◆039壊滅
※本日、1話目です。
あまねがルルにちょっかいを掛けている。
気に入らない。
とはいえ、あまねは自分が戦えないことを知っているし、先陣を切ろうとする私のことをすごく心配していた。そして、『怪我したら全部治すからね』と蕩けそうな笑顔を私に向けてくれた。
だから、きっとアレも魔力を溜めるための行為だというのは分かる。
とはいえ、結婚までした最愛の人が他の女にちょっかいを掛けているのはあまり面白いとはいえないのも事実だ。まぁルルは序列をわきまえているし、私も混ざれるのであれば嫌ではないのだけれど。私一人だと体力もたないし。
そんなことを考えながら目の前のモンスターを刻んでいく。
私を勧誘してきたディープワンはかなりの巨躯で、内包している魔力も大きく、禍々しいものだった。
しかし目の前にいるこいつは違う。
薄められたかのような魔力。
知性の感じられない動き。
まるで劣化品に相対しているかのような気分になる。かなり頑張ってドレスアーマーに刻印した魔法もほとんど使われていない。
私が刻印したのは二つ。
一つは加護とも呼ばれるもので、モンスターたちの持つ禍々しい魔力に傷が侵蝕されて悪化するのを防ぐもの。魔傷痕とか呪い腐れとか言われるものを防ぐ刻印だ。
そしてもう一つは逆に呪いと呼ばれることもあるもので、自らが傷ついた分だけ魔力を回復させるというものだ。自らの生命力と魔力をトレードオフにするもので、太古の魔法使いたちが大規模魔法を使うときに、自らの命を捧げるために考えたものと言われている。
もちろん、死ぬつもりはない。
この程度の相手に手こずるようでは勇者になれるはずもなく、なによりあまねを悲しませたくないからだ。
ならば何故こんな刻印を施したかといえば理由は一つ。
この世界、魔力が薄いのだ。
柚希のように魔力を持っている者も存在するが、それだって内在する魔力量が多いかと言われれば否である。私のいた世界の基準で言うならば、柚希の母やツチミカドくらいになれば国に仕えられるだろうが、それでも信頼できる中堅騎士や国内ではそこそこ名の売れた冒険者といったレベルである。
身体のほとんどが魔力で構成されているあまねにとっては、魔力の薄いこの世界は結構きついだろう。だから他の女にちょっかいをかけるのも許してあげるしかない。
私も魔力の回復が驚くほど遅く、継戦能力に不安が残る。
それゆえ、大きな攻め方はせず、ほとんど魔力を使わない方法で目の前のディープワンを削っている。
ウロコとウロコの隙間に切っ先を入れ、抉るようにしてウロコを削ぎながら切る。切断するには勢いが足りないけれど、相手は防御や回復のために魔力も体力も確実に消費する。
体内の魔力を使って回復させているのか、ぞっくりとウロコが再び生えてくる様は気持ち悪いが、それも時間の問題だ。
このまま押し切って柚希に加勢。数的優位が取れれば他二体の劣化ディープワンも簡単に屠れるだろう。
だから、ひとつ、失念していた。
私を勧誘した別格のあいつ。
あいつがいないということは、逆説的に、いつ来てもおかしくないということを。
目の前の劣化ディープワンの左腕を切り落とし、そろそろトドメかと考えていたときだ。
「きゃぁ!?」
「ルルちゃん危な――ぐがッ!」
突如として現れたあいつが、ルルを引き裂こうと爪を振るった。
咄嗟のことだったのだろう。
あまねはルルを付き飛ばし、代わりにバッサリとその身体を引き裂かれた。思わずあまねに手を伸ばそうとしてしまう。
「あまね!? しまっ――」
目の前で無防備を晒した結果、相対していた劣化ディープワンが全ての魔力を乗せた水刃を放つ。縦に構えた剣でそれを受けようとするが体勢が悪かったせいで間に合わず、私も首を大きく裂かれた。
冗談のように、血が噴き出す。
その異変を察知した柚希もまた集中を欠いたのか、クダギツネなる術式の光が散り散りになり、ディープワンの鋭い爪を腹に突き立てられてしまうのが見えた。
ああ。
ごめん。
ごめん、あまね。
ごめんね、柚希。
私が守らないといけなかったのに。
剣を捨て、傷を抑えてなおどくどくと流れる血。
――もう、私は助からないだろう。
でも、せめて。
あまねだけでも、助けないと。
己の生命力と引き換えに魔力を得る刻印が、最大にその効果を発揮する。
この世界どころか、元の世界ですら驚かれるほどの、溺れるような魔力。それは劣化ディープワンたちをも活性化させてもいるのだろうが、もう関係ない。
せめて、あまねを安全なところに。
駆け寄り、倒れるようにあまねに覆いかぶさると、空気と血の漏れる喉を押さえてことばを紡ぐ。
「《転移》」
命の全てを引き換えにしたかのような膨大な魔力が、私とあまねを遠くへと運んでくれる。
私のよく知った、そして大嫌いな、あの世界へ。
私とあまね以外が、たどり着くことのできないあの世界へ。
――あまね、いきて。
どこか懐かしい空気の匂いを感じながら、私の意識は闇に沈んだ。
***
おれのせいだ。
全部おれのせいだ。
おれがルルちゃんに余計なちょっかいを掛けていたからルルちゃんがあのクトゥルフ野郎が転移してくるのに気付くのが遅れた。夜目が利いて、耳も良い。きっとおれがいなければルルちゃんは気付けていたはずだ。
しかし、実際には気付くことはおろか、咄嗟の反応すらできないルルちゃんに、鎌のような鋭い爪が振り下ろされようとしていた。
「きゃぁ!?」
「ルルちゃん危な――ググッ!」
考える間もなくおれはルルちゃんへと体当たりした。華奢なルルちゃんを弾き飛ばし、代わりに爪がおれを引き裂いた。
痛みは感じなかった。
代わりに感じたのは、炎の中で赤くなった金属を突っ込まれたかのような、強烈な熱。
腕、胸、腹の三か所が灼けるように熱い。
は、と短く息を吐いて傷を見れば、深く抉れるような爪痕がおれを引き裂いていた。回復、と考えて、声すら出せないことに気付く。
傷が肺まで達しているのだろう。
がぽッ。
血の泡が口から洩れた。
「あまね! しまっ――」
クリスの声がする。
自らの血に沈みながらクリスに目を向けると、そこには首を裂かれ、血を噴き出したクリスがいた。
――なんで。
なんでだ。
おれのせいか。
おれがヘマしたから。
ダメだ。
クリスは強いんだ。フル装備なら負けないって言ってた。
ここから帰ったら、おれはクリスにおしおきされて、でもそれをやりかえして――
混乱するおれに、血を噴き出しながらもクリスが駆け寄ってきた。
動いちゃだめだ。
魔法を。
回復魔法をかけなきゃ。
クリスの傷をふさがないと。
死んじゃう。
クリスが死んじゃう。
クリスは駆け寄った勢いのままおれに覆いかぶさると、そのままおれを抱きしめる。
だめだ。首の傷を押さえて。
少しでも出血を――
「《転移》」
瞬間。
世界が、暗転した。
次話は、本日21時更新です。