◆057 渡る世間は理不尽ばかり②
しゅん、と皆で移動してきたのは土御門家の執務室。
二十畳近くある巨大な部屋にはやたら豪華な執務机があり、不機嫌そうな顔の土御門さんが電話口で怒鳴っていた。
「ああ!? その話はこないだ結論が出てただろうが! テキトーな専門家に金を握らせて、妖魔なんぞいないとコメントさせろ! タイアップで胡散臭いオカルトマニアも出せよ!? もちろん意見はすり合わせをさせてからだ!」
「工期に遅れ!? 許されると思うな! どの家のどんなコネを使っても良いから業者をかき集めろ! これ以上プロ野球の試合が遅れてみろ、損害請求を貴様の家に送りつけてやるからな!」
「金を積んで適当な中堅俳優を偽装結婚させろ! そうだ、別の話題で――ああ、そうだ。話題性が高いならば別に偽装不倫や偽装浮気、偽装ほんわか動物動画でもかまわん! 金銭の補填は相手の言い値で払ってやれ!」
「私だ、何が――また投稿されているのか! あれだけ削除したというのに……いや、良い、良く見つけてくれた。あとはこっちで対処する。クソッ」
受話器を叩きつけるように置いた土御門さんは、挨拶もそこそこにアルマへと光通信用のケーブルを差し出した。
「あの日の宗谷殿の動画がまた投稿されているらしい。頼めるか?」
「もちろんです」
アルマはケーブルを咥えるとネットの世界にダイブ。ネット上に転がっていたおれたちの動画を処分してくれる。やっていることは完全にハッキングとかクラッキングって呼ばれるようなものだけども、そもそもおれたちの肖像権やら何やらを侵害してるのでお相子です、とアルマが言い切っていた。
どういう理論かはわからないけど、堂々と言い切る姿をみると何故か正しいことをしているように見えるから不思議だ。
投稿サイトから動画を削除したアルマはそのままネットを辿っていき、投稿者のパソコンに保存されていたおれ達の動画も一緒に処理した。
「完了です」
「感謝する」
短いやり取りの後で再び書類やらパソコンやらをイジりだした土御門さんに、おれは《月光癒》と《闇瘴祓》を重ね掛けする。環ちゃんや三条さんにも効いたし、土御門さんの疲れも多少はマシになるだろう。
これで依頼は完了である。
完了だけど、あまりにも可哀そうなので環ちゃんと柚希ちゃんが秘書代わりに色々と手伝いをするのが今日の予定であった。
ちなみに結構良い感じの金額がざっくり時給換算で支払われることになっている。こないだ環ちゃんに聞いたところ、この地域の最低賃金の4倍強でした。すげぇ。
おれ達はお金には困ってないはずなんだけれど、柚希ちゃんと環ちゃんは自由に使えるお小遣いが欲しいとのことだった。
ちなみに土御門さんが死ぬほど忙しい思いをしているのは祓魔師関係の世間バレだけではない。そういった事態は今までに何度もあったそうだけども、きちんと根本に対処した後にインチキ霊能番組とかバラエティの心霊特集、あるいは俳優や歌手のスキャンダルだったりをすると、割と簡単に世間の関心は離れていくとのこと。
諸行無常な感じだけども、おれも関わってなければニュースなんてそんなもんなのかもしれない。
では何でこんなに忙しいのかと言えば、亡くなった依光さんの周辺から埃がやまほど出てきたからだ。違法――協会の定めたルールの――な魔術の使用や実験、危険な呪物の裏取引、人身売買、エトセトラエトセトラ。
数えきれないほどの悪事が出てきて、しかも国外の祓魔団体なんかも絡んだ件がたくさんあって、もはやどこから手をつけていいか分からないレベルだという。
春の人工妖魔に関連して、『創世計画』なる目論見に関する情報も少しだけ出てきたんだとか。国外でも過激派でテロリストと同一視されるような祓魔団体が主体だったらしくきちんとは見えていないけれど、これから精査するらしい。
閑話休題。
書類を手に動き始めた二人に、土御門さんはむっすりとした表情のまま、お礼を告げた。
「環くんも、柚希くんも本当に申し訳ない。感謝する」
本当だったら有能な執事さんがいたはずなんだけれども、
「はっはっはっ……見てますか、灯里さん。あれが正しい理事の仕事姿ですぞ」
執務室の反対側、やたら豪華なカウチソファに腰掛け、あの日助けた美人秘書さんと酒を飲んでいる。三条さんは予告通りに一ヶ月の休暇を取った。
土御門さんが梓ちゃんショックで使い物にならないときに頑張った分のものだ。ちなみに設置されているカウチソファは「休暇を楽しむために」と三条さんが自費で購入して設置したものである。
「三条ォ! わざわざ人の執務室で休暇を楽しむなァ!!!」
土御門さんがパソコンと睨めっこしながら怒鳴るが、どこ吹く風と言った感じで笑っている。隣に座る秘書さんは困ったような笑みを浮かべながらも三条さんに注がれたワインで口を湿らせる。
秘書さんは精神の均衡を完全に崩していたんだけれど、おれの回復魔法が精神にも作用するようになったので連発によるゴリ押しをして、あとは三条さんが献身的に庇護することで劇的に改善していた。
