誓い
突然の一言によって再三訪れる沈黙。哲夫はしばらくの間返答をせず、考え込むような態度を見せていた。しかしやがて決心がついたのか、彼はその手をテレスの前に差し出した。
「ようこそテレス・ニコマコス。我々は君を教団の、探究所のメンバーとして歓迎しよう」
「よろしくね! 新人くん」
「その代わり、店の手伝いもちゃんとしろよな! 皿洗いからみっちり叩きこんでやるぜ」
両脇から本貴と翻子が嬉しそうにテレスの肩を叩く。期待に胸を膨らませ少年は頭を下げた。
「ありがとうございます。よろしくお願いします!」
歓喜に揺れる人々の輪。だが惇だけはそこに加わらず、険しい表情でテレスに詰め寄った。
「テレス。私達の仲間になるということは今まで以上に君の身が危険に晒されるということだ。もちろん私も先生も二十四時間君を守り抜くことなんて出来ない。教団の一員になるということは、まさにペロポネソスの渦中に身を投じるのと同じだ。
昨夜のゴルギアス教団もタレス教団も、氷山の一角に過ぎない。ましてや君は今後、戦局を大きく左右するオルギャノンの所有者だ。直接狙われる確率は、下手をすれば教祖である先生よりも高い。それを解って言っているんだな?」
「大丈夫だって! その時は俺が襲ってきた奴らを全員――」
惇の威圧するような眼光を受け、哲夫は喋る口を失ったかのように押し黙る。昨夜の戦いでひたすら先生、先生と慕っていた惇の様子を見てきただけに、テレスは衝撃を隠せなかった。
「なぁ、さっきから気になってたんだが、結局そのオルギャノンってのは何なんだ?」
本貴が二人の間に走る緊張をほぐすように割って入り、テレスがずっと知りたかったことを口にした。彼の質問を受け、哲夫は胸元からごそごそと問題の代物を取り出した。テーブルの上に置かれたオルギャノンを物珍しそうに見つめる面々。
「こいつがオルギャノンだ。普通の拳銃じゃないってことは一目見ただけで誰でも解るだろう。この世界の真理に辿り着くための鍵なんだとさ。物騒な連中から奪ったはいいが、俺にも詳しいことはまだ何も解らん。一つだけ確かなことは、どうやらこいつが意思を持ってるってことだ」
「「銃に意思が!?」」
「馬鹿馬鹿しい話だと思うだろう。でも俺が初めてこいつを手にした時、頭の中にはっきりと声が聞こえたんだ。違う。あなたじゃないってな。で、パルメニデス教団から逃げ出した後、どうしたいのか聞いてみた。そしたら本当の持ち主に会いたいって答えたんだ」
「それでゴルギアス教団を当てにして行ったら、まんまと捕まったと」
「よ、容赦ねえ言い方だな惇……まぁ事実だけど。いや悪かったよ。お前らに相談もなく他の教団のアジトにホイホイ出向いたのはさぁ」
哲夫はばつが悪そうに頭をかくと、再びテレスの方に向き直った。
「そういえばテレス、お前さんもこいつの声を聞いたらしいな。何て言ってたんだ?」
「あ、はい。ええっと……」
テレスは自分が見た夢のことについて、かくかくしかじかと話し始めた。
「……なるほどな」
「いや関心してる場合じゃないっすよ兄貴。もし彼の言うことが事実だとしたら……」
「あたしたち、世界の真理にだいぶ近づいたってこと?」
「ああ…………大発見だ!」
かつてないほどに興奮しきった表情で部屋中を走り回る哲夫、本貴、翻子。その瞳は長年探し求めていた宝物を発見した考古学者、あるいは何度も失敗を繰り返した実験がついに成功を迎えた科学者のように明るく輝いていた。
「本物の、唯一絶対の神が実在する。
神と人間の中間に位置する天使に近い存在がダイモーン。
彼らは元々、俺たちの住む世界とは別の世界に住む人間だった。
その世界の名はイデア界。動物も無機物もイデアという物質で構成され、果ては言葉や思想といった実体のないものまで具現化することができる。
その力を俺たちの世界に持ち込んだ結果生まれたのが弁闘術。
ダイモーンたちは賢人たちが弁闘術を用いて争うのを止めるため、超常的な力を与えられてこの世界にやってきた。
その力とは、巨人化すること。しかし賢人たちが弁闘術でその力をも利用するようになったため、今度は暴走したダイモーンを殺すという使命を授かった。
テレスの持つオルギャノンにはダイモーンの一人アリストテレスの意思と力が宿っていて、ダイモーンを殺すことも、弁闘術を操ることもできる。
その所有者である彼の使命は、賢人たちを無力化し争いを止めること…………」
哲夫はソファーの周りをぐるぐる回りながら、テレスから聞いたことを矢継ぎ早に繰り返した。
「……今言ったことの一つ一つが、この世界で知られたらパニックになるようなとんでもない新発見だ。俺たち賢人の間でも、神やダイモーンのことなんてほとんど解っちゃいないからな。ましてこの世界とは別に人間が存在する世界があるなんて知られたら、大混乱になることは間違いなし。本当、よく教えてくれたよテレス。君のおかげで俺たち真理探究所は大きな一歩を踏み出した。感謝する」
「ど、どういたしまして……」
「ただ、お前さんの話を聞いても解らないことも多い。そもそも神とは何者だ? 俺たちが本来崇めるべき、信じるべき存在なのか?
