◆030環の憂鬱
「そういや柚希ちゃんのお父さんって何してる人なの?」
「おとぉ? 佐官屋しとるよ」
「おお。あれ、都内で柚希ママと知り合ったんじゃないの?」
「うん。おじぃに反発して『都会で一旗あげる』言うて出てきたって言うとった」
「ほう」
「そんで、いっちょんつまらんやったけん、帰ろうかて思うたときにおかぁに会ってな」
「ほう」
「色々あって結婚ばしたと」
「急に雑!?」
三階端っこの教室からぼうっと外を眺めていると、ひらりと視界を遮るものがあった。白魚のような指。しなやかで、触れれば飴細工のように壊れてしまいそうな、きれいな指だ。
「たまちゃん。どうしたの、ぼうっとして」
私の親友である梓ちゃんだ。ストレートの黒髪は艶やかで、編み込んでハーフアップにしている姿は凛と咲く百合のような気品を感じる。思わず汚してみたくなるような清冽さ。髪を伸ばすと癖が出てしまう私からすると、羨ましい美しさだ。
いや、だめだ。
あまねさんたちとするようになってからの私は押さえが利かなくなっている。これじゃあチンパンジーか、限界まで可愛く美化しても発情期の猫と変わらない。
ただでさえあの兄貴と同じだと言われてショックだったのに、自分の思考がピンク色一直線であることを自覚してからはより自己嫌悪に陥りやすくなってしまっている。
ずぶずぶと沈んで行きそうな思考を引き揚げるためにも、梓ちゃんに相談することにする。
軽蔑されたくないし具体的なことは言えないけど。
「ううん。ちょっと考え事。あと自分を戒めてる」
「戒め? 何かあったの?」
前の席の生徒が離席していたこともあり、梓ちゃんはすとんと横座りに腰掛けて私へと視線を向ける。こんな時でも足をぴたっと閉じて手を膝の上に乗せる姿は、育ちの良さを感じさせる。
「うん。私が兄貴のこと嫌いなのは知ってるでしょ?」
「えーと、……うん。詳しい理由までは教えてくれなかったけど、前に話題にも出して欲しくないって」
「そうそう。まぁ最近ちょっとうまくいくようになってきたし、過去のことは水に流そうと思ってるんだけど」
控えめでお淑やか。
良家の出身らしく、両親が厳しいとよく零す梓ちゃんは、まさに男性が妄想する理想の乙女といった風情だ。実際、多くの男子生徒から好意を寄せられており、入学式から一か月はラブレターを貰ったり露骨なアプローチをされたり呼び出されて告白されたりと、何かの漫画の主人公かのようでもあった。
それを一番憂いていたのは梓ちゃん本人。
結婚を見据えたお付き合いしかしたくないとのことで、少なくとも学生の間に誰かと付き合うことは考えていないらしい。
男を寄せ付けぬよう、威嚇的な金髪ショートにピアスという出で立ちの私に声を掛けたのは、男避けの打算もあったのだと、仲良くなってからすぐに打ち明けてくれた。
私自身が中学校時代、普通の女の子の恰好をしていて男に声を掛けられたりしていたこともあって男避けのためにしているのだから、利用されるもなにも、と言った感じではある。
むしろその程度のことでこの美少女の横にいられるのであればいくらでも、とすら思うが梓ちゃんは打算で私と仲良くすることに後ろめたさを感じていたらしい。
まっすぐで綺麗な心の、素敵な娘なのだ。
ちょっと嫉妬してしまうくらいに。
「兄貴を嫌っていた理由はちょっと言葉にできないんだけど、実は私も似たようなもんだって気付かされちゃってさ。それも、兄貴より度合が酷いかもって」
「癖とか思考とか言動とか、そういうこと?」
具体的なことを探らないよう気遣いながらも、きちんとアドバイスができるように確認してくれる。私が頷くと、梓ちゃんは微笑む。
「なら、気を付けて直していくしかないんじゃない? たまちゃんが自覚できたんだから、直そうって心掛けていれば直せるよ」
「自分のいやなところを、好きな人に指摘されちゃってさ。見放されたり、軽蔑されたりしないかすごく不安」
「好きな人? 嘘、たまちゃん好きな人いるの?」
「あ、いや、ええっと」
「教えて!」
自分自身は結婚を見据えた相手としかお付き合いしない、なんて言う癖に、梓ちゃんは恋愛への関心は高い。理想の乙女も女の子なんだな、と笑い、
「好きって言っても、憧れ……うーん。まぁちょっと違うかな?」
関係が爛れに爛れていることから、あんまり説明できない……!
