◆038ディープワン
「5月3日の、2回目、です!」
「よく言えましたー! よしよし!」
「えへへへ」
「あー、あまねさん、私も! 私もお願いします!」
「良いよー。環ちゃんもおいでー」
「(ジロッ)」
「あっ、私は最後で良いです……」
「順番こ、です!」
「(にこっ)」
「(ひどいパワープレイを見た……でも何も言えない……)」
「あまね、早く」
「アッ、ハイ」
トンネルを抜けると、そこは雪国だった。
とか、そういう風光明媚な感じならアクションカメラで配信しても映えるんだろうなぁ……。クリスの手をぎゅっと握り、現実逃避しながら入った暗闇の向こう側。
そこは、木造ながらも綺麗に整頓された場所であった。
埃やカビはない。
それどころか、朽ちたサナトリウムには相応しくないLEDランタンが置かれ、室内を煌々と照らしている。
部屋の広さは最初のメインホールと同じくらいで、中学校の教室二、三個分くらいって感じだろうか。
壁面にはよく分からない魔法陣か何かのタペストリが掛かっていて、後はファイルやバインダーの収まった書棚が並んでいる。そこまでならば立派な図書室と言い張れないこともないだろうけど、異様なものが部屋の中心に鎮座していた。
おれくらいのサイズなら数人がすっぽり収まるような、巨大なガラス水槽が五つ。中には生臭さの元凶であろう薄墨色の濁った液体が見える。
「……何かの呪術か」
「調べてみましょう」
土御門さんも三条さんも一切の躊躇なく水槽に近づいて、しげしげと眺めている。いや、三条さんの術で臭いがなくなったとはいえ、ほぼほぼ元凶確定の液体だよ?
近づくことを考えるだけで鳥肌が立ってしまう。
「ふむ……西洋系だな。典型的な左道の術式だな」
「いえ、こちらからはセレマの流れを汲んだものが散見されます」
よく分からないけれど、色んな流派の魔術がゴチャゴチャと使われているらしい。柚希ちゃんにこそっと聞いたら、欧米のほうのものということくらいしか分からないと返されてしまった。
「混沌魔術。それもかなり実験的なものだな」
「となると、IOT系列ですか……やはり主流派は……」
「良い。証拠を探そう」
完全に話から置いて行かれたおれたちをよそに、二人は書棚を検めたり水槽の淵を精査したりタペストリを撮影したりと、忙しそうにしている。
これ、おれたち必要だった……?
いやまぁあの神出鬼没な奴相手だし、根城に突入いざ決戦、とはならないのは予想していたけれども。
土御門さんや三条さんの邪魔にならない程度にそこらを見て回る。暇つぶしというよりも、何かの役に立ちたい気持ちが強い。もっというなら、三条さんたちが満足してくれてさっさとここから帰れるようなものが見つかれば、なお良い。
さっきのルルちゃんみたいに、魔力の痕跡とかあれば何か見つけられるかも知れないしね。
そう思って調べ始めたところで、クリスがおれを抱き寄せる。
「水槽の中だ! 何かいるぞ!」
そのままおれの身体を背後に押しやると、腕輪を構えて叫ぶ。
「《換装》!」
魔力が溢れるようにクリスを包み、一瞬にしてその衣服が予め登録されていたものと交換される。
魔力のヴェールの中から現れたクリスは、勇者の証であるサークレットに魔術刻印を施したドレスアーマー、グリーヴという完全装備になる。手には抜き身の剣まで装備されており、完全に臨戦態勢となっていた。
クリスの《換装》に応えるかのように水槽内の汚水が揺れる。
ザバッ!!!
