◆012正樹さんと、ラナさんと
翌朝、おれはすっきりな朝を迎えた。
何しろ延々とおあずけを食らった挙句、三条さんと葵くんが帰るまで我慢していたのだ。二人が近くのホテルに居を構えると言って立ち去った直後、おれはクリスへと襲い掛かった。
はずなんだけど、ひょいっと持ち上げられてあっさり寝室に連れていかれました。
「私のとこに来たから許す。ルルか環だったら許さなかった」
耳元で優しく囁かれて、背中から尻尾の先っぽまで電流が走ったかのようなぞくぞく感が駆け抜けて、えーと、それから?
うん、なんかよく分かんないけど最高だったのは覚えてます!
もうなんか、その、あの、ありがとうございました!
ことばに出来ない感情を全身で表現しながら朝日を浴びていると、ベッドからうめき声が聞こえる。そちらに視線を向けると、若干怒り気味の視線を俺に投げつけるクリス。ルルちゃんを抱き枕にすぴすぴ寝てる環ちゃん。若干ぐったり気味ながらもおれを怯えた顔で見つめるルルちゃんがいた。
「えーと……おはよう?」
「お、おはようございます、です……その、あの」
抱き枕になったままもじもじと視線を彷徨わせるルルちゃん。
おトイレ? 環ちゃんを剥がせばいいの?
「えっと、あの、その……あまね様、ごめんなさい! ルルは、ルルは尻尾さんが怖いですっ!」
ルルちゃんは言うや否や、環ちゃんの腕から抜け出て脱兎のごとく駆け出した。ばふんとベッドで跳ねた環ちゃんも目を覚ましたのか、びっくりしてキョロキョロしたあとで、
「……あまねさん、どこであんなねちっこいのを覚えてきたんです? 私にもやり方を教えてください! ぜひ、コツだけでも!」
「エッ」
「環、ちょっと待って」
「あ、クリスさん」
クリスは不機嫌な視線でおれを睨む。
「……お預けしたから、仕返し?」
「エッ? いや、あの、……おれ、何かやらかしちゃった?」
「覚えていないのか……」
クリスは鬱陶しそうに頭を振った。
「いや、お預けにしたのは私だ。今回は許す」
「あ、ルルちゃんには謝った方が良いですよ? 最後の方、泣きながら謝っていましたから」
「エッ、おれ何をしたの!?」
「ルルには自分で謝って。手伝わないから。……キツかった」
「私もですー。あーでも、たまにはがっついた感じのあまねさんも好きかも? たまになら、ですけど」
「何したの!? ねぇ!?」
「……次、ああいうのするときは、柚希もいるときにして。身がもたない」
おれの問いに答えてくれる気はないらしく、クリスはふらっとしながらもお風呂へと向かっていった。環ちゃんもあははー、と微妙な作り笑いを残して去って行った。
おれはと言えば、ダイニングの机の下でぷるぷるしていたルルちゃんを見つけ出して、本気で謝った。尻尾にも謝らせた。
ルルちゃんは最初、尻尾を怖がってはいたけれど、おれが本気で頭を下げたら許してくれた。尻尾に関しても、
「ほんとに、イジメないです?」
「ほんとのほんとに、イジメないです?」
「ほんとのほんとのほんとに、イジメないです?」
「ほんとのほんとのほんとのほんとに、イジメないです?」
ものすごく疑われたものの、最終的には許してくれた。
「もう。ルルだって怒るときは怒るんですよ。ほら、もっと反省するです。もっとつっつくですよ」
そう言いながら尻尾をツンツンしていたけれど、ルルちゃん的にはこれでやり返しているつもりらしいのが和む。いたずらしたい気持ちがむくむくっと湧き上がって来たけれども、さすがにルルちゃんに何か申し訳ないことをしたようなので我慢だ我慢。
本当におれは何をしたんだろうか。
ちなみにクリスは風呂上りに謝ったら、あっさり許してくれた。
「ん」
次からは気をつけろよ、的な意味合いなのか、髪の毛を普段よりも乱暴に撫でられたけれど。怒っていてもこういう小ざっぱりした感じなのがまたクリスらしい。
環ちゃん?
