し訳ありませんが、聞いたことがありませんな」
世間的に公表されていない祓魔師協会がフェス的なものを開催できるわけでもないので、三日間でざざっと終わるものなんだとか。
東京ドームの点検・保守のために取られている三日間というのが、実はこの披露会を行う日程なんだとか。
「並みの術者ならば難なく倒せるだろう。今の葵は、土御門に迫るほどの実力を持っているぞ」
「なんと。クリス様がそこまで仰るとは、相当な自信があるようですな」
「ああ。強いぞ」
何かよく分からないけれど、いつの間にか葵くんが出場することに決まっていた。いや、しかしビックリだな。葵くん、土御門さんに匹敵するほど強くなってたのか。
そんなことを考えながら三条さんを見送った後、クリスはスマートフォンを取り出した。
SNS系のゲームの他、おれ達とメッセージをやるくらいにしか使わない大悟名義のものである。
クリスは慣れた手つきで操作すると、耳元に近づけていく。
どうやら電話らしい。
「ああ、葵か。今すぐこっちに来い。実戦経験を積むぞ。父親レベルにしてやる」
受話器越しに何か言ってるのが漏れ聞こえるけど、これどう考えてもクリスの独断だろ。というか『してやる』ってことは逆説的に『まだなっていない』わけで。つまり三条さんに言ってたのは普通に嘘なのか!?
いや、嘘というか、嘘にしないために葵くんに無茶振りをしてるんだろうけども。
「大丈夫だ。生きるか死ぬかの瀬戸際に自らを置けばすぐにでも強くなる」
「とにかく実戦だ。殺らないと殺られる状況下で徹底的に追い詰める」
「シュラ? そんなモンスターは知らんが、まぁ沢山狩る予定だ。もしかしたらそういうモンスターも狩れるかも知れんぞ」
「大丈夫だ。あまねが回復魔法を使えるし万が一の備えは万全だ」
「良いから、早く、来い。フル装備でだ」
なんだかよく分からないけど、クリスが力技で葵くんの実力を底上げしようとしてるのは理解した。あと葵くんが全然乗り気じゃないのも伝わってきた。
うん、普通にクリスとか柚希ちゃんと試合してた時も酷かったもんね……クリスは聖教国式だって言ってたけど、そりゃクリスが強くなるはずだって思わず納得しちゃったもん。
実は、おれもルルちゃんも一緒に鍛えてもらおうと思ってたんだけど、あまりの過酷さに見学のみで諦めたのだ。
ルルちゃんなんかは完全に心が折れてしまったらしく、
「る、ルルは、ルルは盾になるです! あまね様に回復してもらえば何度でも盾になれます!」
ナチュラルにゾンビアタックみたいな戦術提案までしていた。
決意の方向性が悲壮すぎるので気持ちだけ受け取って頭をなでりこしておいた。
いや、一緒に見てたから気持ちはわかるけどね……人間には無理だよあんな訓練。
「ええと、クリス? なんかすごく強引っぽかったけど、大丈夫なの?」
「大丈夫じゃない。葵は強くなったが、実戦経験というか、本物の殺意を向けることに慣れていない」
だが、と深刻な面持ちのクリスはことばを続けた。
「三条からは死相が見えた。あれ以上負担を掛けたら三条こそ間違いなく死ぬぞ」
「エッ」
クリスが言うには、魔族と戦っていたときの最前線では、多くの者が命を落としたらしい。もちろん、直接的な戦闘で散る者は何の予兆もないけれど、過労や衰弱によって命を落とした者にはその予兆があるらしい。
そして、三条さんからはハッキリと予兆を感じたと。
言われてみれば、パッと見て分かるレベルのやつれ方をするのは普通じゃない。
うん、そりゃしょうがない。
葵くんには酷かもしれないけれど、強くなってもらうとしましょう。幸いにも、異世界なら大気中にも魔力がたくさんあるから回復魔法は打ち放題だし、最悪の場合はおれが《夜天の女王》になればえっちな経験に応じて強化・弱体化を――って駄目じゃん。
葵くんは普通に弱体化するよ。まだ中学生だし、絶対そういう経験ないでしょ。
「って、アレ? それならクリスが代わりに出れば良かったんじゃない?」
「嫌。あまねとの時間が減る」
「えええ」
「それから、どこかの所属になるのは二度と御免だ」
「ッ! ならしょうがないね! うん、しょうがない!」
「それに、葵も技術自体は向上している。殺意全開で戦えるようになれば、充分やれる」
うん、クリスは勇者やってて本当に殺されそうになったし、それは気持ちとしてわかる気がする。
それに、おれとの時間が減るのが嫌なんて、そんな可愛いこと言われたら止められないじゃん!
