◆025おはなししよう、そうしよう 上
「静かに、です」
「そうやね」
「邪魔しないようにするっす」
クリスが出て行ってすぐのことだ。
後を追おうとしたおれは柚希ちゃんに引き留められた。
「どげんして探すと?」
うっ、と言葉に詰まったおれに、柚希ちゃんは妙案を提示してくれた。すなわち、魔力の感知である。魔力を感知するための陣を敷いて、方角と大きさを知れるようにするから少し待つように言われて、15分ほどだろうか。
「あっちやねー。結構近か」
「よし、いこう!」
飛び出すおれを先導するように柚希ちゃんも走り出す。傘を差しているので小走りだけど、少しでも早くクリスを見つけたい。きっと濡れて寒い思いをしているはずだ。
ちなみに環ちゃんとルルちゃんはお留守番だ。特に環ちゃんはクリスと話し終わったら説教する。絶対する。まぁ逆恨みだけど。
走り始めて、10分ほどだろうか。
「ばってん、おかしかね」
「何が?」
「妖魔の反応もあるったい……戦うとーかも知れん」
おれの脳裏をよぎるのは両親のことだ。
ちょっとした意見の違いから気まずくなり、そのまま和解することなく失った家族。
また、あんな思いをするのはごめんだ。
「方向は!?」
「あっちや――ちょっ、あまねちゃん!?」
差していた傘を放り出すと翼を広げ、遮蔽物を無視して一直線にクリスへ向かって飛び始めた。
そうして現場に駆け付けた後は、焦り過ぎて真っ白になってしまったのでぼんやりとしか覚えていない。ただ、出会った時みたいな大怪我をして血を流すクリスと、それをやったであろう半魚人にブチ切れたことだけは覚えている。
そして、何とかクリスを治療しているときに柚希ちゃんが追いついてくれて、追い払ってくれたのだ。
どうやら向こうは本気を出すつもりはなかったらしく、ボリボリ頭を掻いて、
「面倒なのは嫌いなんだよなぁ」
とかボヤいていた気がする。
妙に人間臭い妖魔だとは思うけれど、今はそんなことを考えている場合じゃない。
そして今、血が足りずに気絶したクリスをベッドに寝かせ、おれはその横でクリスを温めている。服も着ているしえっちなことはしてない。
ただ寄り添ってクリスを温めるだけだ。
すぅ、すぅ、と規則正しい寝息だけがクリスが無事であることを示してくれているけれど、あの時は気が気じゃなかった。
本当に、無事でいてくれて良かった。
クリスの艶やかな栗色の髪を撫でながらそんなことを考えていると、不意に深紅の瞳がおれを映した。
「く、クリス! 良かった!」
「苦しい」
「あ、ごめん!」
「クリス、ごめん。おれ――」
「もういい」
サッと血の気が引くのを感じた。
その瞬間。
「あまねはばかなんだから」
クリスは文句をつけながらもおれを抱き寄せてくれた、体格差があるのもあって、おれが抱きしめられるような形になる。
「怪我は?」
「ないよ! おれよりクリスが――」
唇を塞がれる。そのまま舌が差し込まれ、蹂躙するように中を動く。柔らかく、ぬめるようなそれの快感に思考がフリーズし、本能のままにより多くを求めようとおれも舌を這わせる、が、すぐにクリスは口を離してしまった。
つぅ、と引く糸を手の甲で拭いながらも、射抜くような視線でまっすぐにおれを見据えた。
「っぷぁ。……私はあまねが好き。あまねは?」
「えっ、あっ」
「一人の女として、あまねを愛している。だから、あまねの気持ちも教えて」
うわ、うわー!
もうなんか、恥ずかしすぎて死にそう!
ナニコレ!? この身体になってえっちなことはかなりしたと思うけど、ここまで恥ずかしいのって中々ないぞ!?
