◆041「言ったはずだ」
※本日1話目です。
「守る、守る、守るッ!!!」
ぶるぶると震えながら、柚希ちゃんにしがみつくルルちゃんが目に飛び込んできた。三条さんも土御門さんもすでに倒れていて、立っているのはクトゥルフ野郎たちだけだ。
「《月光癒》、《月光癒》、《月光癒》!!!」
おれはクリスを抱きしめながら魔法を飛ばしていく。紫銀の魔力がそれぞれを包み、傷を癒していく。魔力の薄いこの世界では流石に四肢の欠損までは治せないと思っていたけれど、失った手足が近くに転がっていたためか、逆再生のように近づいていき、そのままくっついていく。
「おいクトゥルフ野郎! よくもやりやがったな! 絶対に許さねぇぞ!」
「んあー? おお、雌犬……か? 何かすげぇ強くなってんじゃねぇか。飼い犬なんてやめて――」
「うるさい! おれは怒っているんだ! 食らえ、《淫蕩の宴》!」
本能に刻まれたそれを発動させると同時、おれから紫銀の魔力が溢れ出し、世界を塗り替える。
クリスは、名を得たモンスターは別格だと言っていた。伝承や伝説に残る、災害のような存在だと。
それは、誇張でもなんでもなく正しいと今なら分かる。
「おおぉぉ!? なんだこりゃ!?」
「いあ!?」「くとぅるー?!」「はす、はすたぁ……?」「ぶるぐとむッ!」
魔力がごっそり抜けたせいか、貧血のようにくらくらする。おもわずふらつく身体を支えてくれるのは、寄り添うように立つクリスだ。
上目遣いにおれのことを見つめたクリスは、魔力を少しでも回復しようとしてか、濃厚な口づけをくれた。
クトゥルフ野郎を含めたディープワンたちは、立っていることすら辛そうな状態で、何が起きたかを必死に把握しようとしている。
魔法が世界の理を誤魔化すのに対し、名を得たモンスターは自らの理で世界を書き換えることができる。淫魔から進化した『 夜天の女王』の権能は当然、えっちなものになる。
さらに言えば、クリスを助けることを願ったおれは、補助に特化した権能に目覚めた。
その結果、おれの《淫蕩の宴》は、
「えっちな経験に応じて強化・弱体化が掛かる」
という実に頭の悪い権能になった。
えっちな経験に応じて強化・弱体化が掛かる《淫蕩の宴》の他にも権能はあるけれど、やはりというか何と言うか、非常にえっちだ。
おれへの好意を錯覚させる《魅了の紫瞳》。
理性を薄くしてえっちな気持ちを我慢できなくなる《奔放な獣》。
他にも権能はあるけれど、どれもこれもえっちなものばかりだ。唯一使いまくっていた《癒風》だけが進化の際に普通に強化されて《月光癒》になっただけで、あとは清々しいほどにえっちなことに一直線である。
おれが男で、薄い本の主人公になれるならば垂涎モノの権能だろう。
正直、このタイミングで欲しかったのは強力な魔法とかそういうのだったけれど、まぁしょうがない。
それに。
予想通り、クトゥルフ野郎には効果が絶大だ。
「好きな人はいるか? 愛する人はいるか!? お前にパートナーはいるか!?」
「グググッ……好き? 何だぁ突然?」
この状況を打ち破るヒントになるかと質問で返すディープワン。当然だが、こいつらに特定のパートナーがいるとは思えない。そもそも、生殖という概念すらあるか怪しいレベルである。
これならば、魔力も筋力も耐久力も、全部の力が半分以下になる!
正直、立っているだけでもやっとの状況だろう。
それに対してクリスも柚希ちゃんもルルちゃんも、ブチッとはしてないものの相当な経験を積んでいる。
環ちゃんから相当マニアックな知識も授けられて実践してるしね。下手すれば全能力が三倍以上になっているかも知れない。支援特化ながら自らも強化できて、さらにその倍率がぶっ壊れ性能の代物。名を得たモンスターというのは、伊達ではないのだ。
うん、おれじゃなくて環ちゃん。環ちゃんが原因です!
