◆050 《命枯らす樹》
決勝が始まる。舞台の上には臼杵氏と葵くんが立ち並び、設楽さんのやたら喧しい煽り系紹介をされる。
それぞれが武器を構えて互いを見据え、ゆらりと陽炎のように魔力が立ち昇る。
まさに戦いの火蓋が切って落とされるその直前。
「おい、貴様ら! 俺の秘書に何をした!?」
頭皮が寂しい系のおっさんがいちゃもんを付けに来た。
土御門さんはともかくとして、クリスや三条さんも露骨に顔をしかめるが、当の本人はそれに気付いていないのか、やかましく怒鳴りたてた。
「人の秘書を拉致するとは、明確な敵対行為だぞ!? 分かっているのか!?」
「……依光さん。随分と穿った見方をされていますが、私たちは何処かの誰かに怪我をさせられていた彼女を介抱しているだけですよ」
「ぐっ! 保護に感謝する! 連れ帰らせてもらうぞ!?」
そんなことさせるわけないだろ。
大股で近づいてくるおっさんを前に、クリスが静かに剣のみを《換装》し、柚希ちゃんも管狐を構える。三条さんはルルちゃんを庇うように立ち、リアも環ちゃんをカバーする位置へと動いた。
打ち合わせなんてしていないけれど、全員の意見が一致していた。このおっさんに、彼女を引き渡したりはしない、と。
おれたちがきっと睨むと、おっさんは忌々し気におれたちを睨み返し、鼻を鳴らした。
「何も知らん餓鬼どもが出しゃばってきおって! 後悔させてやるぞ!? 依光の名は伊達では――」
怒鳴るおっさんだが、女性に暴力を振るい、呪いを掛けるような野郎に従う気はない。全員がおっさんの一挙手に気を配っていた。さらに言えば、全員がおっさんが纏っているという『呪い』を探ろうとしていたらしい。
だから、止めることができなかった。
いつの間にか目を覚ましていた秘書さんが、突然の凶行に及ぶのを。
「――お前らなんぞ家族ごと破滅さプェッボグ!?」
いつから目覚めていたのか、秘書さんは昏い瞳で涙を滔々と流しながらもナイフでおっさんの首を掻き切った。
おれがローストビーフを切り分けるのに使った、金属製の食事用ナイフである。
ばちゃりと粘度を感じさせる水音が響き、血飛沫が舞う。
「よくもッ! 死ね! 死ね! 殺してやるッ!」
秘書さんは泣きじゃくりながらもナイフを何度も突き刺そうとする。明らかに重傷のおっさんは自らの首を両手で抑えながらも、溢れる血を止めることができず、膝から崩れた。意識はあるようで、だくだくと血を流しながらも射殺さんばかりの視線で秘書さんを睨みつけている。
クリスとリアは口元を覆って飛び退く。
二人に限って、いまさら血が怖いとかではないだろうから、呪いとかの関係だろうか。
「放して! こいつはッ! こいつだけは殺さないとっ!」
「落ち着いてください」
「嫌ッ! こないでッ!」
三条さんと柚希ちゃんが秘書さんを止めるけれど、錯乱した彼女はメチャクチャに武器を振りまわした。
「く、くひゃい、れす……!」
ルルちゃんが涙目になって鼻を抑える。顔をしかめたクリスとリアも何かに気付いたらしく、表情が焦りに満ちる。
「どうにかして呪いを解け! 臭いが強くなっている!」
「解呪をお願いしますわ! 何かが変ですの!」
声を張り上げたけれど、既に遅かった。ナイフを染めていた鮮血が飛び散ってしまう。そして、その血が静かに眠っていた幼女に掛かる。
変化は、劇的だった。
少女の髪に付いていたつぼみが花開く。
鮮血のような色合いの、毒々しい紅色の華だ。同時に幼女の髪がザァ、と絡まりながら太く長く伸びていく。
あれは、植物の蔦……?