「……好きだ。おれも、クリスを愛してる」
「誰よりも?」
「誰よりも」
普段無表情なクリスが、花が咲くような笑みを見せた。
「そう。なら、結婚しよ」
「ヴェッ!?」
「大丈夫。サキュバスの特性は良く知ってるし、あまねが他に女を作っても怒らない。ただ、あまねの一番は絶対譲らない」
「いや、その」
「嫌?」
「……全然嫌じゃないです」
とはいえおれもクリスも戸籍はないし、そもそも同性だ。どうしたものかと考えていると、クリスから「私の世界では、同性同士もなくはない」と言いながら風習を説明してくれた。
クリスの世界では――特に平民は――式を挙げることはあまりないのだという。お揃いの腕輪を買って、互いに付けあうくらいで、基本的には書類の提出もない。せいぜいが、家族友人を集めて、貸切にした酒場でどんちゃん騒ぎをするらしい。
そして、初夜ということで新郎新婦は適当なところでいなくなる、というのまでがワンセットになっているんだとか。
別に形式的なものを求めているのではなく、おれとクリスの繋がりを周りに認めてもらうのが目的なんだそうな。
クリスは箍が外れたかのように、自分の気持ちをおれに語ってくれた。
単語のような呟きの多いそれは決して分かりやすいものではなかったけれど、
「不安だった」
「もっと私を見て」
「あまねに迷惑って思われたくなくて言えなかった」
「私はあまねだけなのに」
「好き」
「余計な女が増えた」
「放っておくともっと増えそう」
「私との時間が減る」
「さみしい」
そうだよな。
いくら命が掛かっているとはいえ、まったくの異世界に放り込まれたんだ。不安にならない方がどうかしている。そのくらいおれが気遣わなくてどうするんだよ。
こっちがたじろぐほどの真っ直ぐな気持ちやら年相応の不安感などがないまぜになって、訳がわからなくなった結果、飛び出して行ってしまったとのことだった。
「でも、本当にごめん。クリスのこと、もっと考えてあげれば良かった」
「良い。命を懸けてくれた。あまねの気持ち、伝わった」
クリスは首元やら肩やらうなじやら、色んなところにキスを落としながらも会話を続ける。
おれがちょっとその気になると微妙に躱されるので、焦らされているのかも知れない。
……罰ゲームってことはないよな?
「でもあまね。熱くなると、周りが見えなくなるのは良くない」
「ウッ……それは、もう、何も言い返せない……ごめん」
「タマキのときも、ルルのときも、柚希のときも。あと、私の時も。何であんなに怒るの?」
「性分もあるんだと思う。けど、おれさ、両親とも居ないんだわ」
まさぐるようなクリスの手が止まり、視線で続きを促される。
「大学入ってすぐの頃かな。学部の先輩に麻雀っていうボードゲームを教わって、ドハマリしてさ」
賭け事自体はほとんどしていない。
賭けたとしても金ではなく罰ゲームといった、割と健全な集まりだった。ケラケラ笑いながら下らない話をして、長い時には丸一日近く打っていたと思う。
でもって、おれの両親が学生の頃は、賭け事の代表みたいなものだったらしい。ぱちんこや競馬よりも麻雀で身を崩す人が多く、母方の祖父はそれで大きな借金を作ったとか。
祖父のこととか、初めて聞いた話に面食らったけれど、賭けてないから大丈夫というおれと、祖父のイメージが強く、麻雀は絶対にやるな、と小言を繰り返す両親。
初めは流していたが、だんだんと面倒くさくなってしまっておれは実家に帰省する回数を減らした。麻雀自体は一過性のもので、別のゲームにシフトしていったんだけれど、両親とは何となく気まずくなり、ほとんど話をしないままだった。
「そんで、久々に年末くらい帰るか、って思ったらさ。両親とも、死んじゃってさ」
玉突き事故だった。
一人息子が碌に連絡もしてこないことにしびれを切らした両親は、不意打ちで会いに行こうと高速を走っていたのだ。
前後合わせて、計7台が巻き込まれる大きな事故で、ハンドルを握っていた父は即死。母も病院に担ぎ込まれたものの、一度も意識を取り戻すことなく亡くなった。
おれはそれ以来、麻雀は打たないと決めた。
正しいとか間違ってるとか、そういう問題じゃなく、きちんと向き合って、きちんと話をするべきだったと思う。
分かってもらう努力をするべきだった。
分かる努力をするべきだった。
「だから、誰かが死ぬとか、家族の仲が悪いとか、そういうの見ると、カッとなっちゃうんだ」
おれのことばに、クリスはただ頭を撫でてくれた。
ことばとともにあふれ出た涙が止まらず、おれはわんわん泣いた。
「仲直りでけて良かったばい」
「仲良しが一番、です」
「問題はあと一つっすよね」
「問題、です?」
「そうっす。……身内の恥っす」
「「あっ」」