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知の鞭

数秒後、そこには徒手空拳に完敗した信者達が横たわっていた。今や舞台上に立っているのは哲夫とカールマン、彼らから忘れられたように立ち尽くしているテレスの三人だけだ。

「さーてどうする教祖様。もう信者も観客も一人も残っちゃいないが、まだ俺と戦う気かい?」

「逃げたところで見逃してくれないのでしょう? むしろ君の狙いはこの私だ」

「おっしゃる通り……と言いたいところだが、今回だけは特別に見逃してやってもいいぜ。オルギャノンの居場所を吐けばな」

「ほう、取引というわけですか」

「一度だけしか言わないからよく聞きな。俺のオルギャノンを、どこに隠した」

「君のものじゃないでしょう? オルフェウス教とパルメニデス教団から奪ったものだ」

「そんな昔のこと忘れたね。大事なのは今どこにあるかだよ」

「なるほど、一理ありますね。だから私も言いませんっ!」

 カールマンが驚くほど俊敏な動きで哲夫から距離を取る。彼が杖を構えると同時に、舞台端で待機していた二頭のライオン像が再び動き出し、その鋭い牙と爪を哲夫に向けた。

「お遊びはここまでってか。ならこっちも少しは本気出さねえとな」


 そう言うと哲夫は静かに目を閉じ、左のこめかみに指先を押し当てた。一瞬だけ彼の周囲が水を打ったように静まり返る。テレス、カールマン、そして二頭のライオンが緊張の眼差しで見つめる中、彼はゆっくりと頭から何かを引き抜くかのように手を放していく。


指先がこめかみから離れた。が、この謎めいた仕草はそれだけで終わらない。指と頭の間、両者を繋ぐかのようにこめかみの端から長く白い光の帯が伸び出てくる。

横幅およそ十センチ。縦幅は哲夫が引き抜くに連れてどんどん長くなっていく。最初の三十センチほどはまっすぐ、ブレの無い一本の棒状だったのだが、今や指とこめかみの間で宙ぶらりんにでもなっているかのようにうねっている。良く言えばしなやか、悪く言えば不安定といったところだろうか。

「知の鞭か。ついに切り札を出しましたね」

「猛獣相手にはぴったりだろ?」


 ライオン像たちが唸り声を上げ哲夫の周りをぐるぐると取り囲む。本物のライオンではないが、その迫力はまるで引けを取らない。むしろ全身純金でできたたくましい肉体は実物以上に恐ろしい威圧感を放っていた。鋭い光を放つ瓜や牙はおろか、体当たりの一つ食らっただけで全身がバラバラになるだろう。

しかし当の哲夫は二頭から溢れ出る殺意で挟み撃ちにされてもなお冷静に光の鞭を三メートルほどの長さまで出し切り、先端部を床にだらりとしならせた。


「鞭ってのは今でこそSMプレイのおもちゃみたいなイメージを植えつけられちゃいるがな、一昔前はヒーローの必須アイテムだったのさ。確かに戦っている絵面はでっかい剣や弓矢に比べて地味かも知れねえ。だが本気でその威力を発揮すれば……」

 哲夫は突如、持っていた鞭を振りかざすと勢いよく空中で叩き付けた。瞬間、その場の空気が爆発したかのようなものすごい炸裂音と衝撃が響き渡る。

「ヒィ!」

「「グォぉお!?」」

 あまりの衝撃にテレスはへたり込み、ライオンたちは飛び退いた。一方、鞭を握る哲夫本人は表情一つ変えず、その場を微動だにしていない。

「これぐらいは朝飯前だ。どうした子猫ちゃん? 膝が笑ってるぞ」

「「ゴアァァ!」」

 調子に乗るなとでも言うように咆哮を上げると、二頭のライオンはそれぞれ別方向から哲夫に向かって飛びかかった。が、標的に間一髪のところで避けられると猛獣たちは空中で衝突しそのまま床に叩きつけられた。先に体勢を立て直した一頭が哲夫の姿を捉え、舞台上を全力で駆け抜ける。

「グルルァアア」

 硬く尖った爪としなやかな鞭の先端が天井の照明を背にぶつかり合う。ライオン像は哲夫の懐に飛び込もうと迫るが、伸縮自在に舞う鞭が一定の距離感を崩させない。近寄ろうとすれば鋭利な刃物を振るっているかのように鞭の表面が空気を切り裂く。

 このままでは埒があかない。そう判断したのかライオンはくるりと踵を返すと、まさに尻尾を巻いて逃げ出すかのように哲夫とは反対方向へダッシュした。

「おいおい! もう逃げんのかよ」

哲夫は再び鞭を振り上げると、今度は前方に向かって真っすぐに伸ばした。白く輝く先端部が敵前逃亡するライオンの後ろ足へ蛇のように絡みつく。バランスを崩した黄金の獣は舞台の上にドシンと音を立ててつまづいた。