爆発するような速度で伸びた蔦が虫の息であったおっさんを浚い、おっさんの喉から溢れる血だまりを啜る。
「《結界》!」
「三条! 皆を守れ!」
「御意! 四方防壁、急急如律令!」
「ルルちゃん、環ちゃん、ウチん後ろば隠れとって!」
幼女が蔦で自らを持ち上げ、起き上がっていた。
そこに見えるのは、怨嗟と憤怒の表情。
「ゆる、さァな、い……ニンゲン……おと、こっ……ゆゥ、る、さな、いッ!」
パキパキと音を立てて幼女の髪から伸びる蔦が成長していく。
蔦の一本が掴んでいたおっさんを持ち上げ、幼女の頭上へと掲げた。
「何をする……!? ぐっ、放せっ!」
何とか逃げ出そうと藻掻くが、蔦はそのままミシミシと成長していき、おっさんの身体を捩じ切った。血と臓物がぶちまけられ、幼女へと降り注ぐ。
「見るなッ!」
土御門さんと三条さんが、リアとクリス以外のおれたちの視界をカバーしてくれたので、そこから何が起こったのかは見えなかった。
ただ、わかることは一つ。
植物幼女から魔力が溢れた。
「枯れ、ろ……枯れろ枯れろ枯れろォ…………!」
殺意とともに。
自らに降りかかった悪意に対する、強烈な怒りとともに。
生まれてきたことさえも悔やむ、生そのものに対する怨嗟とともに。
どぷり、と魔力が溢れたのだ。
――やばい。
「く、クリス!」
「今何とかする」
「この子、進化しちゃうよ!」
おれ自身が経験したのと同じだ。
知性ある個。
膨大な魔力。
強烈な意思。
それらが混ざり、津波のように魔力が溢れる。
幼女がその身を、進化させたのだ。クリスの世界では伝説として語り継がれるレベルの災厄、名を得たモンスターへと。
「妾が字は《命枯らす樹》。よくも、よくも妾の四肢を磔にしてくれたな……!」
何を――って、混乱しているのか!?
「待って! 君を傷つけた奴はもういない、だから――」
「黙れ。そのまま枯れてしまえ。《血は水より濃い》」
瞬間、鼻を衝く悪臭が広がった。
***
魔力弾を避ける。小太刀二刀流は威力の低さを手数で補う剣術である。ちょっとだけ小柄で華奢な体格の俺にはぴったりの剣術だ。
臼杵さんの攻め手を潰すように立ち回っていけば、少しずつ彼が苛立ちを募らせていくのが感じられた。
「本当に性格が悪いな土御門の息子は!」
「む、息子!? そうですよね! きちんと男に見えますよね!?」
「何を当たり前のことを言ってるんだ、気持ち悪い。君からは思春期の少女特有の桃みたいな芳醇な匂いがしないじゃないか……!」
いや、臼杵さんのその発言の方がずっと気持ち悪いですよ……!
でも俺のことをきちんと男だと分かってくれるし良い人だ。
気持ち悪いけど。
良い人を苛立たせるのは嫌だから、ガンガン攻めて終わらせてしまおう。
そう考えて懐の呪符を撒くのと同時。
『おおおおおおおおおおおおおお!? どういうことだこりゃあ!?』
会場のスピーカーが、キン、と耳障りな音を立てながら設楽さんの声を拾い上げた。
『客席だ客席! 妖魔か何かが――ってあれ、依光理事じゃねぇか! 誰か助けにいけ! 今すぐだ!』
思わず手を止めて客席へと視線を向ける。
――振りをしてすぐ臼杵さんを不意打ちでぶちのめそうと思ったんだけれど、本当に止まってしまった。
観客席。
よりにもよって環さんたちがいる辺りに、植物の蔦のようなものに持ち上げられた依光さんがいた。同時に感じられるのは、妖魔の気配。
あまねさんのところで保護していた、幼女の形をしていた妖魔のものだろうか。
環さん! 環さんは無事か!?
「――――!? ―――――!」
何を言っているかは分からないが、わめく依光さんは宙づりにされた状態で、雑巾みたいに身体を絞られ、捩じ切られた。
ぶちゅり、と粘ついた音とともに血肉が撒き散らされる。
誰が見ても分かるレベルで即死だ。
依光さんだった肉片が、蔦によって会場にまき散らすようにして投げ捨てられた。
俺のところにも右足が飛んできたけれど、小太刀で弾いた。隣にいた臼杵さんは真っ青な顔していたけれど、たかが手足の一つや二つで何をそんなにびっくりしてるんだろ。
別に自分の手足って訳でもあるまいに。
何故か咄嗟に出してしまった炎熱系の呪符をしまいながらも事態の推移を見守る。
『慌てないで! 周囲とぶつからないように落ち着いて避難するんだ! 誰かが転ぶと却って避難が遅くなる! 落ち着け! 周りをよく見ながら行動するんだ!』
設楽さんが《思考誘導》しながらのアナウンスで避難を呼びかけるけれど、依光さんの破片が降り注いだ会場はパニックとなっていた。
逃げ出す者たちが出口へと走り出す。
『慌てるな! 良いか、急いでいても落ち着くんだ! ――戦える奴等は討伐だ! 理事を捩じ切るバケモン相手だ、切り札も隠し玉も出し惜しみなしでイケよ!?』
会場を掌握しようと設楽さんが指示を出すのとほぼ同時に幼女の魔力が急激に上昇した。そのまま破裂するように広がり、絡まりあった蔦が急激に成長、樹木のように太く硬くなっていく。
「妾が字は《命枯らす樹》。よくも、よくも妾の四肢を磔にしてくれたな……!」
聞こえてきたのは、とてもじゃないがあの植物幼女のものとは思えない、成人女性の声。
怒りと恨みに満ちた、昏い声だった。