◆024元勇者、怒る
「……良いタイミングで来てくれた」
私のあまねを飼い犬だとか雌だとか汚いことばで貶めたな。
貴様の生臭い口であまねのことを語ったな。
汚らわしい。
万死に値する。
「おっ、脈アリってところか。仲間になっ――」
どうやら勘違いさせてしまったようなので、不快なことばを囀る口を思い切りぶん殴ってやった。体内で練り上げ、今にも暴れ出そうとする魔力をそのまま拳に乗せたこともあって半魚人の巨体が思い切り吹き飛ぶ。
そのまま地面をバウンドしながら、水たまりの中に頭から着地する。
殴ってみて、思った以上にすっきりしている自分に気付く。
そうだ。
やっぱり私、あまねが好きなんだ。
「……随分ご挨拶じゃねぇの。何が気に入らないってんだぁ」
「ムシャクシャしていたんだな。思い切り身体を動かして、スッキリしてからあまねに謝りにいこう」
「はぁ? 何を言って――」
もはや問答は無用。
私は地面を蹴って駆け出した。
「ハッ!」
魔力を拳に集めるのと同時に掌打する。
魔法ではない。魔法は魔力を外に放出し、世界の理を一時的に誤魔化すものだ。
私がしてるのは、体内の魔力をそのままぶつけるだけのこと。
柚希の母が言っていた。
私からは清浄なオーラが感じられると。
ことばは違えども、聖人や天使の持つ法力と同様の力だろう。勇者にはそういった力を持つものもいたと記録にあったはずだ。
私は対アンデッドなどに特化して活動していたわけではないので自覚はなかったが、多少なりとも魔に抗うだけの力を持っているのであれば、それを叩きつけてやるだけで十分な攻撃となる。
こいつには《転移》のような、謎の力がある。
そのままでは逃げ切ることはできないだろう。
そしてこいつは前回のモールでは十分な余裕がありながらも逃げた。
私の攻撃が致命傷になることはないだろうが、粘れば引く可能性は十分にあった。
「おうおう、怖ぇ姉ちゃんだなオイ」
半魚人はその巨躯からは考えられない程の速度で私の拳を躱す。まだ諦めてはいないようで、避けながらもことばを紡ぐのをやめない。
引かないというのならば、実力で押し切るのみ。
「大方、あのメス妖魔のことを言われて怒ったってところかぁ。そんなにあのメス妖魔のガキが気に入ってんのか?」
「…………」
「ダンマリかぁ。こりゃ勧誘は失敗ってところかねぇ」
瞬間、飛び退いた半魚人が鋭い爪を振る。
モールであまねへと放った、水の刃だ。
その攻撃は、もう見ている。
雨水があるからか、あの時よりも幾分か大きいけれど、直線的な攻撃を躱すのは別段難しいことではない。
身をひねり、躱しながら距離を詰めていく。
が。
「一発だけとは言ってねぇんだよなぁ」
半魚人が両腕を勢いよく振り回す。
左右五本ずつの爪で幾度となく水刃を発生させる。飛沫から生まれた水刃が出鱈目な軌道ながらも、みっしりと詰まった状態で私へと迫る。
逃げ場がない。
となれば、
「《結界》!」
ギャリリリリリィッ!!!
