◆017 訓練のお時間です
七月に入った。梅雨もいよいよ明けるかといった感じで気温はぐんぐんあがり、クリスたちの服装もちょっと解放的というか、奔放というか、非常にお腹が減る感じになっている。
汗で貼り付くのが嫌やけん、と髪を結わえている柚希ちゃんのうなじが非常に趣深い。
いとをかし、である。
なんと正樹さんはラナさんのために仕事を休むと言い出して、首都圏に居を構えた。
と言っても務めている会社はお父さんが社長をしているとのことなので、結構融通利くんだなぁ、なんて思っていたけれど、
「お父な、厳しか人やけん復帰するときは腕ん一本や二本は覚悟したほうが良かて思う」
とは柚希ちゃんのことばである。正樹さんも神妙な顔で頷いていたので多分冗談の類ではない。
ああうん。
奥さんとイチャイチャするために高校を卒業したての柚希ちゃんを関東に送り出す人だもんね。しかも仕送りゼロ。ある意味超厳しいよね。
いくら正樹さんがラナさんに首ったけとはいえ、流石におれたちと同じ屋根の下というのは厳しい。主に夜の事情的に。
なので、若手芸人が住むシェアハウスの一室を借りて、建築系のアルバイトをしながら過ごすことにしたらしい。左官屋さんをしていたこともあって、短期であることを伝えていながらも一発採用だったとのこと。
若手芸人とは下見の時に仲良くなったからそのままそこにしたって言ってたし、バイト先も面接の時に良い雰囲気そうだからぜひにとお願いしたようなことを言ってたけど、おれからすると驚異的なコミュ力である。
柚希ちゃんもそうだけど、正樹さんも確実に光属性である。
光属性ってなんなの。おれ、サキュバスで闇属性だからわかんない。
ちなみにラナさんは三条さんの娘さんのところで匿ってもらっている。三姉妹の長女で、すでに子どもは独立、旦那さんには先立たれているとのことで、
「娘が出来たような気持ちです。楽しく過ごさせてもらいますよ」
とにこやかに受け入れてくれた。三条さんの系譜だけあって非常に人当たりが良い。
週一か週二で正樹さんとデートしているらしいけれど、紳士な正樹さんに惚れ直し続けているとか何とか、砂糖菓子にハチミツを掛けて出来上がったような手紙をもらった。
おれ達は、と言えば何度か配信をしながらも異世界に行くための準備をしている。まぁ準備ができてないのは一人だけなんだけども。
「ヤッ、ハァッ!」
「良いぞ、もっと小回りを利かせろ。手数を増やせ」
今日も今日とてクリスは葵くんを鍛えていた。『筋は良い。環境がヌルかった』とのことで最初の方はぼっこぼこにしていたけれど、最近では見違えるように動けるようになっていた。
その証拠に、クリス相手にもかなり善戦している。
いや、さすがにクリスはまだ手加減してるっぽいけど。
素人のおれが見ても成長が見て取れるのは、
「――ッ! 西方防御、急急如律令!」
訓練の合間に管狐で不意打ちをしてくる柚希ちゃんにまで対応できるようになったからだ。
「良か集中力ばい。そいならこれはどげんすると?」
「全面障壁、急急如律令! ――ぐあっ!?」
柚希ちゃんも意外と脳筋だったらしく、すぐヒートアップする。
管狐七匹による多方面からの突撃は流石に受け止めきれないらしく、防御用の結界をぶち抜かれた葵くんが思い切り吹き飛ぶ。
とはいえ、ここで終わらないのが今の葵くんだ。
「障壁展開、急急如律令ッ!」
空中で呪符を撒いて障壁を展開すると、そこに着地、すぐさま飛んでクリスへの攻撃へと戻る。
その途中でさらに呪符を使って柚希ちゃんにけん制の魔法を放つのも忘れない。
これ、ひょっとしてすごく強いんじゃないかな……?
ちなみに今日は三条さんはいない。
使い物にならなくなってしまった土御門さんの代行で、祓魔師協会にて作業をしているとか何とか。
代わりに運転手を務めてくれたのは大悟である。
「いやぁ、葵くん、すごいっすねぇ」
「ええ、まさかこんなに強いなんて。まだちっちゃいと思ってたんですけど、やっぱり男の子ですよね」
「そうっすね。梓さんはやっぱり運動できる人って憧れるっすか?」
「小学生の頃はそうでしたね。今はどちらかというと、嘘や隠し事をしないで話をして下さる誠実な人が良いです。大悟さんみたいに」
「ヴェッ!?」
狼狽える大悟に、梓さんは口元に手を当てて上品に笑う。その距離感は、どうみても近い。
そう。
なんと大悟、梓ちゃんと付き合い始めたのだ。
まっっっっったく意味が分からないと思うんだけど、おれも分からない。
妹の友達に手を出すとかありえねぇ、鬼畜かよお前、と呟いたらそっと鏡を差し出された。
解せぬ。
そして、おれがそれ以上何かを言うよりも先に環ちゃんがブチ切れた。
「ふざっけんなっ! マジで! 殺す! 梓ちゃんをどうやって誑かしたっ!」
うん、尋問しようとしながら首絞めるのやめようか。
それ、どう頑張っても物理的に答えられないからね。
激昂する環ちゃんをクリス、柚希ちゃん、ルルちゃんとおれの四人がかりで引き剝がした後、何とか座らせて聞いたところによると、原因はまさかの環ちゃん自身であった。
「環、梓ちゃんに先輩のこととか妖魔のこととかバラそうとしたっすね?」
「ヴェッ!?」
「自分に送迎任せておいて、時間や場所を分単位で指示してくるなんて、おかしいと思ったっす」
