水の教団
「…………」
「………………」
「……………………馬鹿な!?」
沈黙を破ったのは、カールマンの驚きに満ちた声だった。
「何故…………何故だ……何故だァアアっ!!」
そんな筈はない。そう思いながらカールマンは必死に銃の引き金を引いた。何度も何度も。
しかし結果は同じだった。何も起こらない。その銃口からは如何なる弾丸も飛び出さない。その有様を、哲夫はただ見守っていた。彼は傷だらけだったが、その傷は全てこれまでの戦いや囚われていた時の拷問で出来たものだった。カールマンがとっておきの切り札として構えたオルギャノン。哲夫が如何なる拷問も耐え忍んで奪い返す機会を待ち、テレスにとってはいまだその価値を見出せない銃は、哲夫の身体一つ傷つけることが出来なかった。
「どうやら俺もお前もそいつにとって、所有者足りうる存在ではないらしいな。オルギャノンの本当の力は、オルギャノン自身が認めた真の持ち主の元でしか発揮されない。銃の持ち主は銃自身が決める。どこぞの魔法の杖じゃないが、それがオルギャノンという銃の特徴だ。
大昔から存続し、多くの謎を抱えたオルフェウス教。亜帝内において最先端の科学力を持つパルメニデス教団。古代呪術と現代科学の粋を集めて造られた、世界でただ一つの最終兵器。それを真の所有者が手にした時、青白い閃光が飛び、この世界の真実が明かされる……そんな恐ろしい代物を、俺やお前みたいな一介のエセ賢人が、使えるわけがないんだよ!」
哲夫の口調は語り続けるにつれ、怒りと悔しさに満ちた荒々しいものへと変わっていった。その言葉に論破されるかのように、がっくりと肩を落とすカールマン。
「分かったらそれを渡せ。これ以上不毛な戦いは御免だ」
哲夫が声をやわらげ、ゆっくりと石段に足をかけた、その時だった。
――ポタリ。頬を一筋の冷たい感触が滴り落ちる。不審に思った哲夫がその手で頬を拭い、空を見上げると……
一塊の雨雲が浮かんでいた。塵一つ入らないドームの中に。やがてその不思議な雲の中から一粒、また一粒と水滴がこぼれ落ち、大雨となって舞台上に降り注いだ。
「嫌な連中が来たな……」
そう呟くと哲夫はその場に立ち尽くし、空をじっと睨みつけた。会場の中に突如沸いた雨は奇妙なことに客席に一滴の雫も落とさなかった。それどころか最初の一滴を除き哲夫やテレスの頭上にさえ降ってこない。まるで雨自身が意思を持ち、彼らを避けているかのように。
テレスがその不自然さを訝しがっていると、舞台の奥から何やらうめき声が聞こえて来た。
「ぅ……ぅううう」
「アンディ……!」
意識を取り戻しつつある親友の元へテレスは駆け寄った。哲夫が乱入する寸前まで、お互いに殺し殺されようとしていた関係とはとても思えない。
「大丈夫?」
「テ、テレス……ここは?」
「詳しい話は後。今はとにかく、この場を離れよう」
「待て! そこを動くんじゃない」
そろそろと舞台を降りようとする二人を、哲夫が鋭い声で引き止めた。その声に思わず足を止め、哲夫の方を振り向くテレス。そんな彼の視界には、とんでもないものが映っていた。
雨が止み、彼らの周囲には六つの水溜りが出来ていた。その水面が音もなく波紋を生んだかと思うと、まるで金と銀の斧を携えた女神のように波紋の中心から複数の男女が姿を現した。
テレス達を取り囲むようにできた水溜りから一人ずつ姿を現した人々は全員、端正な顔立ちにすらりとしたモデル体型の美男美女ばかり。彼らを包む服装はそんな美貌をより際立たせるかのように青を基調とした美しい装飾に彩られていた。
その美しさは金にものを言わせた衣装を着飾っていたゴルギアス教団とは比べ物にならない。中には襟元を立たせた男性や腰回りに孔雀の羽根のようなひらひらをチラつかせている女性もいたが、殆どの者は無駄を一切省いたシンプルで動きやすい服装だった。例えるならば、フィギュアスケートで華麗に氷上を舞う男女ペアの集まりといったところか。