ありがとう環ちゃん。このお礼はいつか必ずクリス達と一緒にするからね。必ず。三人がかりで。
「……ふむ。何ともないが?」
「力が湧き上がってくるようですな。御当主とは何か条件が違うのでしょうか」
おれがクリスに魔力を回復させてもらっている間に、この場において聞きたくなかった二名の強化具合を知ってしまう。
土御門さんがお子さんいるのは聞いてたから弱体化されることはないと思ってたし三条さんも弱体化することはないんじゃないかと思っていたけど、何で自覚できるほど強化されてんの?
もしかして若い頃はヤンチャしてたりしたんだろうか。それともアブノーマルなんですか?
どっちでもいいので聞きたくなかった。
「身体が軽くなっとー」
「ふむ。魔力の回復が早いな」
うん。当然ながらクリスと柚希ちゃんは経験豊富。本当にありがとう環ちゃん。
そしてルルちゃんは涙でぐっしゃぐしゃにしながらもおれに抱きついてくれた。何を言ってるかは分からないけど、わんわん泣きながら背が伸びたおれのお腹辺りにぐりぐり顔をこすりつけているので、元気は十分だろう。
「こりゃあさすがに分が悪いねぇ……おいとま」
「させるわけなかろう」
クリスが颶風のような速度で自らの剣を拾い、クトゥルフ野郎の四肢を切り裂いた。三条さんも結界系の術を即座に発動させて動きを封じているし、土御門さんと柚希ちゃんは劣化クトゥルフを二体ずつ仕留めていた。
土御門さんは投げた呪符でズパっと首を落としており。
柚希ちゃんは管狐がチカッと光ったと思ったら劣化クトゥルフの上半身を爆散させていた。
……いや、いっくら劣化クトゥルフが弱体化されまくってて、その上柚希ちゃんが強化されまくってたとしても、流石に強くなりすぎじゃない?
まぁ柚希ちゃんが危なくないなら別に良いけども。
「クリス様。殺さないでもらえませんか?」
「なぜ?」
刃物のような、触れれば即座に切れる美しさで小首をかしげるクリスだが、三条さんは引かない。
「この部屋の様子からすると、その妖魔は自然発生した妖魔ではなく人間によって作られた妖魔である可能性が高いのです。そして背後には祓魔師の技術が伺えるので、会話が成り立つのであれば少しでも情報を引き出したいのです」
三条さんのことばに、おれたちは思わず呻いてしまう。
こいつは怖い。
おれの権能がなければ押し切られる程の力をもっており、その上神出鬼没。さらに、会話できるほどの知能がある、ということはおれたちをハメるための策を練る知能もあるのだ。
怖いけれど、冷静に考えれば三条さんの言うことが正しいと理解できてしまう。
元凶を叩かなければ、これと似たような妖魔が生み出される。
刃をクトゥルフ野郎の首にピタリと当てたままのクリスはそのことを理解しているのだろう、少しだけ困ったように眉根を寄せておれたちに視線を向けた。
きっと、本音で言えば後顧の憂いを断ちたいのだろう。
正直おれもその方がいい気はする。
ひどい話かも知れないけれど、おれやクリスにとっては、知らないだれかよりもお互いや柚希ちゃんたちの方が大切なのだ。
でも。
「なぁ、ディープワン」
「なんだぁ? メス――ってぇ! わかった! わかったから!」
「あまねを侮辱するな。次はないぞ」
ぎゅっと刃を押し込んだらしく、赤黒い血液が首から滴っている。
「お前、ちゃんと聞かれたことに応えられるか?」
「んあぁ? もしかして俺のこと、助けようってのかぁ?」
「ちがう。結果的に助かったとはいえ、クリスやみんなにしたことは許せない」
だけど、おれの一番はこんな奴の処遇じゃない。
クリスの、柚希ちゃんの、ルルちゃんの安全。
それがおれの一番で、すべてだ。
だから、
「お前がおとなしく協力して、これから先も暴れないって誓うなら今は土御門さんたちに預けてやる」
「そうかよ。そりゃあ――くふあやく・ぶるぐとむ・ぶるぐとらぐるん・ぶるぐとむ」