確か、土御門さんの方針でそこら辺の関係は梓ちゃんには内緒になっていたはずだ。
どうやら環ちゃんは、偶然目撃させる体で梓ちゃんに妖魔や祓魔師のことを伝える計画を立てていたらしい。
ざっくり話すと、『ごめーん、急な予定が入って梓ちゃんと会えなくなっちゃった! 今、待ち合わせ場所で梓ちゃんが一人きりになっちゃってて、可哀そうだから兄貴が家まで送ってあげて! あまねさん達も梓ちゃんのお家にいるみたいだから、そのまま拾って帰っておいでよ!』的な感じだ。その時に偶然にも魔法とか管狐とか呪符をバンバン使って戦う葵くんたちを目撃させ、土御門さん達に観念させる予定だったんだとか。
もちろん環ちゃんの計画なのでこんなにわざとらしくはないし、本当に自然な感じでバラす手筈だったみたいだけども、まぁ概要的にはこんなもんである。
「梓ちゃん、思い詰めてたから相談に乗ったっす。どうせ環がバラすって察しがついてたんで、全部話したっす」
移動中の車内でガッツリ全部話してしまったらしい。
当然のように信じない梓ちゃんに、おれが羽根やら尻尾を出し入れする動画を見せたり、クリスが《換装》する動画を見せたりと必死で説明。そしてクリスと訓練する葵くんを見に行き、ファンタジーなバトルを繰り広げるさまを見てようやく信じたんだとか。
「梓ちゃん、動揺して泣きながら走ってったっす。放っておくことなんてできなかったんで、追いかけて色々話したっす」
で、どういう流れか大悟が告白して、お付き合いすることになったんだとか。
誰も信じないであろうことを必死になって説明して、嘘だと詰ってもきちんとまっすぐから受け止めてくれた誠実さと優しさに惹かれたとかなんとか。
大悟のくせに告っただと……偽者か?
「……心が弱ったところにつけ込んで……!」
「誓って何もしてないっす! 手をつなぐのは梓ちゃんが大学を卒業してからっす!」
「汚い手で私の梓ちゃんに触るなっ! 未来永劫触るな! 消毒してやる! クリスさんっ、燃やして!」
錯乱する環ちゃんが大悟を物理的に処理しようとし始め、どうしても落ち着けることができなくなっておろおろし出した辺りでまさかの梓ちゃん本人が訪問してきた。
環ちゃんは二時間近く梓ちゃんと二人きりで話をしていたけれど、最終的には大悟との関係を認めていた。
めちゃくちゃ悔しそうに泣きながら。
うん、環ちゃんらしいというか何というか。
ちなみに土御門さんには交際を始めたことを梓ちゃん本人からはっきりと伝えたとのこと。
「私は、隠しごとをするつもりはありませんから。やましいこともしていませんし、私は」
膝から崩れ落ちた土御門さんは未だに真っ白なままで、まったく使い物にならないので三条さんが全ての仕事を代行しているというわけだ。
三条さん曰く、奥さんが献身的に介護をしており、『彼氏』『結婚』『パパイヤ』など特定のキーワードを出さなければ会話ができるくらいには復調したらしいけれど、まだまだ敵が多い祓魔師協会で働けるほどではないとのことだ。
最後のキーワードは普通にフルーツなんだけど、駄目らしい。ダジャレでも駄目とか重傷である。
ちなみに未だに梓ちゃんとの仲は微妙とのことで、会話に失敗しては落ち込んで真っ白になる姿がよく見られるとかなんとか。
知らんがな。
「今の御当主のメンタルは言わばおぼろ豆腐。つつけば崩れます、確実に」
渋面一杯にそう言い切った三条さんが忘れられない。
「こればかりは奥様頼りですな……」
頑張れ三条さん、そして土御門夫人。
ちなみに梓ちゃんと葵くんはその日のうちに仲直りしていた。隠していたことを梓ちゃんに叱られたっぽいけれど、
「なんか、環さんがすごく落ち込んじゃったみたいで。励ますのに協力するなら許すって言われました」
とのことだ。
環ちゃんが絡んでる辺り、微妙に不穏だと思うのはおれだけだろうか。
「ふぅ……かなり手ごわくなってきたな。これなら、王族や高位冒険者に難癖つけられても何とかなるだろう」
夕方、いよいよ異世界に旅立つ準備が整った。
ちなみに葵くんが普通に異世界旅行のメンバーになっているのはクリスの提案だ。
『実戦に勝る経験なし』
と言い切ったクリスは、異世界で葵くんにモンスターを狩らせることで実戦的な勘とか度胸とか、そういう類のものを身につけさせたいらしい。
敵対している者の命を奪えないようでは半人前、とか修羅っぽいことを言っていた。
そんなわけでおれ、クリス、環ちゃん、ルルちゃん、柚希ちゃん、葵くんの6名による大旅行である。
といっても転移が使えるのはおれとクリスだけだし、クリスは勇者の証でもあるサークレットを付ける気はなさそうなので実質おれ一人でみんなを運ばなければならない。
魔力の関係で日帰りはできないし、万が一、帰ってくるまでに時間が掛かってしまったときのために配信用の録画も溜めておきたい。
なので、出発は八月に入ってからと決まった。
大悟には改めて異世界に行くか聞いたけれど、爽やかな笑みを浮かべて断られた。
「梓ちゃんを残していけないっす。デートもする予定なんすよ」
ああもう! どいつもこいつも!
おれも、おれも絶対におとこに戻ってやるからなっ!?
そしたら皆とデートしまくってやる! 絶対だ!
それも浴衣とか水着とかそういう感じのイベントでだ!