「ブォホゥ!」

 鼻先を床にぶつけたライオンは奇怪な鳴き声を上げ、前足で顔を覆った。同時にカールマンも顔を苦痛に歪ませ、まるで自分の鼻を傷つけられたかのように擦りながら後退した。

「もちょっとゆっくりしていけよ……ここお前んちだけど」

 哲夫が呆れたようにライオンに歩み寄った時だった。顔を覆う前足の隙間から、鋭い眼差しがギラリと光る。それと同時に背後から咆哮が轟いた。

「げっ!?」

 咄嗟に振り向いた哲夫が見たものは、先ほど空中で衝突して地面に叩きつけられた後、姿をくらましていたもう一頭のライオンだった。哲夫が片割れと死闘を演じ、気を取られていた隙にこちらのライオンは密かに彼の背後へと周り、奇襲を仕掛ける機会を虎視眈々と伺っていたのだ。哲夫と正面から戦っていた個体は囮、そちらに気を取られた隙をついて背後からガブリと噛みつく陽動作戦。

「グワオォーッ!」

 ライオンの牙が哲夫の背中に食らいつこうとした、その時


「えいッ!」


 どこからともなく一欠片の瓦礫が飛んできて、今まさに襲いかかろうとしているライオンの横面を直撃した。

「ゴォウ!?」

 予期せぬ奇襲に気を逸らされ、哲夫とは明後日の方向を振り向くライオン。その反射神経が奇しくも裏目に出た。

「あぶねッ」

 爪が触れる寸前、哲夫はぱっと身を翻し、標的を見失ったライオンは頭から地面に激突した。半分めり込んだ顔を強引に持ち上げ憎しみに満ちた眼差しで周囲を見渡すが、既に相手の姿はどこにもない。代わりに捉えたものは、先ほどぶつけられた瓦礫と同じものを持ってこちらに投擲しようとしているテレスの姿だった。

「ガアーッ!」

 ライオン像は再び雄たけびを上げ、今度は自分の奇襲を邪魔した少年に狙いを定めた。が、どうしたことだろう。今にも飛びかかろうとしているその身体がぴくりとも動かない。いや、懸命に前足を突き出してはいるのだが、自身の肉体が何かに引っ張られるかのようにその場を離れることが出来ないのだ。振り向いたライオンは、自分の後ろ足と舞台へ上がる階段の縁をしっかりと結び付けている白い鞭の存在に気がついた。

「お前の相手は、俺だろうがよ!」

 ライオンの頭上で声がした。その声の主がいる場所を、もう一頭の視線が物語っている。

「ガァア!」

 ライオンはふと、自分の首元が締まっていく感覚を覚えた。そしてその感触が鞭ではなく、生身の腕力であることも理解した。テレスの奇襲でライオンが注意を逸らされたほんの一瞬、哲夫は相手の視界をすり抜けて階段と後ろ足を固く繋ぎ合わせ、敵の背中に飛び乗ったのだ。

そして今、彼はロデオの如く猛獣の背に跨り、自在に鞭を操っていた逞しい左腕をたてがみに埋もれた太い首に引っかけている。事態を理解したライオンがこれまでにない唸り声を上げ、ぐいぐいと首元を締め付ける哲夫の恐ろしい腕力から逃れようと唯一自由に動く前足を懸命に動かす。しかしその抵抗も虚しいものだった。

もう一頭のライオン、そしてテレスの見つめる前で哲夫の恐るべき腕力は黄金の首筋に深く、強く食い込んでいった。


 ふいにライオンの力が弱まった。次の瞬間、重々しい音がしてその立派な頭が不自然な角度に曲がり、身体からねじ切られた。既にカールマンの意思が離れた金の塊は、力なくその場に倒れ込んだ。そこから然程離れていない位置に、ライオンの最期の表情を示すような、苦悶に満ちた頭が虚しく転がっている。

「グウオァアア!」

 もはや単なるオブジェと化した肉体から哲夫が飛び降りた途端、相棒の死に怒り狂うようにもう一頭が襲いかかって来た。しかしその動きは先程と比べて明らかに動揺し、冷静さを欠いている。必殺の二段構えを失ったライオン像は、もはや哲夫の敵では無かった。


瞬殺。その二文字がここまでしっくりくる光景を、テレスはついぞ目にしたことは無かった。知の鞭を握って飛びかかるライオンの懐に潜り込んだ哲夫は、頭上を飛び超える猛獣の腹部にとどめの一撃を食らわせた。獣の腹に亀裂が走る。それはやがて頭部から尻尾の先まで広がり、ライオンは地面に激突するのを待たずして木端微塵になっていた。

「す、すごい! 二頭とも……」

 思わぬ決着にただ茫然とするテレス。彼の驚愕した表情に同調するかのように、舞台はしんと静まり返っていた。先程まで人間と猛獣の死闘が繰り広げられていたとはとても思えない。

