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喫茶

「待ってってば!!!」


「うおぉ!?」

 テレスは目を見開き、がばりと身体を起こした。それと同時に二つの人影がさっと身を隠す。

 彼の周囲には、先ほどよりはまだ現実的な空間が広がっていた。黄色の壁にオレンジの天井。自分が横たわっていた赤いソファーの向こうには、カウンターキッチンと不規則に並べられた丸いテーブル、白い椅子が複数置かれている。


そのテーブルの影から、見知らぬ男女が遠巻きにこちらを見つめていた。一人は丸刈り頭にいかついそり込みの入った青年。もう一人は人の好さそうな笑みを浮かべたおさげの女の子。対照的な印象を持つ二人組だが、どちらもテレスには馴染みが無い。目を覚ました瞬間、頭上で響いた声はおそらく彼らのものだ。テレスの身体をソファーに安置し、意識が回復する寸前まで彼の顔を覗き込んでいたのだろう。

ところが突然起き上がったものだから、びっくり仰天して飛び退いた。そんなところか。二人はしばらく彼の様子を伺っていたが、不安げにきょろきょろと辺りを見回すテレスを見て安心したのか、ゆっくりとこちらに近づいて来た。


「びっくりしたなぁもう。いきなり起き上がるなよ。俺はこう見えてけっこうビビりなんだ」

「大丈夫? 意識はしっかりしてる? 運び込まれてからできる限りの応急措置はしたけど、まだどこか痛むところはない?」

 ぶつぶつと悪態を吐く青年に、しきりに身体の具合を気遣う少女。見た目だけでなく、性格も正反対だとテレスが思った矢先、背後からコツコツと階段を降りてくる足音が聞こえて来た。

「あ、テツくんっ! 目を覚ましたよ」

テレスが振り返るのと、少女が哲夫の元へ駆けていくのはほぼ同時だった。

「ギャアギャアギャアギャア、やかましいんだよ。反抗期ですかこの野郎」

「兄貴、その言い回しは色々とマズいんじゃ……」

「だからちょっと変えたんだよ。で、具合はどんな感じだ?」

不機嫌そうに目を擦りながら、哲夫はテレスの方を顎でしゃくった。その顔には青痣と切り傷、そして真っ赤に充血した瞳が浮かんでいる。昨夜の戦いからろくに回復していない証拠だ。

「自力で起き上がれるぐらいだから大した怪我じゃないとは思うんだけど……やっぱり病院に連れて行ってあげた方が良いかな?」

「そりゃあなぁ。万が一ってこともある。ただ俺はその前に一仕事せにゃならんし……」

 哲夫は少女の頭を撫でると、テレスの横たわっているソファーに向かい合うように置かれたテーブル席に腰かけた。机の上に行儀悪く足を乗せ、欠伸交じりに挨拶をかわす。

「やぁおはよう。もう昼過ぎだけど」

「え?」

 テレスは慌てて周囲を見渡し、壁にかかっている時計に目を留めた。哲夫の言う通り短針が二と三の間を指している。

「昨日のこと覚えてるか? お前さん、カールマンを倒した直後に気を失っちまって、瓦礫の中からここまで兄貴に運んできてもらったんだぜ。ちゃんとお礼言っときな、ほら!」

「いいよ本貴。むしろ巻き込んじまった俺の方から謝るべきだ」

 哲夫が熱くなる丸刈りを制した時、テーブル席の間を縫って一匹の黒猫が姿を現した。

「お、ティッペちゃ~ん。久しぶり! ご主人様のお帰りですにゃんよ~」

 抱き抱えようとした哲夫の手をすり抜け、黒猫は彼の頭にぴょこんと乗っかった。そのまま異臭と共に黄色い液体を垂れ流す。びしょ濡れになった哲夫の前髪から、雫が滴り落ちた。

「……ティッペ。俺の頭はお前のトイレじゃないって、何回言えば分かんだこのドラ猫!」

 哲夫は頭から飼い猫を下ろそうと躍起になるが、ティッペは涼しい顔でその手を避けると、何の躊躇もなくテレスの膝元で丸くなった。その様子を見て同じく丸くなるおさげの目。

「ティッペが初対面の人間にここまで懐くなんて。あなたずいぶん動物受けがいいみたいね」

「は、はぁ。故郷がハルマゲドニアなもんで……いやあんまり関係ないかも」

 膝の上でくつろぐティッペに困惑しつつも、そのぬくもりのおかげでテレスの緊張も次第にほぐれていく。そうした気の緩みからか、安堵した彼の腹が惜しげもなくググゥ~と鳴った。

「昨日からろくなもん食ってないって感じの音だな。まぁ、無理もないか。今うちのシェフがとっておきのランチを作っているところなんで。しばしお待ちを」

 濡れた頭を拭きながら、哲夫はティッペを膝に抱いたまま困惑しているテレスに言った。

「俺たちが何者かってことも含めて、お前さんが昨晩見たことは全部、あとでちゃんと説明する。その前にまずは腹ごしらえだ」


 しばらくすると、カウンターの奥からチェックのエプロンに身を包んだじゅんが山盛りの炒飯を乗せた六角形の器を運んできた。哲夫たちはテレスの身を気遣ってか、店の奥から一番大きな長方形のテーブルをソファーの前まで運んでくると、食事の用意を整えた。目の前に置かれた出来たての料理を見て、思わずテレスの口から涎が落ちそうになる。