おおよそ水のものとは思えない激突音が高架下に響く。げらげら笑いながらも半魚人は面での斬撃を飛ばし続ける。
「おおっと、予想以上だねぇ。そんじゃコレはどうだい?」
ジリ貧か、と打開策を考える間もなく、次がきた。
シュン。
「グッ!?」
点のようなものが打ち出され、私の脇腹を貫いた。
そのまま突き抜けた感覚がある。
高速で不可視の何かを打ち出したか。焼けるような痛みが私の中を駆けずり回る。
「おおうっ、良いねぇ。まだまだヤル気だぁ」
半魚人は醜悪な笑みを浮かべながらも二度、三度と不可視の何かを打ち出す。起点は見えるが、速すぎて避けることができない。勘を頼りに何度か避けるが、やがて四肢のすべてを撃ち抜かれた。
「ガッ、グッ、ッッッぅ!」
装備がないとはいえ、遊び半分でここまで地力に差が出るか……。予測が甘かったと言わざるを得ない。自分では嫌ったつもりでいても、勇者なんて言われて煽てられていたツケだな。
両の太ももに穴を開けられて思わずよろけた私の髪を、鋭い爪で器用に掴んで無理やり半魚人の眼前に吊られる。
「もう一度聞くけどよぅ、俺の仲間になる気はねぇか?」
「…………そうだな」
両足、踏ん張りは効かない。
右手も肘を撃ち抜かれたせいで動かせない。
――でも、まだ生きてる。
「お前がもし銀髪で、可憐で、まっすぐで、真剣に私に向き合ってくれて、居場所を作ってくれるのなら、仲間になっていたかもな」
「つまり?」
「百回生まれ変わって出直して来い」
「そうかぁ。残念だぜまったく」
逆手の爪が振り上げられる。
そして、振り下ろされ、無造作に切り裂かれてバラバラになる。
――まさにその直前であった。
「く、クリスを離せッ!!!」
あまねが、高架下へと飛び込んできた。普段は隠している、サキュバスとしての特徴が全面に出た姿のあまねだ。
びしょぬれのあまねは真っ青な顔で私のことを見つめ、それから半魚人を睨みつける。怒りか恐怖か、その瞳には今にもこぼれそうなほどの涙を溜めているが、決して瞳をそらさない。
あの時と同じ、強靭な意思を感じる瞳だ。
「クリス、すぐ治してやる! 絶対助けるから待ってて! 話したいことがたくさんあるんだ!」
「おう、メス妖魔か。さしずめこの女を守る忠犬ってとこかぁ?」
「うるせぇクトゥルフ野郎! さっさとクリスを離せ! ぶっ飛ばすぞ!」
「俺ァ調子に乗った野郎と、テメェみてぇな出来もしねぇことを言う奴が大嫌いなんだよなぁ」
「だから何だよ! いいからさっさとクリスを解放しろ!」
ばかだな、あまね。
足が震えてるじゃないか。
そもそもあまねは私よりずっと弱いだろうに。
でも。
嬉しい。
だから。
「《転移》」
「しまっ――」
私は諦めない。
ショートレンジの《転移》で半魚人の背面、振り上げられた腕へと移動する。満身創痍の私には、既に正攻法でコイツとやりあうだけの力はない。攻撃特化の勇者は、補助職なしだと脆いのだ。
無事な左腕を一番端っこの爪、その根元に絡ませる。
そのまま落ちる勢いを利用して、思い切り逆向きに曲げた。
バキンッ! と小気味良い音とともに半魚人の爪が根本から折れる。
「てててっ、《転移》ぃっ!」
同時、地面に落ちた私の盾になるようにしてあまねが転移してきた。
「やらせない! 絶対やらせないぞッ! クリス、逃げろ!」
「ばか! 何でこっちに来るの!?」
「守るために決まってるだろ!」
「……ウザってぇんだよなぁお前らは。死ねよもう」
無事な左手で無理やりあまねを引き倒すと、さっきまであまねの頭があったところを鋭い爪が通り抜けた。
あまねが消えたことで出来た空白。
そこに、黄色い閃光が飛び込んできた。
「せっかく友達がでけたんに、仲直りもせんで失うんなちかっぱ嫌ばい!」
傘を差しながら、空いた手でクダギツネとやらが入った筒を構える柚希がいた。
「ウチんせいで喧嘩になるとは嫌ばい! きちんと話ばしよ!」
飛沫のように閃光が乱発し、そのたびに半魚人の身体が後退していく。
「やめてくれよぉ。俺、喧嘩強くねぇんだから」
頭を守るように両腕を交差させながらも、半魚人は冗談なのか本気なのか分からない口調でぼやき、水刃を柚希へと放つ。光と水飛沫がぶつかり、ちぎれ、弾けていく。
ある種幻想的なまでのそれを意に介さず、あまねは私を抱きしめてくれた。
「《癒風》、《癒風》、《癒風》、《癒風》、……」
「あまね」
「《癒風》、《癒風》、《癒風》、《癒風》、《癒風》、《癒風》、……」
「あま、ね」
私の呼びかけを無視し、ぼろぼろ泣きながら回復魔法をかけ続ける。
なんで貴女が泣いてるのよ。
けがなんてしてないでしょうね。
それを聞く前に、ふんわりと柔らかく、そして温かいあまねに抱かれ、私の意識は闇に沈んだ。
「良かった……本当に良かった……!」
「ごべんだざい……ごんなごどになるだんで……」
「た、たまき様! クリス様は無事なのです!」
「だっでぇ……」
「えずかったっちゃんね? うちもそう思ったけん、わかるばい」
「……ッ!? ッ!?!?」
「ゆ、ゆずき様! たまき様が窒息しちゃいます!?」