五つある水槽のうち、四つから飛沫をあげて影が飛び出す。
べしゃりと汚水を散らしながら着地したのは、
「ディープワンか」
あのカエル頭の半魚人の妖魔であった。
四体は横に裂けた瞳孔でぎょろぎょろと辺りを見回すと、首を傾げたり手を振るような動作を繰り返す。
「いあ」
「いあいあ、ふたぐん」
「いあ、はすたぁ」
「くとぅるー? いあ」
四体の妖魔はことばのようなものを喋っているが、意味が通じているのかいないのか分からない。喋りながらもお互いを注視し、首を傾げているからだ。
よくよく見れば、おれたちがであった妖魔に比べると幾分かサイズも小さいように見える
が、
「術符退魔、急急如律令!」
土御門さんが先制攻撃を仕掛けた。
魔力を帯びた呪符がばらばらと飛び散り、一直線に妖魔へと飛んでいく。
「ッ!?」「くとぅるー、ふたぐん」「いあ!」
ほとんどが鱗にはじかれるが、運が良かったのか狙ったのか、一体の片目へと突き刺さる。光とともに目玉が灼け、言語化できない悲鳴が響く。
同時に三条さんも指で複雑な印を刻みながら魔力のこもったことばを発する。
「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女!」
カァッと魔力が光のように飛び散り、結界が張られる。詳しい流派は違うのだろうけれど、柚希ちゃんがおれに襲い掛かったときと同じく空間を隔離するタイプの結界であるようだった。
「あまね、ルル、さがって」
「やるばい!」
むん、と力を込めて管狐の閃光がディープワンにぶち当たる。さらにクリスが舞うように剣を振る。キキンッ、と硬質な音がして、水飛沫が弾ける。攻撃を弾いているらしい。
「このまま押し込むぞ!」
土御門さんの言葉に応じるように、それぞれが駆け出す。
ディープワン達もすでに各々動き出しているようで、土御門さん、三条さん、クリス、柚希ちゃんを分断すべく一対一になるように襲い掛かる。
攻撃。
弾く。
避ける。
反撃。
おれの目が追いつかないほどの速度で行われる応酬。魔力と水、閃光と呪符の飛沫が室内に舞い散る。
「クソ、硬いぞこいつら!」
「鱗の隙間か目を狙え」
クリスがさらっと言いながら剣を振ると、鱗と血肉が飛ぶ。
「浅いな」
いや、浅いなじゃなくてそれ超絶技巧だろうよ!?
鱗の隙間なんてないでしょ。普通にぴたっとしてるじゃん。多分そんなことできるのは勇者さんだけです。あとそもそも武器らしい武器を持ってるのがクリスだけだからなぁ。
こんなことなら金属バットくらいは持ってくれば良かったかもしれない。
「できるかッ!」
「くっ、さすがにそれは……!」
おじさん勢から否定的な意見が飛ぶけれど、呪符びゅんびゅん飛ばしている土御門さんにも印を組みながら攻防を繰り広げている三条さんにもできないらしい。うん、そうだよね。
柚希ちゃんに至っては返答をする余裕もなさそうである。
と言っても危機的な状況にあるわけではない。
二〇もの管狐を操り、一切の隙間なく攻撃を繰り広げているのだ。操るのが大変らしく、顔は歪んでいるものの、ディープワンはほとんど攻撃すらできていない。
自信満々なのは伊達ではないらしい。
くそ。おれに出来ることと言えば。
たった一つしかない。
「ぇっ!? あっ!?」
「ルルちゃん、静かに」
「あ、でも尻尾さんが――」
「きちんと見て、何かあったらすぐ駆け付けられるようにしよう」
「ぁぅ……はい」
魔力を溜めておくことだけだ。
ルルちゃんごめん。本当にごめん。
でももし怪我をした人がいたら、回復魔法を使って癒してあげたい。なんでか知らないけれど、おれの回復魔法は大した効果がないので毎回ぶっ倒れるくらい魔力を使わないといけないのだ。
上限があるのかどうかは不明だけど、出来る限り魔力を溜めておくべきだろう。ルルちゃんも戦闘に関してはからっきしな筈だし、それなら協力してもらった方がいいはずだ。
「ンゥッ! ……ッ~! ふっ、ふっ、ぁ……!」
必死に嬌声を噛み殺し、涙目でみんなを見つめるルルちゃんがかわいいので今なら死者でも復活させられる気がしてくる。魔力が漲る。
だが。
わずか数秒あとに、おれはこのことを死ぬほど後悔することになる。
「あーもー!」
「荒れとーねぇ。どげんしたと?」
「作者からクレーム!」
「『健全な小説なのに、更新時間が遅い』だって」
「……健全って、誰が信じとーと?」
「「「作者」」」
「……建前とかじゃなかと?」
「嘘の声じゃなかった、です!」
「それはそれで問題あるような……」