「では、手を合わせて!」

 哲夫の合図と共に食卓を囲んだ三人が一斉に手を合わす。テレスも慌ててそれに倣った。

「「いただきます」」

「くぅ~! やっぱじゅんの作る炒飯は世界一だぜ!」

 丸刈りが口一杯に米を頬張りながら、賞賛するように料理人の肩を叩く。じゅんは嬉しそうな顔をすると同時に、いきなり肩を叩かれて少しむせてしまっていた。

一方反対の席に座っているおさげはやはり対照的に上品な手つきで少しずつ炒飯を口にする。たまに哲夫やテレスの口をあーんと開けさせ炒飯を放り込もうとする様子に世話焼きな性格が見て取れる。

哲夫は素直に差し出された炒飯を口にするが、テレスは顔を真っ赤にして拒絶した。そんな和気藹々とした食卓の足元では、ティッペが飼い主と同じくマイペースに猫まんまを口にしていた。


「そう言えば、自己紹介がまだだったな」

 空になった食器を運ぶじゅんと丸刈り。布巾でテーブルの上を拭くおさげ。そしていつの間にかどこかへ行ってしまったティッペ。彼らに取り残されたようにポツンと座り込んでいるテレスに向かって、哲夫は威勢よく手を差し伸べた。

「改めまして、ようこそ我がソクラテス教団の本拠地へ。俺は教祖兼、祖倉真理探究所の所長、祖倉哲夫だ。よろしく! あぁそれから、昨日は戦いに巻き込んじまってすまなかったな」

「は、はぁ。よろしくお願いします」

 テレスは戸惑いながら彼の手を握り、握手を交わした。続いて後片付けを終えた他の面々も次々と自己紹介を始める。最初に身を乗り出して来たのは丸刈りだ。

「俺、久世野くせの本貴もとき。今年で二十歳。ホンキと書いて、もとき。哲夫兄貴の一番弟子だ。この店の店長」

「こら、嘘つくな。皿洗いだろ」

 哲夫がつるりとした頭を叩くと、本貴はぺろっと舌を出した。続いておさげが前に出る。

「私は芥入かいいれ翻子ひるこ。歳は本貴もときと一緒。ひぃちゃんって呼んでね。ここは私のお父さんが経営している喫茶店なの。本貴やテツくんには寝泊まりする部屋を提供する代わりに店の仕事を手伝ってもらってるってわけ。もちろんあなたの部屋も用意してるわよ」

 翻子ひるこは快活そうに目配せした。おっとりしたタイプに見えて、意外と明るい子なのだろうか。

「そして彼が、俺の相棒にしてソクラテス教団の最強戦力」


 哲夫が胸を張って指差した先には、シンクで一人黙々と食器を洗うじゅんの姿。自分が呼ばれたと気がついたのか洗い物を一旦止め、テレスに向かってにこやかにお辞儀する。

普良ふらじゅんです。二十三になります。よろしく」

 彼の笑顔と目が合った途端、再びテレスの心臓が高鳴った。鼓動がどんどん早くなる。彼は自分の頬が赤く染まっていないか両頬を押さえつけたが、幸いにもじゅんに対する不思議な好意は顔に出るまでに至っていなかった。

「以上ここにいる四名。一見ごくありふれた喫茶店の従業員だが、その実態は君もよくご存知、ソフィストが率いる教団一派だ。本貴もときもひぃちゃんも、もちろんじゅんも俺の仲間。ただし、俺はこいつらを信者とも弟子とも呼ばない。俺の仲間は、みんなダチだ」


 哲夫が本貴もとき翻子ひるこの肩を抱き寄せ、にっこりと笑う。左右の二人も嫌な顔一つせず嬉しそうに微笑んだ。ゴルギアス教団やタレス教団とは明らかに雰囲気が違う。哲夫自身が言うように、ただの仲の良い友人同士にしか見えない。

「俺達のことはこれぐらいにして、じゃあ次はそちらさんの自己紹介、お願いしようかな?」

「ぼ、僕ですか? えっと――」

「テレス・ニコマコス。十八歳。ハルマゲドニア王国の出身にしてフィリップス大学一年生。近年始まった同盟国間の留学制度に則り、遠路はるばる亜帝内あていないまでやって来た。その目的は本場の賢人から優れた叡智を得て祖国の更なる発展に貢献するため。こんなとこか?」

「え?」

「ちょっと! 自己紹介って言ってんのにテツくんの方から喋っちゃってどうするのよ」

「へへ、わりぃわりぃ。よく考えたらこいつに全部書いてあったわ」

 哲夫は胸ポケットから一枚のカードを取り出し、ひらひらと見せびらかした。よく見れば、入国審査の際に提供されたテレスのパスポート兼特別切符だ。

「あ、それ僕の!」

「兄貴ィ、そりゃいくらなんでも駄目ですぜ。人の身分証明書をパクったりしちゃ」

「いやぁ。テレスを運んでる時に彼のポケットからずり落ちてな。目を覚ました時に返すつもりだったんだ。ついでにこの本も返しとくぜ。ほらよっ」


 哲夫は机に置いてあった一冊の本にカードを挟むと、テレスに向かって放り投げた。慌ててキャッチした彼が表紙に目を通すと『キラシュア伝記』と書いてある。亜帝内あていないへ向かう列車の中で読んでいた、この世界の歴史書だ。

「この本、お前のだろ? 道中で暇つぶしに読んだのか?」

「一応、最後まで」

「なら話が早い。昨日お前さんが見たこと、これから俺が話すことはこの本に書かれてることの続きみたいなもんだ」


 哲夫は白い椅子から身を起こすと、テレスの隣に空いたソファーに深々と腰を下ろし、昔話を子供達に言って聞かせる老婆のように、遠い目をして語り始めた。


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