うん、まぁおれの《月光癒》なら手足が取れても治せるから、早々死ぬこともないだろう。クリスも万が一の時には助けるだろうしね。
そんなわけで皆にも事情を説明して、あわただしくも出発することにした。
うん、クリスも太鼓判を押してたし、以外と楽勝かもね!
***
そう思っていた時期がおれにもありました。
「GURUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!!!」
異世界にある昏い森の中、地を這うような咆哮が樹木をビリビリと震わせ、思わずおれは耳をふさいだ。それでもなお全身に鳥肌が立つのは、咆哮とともに放たれた純粋な殺意によるものだ。
ちなみに環ちゃんとルルちゃんは柚希ちゃんを護衛にして初日のうちに街まで避難している。ちなみに環ちゃんはこれで6回目の異世界である。
例のゲーム配信後の交渉で言ってた、『異世界の下見と仕込み』をやっていたらしい。
もちろんおれは止めたけれど、何故かクリスが乗り気になり、
「私が護衛でつく」
とまで名乗り出たので仕方なく送迎だけやってあげた。
なんか環ちゃんがすごく邪悪な笑顔で帰ってきたときは色々突っ込みたくなったけれど、まぁあまり触れないことにしている。クリスも乗り気ってことなので聖教国か人族連合軍辺りに良からぬことをしているんだろうとはアタリを付けているけれど、おれが首を突っ込んでも碌なことにはならないのが目に見えているからね。
一応、今回は普通の商談ということなので、顔見知りの商人さんを紹介しておいた。ガラス細工を商材に金貨を絞ったりした商人で、おれとクリスの結婚腕輪の手配をしてくれた40くらいのダンディ系おじさん、クリードさんである。
環ちゃんのことなので、現在は色んな商材を抱えて金貨銀貨が飛び交う商談をしているはずだ。
一方、おれはクリスとともに万が一に備えて待機中。お互いに時間を決めて仮眠を取ったりしつつも、基本的には手を出さない方針である。
異世界に着くと同時、クリスはモンスターが溢れる森の中に葵くんを放り込んだ。一応、ちょっと離れたところで見張ってはいるものの、
「絶対に生き残れ。生き残ることこそが正義だ」
とだけ言ってあとは観察オンリーである。何度も回復魔法を放とうと思ったけど、そのたびにクリスに止められた。
ガチの本気でまったく手助けゼロという地獄。
10分もしない内にモンスターに遭遇したのを皮切りに、血の匂いや物音を聞きつけたモンスターに延々と襲われ続け、一時間くらいで葵くんはピンチに陥ることとなった。細かな怪我が無数にあるのも当然ながら、半日が経った頃には怪我・疲労・脱水の三重苦に魔力枯渇でフラフラになっていた。きっと意識は朦朧としていたことだろう。
それでもクリスは手助けすることを許してくれなかった。
そして、様子が変わったのはその日の夜遅くだ。
空腹と脱水のために死にかけの状態ながらも襲い来るモンスターを撃退していた葵くん。朝になるまでは休もうと木の上に登ろうとして、そして落ちた。
あ、マズイ、と回復魔法を使おうとしたんだけれど、打ち所が悪かったのか何なのか、葵くんは紫電のような魔力をバチバチさせると人のものとは思えない雄たけびをあげ、モンスターの巣へと突撃したのである。
そのままモンスターを殺しつくすと、適当に切っただけのモンスターを呪符で焼いて食べるという奇行に走った。そして、殺しては食べて移動、殺しては食べて移動とイカれた本能むき出しのケダモノになったのである。