いや、爛れさせたのは私だけど! でも見せつけられた後に複数プレイはちょっと流石に予期してなかったっていうか……クリスさんの常識が異世界のもので、私の予想してたのとちょっと違ったっていうか。
采配とか発言権が問題なんであって、複数ですることを気にしないとは思わなかった。
ネットとかで漁った同性同士で営むときの考え方とずれまくっていたというか……。
いや、悪いのは私だ。
それは間違いないから言い訳するのはやめよう。
とにかくうまく濁しながらも、あまねさんのことを伝える。
「私の好きな人は私のことを尊重してくれてるし、意識もしてくれてるんだけど」
「うんうんっ」
「でもお付き合いしてる彼女さんがいて、彼女さんと私も知り合い」
「三角関係かぁ……男の人を見る目が厳しいたまちゃんが好きになるってことは、きっと誠実で素敵な人なんだろうね」
いや、そうでもないと思います……クリスさんに私にルルちゃんに柚希さん。あまねさんの性格だから隠れて他にも、ってことはないだろうけど四人も侍らせるのはハーレムといっても過言ではないだろう。
いやでもサキュバスってそういう営みでエネルギーを得る種族らしいし、そう考えるとたった四種類の食事だけで満足してるのはむしろ誠実なのかな。
例えば、だけど。
白米・ハンバーガー・ラーメン・カレー。
バリエーションの変化は禁止でこの四つをひたすらローテーションしろと言われたら、一ヶ月もしないうちに飽きると断言できる。それでも他に浮気をしないってことは、本当に愛してくれているんじゃないだろうか。うーん、サキュバスの生態について、今度クリスさんに聞いてみようかな。
まぁでも、兄貴のことであんなに真剣に叱ってくれたのは嬉しかったかな。うち、割と放任主義で両親は成績さえしっかり取ってれば何も言ってこないし。
「誠実かどうかは分からないけど、私が兄貴に酷い態度を取ったのを見て真剣に叱ってくれた。『仲悪いままで事故や病気で相手をなくすと、絶対に後悔する』って」
「やっぱり誠実な人だと思うわ。それに、本気で叱ってくれるなら、きっとたまちゃんのことも大切に思ってくれてると思う」
「うーん……そうだと良いなぁ」
私は頭が良かった。成績的な意味では叱られたこともないし、苦労したこともない。
だけど私はばかだ。なまじ何とかなってしまうばかりに、その場のノリと勢いだけで物事を押し切ろうとしてしまう悪癖がある。深く考えなくても、リカバリーできてしまっていたが故に治せなかった、良くない考え方だ。
「大丈夫。そうやってきちんと叱ってくれる人なら、叱らないところはきっと好きなところなんだよ」
「ううっ……梓ちゃんが優しい……」
「はいはい」
ぺたんと机に頭をつけて嘆息する私を、いいこいいこと撫でてくれる。梓ちゃんは生意気盛りの弟を可愛がるお姉ちゃんなので、私はよくこうやって甘やかされる。長子と末っ子は相性が良いのだ。
あー、気持ちいい。
ピアノを習っている彼女の指は、とても繊細で丁寧な動きをする。あまねさんに触るときの参考は、彼女の指遣いだ。言わないけど。
この間だって、きつねっ娘状態になったあまねさんを見て思わず我慢できず……ううん、やめよう。梓ちゃんを前にして妄想に耽るのは流石に嫌だ。
はぁ、と大きな溜息を吐く。
「うちのお父さんなんて、直接言ってくるのは『欲しいもの無いか』とか『お小遣いは足りてるか』とかご機嫌取りばっかりなのに、私のいないところでは『化粧はまだ早い』とか『遊びに行くなら門限守らせろ。場所も聞いておけ』とか『遊んでいる友人に不埒な男はいないだろうな』とかすっごい言ってるんだよ?」
ちなみに情報源は弟の葵くんだそうだ。
思春期らしく口数が少なくなってきた葵くんだけれど、このセイントお姉ちゃんには全幅の信頼と愛情を寄せているらしく、お父さんがお母さんに色々言っているのを興味ない振りしつつ聞いて、全てリークしているらしい。
おかげで梓ちゃんの中ではお父さんの株は連日ストップ安。倒産寸前である。
父さんだけに。
「そんなに信用してないのか、って思ったら腹が立ってきちゃって」
今は会話も最低限で、目も合わせていないらしい。
うん。
まぁ梓ちゃんくらいの美人を娘に持てば、変な虫が寄ってこないかは心配になると思う。私が父親だったら、GPSスマホを渡して防犯ブザーも常備させるだろう。変質者にも狙われないよう、門限は暗くなる前。
不自由をさせてしまうが、梓ちゃんを守るためならばこのくらいは仕方ないだろう。
その代わり、金銭面や将来に困りごとがないように配慮を――ってコレ多分だけど梓ちゃんパパの思考そのものだ。
一度、家に遊びにいったときに遭遇したことがあるけれど、ザ・不器用って感じの人だったしね。きっと口下手だからお母さんづてに伝えたんだろうなぁ、と勝手に予想するけど、大きく外れてはいないと思う。
下手に分かってしまったがためにコメントし辛くなるけれど、散々愚痴って励ましてもらった手前、今は聞き役に徹することにする。梓ちゃんはこれでいて意外と頑固なので、今言ってもあまり入らないだろうからね。
「お母さんもお母さんよね。お父さんの味方してさ」
一応、お母さんはお父さんの考えを当たり障りのない言い方にはしているらしいけれど、葵くんに詳細をリークされている梓ちゃんにとってはそれも気に入らないようであった。
とはいえ、『くさい』とか『洗濯物一緒にしないで』とかありがちな反発をしない辺りが梓ちゃんの育ちの良さを物語っている。
これ、葵くんがリークしなければお母さんがうまく梓ちゃんを導いていたんじゃ……と思わなくもないけれど、今は聞き役。静かにしていよう。そのうち、いいタイミングがあったらお父さんのフォローもしてあげても良いかも知れない。まぁタイミングがあれば、だけど。
『そうやってきちんと叱ってくれる人なら、叱らないところはきっと好きなところなんだよ』
うじうじしていた私の心を一発で回復させてくれたことばを反芻しながら。
今度、放課後デートするときに甘いものでもごちそうしてあげようかな。
可愛らしく怒る親友の姿に、私は苦笑しながらも相槌を打った。
「ハァ”ン……! きれいなゆりてぇてぇ」
「ゆり、です? 咲いてるですか?」
「てぇてぇ」
「あ、ルルちゃん。気にすることないっす。ただの発作なんですぐ収まるっすよ」
「てぇてぇ」