正体
緑色の光を放つ矢は、射抜かれた標的が状況を理解し、倒れ込む前に粒子状となって消えた。炎堂の巨体が重々しい音を立ててうつ伏せに倒れ込んだ時、彼の背後にはその陰に隠れていた弓手が弓を、いやボウガンを構えたまま哲夫たちの方を見つめていた。
「炎堂力という男は、直接戦闘に限れば最強の賢人と聞いていたが……どうやらとんだ見込み違いだったらしい。あの恐るべきテロリスト集団『ロゴスの子』の首領がこうも簡単に仕留められるとは。笑いが止まらんよ」
面白そうにからからと笑うしわがれた声。その主は屋敷の門前で哲夫たちを手厚く出迎え、優の部屋まで案内してきた老執事だった。
「あなたが……?」
サスペンスドラマのように絶句するテレスの頭を哲夫が小突く。
「あなたが……? じゃねぇよ。芝居じみた台詞言いやがって。屋敷の主が偽物なんだから、その召使どもだってグルに決まってんだろ」
哲夫は炎堂を倒した老執事――正確にはその背後の壁――に向かって怒鳴り散らした。
「隠れてないでいい加減出てこいや。こんなおいぼれ一人、前線に立たせとくつもりか?」
彼の声を受けて、壁の向こう側から大量の人間がすり抜けるように現れた。メイドに庭師に料理人。全員が老執事と同じくボウガンを携え、哲夫たちへ嘲笑に満ちた眼差しを向けている。
数列に立ち並んだ彼らの中心には、一際巨大なボウガンを持ち、悠々と立つ偽志保夫人の姿があった。その顔には最初に会った時の焦燥感に満ちた悲哀など欠片もなく、勝ち誇ったように不敵な笑みが浮かんでいる。カールマンやフィロも、哲夫を追い詰めた時に同じ顔をしていた。
「炎堂に焼き殺される前に、よくぞ我々の策を見破りましたね。流石はソクラテス教団の教祖。差し支えなければ、どの段階で気づいていたのか教えてくださらないこと? 少なくとも私と対面した時には、豪邸に目を奪われた哀れな貧乏人にしか見えなかったけれども」
「いやいや教祖様。恐縮ながら、ご依頼を受けた時点で何となく罠っぽいと思っておりました。こんな大富豪の御曹司を説得するなんて、それこそそちらさんみたいなれっきとした大教団のお仕事じゃございませんか? 俺たちみたいな弱小教団にこの手の依頼をしてくるのは貧困層。はっきり言ってこんな豪邸に呼ばれるなんて場違いもいいとこさ。ところが優の部屋とそこに閉じこもっている本人だけは正真正銘の本物だったから、まんまと騙されかけちまったよ」
「アッハッハ! 随分と苦しい弁明だこと。それでも一教団を率いるソフィストかしら」
偽夫人の甲高い笑い声に合わせて、召使たちも哲夫たちを指差し、一斉に嘲笑った。
「へらへら笑ってねぇでいい加減ブッサイクな素顔見せろや。もうネタは上がってんだよ」
苛立ちまぎれに暗殺者の遺体を相手に向かって放り投げる哲夫。笑い続ける敵の一団はその身体を受け止めようともせず、床に転がる同胞に軽蔑のこもった視線を向けた。
「その様子だと、この子はあなたにろくな怪我一つ負わせられなかったようね。何と無様な。あれだけ意気揚々と自分一人で片づけて見せますと息巻いていたくせに」
「ちょっとあなた! 命を賭して戦った、仲間に向かってなんてこと言うんですかっ!」
偽夫人たちの横暴な振る舞いに怒りを覚えていたテレスが、我慢の限界とばかりに声を張り上げる。夫人の笑みが消え、冷たい眼差しでテレスを睨みつけてきた。
「黙りなさい、そこの無礼な少年。余所者の分際でこの私に説教するつもりですか」
「正体も明かさず、隠れて隙を伺うことしかできない卑怯者を罵倒して何が悪い!」
テレスも負けじと睨み返した。哲夫と啍は彼が再びオルギャノンを取り出すのではないかと内心冷や冷やしていたが、テレスはちゃんと約束を守り、指一本触れる様子もなかった。
「よく言った我がダチよ。こいつらは自分たちの醜い面を拝ませたくないもんだから、いつもこうして化けの皮を被ってこそこそやってるんだ。素顔を見たらブサイク過ぎて腰抜かすぞ」
テレスの罵倒に乗っかった哲夫の煽りがよほど堪えたのか、偽夫人の顔がみるみる赤くなる。
「いいでしょう。そこまで言うなら、私たちの本当の力、身をもって思い知るがいい。素性がばれた以上、もうこの仮の姿でいる必要もありませんからね」
偽夫人は自らの首根っこを掴むと、スパイ映画で変装マスクを脱ぎ捨てる時のようにめくり上げた。映画ならその仕草で露わになるのは顔だけだが、彼女の変身はそれだけで終わらない。
化けの皮は夫人の身体や纏っていた紫のドレスに至るまで繋がっており、それらを全て脱ぎ頭上で翻すと、緑色のローブ姿を哲夫たちの眼前で羽織り直した。