そんな静寂の中、当の勝利者はゆっくりと立ち上がると、まだ戦いは終わっていないとでもいうような鋭い眼光で会場内を見渡した。

「ここでの戦いは、どうやら俺の勝ちみたいだな! どうする教祖様。まだやるかい?」

 舞台上をぐるりと見回して勝ち誇ったように叫ぶ哲夫。彼が語りかけているただ一人の相手、白草カールマンはいつのまにか姿をくらましていた。

「返事がないってことは俺の勝ちでいいのかなぁ~?」

 大袈裟な身振り手振りで挑発するが、相手は一向にその姿を現さない。

「あーあ。負けを認めちゃうのか。せっかく苦労してこんだけ信者集めたってのにねぇ?」

 哲夫の煽りがだんだんオーバーになる。未だカールマンは現れない。

「つっても観客共はみんな逃げちまったし、お前を崇める信者たちも愛弟子の幌巣ほろすがやられるのをその眼で見ちまった。どっちみち終わりかもな。お前んとこの教団」

やはり、出てこない。

「……おいおい、まさか本当に逃げちまったのか」

 破られない沈黙。流石の哲夫にも、僅かながら焦りの色が浮かんだ。その時だ。


「ちょっと舞台裏に下がっただけで、随分と好き勝手言ってくれるじゃないですか。しかし、これを見てもそんなことが言えますかねぇ?」

 哲夫の顔に笑みが戻る。ただしそれは、戦う相手を再び見定めたという好戦的な笑顔だ。彼の視線は舞台中央の石段、その最上部を向いていた。敵はそこでじっと哲夫を見降ろしている。

 テレスはふと、敵の右手に妙な物が握られていると気づいた。一瞬それはヘアドライヤーを彷彿とさせたが、そんなものがこの場に登場する意味が解らない。カールマンが哲夫に向けて狙撃の構えをとった時、テレスにはようやくそれが、特殊な形状をした拳銃だと理解できた。

「お探しの品はこちらで間違いなかったですか」

 カールマンが冷やかすようにフフフと笑う。一方、煽られた哲夫は先程とは打って変わって真剣そのものの眼差しで相手を睨みつけた。

「お前さん達がそっくり同じ偽物を作ってなけりゃあな」

「随分と疑り深いですね。何なら今ここで、撃って差し上げましょうか?」

「そりゃいい考えだ。しっかり狙えよ」

「えっ!?」

 テレスの上げた素っ頓狂な声を耳にし、哲夫とカールマンが同時に振り向く。

「なんだ、まだいたのか。さっさと逃げなおチビちゃん。ここから先は、刺激が強すぎる」

「な、何を言ってるんですか! あなたこそすぐ逃げてくださいよ。なんで自分から撃たれにいこうとしているんですか」

「それはお前さんには関係のないことだ。俺はこの眼で確かめたいことがある。それだけさ」

「確かめたいことって……あの銃に撃たれることで確証できることなんですか? そんなの、そんなのおかしいですよ! せっかく助けたのに」

「チッ、うっせーな。邪魔だから早く行けよ。そりゃ錠を外してくれたことには感謝してるが、正直なところ逃げ出そうと思えばいつでも逃げ出せた。お告げさえなけりゃあな」

「お告げ……?」

「話したってどうせ信じないだろ。もういいや。おい教祖様、ぐずぐずしてないで早いとこ撃ったらどうだ。まさか怖いのか?」

「黙りたまえっ!」

 激昂し銃を突きつけるカールマン。その額には汗が滲み、動悸も上がっているように見えた。哲夫に対し終始冷静な態度を保っていた彼が、ここへ来てどうしたというのか。まさか本当に撃つのをためらっているのか。アンディが自分を殺そうとするのを黙って見ていた彼が、今更そんなことで迷うだろうか……

それとも他に何か、撃つのを躊躇する理由が?


「今の、お前さんの気持ちを当ててやろう。その銃で俺を殺るのが怖いんじゃない。そいつで俺を撃とうとして、何が起こるか解らないから怖いんだろう。気持ちは解る。得体の知れないオルフェウス教とパルメニデス教団が手を組んで作った代物だ。ただの拳銃じゃないってのは、ある程度この世界でやってきた人間なら誰でも解る。

実際俺もその一人。あいつらから奪った後、試し打ちをしてみた時はそりゃあ怖かったさ……しかし残念というか何というか、何度引き金を引いても弾一つ出やしない。かといって、お前もそうだとは限らんが」

「いや、私が使ったらもう少しマシな結果になるだろう。お前は私と同じ、いや、それ以下だ。昔から甲斐性なしの、夢想家だったからな!」

 カールマンは目をカッと見開いて構えると、哲夫の眉間めがけて銃の引き金を引いた――


「逃げてっ!」


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