怒ってなかったみたいだし、むしろいつもはおれが被害者だから特に何もなし!
おれもシャワー浴びて気持ちを切り替えてこよっと!
そうこうしている内に柚希ちゃんから連絡が来たので、大悟はお迎えに出発。三条さんと葵くんにも連絡をいれておいた。平日なのにお休みしたのかちょっと心配だったんだけど、特に問題はないらしい。
「こういう時に休めるよう、私立にして寄付金も積んでおりますので」
如何にも成金なセリフだけど、三条さんが言うと嫌味に聞こえないのがすごいところだ。
ドライヤーで乾かした髪を環ちゃんにいじってもらい、さぁカンペキってところで柚希ちゃんが帰ってきた。
ドライバーの大悟に続いて「お邪魔します」と一言告げて入ってきたのはガタイの良いイケメン。顔そのもののつくりは幼い感じがするし、どことなく柚希ちゃんと似ているのできっとこの人がお兄さんなんだろうけども、パースがおかしい。
身長は190cmくらいだろうか。如何にも筋肉質な感じの分厚い身体をしていて、二の腕とか首の太さが顔のサイズと全然あっていない。太ももなんてルルちゃんの腰くらいあるんじゃないだろうか。
「初めまして。いつも妹がお世話になっとります。わは柚希ん兄で、正樹と申します」
「アッ、はじめまして」
慌てておれも挨拶をするが、それ以上に反応したのは葵くんだ。瞳をキラキラっと輝かせた葵くんは飼い主の帰宅を待っていたワンコの如く正樹さんの前に出ると、頭を下げる。
「あの、おれっ、土御門葵って言います! 正樹さんみたいな漢らしい男になりたいと思っています! アニキって呼んでも良いですか!?」
「お、おう。良かよ」
「ありがとうございます、アニキ! 早速ですが普段している筋トレ――」
「若。今は仕事中ですぞ」
「ッ! ……すみません、取り乱しました」
いや、取り乱したってレベルじゃないよ。初対面の人をアニキ呼びして筋トレの話題振るとか正気の沙汰じゃない。多分男らしさへの憧れが暴走したんだろうけども、男の娘な葵くんがマッシヴイケメンにぐいぐい行くとガチ恋にしか見えない。
ツッコミを入れたくなるけれど、せっかく三条さんが話を本論に戻してくれたのに水を差すのは忍びないのでぐっと我慢だ。
「それで、件の女性は――?」
「ああ、すまん。わん身体バリごつかけん、見えんかったか」
正樹さんが身体を退けると、そこにいたのは二十歳くらいの女性であった。しっとりと湿った髪は何となくダークグリーンに見える。濡れてなおパーマがしっかり見える辺り、きっと普段ならふわふわなのだろう。
伏し目がちでアンニュイな雰囲気を醸してはいるけれど、目元は下がり気味で気が弱そうというか優しそうというか。全体的に華奢な体つきと相まって儚げ、ということばが似合う女性であった。正樹さんがそばにいるから、猶更小さくみえるのかも知れない。
髪と同じく湿った状態ではあるけれど、小花柄の吊りスカートと白シャツを合わせたコーディネートは如何にも普通の人間らしい。
が、よくよく見れば髪色と同じ、深い緑の魔力を纏っているのが感じられた。
「彼女はラナ。身投げしたらしゅうてな」
「……こ、殺してください」
「会ってから、これしか言わん。名前もやっと聞き出してん」
すすすっと三条さんが動き、静かに符を巻く。
バチン、と静電気みたいな音がするとともにラナさんの身体を包むように卵型の結界が生まれた。
「ラナっ! きしゃん、何しよるか!?」
「むっ?」
三条さんがひょいっといなして拳をずらすけれど、正樹さんの拳は風切り音がするほどの速度で振るわれていた。
あのぶっとい腕で殴られるのがおれだったら形も残らないだろう。三条さんって強いんだな……。
「落ち着いてください。妖力を遮断するだけの結界ですので、危険はありません」
「そげんことどうでも良か! ラナを離せッ!」
「お兄、落ち着きんさい!」
三条さんに食って掛かる正樹さんに、柚希ちゃんからまさかの一撃が入った。管狐を使った黄色い閃光の一撃。痛そうとかそういうレベルじゃなくて正樹さんが吹き飛んで、玄関のドアにぶつかってすごい音を立てた。
「えっ?! えっ!?」
それ必殺系の攻撃じゃない!?
