◆051 存在
「逃が、さ、ない……! 腐れて朽ち、枯れ、死に絶えよ……!」
呪詛のような声とともにパキパキと音がする。
石畳を、アスファルトを、リノリウムを。
すべてを突き破り、天を衝くような樹木が成長していた。杭のような植物がそこかしこに生え、逃げようとする者を絡め取り、あるいは串刺しにする。
悲鳴と絶叫が場内に満ちる。
設楽さんがアナウンスで指示を出し続けているが、もう《思考誘導》で何とかなるレベルじゃないんだろう。完全なパニック状態に陥っていた。
おれ――というかおれたちも、それを気にしている余裕がない。
「クソッ! 依光の血か……!?」
「これは……力が……」
「あのとき、首をはねておくべきだったな」
「おねえさま、何を悠長なことを言っていますの……これ、本気でまずいですよわよ!?」
迫りくる根や蔦を《結界》と呪符で防いではいるものの、戦えるはずのメンバーが揃いも揃って《命枯らす樹》の権能を食らっているからだ。
正式名称まではわからないけれど、その効果は吸精。
はっ、はっ、と浅い息をする姿はダメージを受けて喘いでいるようにすら見える。《結界》や呪符で防御をしていてなおこの有様である。
「……まずいな」
「土御門さん!? 何してんの!?」
実験のつもりか、土御門さんが結界の外に指を出す。
同時にじゅわりと魔力が滲み出て、指がミイラのように乾いて崩れた。土御門さんは顔をしかめながら呪符で自分の指を落とし、おれたちを逡巡する。
「《吸精》は浴びた血の量に比例しているようだ。直接浴びた我らは《結界》外に出れば一〇秒ももたないだろう」
「ゆ、指が……! 《月光癒》!」
おれが魔法を放つと、紫銀の魔力が土御門さんの指を癒していく。
骨と肉が盛り上がり、指が再生した。
えっ!?
「む、宗谷殿、また腕をあげられたな」
「エッ、アッ、何で!?」
「あまね、おちついて」
クリスに窘められて口をふさぐけれど、意味が分からない。
おれの回復魔法は強力だけれど、魔力の少ないこの世界では欠損を治せるほどの力はないはずだった。
それが、まさかの完治である。
「依光の血が媒介となる術だろうな……無事なのは、宗谷殿、望田くん、ルル殿か」
「アルマめも無事にございます」
「アルマ、神代の知識とか技術とかで何とかならない?」
「そうですね……拡張機能のⅢ型庭園剪定装備があればこの程度の植物は一瞬で枯らせるのですが、残念ながらありません」
いや、何とかなるものあるのかよ。
当たり前のように聞いてみる環ちゃんもすごいけれど、平然と答えるアルマもアルマだ。
その後もミチミチと音を立てながら成長する植物に囲まれながら状況を打開する策について話し合うが、良いアイデアは出てこない。
会場内に充満する《命枯らす樹》が原因なのか、別の要因があるのか頼みの綱にしておれの切り札でもある《転移》も発動しない。環ちゃんに寄ると電波は繋がっているとのことなので異世界との繋がりが完全に途切れたわけではないけれど、《転移》は完全に阻害されていた。
どれほどそうしていただろうか。
思いつく限りの手を試してはみたものの、効果はなかった。
クリスの扱う火属性の魔法も、植物を焦がすことは出来てもすぐに新しい蔦が伸びてきて元通りになってしまったし、三条さんや土御門さんが出来る限りの方法で『解呪』を試みたけれど失敗。
いよいよ打つ手がなくなってしまった。
――絶望が、狭い結界内に満ちた。
「結界も、あと半刻が限界だな」
「おねえさまがた……可愛がってくださってありがとうございました。リアは、とても幸せな時を過ごすことができました」
「リア! 何を馬鹿なことを言ってるんだ!」
当たり前のように頭を下げたリアに思わず怒鳴りつけるが、クリスがリアの後頭部をぽんぽんと叩く。クリスもリアも《命枯らす樹》の権能で随分と消耗していた。すでに戦える状態にないことを自覚しているのだろう。
顔色も随分と悪かった。
「あまね、良いの」
「クリスまで!?」
「私もリアも、あの国に使い潰されるところだった。今、この時はあまねがくれたボーナスタイムみたいなものだから」
だから良いの、と告げるクリスに、おれは怒りをぶちまけた。
「良いハズないだろ! クリスもリアも! 他のみんなも! こんなところで死んで良い訳ないじゃんか! もっと楽しいこといっぱいやって、美味しいものも一杯食べて、ずっと、ずっと――!」
「……ありがとう」
「ウチも、あまねちゃんに会えて幸せやったよ」
「柚希ちゃんまで!?」
権能に《吸精》されているせいか、身体中を汗で濡らし浅い呼吸を繰り返す柚希ちゃんも場違いなほどニッコリ笑った。
「クリスさん。あまねちゃんな逃がさないけん」
「そうだな」
「ウチらでこげな植物ブチ抜いて、逃げ道ば作ろ」
「良い案ですわね」