今でこそ『他人事みたいに感じられるんです。昔、小説で読んだ物語みたいに』なんて言っているけれど、当初は自殺未遂を試みたり錯乱して暴れたりと酷い有様だった。土御門夫人と三条さんの娘さんが対処してくれて詳しくは教えてもらえなかったけれど、それだけのことをされていたってことなんだろうな。
「いえいえ。灯里さんに正しい理事のお仕事を知ってもらいたいと思いまして。社会復帰ですよ、社会復帰」
「……クソッ!」
「三条さん……流石に可哀そうではありませんか?」
「どうか俊夫とお呼びください、灯里さん」
ちなみに三条さん。
この美人秘書さんを本気で口説きに掛かっている。
年齢差いくつだよ、と思わないでもないけれど、前の理事のときに心を壊すようなことをされていた秘書さんは、どこまでも優しくて包容力に溢れている三条さんに口説かれるのはまんざらでもないらしい。
シルバーグレイな老紳士からは性的な雰囲気を感じないのも良かったのかも知れない。
一度、無理に迫られて嫌な思いをしていないかを環ちゃんがこっそり確認していたけれど、秘書さんは頬を染めてそっぽを向いた。
「わたし、ちっちゃい頃にお父さんを亡くしてて……落ち着いた年上の男性って憧れちゃうんです。それに、こんなに汚れてる私でも良いって言ってくださいましたし」
俗にいう枯れ専とかジジコンってやつだろうか。もう少し気持ちが落ち付いたら、真剣交際を考えているとのことでした。三条さんも随分前に奥さんを亡くしてるらしいから別に良いのかなぁ。
三条さんの娘さんよりも年下なんだけども。下手したらお孫さんと同じくらいの年齢かもしれない。
「新婚旅行にでも行って来い!!! 金なら出してやるから!!!」
悲鳴にも聞こえる不思議な怒声をあげる土御門さんだけれど、三条さんは笑いながらワインを飲む。
「いえいえ。結婚するときは結婚するときで別に休暇を頂きますのでお気遣いなく」
「クッソォッ!」
いや、気遣いじゃないと思うけど。土御門さん普通にキレてるし。
「おや、慶弔程度では休暇は取れませんか?」
「取らせるに決まってるだろうがッ! 分かり切ったことを聞くな!」
土御門さんが真っ白になっていたときに一人で理事代行までさせられたの、よっぽどキツかったんだろうな……クリスやリアも死相が見えるって言ってたし、このくらいの仕返しは仕方ないのかも知れない。
真っ白になってた理由が大病とかならまだしも『娘に彼氏ができた』だもんなぁ。
そんな感じの土御門さんだけど、おれは手伝ってあげようとは思わないので、クリスと一緒に三条さんの座るソファへと向かう。
おれは大人だから、ワインをご相伴に預かる予定なのだ!
三条さんがチョイスするワインはお高い奴なので美味しいのである!
クリスも飲めなくはないみたいだけれどあまり酒は好きではないらしく、お目当てはおつまみのスモークチーズだ。
「御当主、随分と余裕がないようにお見受けしますが、私の助力が必要ですかな? 土御門家の御当主である貴方がよもやお一人ではまともに執務も熟せないと?」
「クソォッ! 要らん! 不要だから貴様は黙ってみていろッ!」
三条さんに煽られ、土御門さんは悪鬼のような表情でパソコンを弄り始める。おれが回復魔法を掛けるといくらか回復するらしく、毎回三条さんを怒鳴るくらいの元気が出てくる。
いや、執務室で呑んでる三条さんが元気か確認するために煽って怒鳴らせるっていうのが正解だろうか。
で、土御門さんに助力を断らせるまでが日課となりつつあった。
嫌なルーティーンである。
ルーティーンと言えば、もう一つ。
コンコン、とノックされたドアに、土御門さんは「入れ」と短く告げる。
「お茶を――あ、環ちゃん! 柚希さんも! 父がお世話になります」
「梓ちゃん! 大丈夫だよ、バイト代もらってるし」
「全然良かよー!」
梓ちゃんによるお茶出しである。
色々と思うところがあったのか、土御門さんは葵ちゃんだけでなく梓ちゃんとも真正面から向き合った。環ちゃん伝手に聞いた情報だと梓ちゃんが今までの不満をぶちまけたりしてバッチバチの口論をしたらしいけれど、燃え尽きたり話し合いを放棄することなくきちんと最後まで話をした結果、関係が劇的に改善していた。
「お父さん、お茶が入りました」
「すまんな。そこに置いておいてくれ」
「はい。大丈夫?」
「……ああ。助かる」
梓ちゃんは秘書兼アシスタント、とでも言えば良いんだろうか。
暇を見つけてはこうしてサポートしてくれているらしい。土御門さんもきっと心の中では舞い上がってるだろうな。いやまぁ彼氏の存在を認めさせられた訳だし、内心では死ぬほどのダメージを受けてる可能性もあるけどさ。
さて、しばらくは環ちゃんも柚希ちゃんもサポート役なので暇だ。
三条さんたちが用意したワインとチーズを食べ尽くすのも申し訳ないので、味見程度に貰ったら、クリスを引っ張って道場へと移動する。
「そんじゃ、しばらくしたらまた来るから頑張ってください!」
「頑張れ」
二人で手を振ると、土御門さんが不機嫌そうに手を振り返すのが見えた。