今日は森に入って三日目。つまり、葵くんのケダモノライフ二日目である。
「GUURUOOOOOOOOOOOOOOOOOッ!!!」
再び咆哮をあげた葵くん。
理性があるのかないのか、両腕に構えた小太刀を振り回し、獲物へと跳びかかっていく。
「うむ。仕上がってきたな」
「いや、人間辞めてるでしょあれ!?」
「私にもああいう時期があった」
「嘘でしょ!?」
「私のときの訓練……詳しく聞くか?」
「エッ」
「詳しく聞くか?」
「いえ、ヤメトキマス」
どう考えても獣にしか聞こえない咆哮の主は葵くんだ。
完全にプッツンしているのか、それとも火を通すために使っていた呪符が切れたのか、ここ半日ほどは狩ったモンスターの生肉をそのまま食べてる。
正直、ゾンビなんかよりずっと怖い。
夢に出てきそうなレベルである。一応、おれの頭にはアクションカメラを装着してあるけれど、こんなのをネットに流したらゴア表現過ぎてBANされるか、大炎上するかの二択である。
葵くんはモンスターを蹂躙し尽くし、その肉を食らうと、そのままグラリと頭を揺らした。どちゃ、とモンスターの死体の上に倒れる。
「体力も魔力も本当の限界だな。あまね、回復」
「ウェッ!? え、《月光癒》!」
紫銀の魔力が弾け、獣となった葵くんを包んでいく。
「GURUAUッ?」
喉を鳴らした葵くんは、驚いたように自分の身体を見回し、そして、
「アれ、かイふく、してル……?」
人間のことばを取り戻した。
どういう仕組みだよっ!?
「よく頑張ったな」
「ええ、と。俺は、一体……?」
「無我の境地というやつだ。記憶がなくなるほど集中して戦っていたんだ」
「そうなんですか。なんか、不思議な気分です……全身が血まみれですね……口まわりまで」
「ああ。ほとんどが返り血だが、最後の最後で致命傷を一撃だけ食らったからな。即座にあまねが癒した」
捏造! 完全に捏造してるッ!
致命傷なんて食らってないし、どっちかっていうと殺そうとしてたのはクリスだよっ!
「そうだったんですね。あまねさん、ありがとうございます。おれ、どのくらい戦ってました?」
「約二時間、と言ったところか」
「そんなにですか!?」
「ああ。死力を振り絞ると、時間の流れすらわからなくなることがよくある。魔力も、戦闘勘も段違いに成長しているはずだぞ」
「……確かに、何かが違う気もします……」
「死線をくぐるとはそういうことだ。殺意をもって戦うこともできるようになっているだろう」
ダウト。二時間どころか三日戦ってるよ。
そして葵くんは結構な時間をケダモノとして過ごしてたよ……。
「成果は期待していい。まずは休息だ」
クリスは妙に優しいことばを掛けると、日本で準備してきていた固焼き系のパンとジュースを渡してやる。葵くんは呆けた顔でそれを受けとると、弾かれたように食べ始める。
うまい、と呟きながら、ぽろりと涙を流す姿は正直、ちょっと引いてしまう。なんか酷いマッチポンプというか、洗脳の現場というか、見ちゃいけないものを見せられている気分である。
それから人心地ついた葵くんを寝袋に放り込むと、クリスは一息ついておれを見た。
「夜には起きるだろうが、2日ほど寝ていたことにしておこう。それで帳尻が合う」
「ええええ」
「問題ない。あれは夢だった」
問題大ありだよっ!
とはいえ葵くんにトラウマを刻み込んでまで真実を説明するよりは、夢だったと思わせた方が良いのかもしれない。
結局、クリスの説得に負けたおれは誰にも言えない秘密を抱え込むことになったのであった。