「ふむ。乗ってやろう。宗谷殿、この妖魔の魔力も肉体も一瞬だけ退ける。タイミングを合わせて《転移》だ。無事な者を連れて即座に逃げよ。良いな?」
「待ってよ! 嫌だ! おれはそんなの絶対に嫌だ!」
「わがまま言うな」
「ワガママじゃない! 何言ってんだよ、皆して当たり前みたいに死ぬ算段付けやがって! 残された人間がどう思うか考えてみろよ!」
自然と、涙があふれてきた。
悔しい。
悲しい。
溢れ出す感情が止まらない。
なんでおれは何にもできないんだ。
どうしてみんなしておれなんかを生かそうとしてくれるんだ。
そんな価値、おれにはない。
みんなこそ、生き残って幸せになるべきなのに。
クリスがぐじぐじと涙を流すおれを抱きしめ、背中をさすってくれた。
「大好き。だから生きて」
甘く染みわたるような響きは、どこまでも深く、そして優しくおれの心に突き刺さる。
「……一つだけ、提案があります」
「環ちゃん?」
思案顔の環ちゃんは何時になく真剣な表情をしている。この期に及んで馬鹿な提案もしないだろうし、何か思いついたんだろうか。
「秘書さんの呪いが解けた理由に心当たりがあります」
「エッ!?」
「春の人工妖魔のこと、覚えていますか?」
言われて脳裏をよぎるのは、カエル頭の妖魔である。クトゥルフ神話という創作された神話をモチーフにした存在。自らの存在を強化するために『畏れ』を集めるといい、おれたちを死の間際まで追い詰めた存在だった。
「私、ずっと考えていたんです」
環ちゃんが説明してくれたことは、背筋が凍るような仮説であった。
「土御門さんの精神を癒し、秘書の方の呪いが解けた理由なんですけど、どちらもあまねさんの回復魔法です」
「ハイッ!?」
「思い出したんです。あまね真教国の教義であまねさんが『身体を癒し、心を救う』って民衆に説いていたことを」
「エッ!?」
どうやら宗教的なイメージとして、そういう文句で宣伝していたらしい。
「でも、さっき土御門さんの指を癒したけど、呪いは解けてないよ!?」
「それはほら、まだパワーバランス的に負けてるんですよきっと」
環ちゃんはそれだけ言うと、本論へと戻った。
「で、春の人工妖魔の件なんですけど、あの妖魔って『畏れ』をエネルギーに強くなっていたんですよね?」
「左様ですな。あの個体に限らず、妖魔とは人の感情をエネルギーにするものです」
「だったら、古くからいる妖魔はもっとずっと強くていいはずですよね? 長い年月を掛けて人の感情を集めているんですから」
確かにそうだ。古くからの伝承で伝わる妖魔なんかは、とんでもない認知度である。だとすれば、それこそ名を得たモンスター級の力をもっていてもおかしくはない。
「にも関わらず、実際はそこまで強くありません」
「……何か、強くなれない要因があると?」
「要因というか、人々が『強い』と思っていないからじゃないですかね。卵が先か鶏が先か、って話になっちゃうんですけど、あまねさんもラナさんも、種族的な能力が伝承のままで、強化されたりしてないんですよね」
環ちゃんの言いたいことはこうだ。
サキュバス、と聞いて世界を滅ぼせるような強烈な魔法を使える妖魔だと思う人間はいない。『えっちな術だか何かと技で人を誘惑する存在』。そう思われているから、そうなるのだと。
逆に言えば、『人々におれが戦える存在』で『解呪の魔法が使える』と思わせられれば、そうなるのではないか、と。
「実際、神様なんてそんな感じじゃないですか。耳障りの良いことを謳い、人々の信仰を糧に強くなる妖魔みたいなものですよね」
「アッ、えっ、エッ?」
「まぁ今は関係ないので話を戻します。あまねさんを『そういう存在』だと認知させて大量の感情を集めることができれば、あまねさんの魔法で解呪も可能なはずですし、もしかしたら直接戦えるようになるかも知れません」
問題点はたったの一つ。
一つだけれど、背筋が凍るような特大の問題が存在していた。
「あまねさんの存在が、人々の感情によって作られているなら、どこまで変質するか予想できません」
「……最悪、宗谷殿が宗谷殿ではなくなる可能性もあるのか」
おれが、おれじゃなくなる。
「でも、ワンチャンあると思いませんか?」
「……ある」
「あまねちゃん!?」
「あまね!?」
ここでみんなを諦めることなんてしたくない。
みんなを諦められるはずがない。
だから、可能性があるならそこに賭けてみたい。
「あまねさんの能力は変わっても、精神性は変わらない。私たちが、そう強く願いましょう」
それから、やることに関して打ち合わせを行った。
……うん。
やっぱり環ちゃんはすごい。
突発的な状況なはずなのに、ここまで考えつけるってどういう脳みそしてるんだろうか。
そうは思うけれど、今はその頭脳が味方に付いているというのがこの上なく心強い。
「よし、やろう」
おれの掛け声とともに、それが開始された。