不意を突くように、会話の途中から突如として噴き出すどぶ色の魔力にクリスが刃を思い切り叩き込む。
が。
「残念だったなぁ。あばよ、雌犬」
刃は首元に開いた暗黒に飲み込まれるように消え、ディープワンには届いていない。そのままズブリと自分の身体も暗黒に沈めていく。
――逃げられる。
そう感じた瞬間、たくさんの魔力が弾けた。
一つは黄金色。
柚希ちゃんから放たれた、全力が込められたであろう光で出来た注連縄。
一つは濡羽色。
土御門さんが投げた呪符からとげのように迸る、黒曜石のような光沢のある楔。
一つは鉄紺色。
印を組んだ三条さんからにじみ出る、どこまでも深く、重く、そして硬いであろう鎖。
それらが寸分たがわずディープワンの肢体へとがっちり食い込んでいく。
そして。
「言ったはずだ」
しゃらり。
「あまねを侮辱するな」
研ぎ澄まされた深紅の魔力に、憤怒の紅蓮が混じる。
一線。
ただそれだけで、ごとりと首が落ちた。
気持ちの悪いことに頭だけになったディープワンはぱちぱちと目を瞬かせる。
「あぁくそう。お前ら人間はいっつもそうなんだよなぁ……勝手に創って、勝手に祓って……何が創世計画だ。くっだらねぇ……」
吐き捨てるように言い残すと。
ばしゃッ。
首は汚水へと転じて地面を汚しながら広がった。同時に胴体部も液体になり、中身を零しながら地面へとぶちまけられる。
「ッ!?」
「見るなッ! 汚染されるぞ!」
土御門さんの鋭い言葉が飛んでくるが、おれはばっちりと見てしまった。
びっしりと呪紋のようなものが刻まれたぶよぶよの、縺・ン律譛ャ隱・槭ョ□繝ュ繧ケ□繝医?ョ――
……。
…………。
「あまね!」
「うぇっ? あれ、おれは……?」
気づけばおれは、洋館の外、鬱蒼と茂る雑木林に座らされていた。クリスを始めとしたみんながおれを気づかわし気に見ている。
「精神汚染だな。……あの妖魔の核となっていた供物の類が原因だろう。本体は封印したし汚染も治療はしたが、しばらくは養生するが良い。必要なものがあれば三条に言えば用意させる」
土御門さんはそう告げると、不機嫌そうな顔をしながらもおれやクリス、柚希ちゃん、ルルちゃんに深々と頭を下げた。
「今回は本当にすまなかった。せいぜいが証拠品や痕跡を探す程度で、こんな大事になるとは思わなかった」
私の落ち度だ、と告げた土御門さんに倣うように三条さんも頭を下げる。
それに対応したのは、ルルちゃんだ。
「嘘はない、です。ルルは、そう思うです。あと、身を挺して助けようとしてくれて、ありがとうございました」
「……許す」
「良かよー」
ルルちゃんに続いてクリスがややむすっとしながら、柚希ちゃんはやたら軽く返答する。この三人が土御門さんたちを許すのなら、おれに異議はない。
「おれもいいですよ。疲れた……早くベッドに入りたい」
「三条。送って行って差し上げろ」
両脇をクリスとルルちゃんに支えられながらおれたちは三条さんのセダンに乗り込む。
「貴様らがいなければ、俺も三条も死んでいた」
ポツリと告げた土御門さんは、何とも言えない表情をしていた。
「協力、感謝する。俺も、家族に会える」
顔を見られたくなかったのか、すぐにそっぽを向くその姿に、ツンデレ親父め、とおれは苦笑した。初めに感じた不快感は、綺麗サッパリなくなっていた。
こうして、おれたちの戦いは幕を閉じたのであった。
「おれ、いったい……?」
「思い出さない方が良い。あれはヤバい」
「クリスにここまで言わせるって……」
「あれはヤバい。勇者訓練なしで耐えられるものじゃないと思う」
「また勇者か……聖教国の勇者って一体何なんだろう……攻撃特化で脆くて多芸なエリート超人?」
「勇者やけん、勇気んある人ばい。恰好良かったと」
「さ、気持ちを切り替えよう。次の話は本日21時に投稿予定だよ!」
「ちぇ、ちぇけら? です!」
「……環ちゃんが教えたのかな」