正樹さん大丈夫!?
穴開いたりしてない!?
「何するったい、柚希。相変わらずじゃじゃ馬ばい」
「話聞かんと暴れるから! 三条さんに殴りかかるっちゃいかん!」
「いや、ばってんラナが――」
「言い訳せんと話ば聞きんさい!」
正樹さんもけろっとしてるしどうやら日常茶飯事っぽいけど随分と手荒い。というか耐久力すごくない!? 手加減してたように見えないんだけど!
多分おれが食らったら上半身爆散するよ!?
とりあえずは大人しくなった正樹さんに、三条さんはぺこりと頭を下げる。
「初めに説明をせずに申し訳ありませんでした。この結界は妖力や呪術の類を弾くもので、特に害のあるものではございません」
「……なしてそげなとば使うた?」
「それは……申し上げにくいのですが、正樹さんがそちらの方に魅了されているのではないかと思いまして」
「おう! 一目見て魅了されとーよ!」
「いえ、そういう意味ではないのですが……」
言いづらそうにする三条さんに、全員からの視線が集まる。それは『正樹さんの魅了は解けたのか』という疑問の視線だ。
「どうやら魅了の類は掛かっていないようです」
「おれはラナの美しさに魅了されとー!」
「しゃーしか。お兄な黙っとって」
おおう、強気の柚希ちゃんって新鮮だな。
ぷりぷり怒る柚希ちゃんに、正樹さんはぽりぽりと後頭部を掻く。そんな二人を見つめるラナさんはちょっと羨ましそうな視線を向けている。
「えーと、魅了されてないってことは……」
「はい。素の状態です。本当に一目惚れしたということになりますね」
「ええ」
マジか。
思い切りが良いというか、思い込んだら一直線というか。
いや、柚希ちゃんパパもそんな感じで柚希ちゃんママを見初めたとか聞いたことあるし、そういう家系なんだろうか。
「じゃあ柚希さんのお兄さんはラナさんにガチ恋ってことですか?」
「おう。一目見た瞬間分かった。わん女神やけんな」
「……おかあの話するときのおとうに似よるな」
柚希ちゃんはほっとした顔で胸を撫でおろす。撫でおろせないサイズの起伏なんだけど、言葉のあやっていうか……いや、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
問題は結界に包まれた美女妖魔、ラナさんである。
ラナさんは潤んだ瞳で正樹さんを見つめていたけれど、おれの視線に気付いてかハッとした後に暗い顔になる。
演技というよりも、せっかく忘れていたのに何か深刻な問題を突きつけられたような、思いつめた感じである。
「こ、殺してください」
「ええと、正樹さんがラナさんのことを好きなのは伝わりましたけど、ラナさんはそうじゃないんですか?」
「……えっ、あっ」
環ちゃんの冷静な問いかけに、ラナさんは分かりやすく狼狽えた。顔を赤くして正樹さんをチラチラ見ながら、ごにょごにょと口の中で何かを呟いている。
「えええ」
まさかの両方とも一目惚れ?
嘘でしょ……マッシヴなイケメンだとそういう恋愛漫画みたいな展開があり得るの?
おもわずおれが呻くような声を漏らした横で、探偵皇子こと葵くんがにっかり笑う。
「さすが師匠! 師匠の男らしさに、ラナさんもまんざらじゃないみたいですね!」
あ、分かった。
葵くん。君、割と空気読まないタイプでしょ。