イデア界の詳細も気になる。ダイモーンは元々俺たちと同じ人間だったそうだが、生活水準はどんなレベルだったんだ? 争いの全くない世界とはどんなものだ? そもそもイデアとは何だ? 動物も無機物も構成し、果ては実体のないものの具現化までできるという。そんな万能に近い物質が実在するのか?
それからオルギャノン。ダイモーンを封じ込めることのできる道具なんて、オルフェウス教とパルメニデス教団はどうやって作ったんだ? アリストテレスが今も銃の中に封じられているなら、簡単に意思疎通できないのは何故なんだ?
ああ~駄目だ。疑問と考察が止まらん!」
「先生、落ち着いてください」
興奮して部屋を行ったり来たりする哲夫の肩を、惇ががっしりした腕でつかみひとまず落ち着かせた。そのタイミングを見計らって、テレスはずっと思っていたことを口に出した。
「あの、すいません。僕も一つ解らないことがあるんですが」
「ほう、なんだいテレス。言ってごらん」
「オルギャノン、いえアリストテレスはどうして僕を所有者に選んだんでしょう?」
「それならまだ解る。オルギャノンはそもそも戦いに勝つための武器じゃなく、この世界の真理を解き明かすための鍵だ。賢人本来の使命を忘れて戦いに明け暮れる俺たちにはもはや真理を知る資格がない。
しかしテレス、君は違うだろ? 純粋に賢人たちから知恵を乞い、ハルマゲドニアの発展に貢献するためやって来た。オルギャノンは純粋な気持ちで新しい時代を切り拓こうとする者の前でこそ、真の力を発揮する。だから君を所有者に選んだのさ」
再び部屋を行ったり来たりする哲夫を尻目に、テレスは彼の言葉を反芻しながら考え込んだ。
亜帝内に着いてからというもの、ろくな目に遭ってこなかったが、そもそも自分がハルマゲドニアから遠い異国の地へとわざわざやって来た目的は何だったか。本来ここまで自分を突き動かしていた行動原理とはなんだ…………
知的好奇心。賢人から知恵を学び、祖国の発展に貢献する。哲夫の言う通り、彼を亜帝内に誘ったのは純粋な学習意欲と、故郷の未来を見据えた想いだ。そしてその二つの意志こそがオルギャノンの所有者に必要な資格なのだろう。
「おぉ?」
はしゃいでいた哲夫が、凛とした眼差しで自分を見つめるテレスに気づいて固まった。少年は動きの止まった相手の両手を力強く握りしめると、真摯な声で語りかけた。
「哲夫先生。僕はオルギャノンを、ペロポネソスで勝ち残るための武器には使いません。先生やここにいる皆さんと協力して争いを終わらせ、祖国に繁栄をもたらすまで、この『鍵』を所有者として肌身離さず持っているつもりです」
少年の語り口は、先程までの人見知りと同一人物とはとても思えないほど凛々しく、堂々としていた。そしてその様子は哲夫だけでなく、テレス自身にも誓いを立てているように見えた。
「そうか……本当に仲間になってくれるんだな。じゃあ、まずはこれを着けてくれたまえ」
哲夫はポケットから銀色のバッジを一つ取り出すと、テレスに手渡した。
「俺たちソクラテス教団の紋章だよ。白地に鞭のマーク。どこの教団の信者もそうだが、活動する際は自分がどこに所属しているかを示した紋章を着用する義務がある。
これは敵と味方の区別だけでなく、ペロポネソスの正当な参加権を持つ証。そしてこの街で賢人の一派として生きていくことの決意表明でもある。内側には特殊なマイクロチップが埋め込んであって、賢人を偽る詐欺師と政府公認の参加者を識別するための、特殊な電波が放射されている」
「なんだか、物騒な代物ですね……」
テレスは指をピンで刺さないよう注意しながら右胸にバッジを付けた。
「戦いを円滑に進めるための、苦肉の策さ。おっと、もうこんな時間か。じゃあなテレス。ちょっと出かけてくる」
「出かけるってどこへ?」
「実はお前さんと出会う数日前、我々に救いの手を求めていた先約がいたのだよ。今からその人物に会いに行くんだ」
「先約……ですか?」
首をかしげるテレスをよそに、哲夫は部屋の奥からスーツをひっぱり出すと身支度を整え始めた。
「なーに大したことはない。自分を精神異常者か何かと思い込んでいる、普通の子だよ」