「ピタゴラス教団…………いや、オルフェウス教の表の顔、といった方が正しいか? 亜帝内三大教団の一つであるエリート教団と、謎多きカルト宗教一派は表裏一体。長い間都市伝説として語り継がれてきた噂の真相を今、そちらさん自ら白日の下にさらしたというわけですかい。弓手と暗殺者がグルとか、どこの前日譚だよって話だが」
紫のドレスを身に纏い、憂いの表情を浮かべる化けの皮。その裏に隠されていた本来の顔は、仮の姿よりも随分若い二十代そこそこのクールビューティーな美女だった。若いと言っても、流石にフィロやテレスよりは十歳ほど年上に見える。外見年齢だと惇が一番近いかも知れない。
一方、同じく使用人としての化けの皮を剥がした信者たちの方はテレスと同年代と思われる少年少女が大半だった。夫人を除けば明らかに成人と思われる顔立ちをしているのは老執事に扮していた立派な口髭の男ただ一人。流石に変身前よりは若いが、四十代後半といった感じで大人の男としての渋みを感じさせ、彼女よりも明らかに年上だった。しかしこの髭面の威厳も、志保夫人に扮していた女から溢れ出る圧倒的なカリスマオーラには遠く及ばなかった。彼女の醸し出すカリスマ性。それはあのタレス教団を、最年少にも関わらず最高指導者として率いていたフィロ・タレスのそれに匹敵していた。
「爺やさんに化けていた髭面のおっさんは、教祖に仕える最高幹部『五芒星』の一人、周防宏。そして志保夫人に扮し、俺たちをここへおびき寄せた黒幕が……」
「四代目教祖、ソフィア・ピタゴラス」
彼女の名は哲夫ではなく、ゆっくりと起き上がった炎堂の口から漏れ出た。射抜かれたのが心臓のある左胸ではなく右胸だったのが幸いしたのか、死んではいなかったようだ。それでも矢が貫通した胸元からはとめどなく血が溢れ出ている。常人なら意識を失うほどの大量出血。ましてや起き上がることなど不可能なはず。そんな致命傷を受けてなお、この恐るべき巨漢は惇や哲夫と対峙した時以上の激しい憎悪の眼差しをピタゴラス教団に向け立っていた。
「流石ですね。炎堂力。この程度でくたばる『ロゴスの子』首領ではないと」
「当たり前だ。あんな貧弱な矢の一本で死ぬ人間などいるものか」
部下の奇襲を貶されたソフィアは逆に嬉しそうな顔をした。フィロと同じ満面の笑みだが、なんだかんだ話の通じる相手だった彼女とは明らかに異なる、底意地の悪さが滲み出ている。
「ぞくぞくするわその瞳。ペロポネソスの醍醐味は何と言っても賢人バトルロイヤルですもの。それぐらいの闘志がなくては、張り合いがないにもほどがある」
「解っているなら邪魔をするなペテン師風情が。俺とこいつらの戦いに割って入った罪の重さ、理解しているんだろうな」
「あら、言いがかりは止めて下さる? そもそも誰の計らいで裏切り者とあいまみえる機会が出来たと思っているのかしら。ねぇ、賢人気取りのテロリストさん?」
「貴様のくだらんお膳立てなどなくても、俺は俺自身の力でこいつらと対峙し、倒す。それが信用ならないというなら、まずお前たちから焼き尽くしてやろうか」
「多勢に無勢って言葉、ご存じない?」
炎堂の怒りのボルテージが確実に上がっていくのを、その場にいる誰もが感じ取っていた。その怒りの矛先を真正面から向けられたピタゴラス教団の教祖も流石というべきか。顔色一つ変えず信者たちに合図を下すと、それに合わせて大量のボウガンに矢が装填され炎堂の心臓に照準が向けられる。彼を狙う矢は全て、最初の一発と同じ緑色の光を放つ特殊な矢であった。
対する炎堂は両手を再び業火に包み込んだが、何を思ったか突然その炎を治め、静かに目を閉じると、左手の人差し指を突き出した。
「あの動きは!」
「おいおいアイツ、のっけから本気かよ」
呆れたような口調で事の成り行きを見つめる哲夫だったが、その額から一筋の冷や汗が垂れていた。彼は炎堂がどうやってこの軍勢にたった一人で挑むつもりなのか、理解したらしい。
そして哲夫の明らかな焦燥感はテレスにも伝染していた。血の鞭も光の矢も燃える拳も初見の彼だったが、ここへ来て唯一、見覚えのある技が披露されようとしている。その恐ろしさは昨晩、身をもって理解しているつもりだった。
「みんな下がれっ!」
哲夫の叫びに応じてテレスたちが部屋の奥へと避難する。それと同時に、炎堂は突き出した人差し指を身体の前で縦に半回転させ、天高く伸ばすと一声叫んだ。
「我が身に宿れ、ダイモーン・ヘラクレイトス!」