しかしその姿がうっとりするほど美しいと同時に、瓦礫の散らばる舞台上においては果てしなく場違いだったことも事実だ。
「わざわざオルギャノンが出てきたタイミングを見計らって姿を現すとは。絵に描いたような漁夫の利ですなぁ。ええ? タレス教団の皆さん」
哲夫が挑発するようにくっくっくと笑い出した途端、風を切る音と共に一本のナイフが顔面目がけて飛んできた。哲夫は紙一重でそれを躱すと、飛んできた方角をはたと睨みつけた。
「そうカリカリしなさんなよ。もうちょい平和的にいこうぜ。俺はお前達と争うつもりはねえ」
彼の背後で、壁に突き刺さったナイフが溶けていく。と言っても実際に刃物が熱で溶解するといった状態ではない。まるで氷柱が雪解けするかのように液状化したのだ。
「争うつもりはない、だと? ふん、オルギャノンを前にしてよくもそんな嘘が言えたものだ」
客席の暗がりから鋭い声と共に、一人の侍が姿を現した。その腰元には一本の刀が携えられ、髪はちょんまげを思わせるポニーテール。凛とした眼差しといい、実に漢らしいたたずまいだ。
――さらしの上からでも解るほど、豊満な二つの膨らみに目をつむればの話だが。
「久しぶりだな芽音ちゃん。しばらく見ない内に大きくなったじゃないか。色々と」
「ぶ、無礼者!」
哲夫の視線に気づいた女侍はとっさに胸元を抑え、顔を赤くして怒鳴りつけた。
「で、今日はどんな御用でしょ」
「はぁ? シラを切るんじゃない。解っているはずだ」
「俺と金木くんの決着を、わざわざ見届けに来てくれたのか。優しいねぇ」
「切り殺されたいのか貴様は」
「冗談だよ。オルギャノン争奪戦に、満を持して加わりたいってんだろ?
ここ数年勢いじゃ他の二大教団に抜かれてるらしいじゃん。ここらで一つ、名誉挽回ってとこですかい?」
「……相変わらず」
芽音は腰の鞘に手をかけると、鋭く光る刀身を露わにした。
「いちいち勘に障る男だっ!」
彼女が刀を構えて走り出すと、示し合わせたかのように周囲の男女も剣を抜き、哲夫に襲いかかった。その素早い動きは先ほどのライオンに引けを取らない。哲夫は鞭をしならせ、たった一人であらゆる方向から襲い来る剣をいなしている。その死闘にアンディは思わず目を伏せ、テレスはただじっと固唾をのんで見守っていた。
そのおかげか、少年は哲夫と戦う刺客達の刀剣がそれぞれ違っていることに気がついた。ポピュラーなサーベルやレイピアからククリ刀にショーテルなど珍しいものまで、あらゆる剣が白く輝く知の鞭と火花を散らす。
「おうおう、こりゃまた随分と精鋭を集めたな。ゴルギアス教団の雑魚たちとは訳が違うね。特に芽音ちゃん。教団最強の幹部、穴櫛兄妹の片割れを担うだけのことはある」
「お世辞を言う前に、己の命を心配したらどうだ」
日本刀を構えた芽音が哲夫に勢いよく切りかかる。が、その刀が相手の身体を切り裂く前に、鞭が刀身に巻きついた。彼女は全身の力を振り絞って刀を取り返そうとするがまるで動かない。やはり腕力では哲夫に分があるようだった。
「ご忠告どうも。悪いが俺はまだ死ぬつもりはないんでね。オルギャノンは未だ敵の手の中。それにおたくの教祖様もいないうちに、信者に殺されるってなんか恥ずかしいじゃん?」
根負けした芽音の手が、刀を離した時だった。鋭い一声とともに天井に浮かぶ雲の中から、新たな影が二人の間に割って入るように降り立った。芽音から奪った刀を捨てて後退する哲夫。突如現れた乱入者は、静かに立ち上がると彼に向かって不敵な笑みを浮かべた。
「ご心配なく。ちゃんと来てますから」